怪物
いつも閲覧ありがとうございます!
沢山の方に見ていただけて、感無量です。
私がその「怪物」に出会ったのは、まだ10代で、己に謎の万能感を感じている愚か者だった時だった。
私、フェリクス・レナディウスは、ここレナディウス王国の第一王子として生まれ、成人してからは立太子し、現在は次期国王として執務に励む身だ。
私は幼い頃から器用な方で、特に魔法に関しては自信があった。王族は大抵の場合魔力に恵まれるが、私は特にそれが顕著だったのだ。
王立魔法学園を首席で卒業した後、王太子としての執務の傍ら、私は魔法士としても活動していた。と言っても大したことはしていないが、魔法師団と行動を共にしてその活動を視察したり、国家の益となる魔法の開発に出資したり、精力的に動いてはいた。
彼に出会ったのはそんな時だ。
私は母校である王立魔法学園の魔獣討伐に、視察を兼ねて参加した。行き先は精々中級の魔獣しか出ない森で、私自身魔法士であることもあり、最低限の護衛だけを連れて行った。
今思うと、全く愚かだ。自然界において絶対などないのに、そして自分が簡単には死ねない身であるのに、甘い考えだった。
私はドラゴンという生き物を、初めて見た。
人間の何倍もある大きさ。魔力量。強靭な体。どこをとっても人間が及ぶ点など一つもなく、私は情けなくもその場で食われることを待つことしかできなかった。
だが、私は体のどこを傷付けられることもなく助かった。
そこに、ドラゴン以上の化け物がいたからだ。
ニール・レヴナスという男は、その日ずっと最後尾を静かに歩いていた、何とも目立たない男だった。他の生徒たちが王太子である自分の前で手柄を立てるべく、必死に魔獣を討伐している横で、ただ静かに、魔獣を追い払っていた。討伐さえしていない。
そんな男が突然自分の前に躍り出ると、あろうことか三属性の魔法を操った。さらに魔法同士を組み合わせ、同時に正確に操り、そしてドラゴンを追い払ったのだ。
最上位の魔獣であるドラゴンを相手に、たった一人で。
このレナディウス王国がある大陸には魔法士を有する国はいくつもあるが、レナディウスはその在籍数が圧倒的に多い。他の国では大抵、魔法が使える者は極めて珍しく、少し魔法が使えるだけで王族並みの権力を与えられているところだってある。
それに比べれば、魔法士の育成機関を構えるほど魔法を使える者が多いこの国は、異常だった。
そしてそれが、この国を守る砦にもなっている。
レナディウスは資源豊富な土地をいくつも保有している。他国とは地続きなゆえ、歴史上好戦的な国に侵略されたことは、多々ある。
しかしそのどれもが勝利に終わっている。ひとえに、魔法があったからだ。
そして現在ではレナディウスに手を出すのは愚かだというのが、大陸の常識だ。レナディウス程の魔法力を持つ国は、他にない。
だからこそ私も、この国の魔法力は最大の資源だと思っていたし、これからもこの国は安泰だと、どこかで安心していた。
だが、ニールを見て戦慄した。
この男は、本気を出したら国を滅ぼせる。
そもそもドラゴンというのは、人が相手できる存在でなはい。出会ったら最後、彼らの餌になるしかほぼ道はない。それほど別格の存在なのだ。どうしても相手取らなければならない場合は、騎士団と魔法師団で隊を編成し、万全の装備と準備、作戦で挑まなければ勝ち目などない。
そんな存在を前にして、「必死でやったら何とか追い払えたみたいです…」などと発言できるニールは、異常なのだ。
私はあの衝撃の出会い以降、ニールという男をいかにこの国に穏便に留めておくかに、心を砕いている。万が一他国にでも行かれて、そこで兵器として利用されたら勝ち目はない。
元々魔法士は国の宝なので、手厚い待遇が与えられてはいる。が、そんなものでは駄目だ。
彼をこの国に縛っておける何かを、私は常に探していた。
幸いニール自身は、大人しく内気で、野心のやの字もない男だ。大切なのは家族くらいらしく、地位も名誉も財産にも、何なら他人にも興味がない。
ニールはなぜか自分の価値をあまり分かっていなかった。
だから私は、彼の気の弱さを利用した。
賢人という最高位に近い立場を与え、屋敷や仕事を与え、周囲を固める。
真面目な彼は与えられた職務をこなさなければと必死になってくれている。
さすがに賢人ともなれば、他国への移住は容易ではなくなる。要人、しかも賢人級の魔法士ともなれば、その引き抜きは、戦争の火種にもなるからだ。ニールもそれはさすがに理解しているようだから、今のところ国を出るような動きはない。
ニールを相談役として呼びつけ、嫌がられつつもある程度会話ができる間柄になったと思った私は、先日初めてニールのプライベートに踏み込んだ。
つまりは結婚願望は無いのかということだ。
ニールの性格上、浮いた話がいくつもあるようには思えなかったが、恋愛面において人は突拍子もない事をするものだ。案外ニールも、例えば幼い頃から付き合いのある令嬢がいるとか、そういう可能性も無くはない。
もしいないならいないで、自分の信頼できる筋の令嬢を紹介しても良いかもな、という考えもあった。
結果は案の定、結婚に興味もないという返答だった。だがその後ニールが呟いた言葉に、私は言いようのない不安を覚えた。
「結婚の予定は全く無いです…こんな僕ですし…。それに一人の方が、誰にも迷惑を掛けずどこにでも行けるし、どんな場所にだって住めるし…気楽でいいです」
それはつまり、将来的にどこか他の地へ移住したいということだろうか?
国内の田舎で隠居したい、などのことであれば問題ない。だが、世界中を旅したい、などと言われたら困る。非常に困る。
ニールは自覚なしの、とんでもない化け物で国宝なのだ。
一か八かの方法だったが、私はニールを夜会に呼びつけ、ニールの相手になり得るご令嬢と引き会わせることにした。上手くいけば彼は家庭を持ち、穏やかに余生を過ごしてくれるかもしれない。
私はすぐさま、年頃の娘を持ち、信頼のできる家臣に声を掛け、場を整えた。
情報管理には注意を払っていたが、家格が高くこういった話には非常に敏感なリシュトア侯爵が娘を売り込んできたのには辟易とした。エメラルダ嬢は美人ではあるが、気が強くプライドが高く、その上噂で聞く「賢人ニール」に勝手な幻想を抱いている。
面倒なことにならないよう、エメラルダ嬢は夜会に招待しなかった。彼女が父親の権力を使って無理やり夜会に入り込むような愚か者ではないことを信じたい。
そんなこんなで場を整えた私だったが、ニールから参加の報を聞いたときには驚いた。なんとそこには、恋人と共に参加する、と書かれていたのだ。
確かに、私は結婚願望がないか聞いただけで、恋人がいるのかは聞いていない。だが、結婚の話が出たら恋人がいるかどうかくらい、話すものだろう。ニールのことだ、隠したかったのかもしれない。それを、結婚相手を探せなどと言われたものだから、慌てて紹介する気になったのか。
それとも、結婚を避けるための、偽の恋人か?はたまた、ニール自身が騙されているのか。
彼が女に騙される可能性は大いにある。優しげに見えて案外他人に興味がないニールだが、惚れてしまったらのめり込むタイプにも見える。
いずれにせよ、私は夜会当日でニールとその恋人を見極めようと考えた。
正直、彼が恋人と仲睦まじくしている様子など、想像もできなかったのだ。
そして当日、私は心底驚いた。
彼が連れてきたのは彼の屋敷で侍女として働いているという女性だった。
バーンズという名は記憶にある。地方の伯爵家だったが、数年前に破産し、当時の領地も屋敷も今は別の伯爵家が管理していたはずだ。つまり彼女が生計のためにニールの屋敷で働いているというのは整合性が合う。
彼女はこういった場に慣れない様子で、顔色もあまり良くないようだったが、それでもなかなかに美しい女性だった。話してみなければ分からないが、どちらかというと快活そうで、内気なニールの恋人と言うには意外だった。いや、だからこそ良いのだろうか。
それよりも何よりも、私が驚いたのは、ニールが彼女の手をそっと握って、気遣わしそうに様子を伺っていたことだ。
彼自身こういう場は大嫌いだろう。
ニールは顔色こそアメリア嬢よりも悪かったが、それでも彼女の様子をちゃんと見ていたし、歩幅もしっかり合わせ、何より、愛おしそうに見ている。
いつもオドオドと周囲を伺うような彼の瞳しか知らない私は、衝撃を受けた。
だが私は、いや、だからこそ、彼女を試したいという衝動に苛まれた。
没落した貴族である彼女が金に困っているのは確実だ。もしかしたらニールを騙している可能性もある。
ここまでくると、もはや私はニールを王太子として案じていると言うより、個人の感情として絡んでいるも同然だった。
彼のことは何だかんだ、弟のように思っているのだ。その思いに嘘はない。
他国に渡すことは出来ないが、この国で幸せに生きてほしいのだ。
アメリア嬢に少々踏み込んで馴れ初めを問うと、彼女はむっとした様子でニールの良いところを語った。彼は誠実で、人見知りなところなどむしろ可愛い、と。
言われたニールが恥ずかしそうに彼女を止める様子は、どう見ても初々しい恋人だった。
どうやらここまでにしたほうが良さそうだ。人の恋路を覗く趣味は、さすがに私にはない。
どちらにしろニールが家庭を持ってくれれば、私としては大歓迎なのだ。
「ねえ、リリアナ。あの2人をどう思う?上手くいくかな」
私は隣に座る婚約者のリリアナに問いかけた。
するとリリアナは、その燃えるような瞳を私に向け、呆れたように言った。
「まぁ、殿下。野暮ですわね。男女のことは、当人にしかわからないものでございますよ」
でも、とリリアナは呟く。
「私個人の印象としては、ニール様が殿下を咎めるようなことを言われるのは、珍しいことかと思いますわ。それほどアメリアさんが大切なのでしょうね」
確かにそうだ。あまりアメリアを苛めてくれるなと、ニールは出会って初めて私に苦言した。
これは嫌われてしまったかもしれないな、と、私は苦笑した。