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依り添う

作者: K

この季節は雨が止んだあとも蒸し暑く嫌な気分になる。月も見えない曇天の下、男は早足で駅に向かっていた。雨がおさまってきたので飲み会を早抜けしてきたのはいいものの、こうも鬱陶しい気温だとまだ冷房の効いた座敷の方がよかったのではないかと思ってしまう。まあ、泥酔した上司の相手をするよりはさっさと帰って家でエアコンでもつけた方がいいだろう。

繁華街の最寄り駅へ続く階段を登りながら時計を確認する。自分の給料と比較するとかなり値の張ると言える腕時計だ。針は22時を指している。記憶にある時刻表の通りなら、すぐ電車は来る筈だ。

駅に入り、券売機に近づいた。が、切符を買おうとパネルを押したところで異変に気づいた。通常の黒いピクトグラムが表示されているボタン全てに、真っ青なピクトグラムが1人ずつ並んでいるのだ。バグか何かだろうか。報告した方がいいかもしれないが――男は眠そうに俯いている駅員に目をやって、やめることにした。切符が買えるなら別に困ることはない。それよりも早く家で涼みたい。男は青い人型が1人余計に並んで2人になっている「大人ひとり」を押して、料金を払った。

切符をつまみ、改札を抜ける。ここのプラットフォームにはベンチこそあるものの待合室がなく、涼を得るには電車に乗り込むしかない。見回したが、男の他には誰もいない。柱の横にちんまりと置かれている花束や缶ビールに見向きもせず、男は線路のすぐ近くに立った。どうせ電車はすぐ来るだろうと思ったからだ。

数分が過ぎたと感じたところでちらりと腕時計を見る。針は22時を指したまま動かない。ふと違和感を覚えた。駅に入る前に見た時も22時丁度を指していなかっただろうか。長年使い込んできた時計だったが、ついに故障したのかもしれない。今日はよく機械がおかしくなる日だ。

飲まされた酒が残っているのか、じんじんと頭が痛くなってきた気がする。蒸すような気温がそれに拍車をかけるようだ。プラットフォームが混んでいたら、体感気温はもっと上がっていたかもしれない。1人でよかったと頭に手を添えながら感じた。

腕を組みながら電車を待ち続けて、10分は経っただろうか。壊れた時計では時刻を確認することは出来ないが、そろそろ来てもおかしくないはずだ。遅延でもしているのかと考えたが、それを知らせるアナウンスは流れてこない。時々吹き付ける生温い風が誰かの吐息のようで不快だ。

そういえば、スマートフォンなら時間を確認できるのではないだろうか。電車が遅れている理由もサイトで調べればいいじゃないか。男は鞄からスマートフォンを取り出し、電源ボタンを押した。しかし、いつものパスワード入力画面は表示されず、代わりにカメラアプリが起動した。それを見て、男は思わず声を上げそうになった。

血液――だと、思う。丁度スマートフォンのカメラが映している線路に、べったりと赤い液体が付着しているのが見えた。肉眼で見ていたはずの光景とは違うそれから目を逸らそうとしても、体は澱んだ空気に押さえつけられたように動かない。温い風が、段々と頻度を増して首筋を撫でる。酒の匂いが自分のものなのかさえ判断できない。おもむろに、プラットフォームのスピーカーから音声が流れ始めた。

「間もなくお越しになられます。皆様、ミロクをお待ちください。ミロクを……」

カメラの映像が変わっていく。線路はそのままに、周囲だけが風化していく。断続的に吹く風はますます強まり、耳元で音さえ聞こえるようだ。スマートフォンを持っている腕に付けられた時計が目に入った。

針は、22時を指したまま動かない。

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