笑顔仮面の女
人は誰しも仮面を被って生きているーー。
2019年6月7日金曜日。仕事終わりのサラリーマンたちの酔っぱらった気の大きくなった声が街を行き交う。1週間の仕事に耐え抑圧された心が解き放つ。そんな瞬間がこの金曜日を煌めかせるのかもしれない。今年の4月に社会人になったばかりの私は、そんなことを思った。同期4人での仕事終わりに飲むお酒は美味しいような、美味しくないような微妙な気持ち。総合職採用の相田恋と花村杏、事務職採用の山本まゆか。この3人が私、高梨一子の同期だ。
「一子はさ、ズルイよね。あんなにかっこいいメンターがつくなんてさ。」
相田恋は、手を頬につき羨ましそうに私を見ている。
「えっ、恋ってば寺西さん狙ってるの〜?️」
山本まゆかは余裕そうな表情。そういえば、大学の時から付き合っている年上のハイスペ彼氏がいるって自慢していた。
「だってイケメンじゃん?まあ、あわよくば隣のマノハルでもいいけど〜。」
恋はいわゆる恋愛体質。名前からしてそうだ。
「マノハルって、真野春人さんのこと?」
花村杏は一番信頼できる頭が冴える同期。
「心でそう呼んでるの〜!でもまあ第一希望は寺西さんね。」
社内恋愛なんてリスクが高いと思わないのだろうか?
「一子はさ、好きな人いないの?」
目を輝かせて3人が私を見ている。
「う〜ん。今は特にいないかな。」
ひとつの嘘をついた。
「じゃあ付き合ってた人は?一子は美人だし髪サラサラだし、頭もいいし?」
一般的に言えば私は外見は悪くないほうらしい。けれどその分嫌な思いもしてきた。
「一子はさ〜、ダメ男にモテるタイプでしょ?おとなしいし、いつもニコニコしてるし。ほら特に黒髪ストレートが好きな男って地雷ばっかりじゃん。清純派しか無理なんだ〜!みたいな。そういう奴らって私みたいな派手な女には興味ないのよね。」
突然のマウンティング合戦。まゆかはプライドが高い。グループ内で自分が一番でないと気が済まない性格だ。
「ん〜そうかもしれないね。」
反論したい気持ちを抑えてニコニコしておく。そうすれば揉め事は起きない。そうやって愛想笑いを繰り返していたら、いつのまにか本音を誰かに話すことができない人間になってしまった。
「えっ、でもさでもさ、まゆかみたいなネイルとかって料理しなさそうって思われるから男ウケ悪いっていうじゃん?だからコッテコテのネイルやめて短くしてるんだけど、逆に彼氏どんな人よ!」
誰よりも女子っぽいと思っていた恋がネイルをしない理由が今ようやく判明した。男ウケのためだったのか…。
「27歳の商社マンのエリート。」
「え〜〜〜いいなあ!」
恋バナは別に嫌いじゃない。けれど好きでもない。なぜなら私には共感できないから。今は好きな人いないって言葉は嘘。本当は今までずっと好きな人がいない。
「じゃあ、うちら私鉄だからー!」
フラフラになっている恋を抱えるまゆかを見送った。
「一子ちゃん、JRだよね、一緒に行こうか。」
「うん」
杏と二人で歩いた時に衝撃の告白をされた。
「あの二人には言えないけど、一子ちゃんにだけ言うね。」
「うん?」
「私、実は2週間前から寺西さんと付き合ってるの…!」
唯一、信頼できると思っていた杏が社内恋愛をしていたなんて。祝福をするどころか、寺西さんに付いて仕事をするのが私って、意地悪すぎる配属だ…と恨み節しか出てこない私は冷たいのだろうか。酒に酔ってほんのり熱を帯びた頬を手のひらでおさえながら、金曜日の終電に乗った。
一人暮らしをしているアパートの灯りがついている。不審者…?おそるおそるドアノブに手をかけると鍵もあいている様子。東京は治安が悪いとは聞いていたけど、まさか強盗なんてことある?
「おっかえりー!」
そこにいたのは母親だった。キッチンからは実家の料理の懐かしい匂いがした。
「遅いじゃない。もう午前様よ?社会人になったからってこんな夜遅くまで出歩いて女の子が危ないじゃない。」
「っていうか、なんでいるの?勝手に入るのやめてよね。」
私の母親は過保護だと思う。わざわざ名古屋から金曜日の夜に一人暮らしをしている娘の家に内緒で押しかける。さらには晩御飯や作り置きのおかずまで大量に作っている。小さい頃から、母は私になんでもしてくれた。
「仕事はきっちりやってる?正社員で雇ってもらって、女でもちゃんとお給料もらえるんだから感謝しないとだめよ。」
母は苦労人だ。私には父親がいないから、女手一つで私を大学まで行かせて育ててくれた。これまでの道のりは容易ではなかったはずだ。私は母に少しでも楽をさせてあげたくて、ひたすら真面目に勉強して努力をして、良い大学に行き、良い就職先を決めた。今は良い就職先とはなんだろうと思っているけれど。知名度?それとも社会からの信用性?私が就職先を報告すると誰もが褒めてくれたけれど、いったい何が凄いのか、入った今ではよくわからなくなっている。けれど、水商売をしたり安定した収入をもらえず苦労した母には絶対に会社の文句など口が裂けても言えない。
「仕事、たのしくやってるよ。」
また一つ嘘を重ねた。
月曜、憂鬱な朝がくる。出社をすると、社長からの呼び出しがあった。
「社長、おはようございます。」
「グッドニュースだ。高梨にどうしてもやってほしい仕事がある。」
「私にですか?」
「ああ、高梨にしか頼めない」
私指名で仕事をくれるのは正直嬉しいと素直に思った。
「その仕事内容って…?」
「今日の夜、新しい取引先と接待があるんだが、一緒についてきてほしいんだ。」
「え?それ私が行くんですか?」
接待…?
「あったりまえだろう?その若さと美貌を使わないでどうする!あ、これはセクハラじゃないからね、ビジネスの世界にはそういうのも必要ってことだよ。」
若さと美貌…たしかに社長にとっては私にはそれくらいの価値しかないのかもしれない。
「承知致しました。」
社長室から出ると興味深そうな顔でこちらをチラチラ見てくる人がたくさんいた。
「高梨ちゃん!何かやらかしちゃったの〜。」
三つ年上の真野春人さんが声をかけてきた。
「いえ、今夜の接待に付き添って欲しいと…」
「おお、大抜擢だ。大事な仕事だ、頑張ってきな。」
寺西さんは私のメンター。遠くの席から恋がこちらを見ている視線を感じずにはいられない。第一希望と第二希望に挟まれている私はあとでシメられるに違いない。杏のことも気になるし…。
夜、通常業務を終わらせて社長と二人でタクシーに乗って夜の街を走る。
「あの、どこまで行くんですか。」
「着くまでのお楽しみだよ。」
そうやって、たどり着いた先は高級ホテルだった。レストランで取引相手とディナーでもするのかと思ったら社長は部屋の鍵をフロントから受け取り、私の腰に手を添えてエスコートしようとした。
「どういうことでしょうか。」
「ご想像のとおりだよ?今日は先方からキャンセルが出ちゃってね。そっちの接待は別の機会ってことにして、僕の接待をしてくれると嬉しいんだが?」
鳥肌がたった。涙が出そうになった。真面目に生きてきて、必死に勉強して就職して…そこで待っていた仕事はこんなこと?泣いて、怒って、会社を辞めたいと思った。けれどこんな時にまで出てきたのはいつもの作り笑顔。
「ごめんなさい〜、そういうのはちょっと〜。」
社長をはぐらかして、なんとか逃げた。タクシーに乗って家まで帰った。タクシー代は8700円。とんだ出費だ、あのアホ社長。
真っ暗な狭いアパートに着いて、冷凍庫を開けると母が作り置きをしてくれたハンバーグがあった。電子レンジで温めて食べたらなんだかホッとして、腰が抜けて、涙がこぼれ落ちてきた。
「あーあ、YouTubeでもみよっと。」
適当にいろんなチャンネルを見ていると見覚えのある顔があった。
「風太の数学チャンネル?」
風太…ってあの風太?…実家の近所に住んでいた同い年の男の子。小学生の頃はよく二人で遊んでいたけれど、風太は根っからの明るいキャラだったしスポーツ万能で頭も良かったから、なんとなくグループが離れて疎遠になっちゃったな。まさか、あの風太がYouTubeでチャンネルを開設しているなんて思ってもみなかった。しかも中学生向けに数学をおもしろく教えてるんだ。すごい。
「応援してるよ」と、なんとなくダイレクトメッセージを送信した。
翌朝、出社すると社長の怒鳴り声が聞こえた。矛先は寺西さんと真野さん。絶対に八つ当たりだ。社長は虫の居所が悪いとすぐに怒鳴る。だって昨日の今日だ。うまくはぐらかしたけど、絶対に引きずっている。
「おい、高梨!」
きゅっと身がこわばる。
「お前にやる新しい仕事は無しだ!」
そう言い放って社長は社長室に入っていった。
「高梨、昨日何かあった?」
寺西さんが心配してくれている。私の不安を話したところで解消しないし、迷惑なだけだ。そう思っていつもの作り笑顔で答えた。
「何もないです。新しい仕事なくても、今あるのでいっぱいいっぱいですしね!作業手伝いますよ!」
「高梨…サンキューな。」
外の私は嘘で塗り固められた私。誰からも好かれたい。多分そんな思いが心の奥にあるんだと思う。けれど、言葉にして本人に直接言わないだけで、本音はもっと黒い。誰にも言わない分自分の中に蓄積されていくのが怖くて、小学生の頃から本音は全部ノートに吐き出すことにしている。日々の不満や怒りをノートに書き溜めたノートは、きっと怨念や憎悪にまみれていることだろう。昨日の怒りも、今日の腹立たしさも全部ここに書いた。だから私は笑顔でいられる。だから、このノートは誰にも見られてはいけない。
自宅でノートへ心の叫びを綴っていると、スマートフォンから通知音がなった。
「メッセージ?…しかも風太から!?」
たくさんファンがいるみたいだし、何気なく送ったメッセージなんて読まれないと思っていたからびっくりした。しかも、この文面どういうこと?
『ちょっと玄関あけてみて』
『どういうこと?』
『いいからいいから』
何がしたいのかわからないけれど、とりあえず玄関を開けてみる。
「ひゃっ」
そこには風太がタッパーを持って立っていた。
「これ、夕飯のおすそわけ!一度やってみたかったんだよね。」
わけがわからない。そもそもなぜ風太がここにいる?なぜ私の家を知っているの?ていうかおすそ分けってどういうこと?
「はは、全部顔に書いてあるよ。とりあえずお邪魔しまーす。」
有無を言わさず、風太は私の部屋へとずかずかと踏み込んできた。
よくよく話を聞いてみると、偶然か運命か、風太は私の隣の部屋に最近引っ越してきたらしい。そして、私が部屋に入って行くのを見かけて、隣の部屋だということが判明。さらにDMが送られてきたから、驚かせよう…という魂胆らしい。
そもそも、年頃の男を女子の部屋にのこのこと入らせてしまって大丈夫なのだろうか。急に冷静になって我に帰った。
「あ、それ電子レンジであっためたほうがいいかも」
なかなか美味しそうなエビチリを持ってきてくれた。料理が得意らしい。正直お腹が空いていたから助かる。東京では近所付き合いもないから、なんだか新鮮で面白いかもしれない。私は電子レンジの前に立って温め終わるのを待っていた。というか、なんで風太はこんなに図々しいんだ。久しぶりに会って話すというのに、その期間を感じさせない。けどちょっとだけ大人になった。
「へー、一子って案外性格悪いんだな。ノート悪口ばっかりじゃん。」
顔面蒼白だ。私としたことが油断してノートを開いて置いたままにしていた。私の闇が…汚点が…。
「お願い返して!」
「やだねー!」
風太は私をひらりと避けてノートを読み続ける。意地悪なところ、変わってない。
「ん?何これ?一子のお父さんって死んだんじゃなかったの?」
風太が指差したノートの文面は一番知られたくない秘密だった。
『お父さんがお母さんと私を捨てたせいでこんな辛い思いをしなくちゃいけない?なんでお父さんは私を捨てたの?私はお父さんに愛されてなかったの?』
「だって、小学生のときに話してたじゃん。お父さんは一子が生まれる前に事故でなくなったんだって」
そう。私も小学6年生まで父親は事故で死んだと聞かされていた。けれど実態は違かった。母の妊娠中に、父は学生時代に留学していたインドネシアの女性と再開し不倫をした。そして、向こうにも子供が授かり、選んだのは私たちではなかった。母とは離婚して、父は海外へ逃げた。そのことを私が知ったら悲しむだろうと思った母は、事故で死んだということにして、ずっと私にこう言い続けた。
「お父さんは天国に行っちゃったけど、一子のことを本当に心から愛していたんだよ。大丈夫、一子はひとりじゃないからね」
どんな気持ちで母はその言葉を言っていたのだろうか。私についた優しい嘘は、祖母が亡くなる時にこっそりと教えられた。けど、母の思いを慮ると私がそのことを知ってしまったことは内緒にしておくことにした。父親は私が生まれる前に亡くなったんだ。事実じゃなくてもそう信じていればいい。
「そうだったのか…お父さんの名前って?」
「健二…苗字は本田っていうらしい。…って何してるの?」
風太はスマートフォンを操作している。
「facebookで見つかるかもしれないじゃん。」
「そんな…見つかるわけ…。」
「あった。」
「うそ!」
スマートフォンの小さなアイコンの中に色黒の中年男性と外国人の中年女性、そして私と同い年くらいのハーフらしき女性がいた。これが私のお父さんなのか…。思っていた以上の衝撃だった。何より私の心を締め付けたのは、この家族がとても幸せそうに見えたから。これが私と母親が辿っていたかもしれない未来なんだ。
「幸せそうだね。」
「うわ!あ、ごめんな。無神経だったよな。」
「なによ突然、いつだって風太は無神経じゃない。」
「だって泣くとは思わなかったから。」
「え?」
私は、自分でも気がつかぬうちに目から涙をこぼしていた。どんなに辛いことがあっても剥がれなかった笑顔の仮面がいつの間にか剥がれてしまっていた。
「ごめんな?ほら、ちょっと冷めたけどエビチリ!食えよ!」
美味しそうに見えたエビチリは思いのほか美味しくなかった。
「まずい…。」
「な…泣くほどまずいか?」
この微妙な味のエビチリは私の涙腺を緩ませる魔法でもかかっているのだろうか。
今日のまぶたはむくみが酷い。あんなに人前で泣いてしまったのはいつぶりだろう。そしてこの顔をみたら昨日泣いていたことがバレてしまうだろうか。
「高梨、おはよ。」
「おはようございます」
さすがはモテる男の代表格、寺西さん。私の異変に即座に気づいたみたい。
「今夜、ふたりで一緒にご飯でもいかない?」と書かれた付箋を私の机に貼ってきた。
「おはようございます。」
杏が出社してきて気まずい。寺西さんと杏、付き合ってるんでしょ?さすがに杏に抜け駆けしてご飯なんて行けないし、そもそも誘う寺西さんも何考えているの?
「おっすー高梨ちゃんと杏ちゃん!そして寺西!」
今日も相変わらず愉快な登場の真野さん。
「こそこそしちゃって何〜いやらし〜!」
「いや、夜ご飯にでも行こうかって話をしていて。」
杏が驚きの表情と嫉妬の表情を浮かべている。
「まじ?じゃあ、俺も!あ、あとさ、杏ちゃんも!」
わかりやすい真野さん。杏を狙っている表情をしている。
遠目でまた、恋とまゆかが見ている。
「まゆか聞いた?なんか、あの4人で夜ご飯いくっぽくなぁい?」
「そんな抜け駆け許せないよね。」
「センパーイ!私たちもそのご飯会行っていいですかぁ?」
めんどくさい夜ご飯会になってしまった…。
ーーーそんな日に限って仕事はたくさん降ってきて、私と寺西さんは残業となった。
真野さんは、新入社員の恋、まゆか、杏に囲まれてハーレム状態で浮かれているのが脳裏に浮かぶ。
「高梨さん、最後まで手伝ってくれてありがとう。」
コーヒーを差し入れてくれる寺西さん。
「いえ、私の仕事でもありますし。コーヒー、ありがとうございます。」
「帰ろうか。」
二人きりで帰るのは、杏に対して申し訳ない気持ちになるが、かといって先輩を邪険にするわけにも行かず駅まで一緒に帰ることになった。どうか、飲み会終わりのあの4人にばったり出くわしませんように。
「高梨さんってさ、モテるでしょ。」
「へっ?」
「いつもニコニコしててさ、気配りもできるし、美人だしさ。」
「そんなことないです。」
寺西さん、どういうつもりなの…?
「俺、ちょっといいなーって思ってるよ。」
「彼氏?」
私と寺西さんの間に割って入ってきたのは風太だった。
「風太!あ、この方は先輩。寺西さん、幼馴染で今も近所に住んでいる風太です。」
風太が私の顔をジロジロと見てくる。
「営業モードってそんな感じなんだ。」
やめてよ。なんだか猫かぶっているのを見透かされてて恥ずかしい。
「…じゃあ、俺はここで。またね。」
慌てたように小走りで駅へ走っていく先輩をみて少しだけホッとした。
「口説かれてんじゃん。」
「違うよ、先輩彼女いるし。」
「は、あいつ最低じゃん。」
何も言えない。これで認めてしまったら杏を裏切ってしまうような気持ちになる。
「ていうか一子も最低だよ。」
「なんで?」
「だって明らかに好意ありますよって雰囲気だしてるじゃん?」
「そんなことっ…。」
…否定できない。確かに本音はいつも奥に隠して嫌われないように振舞っている。相手が何を望んでいるかわかるから、なるべく好かれようと努力してきたつもりだった。自分がこういう状況になってしまうのは、全部自分の責任だ。
「一子の“一”は1番の“1”。一番に愛される人になりなさい」
小さい頃に母に言われたこの言葉がずっと頭を巡っている。
アパートの前までついた。
「こないだのエビチリの容器、洗ったから返す。ちょっと待ってて。」
「あのさ、この前話してた一子のお父さんの話だけど」
「うん」
「あんなの父親って思わなくてよくね?」
「え?」
「家族って言っても他人だしよ。別にどこで何をしようが関係ないだろ」
「そんなの…風太には言われたくないよ!」
自分の部屋に入り勢いよくドアを閉めてしまった。
風太は、近所でも有名な豪邸に住んでいた。親は国会議員でテレビにも出てるお金持ち。優秀で、スポーツ万能でなんでももっている人だった。お母さんも優しくて美人で…。そんな理想をすべて詰め込んだ家庭に生まれた人に、うちの家族のこと同情されても惨めなだけだ。
「あ、容器返すの忘れた…」
すごく気まずいけれど、風太の家のチャイムを鳴らす。
「おう…入れよ」
「うん」
とりあえず部屋に座ると風太が週刊誌を渡して来た。
「これみて」
『独占スクープ!国会議員家族崩壊!W不倫現場に迫る』
風太の親がW不倫をしている決定的な写真が映し出されている。
あまりの衝撃に目を疑ってしまう。
「うちの家、どっからどう見ても順風満帆にみえただろ」
「うん…」
こんなこと、知らなかった。今も、ちょっと想像できない…。
「ずっとだよ。俺が小さい時から、ずっと仮面家族。世間体だけ気にして生きていた家族だから、俺が教師になりたいって言った時も大反対された。あいつらは国会議員にさせようとしていたから。だから家を出たんだ。Youtuberはじめたのも、はじめは当てつけだった。世間体ばっかり気にしてるから、世の中にバレてしまえばいいって。俺はずっとあの家が嫌いだったんだ。だから、親だからって理由で必ず大切にしなきゃいけないってこともないと俺は思ってる…」
そんな事情があるなんて何も知らずに、私ばかだ。ごめん。人は誰しも人には見せない一面があるんだということを知った。
翌日、インドネシアへの出張が決まった。どんなタイミングだよ。神様の罠かよ。ふざけんなよ。でもこんな機会二度とない。一度でいいから会って見たい。心にその気持ちが生まれても何度も塞ぎ込もうと思ったけど、抑えられない。
…母はなんて思うだろうか。
「もしもし?」
「一子?お昼にどうしたの?仕事は?」
「あのね、明後日急遽インドネシアに出張にいくことになったの」
「……えっと、あぁ、そう!インドネシア!」
慌てるのも無理ないよね。でも、言わなきゃ。
「私、全部知ってるの。お父さんのこと」
「えっと、何を言ってるの?」
「お父さんインドネシアにいるんだよね」
「…ごめん。一子。私嘘ついてて。私が一子が選ばれなかったって知ったら傷つくと思って。ううん、私が信じたくなかったのかもしれない。」
「お母さん、ありがとう。でも、私一度でいいからお父さんに会って見たいの」
「…」
「だめ?」
「オススメはしないけど、止めはしないよ」
「ありがとう。」
飛行機が離陸した。隣には寺西さんがいる。
「最終日の夜、ちょっと時間ありますよね」
「そうだね」
「私行きたいところがあるんですけど、いいですか?」
インドネシアでの商談を終えて、あっという間に最終日になった。
「その…お父さんって本当にここら辺に住んでいるの?」
心配そうに付いて来た寺西さん。
事前にフェイスブックに投稿されている写真を見て、ある程度の場所を推定した。きっと、この地域に住んでいるはず。
その小さな街に、風太のスマートフォンの中にいた幸せそうな中年男性を見つけた。アロハシャツを着てこんがりと日焼けをしている。あの人だ。きっと、あれが私のお父さんだ…!
「お父さん!」
お父さんが私の声に気づいてこっちを見た。呆然としている。そりゃそうだ、だって私たち会ったことないんだもの。
「一子?」
「わかるの?」
「もちろんだよ!大きくなったな!」
お父さんは、私のほうに向かって走ってきて力強く抱きしめた。
「お父さんがいなくて寂しかったよな。日本にいて一子のお父さんをちゃんとできなくて俺も辛かったよ。お前の母ちゃん強いから、こっちの嫁さんは俺がいないとダメだからさ。しょうがなかったんだ。でもやっぱ血は争えないよな。こうやって信じていたら巡り会えるんだな?こうやって会いに来てくれて嬉しい。」
…何を言っているの、この男は?
お父さんがいなくて寂しかった?いや、お母さんがたくさん愛情を注いでくれた。
俺も辛かったよ…だ?同時期にふたりを孕ませた男がそれを言うか?
お前の母ちゃん強いから?お前がそんなんだから強くなるしかなかったんだろうがよ。
しょうがなかったんだ?何、正当化しようとしてんだよ。
血は争えない?信じていたら巡り会える?会いに来てくれて嬉しいって…なんなの?待ちスタイル?
抱きしめる父の腕を静かに振りほどいた。
「あなたに会って、ガッカリするのと同時に、母の偉大さを知りました。どうか、一生私と関わることなく生きてください。」
もう帰ろうと踵を返すと、父はさらに言い訳染みたことを言うからあまりにもムカついて、手にいっぱい力を入れてビンタをお見舞いした。
「ばっかじゃないの!最低エロバカじじい!言いに来たのはそれだけよ!感動の再開とか夢見てんじゃねえよ!お前のせいでどんなに苦しんだかわかってんのか!」
こんなに怒っているのに、涙が止まらない。怒り通り越して悲しみになってしまったのかな。いや、悲しいから怒っているんだ。
「高梨さん、つらかったね」
と慰めてくる寺西さん。寺西さんには言いたいことある。色々吹っ切れたから言ってしまえ。
「お前もお前だよ!杏と付き合ってるくせに手出そうとしてくるんじゃねーよ!私この仕事終わったら絶対仕事やめてやるからな!」
腰を抜かす父と、飼い犬に手を噛まれたような間の抜けた顔をしている寺西さんを背に私は歩きだした。
ピンポーン。実家に帰った。突然の娘の帰宅に母は何を思うだろうか。
「一子!?どうしたの??」
母の優しい顔を見たらなんだか嬉しくなって飛びついた。
「お母さん、大好きだよ」
私はこんなにも大きな愛に包まれていた。
「あらあらどうしたのこの子は〜。そんなに泣いちゃって。」
「私会社やめようと思う」
「なんで?せっかく入れた会社なのに!」
「お母さん前に言ったよね。一子の“一”は1番の1って。1番に愛される人になりなさい。って。でもわかったの。私、ずっと誰かに愛されたいって思ってたけど、誰かを愛したいなんて思ったことなかった。お母さんが私を1番に愛してくれたように愛情深い人になりたい。そして、今の私のこと、私が好きじゃないの。私は、まず私自身を1番愛さないといけないと思うの。好きになりたいの。」
はじめてわかった。いつも笑顔の仮面をかぶって誰からも嫌われないようにしていた。でも、本当の自分は誰も知らない。誰も理解してくれないって被害者ヅラしていたと思う。
でも理解してくれなくて当たり前だよ。だって本音で生きていなかったんだもん。本音で生きていたら、きっと私のことを嫌う人もいると思う。でもそれでもいいじゃん。その本当の私を、私が好きでいればいいんだ。そして、自分を大好きになって、そんな私を認めてくれる人がいたらいいなって。
数週間後ーー
「スーツよし、パンプスよし。髪型よし」
仕事はすっぱりやめて、転職活動をしている。社長も変な人だったし、正直あんまり好きな職場ではなかった。心機一転、自分らしくいられる場所を探してみようと思う。
ドアをひらけば、また新しい世界がはじまる。
「お、リクスーじゃん」
偶然ゴミ袋を持って通りかかった風太。そうか、今日は可燃ゴミの日だ。
「風太、おはよ」
「会社やめるっていうからさ、自由になりたい〜!的なあれかと思ったら典型的な就活生みたいな格好するんだな。その黒髪ストレート、金髪にでもするんだと思った。」
「そんな典型的な“自由を語るやつ”みたいなことするかアホ。姿形なんてね、もはやなんだっていいのよ。服装や髪型で自己表現したい人はすればいいけど、私はそうじゃないもの。中身で勝負すんの。」
「いー心意気じゃん」
「でしょ?」
生意気な本音を言っても案外受け止めてくれる人もいるし。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
まだ物語ははじまったばかりーー。