アメリア、小雨に降られる
「ねぇ貴方、随分と田舎臭い…失礼、垢抜けない振る舞いだけれど、本当にあの賢人様のお相手なのかしら?」
「賢人様は世慣れてらっしゃらないと聞くわ。どんな手を使って誘惑したのかしら」
「こんな芋くさ…失礼。地味な見目でねぇ」
アメリアは人気のない廊下で、先程から令嬢達に絡まれていた。
令嬢達はクスクスクスクス、さざめきのように静かに棘を刺してくる。
リーダー格は桃色の令嬢で、高そうな扇で口元を覆いながらも、ペラペラペラペラとよく喋った。
「賢人様はね、類稀な魔法の才能をお持ちで、国の宝よ。その俗世を厭うお姿から、孤狼の賢人様なんて言われているけれど。私はね、そんな賢人様のお心を癒やすお役目をいただいているのよ」
「エメラルダ様はリシュトア侯爵家のご令嬢なのよ。そして賢人様のお相手に最もふさわしいと言われている方なの」
「…なるほど」
孤狼の賢人様?仔犬の間違いではなかろうか。
いや、それよりも、もしかしたら今エメラルダと呼ばれたこのご令嬢は、この夜会でニールと引き会わされる予定だったご令嬢なのかもしれない。または、ニールのファンで、今夜をチャンスだと思っていたとか。
もし前者なら、正直王太子殿下は女を見る目が絶望的にないと思う。
その後も続く嫌味に、アメリアは辟易とした。
きっと箱入りのご令嬢なら泣いてしまうだろう。だがアメリアはもはやご令嬢ではない。借金取りに比べたら、彼女たちなんて小雨程度のダメージしかない。ちなみに借金取りは暴風雨だ。
早く切り上げるには、つまらないと思わせるに限る。
アメリアは適当に「はぁ」とか「へぇ」とか相槌を打ち続けた。
「…貴方、聞いているの?!」
「はぁ、まぁ」
「…っ!バカにして!」
「してません。滅相もないです。」
エメラルダは眦を釣り上げてプルプル震えている。
アメリアの周りは最近、震える人がよく集まるなぁとぼんやり考えた。
「…どうせ賢人様の地位が目当てなんでしょう。この貧乏人」
「わたくし、知ってるのよ。バーンズ家。聞いたことがあると思ったのよ。没落した伯爵家でしょう。昔父の知り合いがお金を貸していたわ」
アメリアは少しだけ頬がひきつる感覚がした。まさかここに、バーンズ家を知る者がいるとは予想していなかった。没落した田舎の弱小貴族のことなど、王都にいるような貴族が知るわけがないと思っていたのだ。
「ただでさえど田舎の芋臭い伯爵が、借金までこさえて首が回らなくなってね。父の知り合いも迷惑被ってたわ」
「貴方、まだ借金抱えてるの?それで賢人様にすり寄ったのかしら」
「やだわ、いやらしい」
ご令嬢達の悪口はより具体性をましてアメリアを責める。脳裏に苦難の日々が思い起こされ、アメリアは苦い顔をした。
それを見たエメラルダは、アメリアに攻撃が通じたと思ったのか、意気揚々と言葉を重ねた。
「没落貴族、特に女はね、大抵の場合娼館に売られるのよ」
「えっ娼館?!いやだわ、汚らわしい!」
「この女も、賢人様に体で取り入ったに違いないわ」
「なんて卑しいのかしら」
令嬢達はヒートアップしていく。
「さっきの殿下へのご挨拶、私近くにいたから聞いていたの。あなた侍女なんでしょ?」
「侍女?あら…じゃあ本当に、賢人様に身体を売っているのかもしれないわね」
「所詮娼館にいた女だものねぇ」
「それを恋人だと思い込んだの?図々しい」
アメリアは唇を噛んだ。我慢だ。我慢。
反応したら負けだ。
アメリアのことは、言われても仕方ない。客は取らなかったが、娼館に売られたのは本当だ。自分が田舎臭い地味な女だということも分かっている。
でも、このお嬢様たちは気付いているのだろうか?
自分達の憧れの賢人様が、侍女に身体を売らせるような男だと自らが言っていることに。
ニールはそんな人ではない。アメリアは腹が立って仕方なかった。
「ねぇ、自称恋人さん。賢人様はこれから私が心身ともに癒やして差し上げるから、娼婦ごときは出て行ってもらえないかしら?貴方に貴族社会で、賢人様の隣に立つのは無理よ」
言いながら、エメラルダが高そうな扇でアメリアの胸元のレースを引っ掛けた。
繊細なレースは破れ、アメリアの素肌が覗く。
(…あ…)
「この方が娼婦には良いのではなくって?」
「そうですわ。露出が高い方が、誘惑できるでしょう?」
令嬢達はアメリアよりもよっぽど強調された胸を揺らし、またクスクスと笑い出す。
元々レースが無くたって成立するデザインなので、露出的には問題ない。でも、ニールがうんうん悩みながら選んでくれたドレスだ。
ドレスを傷つけられて、アメリアの堪忍袋の緒が切れた。
「貴方達は」
ずっと黙っていたアメリアが突然発言し、さらに睨むようにエメラルダの目をじっと見たからか、相手は分かりやすくたじろいだ。
「な、何よ」
「私を貶しているつもりなんでしょうが、ニール様を貶めているということに、なぜ気付かないんですか?」
「は?」
令嬢達は怪訝そうに眉をひそめる。
あぁ、なんて頭が悪い人達。
「ニール様が慰みに元娼婦を侍女として雇って、毎夜相手をさせるような男だと、そう思っていると?」
「なっ!ち、違うわよ。それは貴方が誘惑したから」
「たかが田舎娘の誘惑ごときに落ちる方だと?」
「それはっ」
「私のことはまぁ好きに言って下さって構いません。没落貴族だということは事実ですし」
アメリアが一歩近付くと、エメラルダは一歩後ろに下がった。
「ですがニール様のことを、何も知らず好き勝手言うのは許せません。貴方達は高位貴族なのでしょう?ご自身の発言に影響力があり、そしてニール様を苦しめるということが、なぜ分からないのですか?」
「な、生意気な…!」
「生意気で結構。私のことはいくら罵っても無駄ですよ。何を言われたって、何なら殴られたって、引きませんから」
「…っ!不気味な女!」
エメラルダが激高し、扇を高く振り上げる。
殴られる、そう思って身構えたが、なぜかエメラルダの扇はアメリアの目前で跳ね返った。
エメラルダは予想外の衝撃にたたらを踏む。
「あ、アメリアさん…っ!」
ニールが焦ったように駆け寄ってくる。
その姿を見て、アメリアはニールが結界を張ったのだと気付いた。
「ニール様、お待たせしてすみません」
「そんなことより、だ、大丈夫ですか…?!」
「はい。結界、ニール様ですよね?ありがとうございます」
「これくらい構いません。って、そうじゃなくて…」
ニールはアメリアのドレスのレースが破けているのを認めると、さっと表情を失った。
いつも、たとえ震えていても優しげな色を浮かべている、少し垂れ目気味の彼の瞳が無機質なものになる。
その反応はアメリアも初めて見るものだった。
「ニール様…?」
「これは、どういうことですか?」
ニールはアメリアを背に庇うように立つと、まだ近くにいたエメラルダ達に目を向けた。
その目には何の感情も浮かんでおらず、妙な迫力がある。
令嬢達は圧倒されたのかガタガタと震え始め、「これは」「その」などと呟いている。
「どなたか存じ上げませんが、なぜ彼女に手を出したんです?先程も殴ろうとしていましたよね。なぜ?」
「わ、わたくしは、ただ」
「ニール様…?」
常とは違う様子のニールに、アメリアは何だか心配になる。
「彼女は僕の、大切な人です。そして僕は貴方達のことを知らない。興味もない。なので、アメリアさんを傷つける存在なら…」
「ニール様!」
アメリアがニールの手を握って名前を呼ぶと、ニールははっとこちらを向いた。
数度瞳を瞬くと、その表情はいつもの穏やかなものに戻る。
アメリアはほっとして、思わずニールの肩に額を寄せた。
「いいんです、大丈夫です。…早く、帰りたいです」
「はっ、ひゃい」
アメリアが甘えるように言うと、ニールは噛みながらも同意してくれた。
彼は慌てて上着を脱ぐと、アメリアの肩にそっと掛けてくれる。
去り際、アメリアはエメラルダにペコリと頭を下げた。
エメラルダはまだ顔色悪く、震えていた。