婚約者の使いは、大人になりたい幼い竜
王国北部の辺境にあるマクライエン領。のどかな風景に馴染む領主邸宅では、朝の澄んだ爽やかな空気とは裏腹に殺伐としていた。
「いい加減にしてくださいませ! 約束もなしにこう何度も来られては仕事になりませんわ!!」
ロッティは玄関前で眦を決し、威嚇するように大声を張り上げていた。令嬢には似つかわしくない長剣を握り締め、その切っ先はおじであるアレクに向けている。
アレクは剣を向けられているにも拘らず、にたにたと笑みを浮かべた。まるで物陰に隠れて警戒する猫でも呼びよせるように指先を動かす。
「ロッティ、そんな態度を未来のマクライエン子爵の俺にするもんじゃない。さあ、剣を下ろせ。わざわざ王都からこんな辺境地まで出向いてやったんだぞ」
「出向いてくださらなくて結構ですわ。それより、アレクおじ様にマクライエン子爵を名乗る資格がどこにありまして?」
わざと嫌みったらしい言い方をするロッティは首を傾げる。
「おまえの両親が半年前の事故で死んだ以上、次の継承権は俺にある」
「次の正当な継承者は弟のジャンよ。だって、あなたは亡くなったお祖父様から勘当されて既にマクライエン家の者ではありませんもの!」
おじのアレクは祖父の再婚相手の連れ子だった。とはいっても血統を重視している家系ではないので血すじでなくとも彼が爵位を継ぐ権利は充分にあった。
ところが若い頃から賭博好きで酒に溺れ、果てには祖父の貯金に手を出して派手に遊び回っていたために勘当されてしまったのだ。
自業自得だというのにアレクは祖父を逆恨みして、虎視眈々と爵位を狙ってきた。義兄である父もいなくなった以上、待ちに待った絶好の機会なのだ。
ロッティの言い分が癪に障ったのかアレクはやや気色ばんだ。それも束の間、彼はやれやれと首を横に振って肩を竦めてみせた。
「よく考えてみろ。ジャンはパブリックスクールを卒業するのにあと数ヶ月はかかる。それまでの間、領地の管理は誰が? 交易路の莫大な工事費と相続税でいよいよ首が回らなくなったそうじゃないか。使用人すら雇えなくなってこの屋敷にはおまえ以外誰もいない。これだとジャンが卒業するまでに没落するな」
小馬鹿にするように鼻を鳴らすアレクに、ロッティは悔しげに唇を噛みしめた。
半年前、他領とこの領を繋ぐ交易路で大規模な雪崩が発生した。想定している量を遥かに凌ぐ積雪のために補強工事では防ぐことができなかったのだ。かといってこのまま交易路が使えない状態だと領民の生活が困窮してしまう。
ロッティの両親は領民たちの生活を守るため、除雪作業と補強工事に要する日数を見積もりに現場へ向かった。――その最中、二度目の雪崩は起こった。
巨大な雪煙を立てて山の木々を次々となぎ倒し、雪崩は両親一行をのみこんだ。誰一人として助からなかった。
「確かに昔の俺は道楽息子だった。だが領地の管理・経営は手伝っていたし、今は王都で起業して成功している。それなりに経験も実績もある。素人のロッティには荷が重すぎるだろ?」
これはもっともな言い分で、先祖代々受け継いできた領地をロッティ一人が管理するのは限界だった。
両親が死んでから、毎日捌いても捌ききれない量の仕事を一人でこなしてきた。不幸なことに父の右腕として長年働いてきた者たちもくだんの事故でこの世を去ってしまった。助言を与えてくれる人間もいない中、父や祖父の書類や記録を頼りになんとかここまでやってきたのだ。
しかし、目下の問題は領地管理だけにあらず。なにしろこの屋敷にはロッティの世話をしてくれる使用人が誰一人としていないのだ。
両親亡き後、数十人いた使用人たちが表向きは一身上の都合を理由に次々と辞めていった。十中八九アレクの差し金にちがいない。
幸い、商家の娘であった母によって家事は一通り身につけている。家事ができれば生活には困らないし、寝床もあるから大丈夫だろう、と当初は高を括った。
ところが、使用人ゼロというのはじりじりと効果を現し始めた。なにしろ由緒正しいお屋敷はメンテナンスをしないとすぐに雨漏りや風の吹き込みが発生する。広い庭園は雑草が好き放題に生え、樹木も枝葉が伸び放題の無法地帯となった。手が回らないロッティはただ黙殺することしかできない。
おかげで古式ゆかしい伝統的だった邸宅は廃墟のごとく無惨な姿となってしまった。
「賢いロッティならどちらにメリットがあるか気づいているはずだ。いい加減俺の慈悲を受け入れろ」
アレクは上質な上着の内ポケットから小さな四角い箱を取り出した。開ければ、たちまちキラリと光るダイヤの指輪が現れる。
もう何度も見たアレクの求婚シーンである。
ロッティは嫌悪感を露わにすると震える唇から声を絞り出した。
「慈悲? あなたの花嫁になることのどこが慈悲ですの? 結局私を嫁にすることで領地も爵位も、全てを手に入れようって算段でしょう? 生憎ですけれど私には婚約者がいると再三申し上げましたわ!!」
ぴしゃりとロッティは言い放った。
ロッティには婚約者で竜族のセリオットがいる。
彼は隣国スウェルデ国の君主であり、竜の中でも最強の力を持つと言われている。
スウェルデ国は竜族が治める魔法大国で、人の姿で暮らす竜や魔法が使える人間たちが共生している。ロッティの暮らす国は小国で魔法が使える人間の数は少ない。スウェルデ国から輸入される魔具で生活水準を上げているのでかなりの恩恵を受けていた。
君主の竜は五百年ごとに交代し、人間のような世襲君主制を採用していない。要するに竜の中で最も強い者が期限付きで国を治めるのだ。因みにセリオットの治世になってまだ五十年ほどしか経っていない。
『ロッティの結婚相手は竜王のセリオット様だ。十八歳になったらセリオット様が迎えにくるからそれまでに立派な淑女になるんだよ』
物心ついた時から両親に何度もそう言い聞かせられて育ってきたロッティは、刷り込みによって他の誰かと結婚するという選択肢がまったくない。そして血は繋がっていなくとも、おじであるアレクなど論外である。
いつもは大体ここで長剣を振り回せばアレクは引き下がるのに、今日はそうもいかなかった。
アレクがロッティを憐れむような目で見つめてきたからだ。
「十八もとうに過ぎてるっていうのに。迎えにこない奴をいつまで待つ? 一度も顔を合わせたことがないそうじゃないか。おまえは騙されているぞ」
「それは……」
ロッティは言い淀む。
アレクの言うとおり、五ヶ月前に十八歳になった。誕生日を迎えた日、セリオットはおろかスウェルデ国からの使者の姿もなかった。
(でもおじ様は一つ間違えているわ。だってセリオット様とは、もう何度も会っているもの)
ロッティには誰にも明かしていない秘密がある。それは十六歳の時、自室のバルコニーでセリオットと会っていたということ。夜になるとセリオットは姿を現し、話をしにきてくれた。
彼は二十代半ばで背は高くてすらりとしている。さらさらとした青みがかった銀髪に春を思わせるような明るい緑の瞳。人間離れした顔立ちは典麗で、あまりの美しさに初めて彼を見たロッティは危うく気絶しそうになったほどだ。
君主だからと威圧的な雰囲気はなく、全てを包み込むような慈愛に満ちている。だからこそロッティはこんな平凡でなんの取り柄もない自分が彼の婚約者でいいのだろうか、と最初は不安になった。
片や小国の辺境田舎娘、片や大国の君主。到底釣り合うはずがないと一度婚約解消を持ちかけたこともある。すると、セリオットは瞳に水膜を張って泣き出しそうになった。
『竜族にとって番と出会うことは悲願だ。一生のうちに出会える確率などゼロに近い。ロッティがどうしてもというならその意思を尊重する。他の竜のように無理強いはしたくないから……』
捨てられた子犬のように哀愁漂う姿は、まだ十五歳のロッティの庇護欲さえも存分にかき立てた。
当時は竜族の番の習性について中途半端な知識を持っていたため、彼の決断がどれだけ重く、自分のためを想っての発言だったのかは後から知った。
通常、竜族は番に執着する。もともと固体数が少なく番と出会える確率も低いので一生のうちに出会えたとなると雄はすぐにでも求愛するのだという。中には強引に連れ去ったり、逃げられないように閉じ込めたりととんでもない輩もいるらしい。
しかし、セリオットはどこまでも紳士的だ。番だと分かっても連れ去ることはせず、家族とも過ごせるように成人するまで待ってくれている。
不実な態度を取ってセリオットを悲しませたと分かったロッティは何度も謝った。自分の覚悟が足りないことにも気づき、番として相応しい人間になろうと決めてからは彼に教えを請い、スウェルデ国の文化や風習など必要な知識を教わった。
そんな日々が続いたある日、セリオットが少し申し訳なさそうに、けれど真剣な面持ちで話を切り出した。
『明日から誕生日まで会いに来られなくなる。でも、ロッティが十八歳になったら必ず迎えにくる。それまで毎日あなたを想って手紙を出すから……だから誰のものにならないで』
セリオットは悲痛を帯びた声で言うと、ロッティの両手を握り締める。
ロッティも堪らず彼の手を握り返した。
『誰のものにもなりません。待っています。セリオット様が迎えに来てくださるのをずっと――』
十八歳の誕生日まで会えなくなるのは寂しかった。
しかし彼はスウェルデ国の君主。忙しい中今まで時間を作ってきてくれていただろうし、これ以上仕事に支障が出ては申し訳ない。ロッティは寂しさを心の奥へ押し込んで、笑顔でセリオットを送り出した。
それからずっと彼が迎えに来るのを待ち続けている。
手紙は約束通り毎日欠かさず送られてきた。けれど、ある時を境にぱたりとやんでしまっている。
(……手紙も来なくなって、そのまま誕生日が過ぎてしまった。でも、約束したもの)
ロッティは無意識のうちに嘆息を漏らした。それを見逃さなかったアレクがすかさずつつく。
「ロッティも薄々気づいてるんだろ? 迎えにこないのはおまえが番ではなかったということだ。夢を見るのはやめて現実と向き合え」
核心をつかれたロッティはアレクから視線を逸らす――が、それがいけなかった。アレクはロッティが視線を逸らした瞬間に間合いを詰めると、さっと長剣を奪い取り彼女の細い手首を掴んで無理矢理引きずった。
「……離してくださいっ! いきなりレディに触れるなんて不躾ですわよ!!」
「おまえが我が儘ばかり言うからだ。優しいおじさんは金のないロッティのために式の準備をすべてしてある。ほら、行くぞ」
抵抗したところで男の力に敵うはずもなく、ロッティはずるずるとアレクが乗ってきた馬車まで引きずられていく。
(いや、約束を破りたくない。……助けて、セリオット様!!)
心の中でセリオットの名前を強く叫んだその時だ。
突然きつく掴まれていた腕の圧迫感がなくなり、目の前からアレクが姿を消した。
一瞬何が起きたのか困惑したロッティだったが、頭上から悲鳴が聞こえて頭を動かした。なんとアレクが宙にふわふわと浮いている。
「ロッティ、往生際が悪いぞ! 早く下ろせ!」
「私は何も……」
ロッティがあたふたしていると、弧を描くようにアレクは数メートル先の大木まで吹き飛ばされてしまった。
顔面から地面に落下する様子は見ているこちらが痛くなりそうで、ロッティは堪らず目を瞑る。アレクの「ぎゃっ!」という悲鳴が聞こえたのは同時だった。
「もうっ。大の大人が女の人に無理強いなんて見苦しいですよ?」
不意に今まで聞いたことのない少年の声が背後から響く。
振り返ると、そこに立っているのは十二、三歳くらいの可愛らしくも美しい少年だった。
セリオットを彷彿とさせる青みがかった銀の髪はおかっぱで、春を思わせる明るい緑の瞳はくりくりとしている。
共通点が多いせいかロッティはセリオットを思い出して胸を焦がした。
「……どなた、ですの?」
堪らず尋ねるとそこでアレクが唸った。
「おい、おまえ! 俺に魔法を使ったな!?」
吹っ飛ばされたアレクは青筋を立てて少年に詰め寄った。唾を飛ばす勢いで罵詈雑言を浴びせるが、少年は手を振りながら「風で煽られただけでしょうに」とうそぶく。
「俺は未来のマクライエン子爵だ。小間使い風情が貴族の人間に手を出すとはいい度胸だな? おまえの飼い主は誰だ?」
「これは失礼を。私の名前はシエラです。スウェルデ国が君主、セリオット陛下の使いのものですよ」
少年は慇懃に腰を折って説明を付け加える。
「使い? セリオット様の?」
ロッティは息を呑み、高鳴る胸を手で押さえた。
(やっと、やっと来てくださったのね。迎えがセリオット様ではないけれど……とても嬉しい)
ロッティが歓喜の表情を浮かべる一方でアレクは顔を顰めた。
「使いだあ? 今さらのこのこやって来て。義兄夫婦の葬儀にも来ない薄情な君主にロッティをやれるか!!」
「それならおじ様も葬儀には来ませんでしたわ!! いったい、どの口がほざいてらっしゃるの?」
ロッティは半眼になってアレクに反論した。
父はアレクにとって長年連れ添った義兄だ。祖父に勘当されてからも父は心配して手紙を出し、生活を支援していた。そんな支えになってくれた義兄が死んだとなれば、葬儀に現れるが筋ではないか。
ロッティが許せないのは死を悼まずどこまでも身勝手なアレクの態度だ。
痛いところを突かれてアレクはぐうの音もない様子でこちらを睨む。と、眉尻を下げたシエラが謝ってきた。
「その件は陛下も大変心を痛めておりました。私からお詫び申し上げます。陛下は諸事情でどうしても国を離れることができなかったのです」
「ふん、どうせ来られない間は国中の美女たちと宴でも開いてキャッキャウフフしてたんだろうよ。彼女たちと比べたら辺境田舎娘のロッティなんて興醒めする」
ロッティはアレクを睨んだ。
その興醒めする辺境田舎娘についさっき求婚したのはどこのどいつだとツッコんでやりたい。一番許せないのはセリオットの悪口を言ったことだ。
(竜族の習性やセリオット様のこと、何も知らないくせに……!!)
自分のことはなんと言われようと構わない。しかし、セリオットを悪く言われるのは我慢できなかった。
ロッティが口を開きかけると、話を聞いていたシエラが「そうですか」と平淡な声で言った。次に彼はにこにこと微笑を浮かべた。しかし、瞳はちっとも笑っていなかった。
「あなたの想像力が非常に長けていることは理解しました。陛下がこちらに来られなかった理由も分かったことですし、もう十分でしょう。どうぞお引き取りください」
言うが早いかシエラは人差し指を立ててスッと横に動かした。
その仕草が魔法であったと気づいたのはアレクがくるりと背を向けたからだった。
「なっ、なんだこれ? 身体が勝手に動くぞ!?」
アレクの意思に反して身体は馬車へと乗り込んだ。ぱたんと扉がひとりでに閉まると馬車が緩やかに走り始める。
窓を拳で叩いて怒り狂うアレクの姿が、あれよあれよという間に小さくなっていった。
「……ロッティ様、大丈夫ですか?」
目を白黒させて立ち尽くしていると、シエラが心配そうな面持ちで覗き込んでくる。
くりくりとした瞳は宝石のように輝き、吸い込まれそうだ。
(シエラ様はセリオット様に似ている気がする。同じ竜族だから?)
暫く見とれていたロッティはやがてお礼の言葉を口にする。
「助けていただき感謝いたします」
シエラは表情を和らげると、再び丁寧に挨拶を始めた。
「改めてご挨拶を。私はスウェルデ国、竜族のシエラ。セリオット陛下の命によりロッティ様を迎えに参りました。本来はお誕生日当日ということでしたが諸事情によって遅くなってしまい、心よりお詫びいたします」
「いいえ。お気になさらないで。私はセリオット様を信じて待っていただけですから」
セリオットは誠実で慈愛に満ちている。それは一緒に過ごしてみて分かったことだ。
彼だからこそ、信じて待ち続けていられたのだ。きっとセリオットでなければ同じ竜族だとしても、ロッティは待つことはできなかっただろう。
(セリオット様を信じて良かった)
ロッティはほっと胸を撫で下ろした。しかし、現状安堵ばかりはしていられない。
「シエラ様、迎えに来て頂いて大変嬉しいのですが、私は領主代行をしておりますのでここを直ぐに離れるわけには……」
ロッティは言いにくそうに事情を説明した。話していくにつれて、徐々に表情には暗い影を落ちていく。
「事情は分かりました。そんな顔しないでください。セリオット様だって誕生日当日に迎えに来られなかったのですから、少々遅れたって文句は言いませんよ」
もっぱらの問題はアレク殿ですねっとシエラは口元に手を当てる。
黙考暫し。彼は何か思いついたのかぽんと手を打った。
「そうです! ロッティ様の弟君が卒業するまで、私が側でお仕えします」
ロッティはぎょっとした。
「そんなことなさらないでください! シエラ様はセリオット様のお付きの方でしょう? 他にもお仕事があるはずですもの。手を煩わせるわけにはいかないですわ」
「私は魔法が使えますし、アレク殿を蹴散らすには何かと便利です。虫除けとでも思ってください。……実のところ、諸事情で暫くはスウェルデ国へ帰れないのでここに置いてくださると助かります」
ロッティはシエラを見つめながら思案する。
アレクがいつあくどい手を使ってくるか、不安要素は大きい。ジャンの卒業が近づけば手段を選ばずにマクライエン子爵位を手に入れようとするだろう。今日が良い例だ。
シエラがいてくれた方がこちらも心強い。
スウェルデ国へ帰れない事情があるならばお願いしてもいいのかもしれない。
「分かりましたわ。使用人もいないので豪華なおもてなしはできませんけれど、ジャンが卒業するまでの間、よろしくお願いします」
「私はロッティ様の安全が確保できるのであればそれだけで十分です」
交渉成立の意味も込めて握手を交わす。こうしてロッティとシエラの二人の共同生活が始まった。
◇
シエラのおかげで、ロッティの領主代行業務は随分と楽になった。セリオットに仕えていることもあり、彼は領地の管理や経営などにも造詣が深い。ロッティの悩みを聞いてくれたり、アドバイスをしてくれたりとなにかと相談役になってくれている。
もちろん、性懲りもなく毎日やってくるアレクを撃退してくれる役まで引き受けてくれるので至れり尽くせりだ。
アレクもアレクでシエラの魔法に対抗しようと魔具をたくさん抱えて攻めてくるが、彼の魔力には到底及ばない。竜の魔力は魔法使いの魔力や魔具の数百倍らしいのでシエラは攻撃を受けても少々不快に感じるだけで痛くもかゆくもないようだ。
先日は欠伸を嚙み殺しながら、アレクが放った氷の矢を片手で受け止めるとその量を百倍にして返していた。
ある意味鬼畜とも思える所業だが懲らしめるには丁度いいのかもしれない、とその様子を執務室から垣間見たロッティは思った。
仕事にも余裕が生まれ、屋敷の手入れも無事に終えた昼下がり。
ロッティはシエラと一緒に庭園でお茶を飲んでいた。
「ロッティ様は令嬢なのに屋敷の手入れまでできるのですね。それに家事も。このリンゴのパイだってあなたが作ってくれたんでしょう?」
「ええ。お口に合うかは分かりませんけれど」
「いえ、ロッティ様が作ってくださったものはどれも美味しいです。家庭的な優しい味は食べていて幸せな気持ちになります」
シエラは目を細めるとフォークに差したパイを口に運ぶ。
ロッティは顔に熱が集中するのを感じた。シエラの和やかな笑みはどこかセリオットと重なる部分がある。
単に彼が同じ種族で同じ髪と瞳の色だからなのかもしれないが、それによって自分がセリオット不足に陥っていることを思い知らされる。
少し気恥ずかしくなって顔を伏せた。
「そんなに褒めないでくださいませ。私はただセリオット様にふさわしい婚約者に、番になりたかったのです。少しでも彼の隣に立てるようになりたくて。だからいろいろと学びましたの」
ロッティの中でセリオットは完璧な存在だった。早く彼の背中に追いつきたい。同じ目線で世界を見られるようになりたい。
ただその一心でここまでひたすらに努力を重ねてきたのだ。
すると、カップをソーサーの上に置いたシエラがうーんと考える素振りをみせる。
「ロッティ様の中でセリオット様が変に崇拝されているように思います。もっと力を抜いて大丈夫ですよ。セリオット様も魔力が最強ってだけでただの竜です。机の角に足の小指をぶつけて悶絶はしますし、うっかり大事な書類にお茶をぶちまけて宰相に怒られて半泣きになりながら作り直します」
「なんておっちょこちょい!? って、そんな話聞きたくなかったですわよ?」
ロッティが頭を抱えて半ば叫ぶと、シエラはくすくすと笑う。
「私は事実を、あなたの知らない陛下を話しているだけですよ。この世に完璧な者はいません。……ロッティ様はそれでもセリオット様が好きですか?」
「へっ!? あ、えっ!?」
突然好きか尋ねられて困惑した。
(な、なんで突然そんな質問を!?)
どこか表情に影を落とすシエラ。きっとそんなセリオットでも、ロッティが受け止めてくれるのか心配しているのだろう。彼のセリオットへの想いは十分に伝わってくる。
ロッティは小さく咳払いをし、背筋を伸ばすとはっきりと答えた。
「――はい、とっても好きですわ」
「……なんだか嬉しいのでもう一回仰ってください」
ぱっと顔を輝かせたシエラはロッティの手を両手で握り締めてきた。嬉しくて思わずといった様子だが、セリオット同様に顔の良い美少年に至近距離で迫られてはたまったものではない。
「はいっ!?」
ロッティの顔はさらに熱が集中する。別に本人に告白したわけではないが、セリオットのことを知っている人に告白を聞かれるのは大変気恥ずかしい。
「も、もうっ! シエラ様ったら意地悪ですのね!! そんなですと番に嫌われますよ?」
口を尖らせてそっぽを向くと、シエラはくすくすと笑いながらロッティから離れた。
「大丈夫です。私の番は私のことが大好きですので」
「そ、そうなんですの?」
なんとも凄い自信だ。
シエラは自分の番を思い出しているのか大層うっとりとした表情でお茶を啜っている。彼もまた、番を大切に想っているようだ。
(それにしても、子供のシエラ様にはもう番がいらっしゃるのね。番に出会える確率がゼロに近いと言われているのに。彼の方がセリオット様よりよっぽど果報者では?)
ロッティは幸せそうな彼を眺めながらぽつりと呟いた。
◇
シエラがここへ来てから数週間が過ぎた。
「今日は雨が降りそうだわ」
朝早く起きたロッティはショールを羽織り、自室のバルコニーから空を見上げていた。灰色の雲が空一面を覆っていて、今にも降り出してきそうだ。
洗濯物は明日にした方がよさそうだ、などと頭の隅で判断していると頬に雫が落ちた。とうとう降り始めたのだ。
雨は瞬く間に激しくなり、ロッティは慌てて自室に戻って扉を閉める。
「雨で悪路になるから、アレクおじ様は来ないわよね。今日はいつもよりゆっくり過ごせそう」
ロッティは身支度を調えるとお茶を淹れに厨房へ足を運んだ。ハーブティーが飲みたい気分なので厨房の勝手口すぐの裏庭に傘を差して向かう。裏庭には多種多様なハーブが自生しているので料理の味付けの際は大変助かっている。
新鮮なミントとレモンバームを摘んで籠に入れていると、目端に黒い塊が映った。
ウサギにしては大きく、キツネにしては小さい。一体何だろうと顔を向けるとそこには見たこともない生物が泥まみれになっていた。
青みを帯びた銀の鱗に覆われた身体。背中には有翼があり、手足の爪はとても鋭い。しかし丸っこいフォルムからは畏怖などはまったく感じない。
「……幼竜?」
ロッティはまじまじと幼竜を観察する。その下には見覚えのある白いシャツや短パンなどが敷かれていて、側には靴が転がっていた。
そこでロッティはハッとする。
「もしかしてシエラ様!?」
急いで駆け寄って抱き上げる。ぐったりしている彼の身体は雨に濡れて冷たい。このままでは風邪をひいてしまうかもしれない。
ロッティは幼竜のシエラを抱えて連れ帰ると、風呂場に向かった。バスタブにお湯を張っている間、お湯に浸したタオルで泥のついた箇所を優しく拭いていく。
すると、固く閉じていたシエラの目がゆっくりと開いた。
「ロ、ティ様……?」
「気づかれまして? 裏庭で倒れていたのでとってもびっくりしましたのよ」
「ああ、ごめんなさい。成長期は自分の意思にかかわらず眠りに落ちることがあって」
シエラ曰く、竜族の子供は成長期に入ると急激に眠くなって倒れてしまうことがあるらしい。通常、竜は成長する際半年ほど眠りについてエネルギーを貯めて成体へと変化する。その期間の睡眠の質が悪い場合は、今回のように眠りに落ちてしまうらしい。
「私はこの間までずっと眠っていたんです。だからもうすぐ成体になれるんです」
――そうしたら、胸を張って彼女に会える。会って、これまでのことを謝るんだ。
まだ微睡みの中にいる彼はトロンとした瞳で胸のうちを吐露してくれる。彼女、というのはシエラの番のことだろう。
(シエラ様は、早く大人になりたいのですね)
きっと、彼の番は既に大人なのだろう。自分も早く大人の姿になって彼女に追いつきたいという気持ちがとても可愛らしい。
大人になったら、シエラはどんな青年になるのだろう。
……セリオット様以上の方はいらっしゃいませんけれど。などと考えてしまうあたり、本当に自分は重症だなと思って苦い笑みを零してしまう。
「早く大人の姿になれるといいですわね。――身体の泥は大体落ちました。湯船に浸かって身体を温めたら、今度は石鹸で綺麗に洗って差し上げますわ」
ちゃぷんとシエラをバスタブに入れると、お湯を入れ直した桶に海綿を浸して馴染ませる。
「そう。ロッティ様が身体を…………洗うぅっ!?」
漸く意識が覚醒したシエラは素っ頓狂な声を上げた。
「いやいや。やめてください!! そんなことされたら私はっ! 私はどうにかなってしまいます!!」
室内は湯気が立ち上り、まるで霧のように濃くなって辺りを覆い隠していく。これはシエラの魔法によるものだろうか。
ロッティはシエラがいる方を向いて優しく声をかけた。
「でも、その腕では背中は洗えないでしょう? ですから私がお手伝いします」
竜の腕は少々短いので背中には届かない。きっと一人では苦労する。
石鹸の泡をつけた海綿を握って手探りでバスタブの縁を探していると、湯気の中で黒い影が動いた。
「ロッティ様は慎みを持ってください!! 私は男で、あなたは女なんですよ!」
湯気の中からいつの間にか人間の姿に戻ったシエラがこちらに顔を突き出した。
青みがかった銀の毛先からはぽたぽたと水滴が滴り落ち、頬は熱い湯に浸かったせいなのか紅潮している。上半身は白磁のように滑らかで、まだあどけないはずなのにどこか艶めかしい色気を帯びていた。
(顔が整っていると少年でも色気を帯びてしまうのかしら?)
呑気に見とれてしまったロッティは我に返ると、小さく咳払いをする。
「えーっと、シエラ様はまだ子供です。おませな年頃なのかもしれませんが遠慮しないでください。これでも小さい頃は飼っていた牧羊犬のサミーの身体を洗ったことがありますの」
「竜をよりによって犬と一緒にしないでくれます? というか私はロッティ様よりも年上! 見た目で判断されては困ります。男女の知識だってありますし、私はもうすぐ百歳なんですよ!!」
「えっ!?」
ロッティは頭を鈍器で殴られたような衝撃を受け、ぽかんと口をあけた。
まだ十二、三歳にしか見えないこの少年の年齢は自分が生きた年も、両親が生きた年も遙かに超えている。
「ひゃ、ひゃく!?」
「種族が違うと寿命も成長の仕方も違うので当然です。竜族は百歳になると成体へ変化するんです。あ、因みに番になると互いの魂の寿命を半分にして分けるから先にロッティ様が先に死ぬ、なんてことはないですよ」
知らなかった情報に触れて驚きの連続だ。理解が追いつかなくて目を瞬いているとシエラが気まずい様子で視線を逸らす。
「……あとは自分でやりますからロッティ様はここから出てってください」
「あっ」
気づいたときにはロッティは厨房に立っていた。シエラの魔法で強制的に転移させられてしまったようだ。
「見た目が子供だもの。百歳だなんて言われてもなかなか信じられないわ」
額に手を当てて自分のやらかしを深く反省する。彼からすれば十八歳の小娘に子供扱いされてさぞ嫌な気持ちになったことだろう。
あとできちんとお詫びしよう、とロッティは深いため息を漏らしながら思った。
窓の外はいつの間にか雨が止み、雲の切れ間から太陽の光が差していた。
風呂から上がったシエラは新しい衣服に身を包んで居間にやってきた。ロッティはお詫びも兼ねて彼の好きな食材で朝食を作って待っていた。
「シエラ様、先ほどは大変失礼しました」
深く頭を下げると、面を上げるように声が降ってくる。
「種族が違えば、多少の誤解はつきものです。これからもこういうことはあると思いますし、その都度理解し合えばいいだけですよ」
愛らしく美しい顔立ちのシエラの微笑みにロッティは息を呑む。
(この顔を見るとやっぱり可愛いって思ってしまうし、年下だって勘違いするわ!)
なんとも解せない気持ちになっていると、シエラが向かいのソファに腰を下ろす。
「この話はこれで終わりにしましょう。折角ロッティ様が作った朝食が冷めてしまいます」
「そ、そうですわね」
ロッティは気を取り直してナイフとフォークを手に取る。作ったのはパンケーキとベーコンエッグ、フルーツサラダ。そして摘み立てのミントとレモンバームのハーブティーだ。
パンケーキを丁寧に切り分けてフォークで刺し、口へと運ぶ――と、外からもう嫌というほど耳にした馬の蹄鉄音と馬車の車輪の音が聞こえてきた。
「まさか……」
互いに顔を見合わせると、慌てて玄関へと向かう。
案の定、玄関先には馬車が停まっていて、中からアレクが下りてくるところだった。毎日返り討ちに遭っているというのになんとも律儀なことである。
「まあ、アレクおじ様。こんな悪路の中わざわざ来てくださらなくてもよろしかったのに」
わざとらしく嫌味な言葉を投げかければ、アレクはにやりと片頬を吊り上げた。
「そうだな。だが今日でここにくるのも最後だ。そしてロッティが独身であることも今日で最後になる」
「寝言は寝てからにしてくださらない?」
眉間の間を揉みながら、ロッティは呆れかえる。アレクはロッティを無視して懐から手榴弾のようなものを取り出した。ピンを引き抜き、素早くこちらに投げ入れる。
「きゃああっ!?」
ロッティは喫驚して悲鳴をあげるが、それが爆発する気配はなかった。ただもくもくと白い煙を上げるだけ。
「……不発のようですね」
腕を組んだシエラはそれに近づくと覗き込むようにじっと観察する。煙は辺りに充満したがすぐに消えてなくなってしまった。
「言っておくが、ただの煙じゃないぞ。それはスウェルデ国の魔具工房に作らせた魔法を無効にする煙だ。いくら竜族でも煙を吸ってしまえば暫く魔法は使えない」
どうだ! とアレクは腰に手を当てて胸を張る。
「魔法がなければおまえなど非力な子供。これまでの礼はこの手でじっくりたっぷりとさせてもらうぞ。何せ今日の魔具はどれも改造してさらに威力が増してるからな!」
アレクの手には魔具の拳銃や爆弾が握られている。
「な、なんて卑怯ですの! 上流階級の風上にもおけませんわ!!」
「欲しいものはどんな手を使っても手に入れるのが俺の性分だ。小僧がいたぶられるのを見たくなければ、大人しく結婚に承諾して書類にサインしろ」
アレクは勝ち誇ったように一枚の書類を提示した。
おじ様、シエラ様は小僧ではなく大人です! というツッコミが頭の中で浮かんだが今はそれどころではない。
いくら彼が百歳の竜だといっても体格ではまだ人間の子供なのだ。魔法が使えない以上、分が悪い。
「シエラ様、逃げてください。ここは私がなんとかしますから」
「逃げる? そんなことをすればロッティ様があの男のものになってしまう」
「でも……」
こんな状況を作ってしまったのは自分にも原因がある。シエラに頼りきりで、彼に万が一のことがあった時の対策がすっぽり頭から抜け落ちていたのだ。
自分の今後の立場を考えるとあまりにも愚かだ。ロッティはまっすぐシエラを見つめた。
「私、今とっても恥ずかしいんです。だって私の番はスウェルデ国の君主、セリオット様。シエラ様に守っていただくにしても、私は君主の番としてシエラ様の安全を考えるべきでした。それにあなたはもうすぐ成体になるんでしょう? ずっと待ち望んでいたんでしょう? こんなところでやられては、晴れ姿を番に見せられなくなってしまいますわよ! だから私に構わずシエラ様は逃げてください!!」
その言葉を聞いてシエラは目を瞠った。暫くじっとロッティを見つめていた彼は、俯くと彼女の服の袖を掴んだ。
「シエラ様?」
声を掛けると、シエラはロッティを守るようにアレクの前に立った。
「お心を砕いていただき感謝します。でも私の方がもっと恥ずかしい。小さなプライドのために寂しい想いをさせたし、危険な目に遭わせようとしている。でも、漸く全てを打ち明ける勇気が出ました。今から私が諸事情で国へ帰れなかった理由をお話ししようと思います」
シエラは調子を取り戻すと淡々と説明を始める。
「少し前から我が国の市場に違法な改造型の魔具が流通し始めました。水面下で魔具を作っていた工房は摘発して検挙できたんですけど、肝心の出資元が国外の商会だったんです」
シエラは一旦話を切ると懐から拳銃を取り出した。それはアレクがこれまで使っている魔具とよく似ている。
「アレク殿が使っていた魔具は全て違法に作られた改造型。しかも流通前の工房で没収したものばかり。足がつかなければ使っても問題ないと思っていませんか?」
シエラは自分がスウェルデ国から持ってきた改造型魔具と、アレクの魔具の特徴が一致する部分を挙げていく。それは言い逃れできないものばかりだった。
話を聞き終えたアレクは悪びれた様子もなくにやにやと笑っていた。
「犯人捜しの涙ぐましい努力は認めてやる。だが暴いたところで魔法の使えないおまえは俺を捕まえることはできない。非力な子供だからな。口封じにいっそ殺した方がいいかもしれないな」
顎を撫で、狂気じみた表情でシエラを見下ろすアレク。そんな彼に、シエラはにっこりと微笑んだ。
「ご心配なく。魔法が使えないからと言って非力な子供に成り下がるわけではありません。私はあなたの年を遙かに超えていますし、魔法が使えずとも倒すことは簡単です」
次の瞬間、対峙するアレクの前からシエラが消えた。背後に回ったシエラがアレクの後ろ衿を片手で掴んでいとも容易く地面に叩き落とす。
「竜族の身体能力は人間の数百倍。魔法が強いっていうイメージが先行してあまり知られていませんが、加減しないと人間の骨なんて簡単に砕きます」
シエラは叩き落とされて気絶しているアレクを覗き込むように見下ろすと、空からひらひらと落ちてきた書類を掴んで破り捨てる。
(嘘、片手だけでおじ様を!?)
あまりの衝撃にロッティが口元を手で覆って驚いていると、上空で鳥とは異なる独特な鳴き声がした。
見上げると立派な竜が翼を羽ばたかせて飛んでいる。竜は急降下して地上に降り立った。
幼竜が丸っこくて可愛い生物なのに対して成竜というのは威圧的で恐ろしい。腕だけで人間を十人もなぎ倒せそうだ。
あまりの迫力にロッティは思わず腰を抜かしてその場にへたりこむ。
成竜は「これは失礼」と言って、瞬く間に青年へと姿を変えた。そしてシエラを見るなり気難しそうに眉間に皺を寄せ、つかつかと彼の元へと歩み寄る。
「まったく! あなたは一体何を考えているんですか!!」
青年は開口一番にシエラを一喝した。一方でシエラはうん? と首を傾げてから口を開く。
「なんだい宰相殿? 私はちゃんと置き手紙にロッティのところへ行くと書いていただろう? 彼女のおじが事件の黒幕だからそれもあわせての仕事だと。決してロッティに会いたいがために行くのではないと説明したはずだ」
「ええ、ええ。そうですとも! その通りですけれども!! ですがあなたは目覚められてまだ数日しか経っていないんですよ? お身体に何かあっては大変です!!」
「番のいない君には分からないのかもしれないけど、自分の身体なんかよりも相手のことが心配でたまらないものだよ」
「なんか、地味に喧嘩売ってません?」
「そうかな?」
その後、シエラはこの国の国王にアレクを引き渡すように伝えてくるよう、宰相に指示を出す。
宰相は不満そうな表情を浮かべたが渋々頷くと、再び竜の姿となってアレクを咥えて飛んでいった。
「やっと二人きりだね」
シエラはこちらに振り向くと言葉を投げかけてきた。だが、二人のやり取りと聞いていたロッティは完全に放心状態だった。
(あら、一体誰が誰の番? 私はセリオット様の番でシエラ様の番じゃないわよ)
一人で混乱しているとシエラが近づいてきて、視線が合うように屈んでくれる。
「――本当は完全に大人の姿になって迎えに来たかった。でもうっかり歳を数え間違えたんだ。成長期に入ると成長薬は副作用が出るから使えなくて。子供の姿が恥ずかしくて会えなかった。かっこ悪くて真実を言えなかった。眠っている間にあなたのご両親が亡くなって、大変な時期に寄り添えなかった。領地と爵位を守るため、独りで戦っているのにすぐに支えられなかった」
話を聞いていたロッティは頭の中が妙に澄み渡っていく感覚を覚える。
(もしかして――)
気づいた途端ドクン、と心臓が大きく跳ねる。
「目覚めてここに飛んできたけれど、正直怖かった。いつ成体になれるか分からないし、人間は竜と違って番という概念がない。他の男を好いている可能性だってある。もしそうなら、私はそれを甘んじて受け入れようと覚悟した。でも……」
そこで一旦話を切るシエラがふわりと微笑む。瞳には慈愛に満ちた光が宿っている。
「でもあなたは私を信じて待ってくれていた。私を好きと言ってくれた。それがとても愛おしく、堪らなく嬉しかった。だから私は変なこだわりを捨てる。ありのままの姿であなたを迎える」
シエラはロッティの頬へとゆっくりと手を伸ばす。
「ロッティはこんな子供の姿の私でも受け入れてくれる?」
「……っ」
胸の奥底から熱い何かがこみ上げてくる。ずっとセリオットが来るのを待っていた。
それが実現してこれ以上幸せなことはない。
「そんなのとうに決まっておりますわ。どんな姿でも構いません。だってあなたは私の大好きなセリオット様ですもの」
「ロッティ……」
感極まって涙声になっていると突然、彼の身体が淡い光を放ち始めた。
まるでおとぎ話のように、不思議な光の粒を纏った美しく可愛らしい少年が精悍で眉目秀麗な青年へと変わっていく――
セリオットは「タイミングが悪いな」と苦笑を浮かべて呟いたが、ロッティには聞こえていなかった。
「セリオット様、ついに大人になれましたのね」
大人になりたいという念願が叶って、ロッティは心底喜ぶとセリオットの胸に飛び込んだ。
彼はロッティを受け止めると優しく抱き締めてくれる。そして耳元に顔を寄せ、甘い声色で囁いた。
「ロッティ、あなたが番で私は本当に果報者だ」
ロッティは首を横に振るとセリオットを見上げた。
「セリオット様はいつも私のことを一番に考えてくださいました。もっと執着の強い竜だっているはずなのに。あなたは自制していつも私のために動いてくださいます。私の方がとっても果報者ですわ。だから、たまには自分の気持ちも大切にしてくださいな」
するとセリオットが僅かに身じろいだ。やがて、やや遠慮がちに尋ねてくる。
「……少しはロッティに我が儘を言っても?」
「もちろんです。私はあなたの番ですもの!」
ロッティが大きく頷くと、セリオットは空を仰いで少しの間考え込む。そして何か思い出したのか、どこか楽しげに口端を吊り上げた。
「……じゃあ、近いうちに今朝の熱烈な介抱のお礼をさせてね」
「っ!?」
これは子供扱いしたことへの、それともサミーと同じ扱いをしたことへの仕返しだろうか。
ロッティは今朝しでかした自身の所業を思い出し、顔を真っ赤にして言葉を失った。