表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

20/30

貴方がいなければ、この世など





激しい揺れにいい加減吐き気を抑えられなくなった頃、馬車がついに停止した。


どかどかという乱暴な足音が聞こえ、扉が開け放たれると、アメリアを連れ去ったのと同じ男が無言でアメリアの腕を引っ張り、馬車から引きずり出した。



そのまま、目の前の古びた倉庫らしき場所に連れて行かれ、乱雑に積まれた木箱の間に放り投げられる。



まるで荷物のような扱いだ。掴まれた腕も、足も、おしりも痛すぎる。




男はあっという間にアメリアを縄で縛り上げ転がすと、ふうっと一息ついたように少し離れた場所にある木箱にあぐらをかいて座った。


懐からタバコを取り出し火をつける。落ち着いているし手際もいいから、こういうことをよくやっているのだろう。






アメリアは改めて周囲を見渡した。

窓は高い位置に小さいものが二つあるだけで、すでに日が暮れ始めているのかその窓から差し込む日も頼りないものだった。


ただ、馬車から降りた時独特の海の匂いがしたので、ここは港町にある倉庫なのかもしれない。

結構な時間馬車を走らせていたので、残念ながらカンデルでは無いだろう。




しばらくすると男はタバコの火をランプに移した。薄暗いが、倉庫が完全な闇に支配されなかったことに、アメリアは安堵した。




「随分落ち着いているな」

「え…」


男が唐突に話しかけてきた。

アメリアが悲鳴も上げず静かに座っているので、不思議なようだ。



「大抵の女は誘拐すれば泣き叫ぶぞ」

「…ということは、いつもこんなことをしているの?」

「別に、これが専門じゃない。経験は豊富だがな」



男も暇なのか、アメリアと会話をするつもりがあるようだ。

アメリアはほっとした。この状況で沈黙が一番怖い。



「私だって、慣れてるわけじゃないわ」

「だろうな。慣れてたら困る」

「困るの?」

「怯えさせられないだろう。俺の仕事はお前を拉致して、十分に怯えさせることだからな」



どんな仕事だ。怯えさせるというのは、暴力も含まれるのだろうか。


アメリアは背中にじっとりと嫌な汗を感じた。



「…ということは、誰かに雇われたの?私、ここまで恨まれるような覚えはないんだけど」

「そうだな、俺は雇われだ。目的は知らん。俺の雇い主に聞いたら良い」

「…聞けるの?」

「そのうち来る」

「え…」



わざわざこの男を雇って誘拐させたのに、雇い主本人が来るのか。

なんだか不思議だ。アメリアかニールに恨みがある者の犯行だろうとは思っているが、アメリアも心当たりはないし、あのニールがここまで恨まれるようには見えない。






どれくらい時間が経っただろうか。

男とは時々ポツポツと会話をしていたが、何が導火線になるかわからないので生きた心地がしなかった。


そして、その不安は的中する。



「…飽きたな」

「え」

「お前をどう扱うかは、特に指示を受けてない。ああ、殺しはしないが」

「…」

「抱くか」

「は…」



男はのっそりと立ち上がると、伸びをして世間話をするようにそう言った。


「な、何する気…!?」

「何って、抱くんだよ。大人しくしていれば痛くはないだろ、多分」

「ひ…」

「しばらく海に出てたからな。女は久しぶりだ」



男はスタスタとこちらに近づいてくる。一方のアメリアは縛り上げられており、逃げることはできない。



「触らないで!し、守護魔法をかけてもらっているから、迂闊に触ったら死ぬわよ」

「へぇ?そうなのか。まあ、確かにあの屋敷の当主は魔法士らしいな」


男はニールのことはよく知らないようだった。魔法自体あまり気にしていないのか、躊躇なくアメリアに近寄ってくる。



「だから、触ったら死ぬって!」

「どう死ぬんだ?」

「それは、魔法で」

「俺は魔法のない国の生まれでね。よく分かっていない。ゆえに、恐れて良いのかもわからん」

「え…」

「これでは死なないだろう?ここまで来るときに散々やったからな」



男はアメリアの腕を掴んだ。確かに連れ去られる時男は何度もアメリアの腕を掴んだから、これくらいでは死なないと男は分かっている。



「これはどうなんだ?…これは?」


言いながら男はアメリアの首、足、腹と触れてくる。

男の指の感覚が気持ち悪く、アメリアは吐き気を覚えた。



「や、やめて…」

「やはり、嘘だろう。守護魔法などない。そうだな?」

「嘘じゃない…」



男は突然乱暴な手付きでアメリアの顎を掴み、無理やり上を向かせた。



「嘘だろう。あまり俺を苛立たせるな。うっかり殺してしまったら報酬が貰えない」

「…!」


男のギラギラとした瞳が至近距離に迫る。




アメリアはこの目つきに見覚えがあった。娼館で何度も見た目つきだ。町で仕事を探していた時も、何度か見た。女性たちを品定めしようとする、飢えた目。

アメリアはガチガチと歯の付け根が鳴るほど震え上がった。




怖い。怖い怖い怖い




「や、やだ…!やめて!!」



ああ、もっと体を鍛えておくべきだった。

アメリアは縛られながらも体をよじり、這いつくばってでも逃げようとした。が、抵抗の甲斐なく引きずられ、掴まれた足首にまたひどい痛みが走る。



(どうして私は、こうなの)



自分が特別不運だとは思わない。辛いこともたくさんあったけど、その分良いこともたくさんあった。自分が不運だなんて、思いたくない。



でも、今回はどう考えても運がなさすぎる。



ーあるいは、アメリア自身に、何か問題があるのだろうか。



両親が蒸発したのも、実家が没落したのも、娼館に売られたのも、何度も路頭に迷いかけたのも。


アメリアが、呼び寄せているのだろうか。




つい数時間前まで、ニールの帰りを待ちながらお屋敷で穏やかに過ごしていたのに。押し寄せる恐怖に耐えきれず、アメリアは恐慌状態に陥った。



ニールの優しげな顔が、アメリアの脳裏をよぎる。




ニールはアメリアが連れ去られたことを聞いたら、探してくれるだろうか。優しい彼のことだ、きっと心配してくれるだろう。でも、彼は今遠い氷山にいる。

もし次に会えたら、アメリアは彼の前に立てる状態だろうか。…きっと無理だろう。拉致されて、男にいいようにされる。そんなことが起きてしまったら、汚された自分をニールには見られたくない。彼にだけは、絶対に。




男はアメリアを襲うためか、足元の縄だけを少し緩めた。

(もう、いやだ。…こんな男に、汚されるくらいなら…いっそ、死んでやる)



アメリアが縛られて痛む全身に構わず全力で抵抗すると、男が面倒そうに舌打ちをして、アメリアを掴んでいるのとは反対の腕を振り上げる。



殴られる、そう思った瞬間、目を開けていられないほどの強風が吹き抜けた。

正確に言うと、目の前の男にのみ、その風は吹き付けている。




「な…んだ?!」

「あ…!」


アメリアはすぐに気付いた。こんな現象を起こせるのは、アメリアが知る限り一人しかいない。




アメリアは怯む体を奮い立たせ、何とか体を起こすと少しだけ縄が緩められていた足を使い、思い切り男の股間を蹴り上げた。


「がぁっ!!!」


男は痛みに悶絶し、アメリアを掴んでいた手を離した。



急に開放されたアメリアは、バランスを取れず、思い切り後ろに倒れ込む。

衝撃に備えて目をつむったがそれは訪れず、代わりに何かに支えられた。



何とか顔をあげると、そこにいたのは、いるはずのない、でも今一番会いたくてたまらない人だった。



「…ニール、様…っ!」

「アメリアさん…遅くなって、すみません」

「なんで…」


ラムド氷山にいるはずのニールは確かにそこにいて、アメリアを後ろから抱きしめるようにして支えてくれている。


怖くて、嬉しくて、安心して、でも怖くて、アメリアはどうして良いのか分からず、ただニールの名前を呼び、彼の胸元に顔を埋めた。



「アメリアさん、もう、大丈夫です。僕が絶対に守ります。大丈夫です…」


ニールはこの場にそぐわないほど優しい声色で何度も大丈夫だと言い、アメリアの背中をさすってくれる。

その間も周囲には強風が吹き荒れ、アメリアを誘拐した男はこちらに近寄れないでいるようだ。



ニールは魔法でアメリアを縛り上げていた縄を切り、アメリアの身は数時間ぶりに自由となった。



何とかお礼を言おうとニールの瞳を至近距離で見上げたアメリアは、はっとした。

彼の美しい若草色の瞳は、まるで焔のように揺らめいている。その色には微かに青や朱をも混じっていて、時折キラキラと輝いては若草色の瞳に溶けていく。


あまりの美しさに、アメリアは息を呑んだ。




彼はアメリアを壊れ物を扱うかのようにそっと抱え上げると、少し離れた位置に座らせた。


「に、ニール様」

「少し、待っていてくださいね」

「!ニール様、後ろっ!!」


ニールの起こす強風にどうやって耐えたのか、誘拐犯の男がニールに殴りかかろうと、じりじりと近寄ってきているのが見える。



次の瞬間、アメリアは信じられない光景を見た。




ニールは振り返ると、男の拳を何でもないように左手で受け止め、そして振り返った勢いのまま右手で男の鳩尾を殴ったのだ。

男は「がはっ」という声を上げ、その場に崩れ落ちる。



ニールはうずくまる男を静かに見下ろしている。彼の周囲には微かに風が吹いており、髪がふわふわと揺れていた。



「く、くそっ…!」


男は数回喘鳴を繰り返したあと、何とか立ち上がってもう一度ニールに殴りかかった。その手にはどこから出したのか、小さなナイフが握られており、アメリアは声にならない悲鳴をあげた。



しかしニールは表情の抜けた顔のまま、目にも止まらぬ速さでナイフを避けた。そして攻撃を避けられて前傾姿勢によろめいた男の顎を、そのまま膝で打ち払う。


顎を揺らされた男は、今度こそ倒れ込む。どうやら気絶したようだ。


犯罪行為に慣れていそうな大柄で屈強な男だったはずだが、ニールはそれをあっさりと打ちのめしてしまった。



「………」



アメリアはあまりに驚いて、口を開けたまま呆けていた。




ニールは確かに背が高いし、屋敷にこもりがちな割には身体付きもヒョロヒョロではなく、しっかりしている。

だが、彼がこんなに武闘派だとは知らなかった。魔法が使えるのだから、てっきり戦闘スタイルも魔法メインなのだと思っていたのだが。



倒れた男とニールを見比べていると、何事かを呟いたニールの周囲から風が止む。

するとニールは弾かれたように、アメリアの元へ駆け寄ってきた。



「アメリアさんっ!大丈夫ですか?お怪我は…?!」

「ニール様…」


ニールの瞳はもういつもの若草色に戻っており、揺らめいてもいない。

彼はアメリアの肩にそっと触れると、アメリアの顔から足まで大小様々な傷がついていることに気付き、泣きそうに表情を歪めた。


「ごめんなさい、僕がもっと早く来ていれば…!」

「ニール様」

「痛いですよね、すぐに医者に診せましょう」

「ニール様。…ニール、様」



アメリアは壊れたおもちゃのように、彼の名前を繰り返した。

ニールが来てくれた。男は気絶している。それなのに、未だ恐怖が体中を支配していて、震えが止まらない。



ニールは氷山から駆けつけてくれたのだろうか?

もしそうなら、大事な仕事を放棄させてしまった。

その上こんな姿を見られて、もしかしたらニールに嫌われてしまったかもしれない。


男に襲われかけている姿など、ひどくショックな光景だっただろう。どうして上手く立ち回れなかったのかと、幻滅されているかもしれない。



普段のニールを知っているなら考えつかないようなことなのに、アメリアは酷く混乱していた。



「わ、わた、わたし。ごめんなさい、ごめんなさい」

「アメリアさん…?」

「違うの、わたし、ごめんなさい、こんなつもりじゃ…」

「アメリアさん」

「に、ニール様、ごめんなさい。わたし、私が、うまくできなかったから、こんな、男に、誘拐されて…」

「アメリアさん、」 

「両親が、いなくなったのだって、私がもっとしっかりしてたら、こんなことには…あ、アルトも、巻き込んでるのは、きっと、わたしで、娼館に、売られたのだって、きっと…」

「アメリアさん!」



アメリアの思考はぐちゃぐちゃだった。

ニールに助けられ、安堵した途端、許容できないほどの恐怖と混乱が彼女を押しつぶしたのだ。


どうして自分ばかりがこんな目に。

いや、自分だけではない。分かっている。もっと辛い目にあっている人はたくさんいる。だから、頑張らないと。


前向きに生きてきたのは、本心だ。

貧しくたって、大変なことがあったって、大切な家族のアルトがいてくれて、楽しいことだってたくさんある。

自分は、幸せだ。


でも、アメリアだってまだ若い。誰かに甘えたい子供時代からずっと、アメリアは気を張っていた。頑張ってきた。

それが今、ぷつりと切れた。



アメリアの目から涙がこぼれ落ちる。ただただ悲しみを流そうとするそれは、ぽろぽろと溢れて止まらない。

アメリアがそれを拭うこともしないでいると、頬にそっと手が添えられた。


少しカサついていて、節くれ立った大きな手。



「何も、一つも、アメリアさんのせいではないです」


ニールは静かに、アメリアに語りかける。



「ご両親のことも、娼館のことも、この男のことも。アメリアさんの身に起きたことは、アメリアさんのせいではありません。むしろ今回のことについては、恐らく僕が原因ではないかと思っています。本当に、申し訳ありません…」

「ニール、様…」

「…でも、謝罪は今度させてください。とにかく、これまでアメリアさんが辛かったことは、アメリアさんのせいで起きたことではないです。断じて、ないです。

…辛いことに立ち向かい続けてきた貴方は、とても素敵です。謝ることなんて、何もないです。僕は、強く生きるアメリアさんを、尊敬しています」

「え…」

「でも、例えアメリアさんが強くなくたって、僕は貴方が好きです」

「好き…?」

「はい。アメリアさんは優しくて、楽しくて…心がきれいな方です。こんな僕のことも、思いやってくれて、僕は貴方といると、救われます」

「…私、ニール様のお役に、立ててますか?」

「もちろん。役に立つどころか、僕はもう貴方なしの日々なんて想像できないくらいです」


まるでぐずる子供に言い聞かせるように、ニールはゆっくり、穏やかに話す。



「僕はアメリアさんのことが、誰よりも、何よりも、大切です」

「誰よりも…?」

「はい。世界で一番、です」

「世界で…」


そこまで言うと、ニールはそうっと、優しく、アメリアを抱きしめた。


ああ、ニールの香りだ。

ニールの優しい体温と香りに包まれて、アメリアは感じたことのない安心感を覚えた。




「貴方がいなければ、僕にとってはこの世界なんて、もはや何の意味もないですよ」



重いですね、ごめんなさい。

ニールはそう呟いたが、アメリアはどうしてかちっとも嫌ではなくて、むしろもっと強く抱きしめて欲しくなって、ニールの背中にそっと腕を回した。



「…重くないです。ニール様の、側に、いさせてください。一緒にいてください…っ」



アメリアがしゃくり上げながらも何とかそう言うと、ニールは少しだけ力を強めて、アメリアを抱きしめた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ