第2章:出会い
俺がいつも行く練習場は、小田原市を流れる酒匂川の脇にある
小田原オートゴルフ練習場というところだ。ここに通い始めて、既に
10年以上になる。
ここの雨田社長には良くしてもらっていて、行けば1時間以上話し込むこと
もよくある。日によっては、2時間話をして30分練習なんてこともある、
俺にとって気が安まる場所だ。
今日も自販機のコーヒーをご馳走になりながら、話をしていた。
「そうだ!競技会の案内が来てたぞ。ほれ」
そう言って俺にチラシを寄越した。メーカー主催のミックスダブルス選手権
だった。
「ダブルスってあんまりやんないなあ・・、それに女の人知らねえし」
「意外と面白いらしいぞ。これも経験で一回くらい出てみたらどうだ?
10番の打席で練習してる女性知ってるかあ?」
ロビーから覗き込むと、確かに何度か見たことがある。素人離れというか、
競技ゴルフを相当やっている上級者の雰囲気のある女性だ。
「話したことないけど知ってる。プロみたいなスイングだよね」
「おお、一条さんって言ってな、3年くらい前から来てるかなあ、
一昨年日本女子アマにも出たらしいぞ」
「すごいっすね。そんな有名人近所にいましたっけ?」
一条ってどっかで聞いた名前だなとふと思った。
「家は南町って言ってたなあ。たまに親父さんと来てるぜ。どっかの会社の
社長って話だ。まあ、きりちゃんもこのレベルのゴルフをもっと勉強した方
がいいかもなあ」
この社長も10年前はチョー飛ばし屋として鳴らしていたが、最近は寄る
年並みに勝てず、70歳を過ぎてやっと一般男性並みになった。
「一度は回ってみたいけど俺照れ屋だからなあ、見ず知らずの女性に
いきなり一緒に回って下さいなんて言えないよ。変なやつと思われるのが
オチだよ」
「実はなあ、さっきそのチラシを見せたら“出てみようかしら“って言ってた
からよ、きりちゃんにも見せたってわけ。どーよ?」
「どーよ、って言われてもねえ。そもそもそのレベルの人だったら、周りに
沢山いるでしょうよ・・」
そろそろ練習しようかと考えていた時、その一条さんが練習を終えてロビー
に入ってきた。
「ああ、マリちゃん、お疲れさん。ちょっと時間ある?」全く気の早い
おっさんだ。一条さんは“マリちゃん”って言うんだ・・・。
「ちょっと紹介するね。この人桐山さん。ここから100ヤードのとこに
住んでて、ここの練習場じゃあトップ3に入る人」
「きりちゃん、こちらは一条マリさん。こっち座って」俺は会釈をした。
「失礼します!」ちょっとハスキーな声だ。近くで見ると身長も高くて
スタイルが抜群だ。スイングも綺麗に見えて当然だ。
「一条さん、桐山さんのスイング見たことある?もしかしたら会ってない
かもしれないけど」
「何度も拝見してますよ。とっても綺麗なスイングをされてる方だと」
「そりゃどーも!僕も一条さんのスイングを見て感心してましたよ」
「そりゃあ話が早い!」
「さっき渡したチラシをね、きりちゃんにも見せたんだけどさあ、興味
あるっていうから一条ちゃんに声かけたのよ。もし参加しようと思ってて、
いい人がいないんだったら検討してみてくんない?」
「そうですねえ〜」ちょっと困った様子で考え込んでいる。
「一条さん、無理しなくていいですよ。ダブルスのことよく分かんないけど、
相性とかあるだろうし、ご迷惑でしょうから・・・」
こんなことろで悪者になりたくはない。
「いえ、そうじゃなくて私出る限りは勝ちたいんです。桐山さんのスイング
を見て上級者なのは一目でわかります。でもやっぱり本番と練習場は違い
ますから・・・」なーんだ、そういうことか。
「よかったら一度ラウンド行きませんか?2人だけというのもなんですから、
社長も入れて」俺は一条さんと社長を見ながら言った。
「おう、それがいいかもな。マリちゃんの目に叶うかどうかの試験みてえな
もんだ。え、俺も行くのかあ?」俺は当然のことだと目で社長に訴えた。
「試験だなんてそんな・・・」
「でも一条さん、一緒に出てみたい人がいるんじゃないっすか?」
「それはないです。プロとかちょっと年配のお上手な方はいますけど、
同年代ではなかなかいなくて・・・」
「よっしゃあ、じゃあ決まりだ!コースはどこでもいいよな。
俺が予約してやっから」
社長の誘導でとんとん拍子に話が進み、今週の金曜日に行くことになった。
次の金曜日は4月だから、新年度の年休が付与されたばかりだ。
当分は年休消化に励むことができると思うと、おちおち仕事も手につかない。
一応、一条さんと電話番号を交換してL I N Eに追加した。社長はL I N E
とかはわからないので、電話番号だけだ。
一条さんが帰った後、社長にとっつかまり俺は2杯目のコーヒを飲んでいた。
「どこにすっか?」
「どこでもいいんじゃない」俺はチラシを改めてみた。
試合の予選会場は、近場では東京の平成の森ゴルフクラブとか
千葉のニューコレクトカントリー倶楽部と書いてあった。
「何言ってんだよ。きりちゃんの試験なんだから得意なコースがいいだろう?」
「どこ行っても一緒!安くて近くてコースがそこそこだと、新東名足柄
カントリーあたりはどう?」
「ちょっと待ってろ、今支配人に聞いてみっから・・・」
すぐに予約は取れた。さすが練習場の社長だけあって、しっかり値切っていた。
「9時アウトスタート、セルフの昼飯付きで6,000円でどうだ」
「それは安い!それでO K。次から社長に頼もっと。一条さんには俺から
L I N Eしとくから。集合時間は7時でいいよね」
早速一条さんに連絡を入れ、速攻でO Kの返信があった。
「社長、一条さんO Kねえ。ところで一条さんて仕事何やってるのさ?」
「仕事は聞いてねえなあ。社長令嬢だから家事手伝いかなあ?」
「やっぱゴルフは金持ちの道楽なんかねえ?」
「そりゃわかんねえけどな。まあうちは練習に来てくれりゃあ文句はねーよ。
でも、彼女は良い娘だよ。親父も結構気さくだしな」
結局、この日はロビーで30分ほどパター練習をして家に帰った。
翌日、会社には始業開始のチャイムがなると同時に席についた。
「桐山くん!」珍しく“くん”付けする課長から呼ばれた。
「で、どうだったのよ?」
「何がでしょうか?」課長の気色悪い笑顔を見ながら答えた。
「何がじゃねえよ!ゴルフ場だよ、ゴルフ場のシステム!?」
どうもこの課長は口が悪くてしょうがねえ。
「あれ、先週連絡してませんでしたっけ?」
「もらってねえよ・・。それで?」
「結論から申しますと、価値が認められないのならやめた方がいいと言って
帰ってきました。今週中には結論を出して連絡をくれるそうです」
課長は俺の答えに反応せず、こっちを見てるだけだ。
「課長、大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけねえだろ!どこの営業に“やめた方がいい“なんて言う奴が
いるんだよ!?あーーん!」
まるでやっちゃんのようだ。自分はサラリーマンという自覚はないのか・・。
そこへちょうど関さんがやって来た。
「山西課長、桐山くん、先週はお疲れ様」
ちょっと異様な雰囲気に気がついたのか、関さんが改めて先週の報告を
山西課長にしてくれた。
「ということは、関さんの感触は悪くなかったと言うことですかね?」
「ええ、そうですよ。桐山くんの強気な営業が功をそうする可能性が高い
ですね」
「ですよねえ、関さん!」課長は俺の方を見て、黙ってろと目で脅している。
「いや、提案の内容がよかったんですよ。関さんのお陰です」
「課長、オーナーは提案内容見てないっすよ!」
間違いは早めに訂正しといた方がいい。そんな俺の言葉を課長は無視して、
「それで関さん、金額面は何か言ってましたか?」
「恐らく値切られると思います。多少のバッファは積んでありますがどんな
要求があるか不安なのはそこですね」
俺も100万円ほど後でつんどいたから、二重取りになりそうだ。
満額取れたら積んだ分は接待費で使わせていただこう。
「わかりました。金額面は営業で対応します。何かあれば相談するので
その時はよろしくお願いします」
関さんに標準語で話している課長が滑稽だ。
「じゃあ桐山くん、何かあれば連絡ください」
そう言って、関さんオフィスを出て行った。やっぱり関さんは、仏様の
ような人だ。
「なんでお前と話してると、血圧が上がるんだろうな?」
「課長は血圧が高いんですか?高血圧は気をつけた方がいいっすよ」
気遣って言ったつもりだったが、早く席に戻って出張報告書を提出しろと
つれない返事だった。
仕方なく席に戻り、紙袋からお土産を取り出した。
「ゆかりちゃん!ジャーーン!!伊豆名物“天空饅頭”だぜい!!!」
「やったー!遠路の出張ご苦労様でした。今お茶入れてくるから待っててね」
ゆかりちゃんの後ろ姿を見て、きっといいお嫁さんになるだろうと確信した。
ゆかりちゃんが入れてくれたお茶と饅頭を食べながら、俺は思案した。
今度の金曜日のことをいつ課長に切り出すか。今はどうやらタイミング的にはあまりよろしくない。
「きりちゃん、相談なんだけど・・」ゆかりちゃんが真剣な眼差しで話しかけて来た。
「どうした?」
「お饅頭なんだけどね、全部で12個でしょ。いま13人いるのよ、
1個足りない!」
かわいそうに饅頭如きで半分泣きそうだ。俺は辺りを見回し小声で答えた。
「こうしよう、俺は今1個食べちゃったから課長にはあげないで、平社員だけにしよう。O K?」
「え〜、課長ひがむんじゃない?」
「大丈夫、課長は血圧が高いようだから甘いものは食べない方がいいんだよ。
俺は課長を心配して言ってるんだよ」
「そうかもね。そうだね!じゃあそうする!!」
ゆかりちゃんはとっても素直な子だ。席に座るみんなから、小声で“ごちそうさま”と声をかけられた。
みんなも課長に気遣っているようで嬉しい限りだ。
饅頭問題も片付き、俺は本題に戻った。
新しい年度になることだし、急遽風邪を引こうかと思ったが、先週もひいているからN G。
そこで昨今、働き方改革なる先進的な考えも出ているから、
それにしようと決断した。後はタイミングだけだから、この数日よく状況を
注視(最近よく政治家の先生が言っている)して判断することにした。
明後日の一条さんとのラウンドを控え、ネットで改めてコース戦略を考えて
いた。
何度か行ったことのあるコースではあるが、あまり良いイメージがない。
しかし男として同年代の女子にゴルフで負けたとなっては、今後のゴルフ
人生に多大な影響を及ぼすだろう。
雨田社長に“笑い”のネタを提供するのも癪だ。
7番ホールを確認しているときに、会社携帯が鳴り出した。
本来なら決して出たいとは思わないが、着信音を“マスターズテーマソング”
にしてから、少しは出たいと思うようになった。
参考までにアメリカのデイビ・ロギンスと言うカントリーミュージシャンが
作った曲らしい。サビの「Augusta your Dogwoods and pine They play〜」はたまらなく良い!
「伊豆白波ゴルフの勝又ですが・・・」そういえば、今週連絡をすると
言ってた。
「先日は有り難うございました!江坂オーナーともお会いできて、良かった
です」
10年近く営業をやってると、社交辞令も自然にできるから恐ろしい。
「新しいシステムの件なんですが、桐山さんの会社に発注することに決まり
ました。僕もほっとしましたよ」そうかあ、うちに決まったかあ。
ここは早速打ち合わせ兼接待が必要だな・・・。
「そうですかあ。勝又さん、有り難うございます。ずいぶん早かったですね。
そうするとすぐにでもそちらにご挨拶に行かないといけないですね。
いつにしましょうか?」
「桐山さんも気が早いですねえ。一つご相談なんですが、見積もり金額の件
なんです。これまでいろいろ価格低減に協力いただいてますが、
2,600万円から後100万円値引いてもらえませんか?」
ここは少し恩を売っといた方が、勝又さんも喜んでくれるだろう。
「100万円ですかあ。私の権限では50万が限界ですので、社長に
直談判します!」
「え?社長さんにですか?」
「実は御社の案件はですねえ、うちのV I P案件になってまして社長決裁
なんですよ。今日中には連絡しますので、少々お時間ください。
決まったらゴルフお願いしますよ。発注の御礼と言うことで、こちらで
接待させていただきますから」
勝又さんに釘を刺して電話を切った。
課長は席を外していなかった。すぐに関さんに電話を入れた。
「関さん、伊豆白波ゴルフの勝又さんからさっき電話があって、あと100万円値引いてくれれば、
うちで決まるそうです!」
「そりゃあ良かった。開発側としたら2,450万円までなら大丈夫だよ。
さすが桐山くんだね。おめでとう!」
「有り難うございます。山西課長が席外してるんで、2,500万円で了承
もらったら返事することにしますね。それとゴルフ予定しといてくださいね。
打ち合わせも兼ねて、近々行くことになると思うのでよろしくお願いします」
「相変わらずしっかりしてるねえ。楽しみにしているよ。次の打ち合わせの
資料は2日もあれば準備できると思うから、日程はそれ以降で頼むよ。
それじゃあ」
いやあ、まさか受注できるとは考えてなかった。江坂オーナーに嫌われ
なくって良かった。
「ゴルフ場のシステム決まったんすか?」
後輩の辻本が驚いたようすで聞いて来た。
「当然だな!ちょっとその気になればこんなもんだよ。ハハハ・・」
「やったじゃないですか!これでまたゴルフ行けますね!」
「そう言うこと。ところで課長はどっかで茶でもしてんのか?」
「違いますよ、さっき部長に呼ばれて会議室にいるはずですよ」
「なんだ、なんかやらかしたのか?」
しばらくすると、課長が顔面蒼白で、難しい顔をして席に戻って来た。
「課長、どうかされたんですか?」俺は心配になって聞いた。
「お前には縁のない話だよ。何か用?」
「なんか用とは連れないですね、課長。さっき伊豆白波ゴルフの担当から
連絡あって、あと200万円引いて2,400万円ならうちに発注してくれる
そうです。どうしましょう。断りましょうか?」
あまりに冷たい態度なので、俺はちょっと多めに値引いた金額を言って
からかってみた。
「え、本当か?今月受注できるのか??」
課長は急に目を輝かせて、俺に迫って来た。
「今月はどうですかねえ。今月もあと10日で先方も忙しいでしょうから・・」
「桐山くん、なんとか入れてくれ。さっきも部長から受注が足りんとハッパ
をかけられたばかりなんだよ。俺を助けると思って!」
こういうところが、課長の可愛いところだ。プライドのかけらも持って
いない。
「分かりました。この桐山!課長のためになんとかしましょう!ついては、
今週一杯時間をください。タイミングを図って非公式にアプローチして来ます。よろしいですか?」
「今週いっぱいかあ?」
「課長、こんな無理をお願いするのに電話じゃ失礼ですよ。関さんに聞いて
貰えば分かりますが、相手は気難しいオーナーの江坂さんです。
それに非公式のプライベート訪問ということなら、相手も身構えなくて
良いですからね」
「わ、わかった。何がなんでも今月受注計上してくれ。ほんとにたのんだぞ!」
顔に少しは赤みが戻って来たようで、どうやら生き返ったみたいだ。
席に戻るとゆかりちゃんが、
「きりちゃん、今週年休取るって言ってなかったっけ?」
「ああ、言ってたけどたった今出勤扱いになった。ラッキーだったなあ」
「金曜日だっけ、ゴルフ行くの大丈夫なの?」
「大丈夫だよ、同じゴルフ場に行くんだから。課長には伊豆白波ゴルフに
行くって言ってないし」ゆかりちゃんはいきなり“お手”をした。
「口止め料!」俺はゆかりちゃんとハイタッチをして契約完了だ。やっぱり
ゆかりちゃんは良い嫁さんになる。
そのあと、勝又さんに電話をして来週中に仮注文で良いので、書面で出してもらうよう約束を
取り付けた。ついでにゴルフもセットで・・。
課長には少し我慢してもらって、来週報告することにした。ただし帰り際に
関さんのオフィスに立ち寄り、2,500万円で受注確定の報告をして喜んで
もらった。
課長には内緒にしておくことも付け足して。
充実した仕事を済ませた俺は定時に退社し、家に帰ってから練習場に行った。
受付にいた雨田社長から一条さんが来ていることを告げられ、隣の席を
取ってもらった。打席で練習している一条さんの姿が見えた。
相変わらず華麗なスイングだ。
「こんばんは。精が出ますね!」俺は律儀に挨拶をした。
「桐山さんも熱心ですねえ。」にこやかに返してくれたので、ほっとした。
「どっちかっていうと、ゴルフが仕事ですから。」真面目に答えたら笑って、
「少し後ろから見させてもらって良いですか?」
そう言って打席の後ろに立った。
俺は、いつものように56度のサンドウェッジでアプローチを30球ほど
打ってから、9番、7番、5番、ドライバーと5球づつショットをした。
一息付いたところで、一条さんに気になる点がないか聞いてみた。
「そんなあ、私から指摘するようなことはありませんよ。桐山さんはいつ
ゴルフを始められたんですか?」
俺は大学を卒業して会社に入ってから始めて、この1年間雨田プロにコーチ
をしてもらったことを話した。
「センスあるんですね。基本がしっかりしているのが、スイング見て分かります。
身長があるからスイングアークも大きいし、ゆったりしていて格好いいですよ!」
「そうですかあ?僕が言うのもなんだけど、一条さんのスイングはいつも華麗っすよ!」
一条さんは照れ臭そうにわずかに微笑んだ。
「有り難うございます。桐山さんに言ってもらえると嬉しいです。
金曜日はよろしくお願いします。少し早めに来て練習しますから」
そう言って片付け始めた。
帰りを見送りながら、一条さんと話してると関東アマをとったとは考えられなかった。
そんでもってお互いに会話が固い・・・。