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受け継がれるバトン  作者: 伊達サキ
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こんな事でもなければ、ともすると永遠にあなたに届かなかったかもしれない、そんな箱だったのです。今これを美保さんに送るという事は自分の本意では決してないのですが、せめてあなたにだけは知っていてほしかった。本当の「上田はる」と言う人間のありのままの姿を…。大規模な捜索はすでに打ち切られましたが自分はどうしても彼女が居なくなってしまったとは受け入れられないし信じられないのです。自由奔放な人ですから、ちょっと足を延ばして他の村に行ってたりとか、傷ついた動物の手当をしてあげているのかも知れないです。そうそう彼女が大好きだったすずめを追っかけて野山をかけ廻っているのかも…。もしかしたら明日にでもひょっこり美保さんの前に姿を見せるかも…。私は今、そんな事を本気で思っているのです。そして、ひとまずのけじめとしてこのパンドラの箱をお送りしますが、次にお会いする時は、はるを連れてお目にかかれる事を…事を、希望を胸に抱きながら毎日を過ごしています。私の人生の最後のひとしずくの時まで私は彼女を愛し続ける事をここに誓います。日本で「上田はる」がお世話になった方々にこの場をおかりして御礼申しあげますと共に皆様のお幸せをお祈りしています。』


…砂嵐…砂嵐…砂嵐の続く向こうでこらえきれない嗚咽が聞こえた気がした。再び以前よりとてつもなく長い時間を越えて固まった二人だった。今度は院長の方から声をかけた。そうでもしないと永遠に時が進まないとさえ感じられたからだ。『ミホさん。大丈夫かね?』聞こえていないのか気付かないふりをしているのか、ミホは砂嵐の画面から目をそらそうとはしなかった。おもむろに立ち上がったお隣りさんはそのままキッチンへと消えていった。しばらくして温かいコーヒーを二人分持って戻ってきた院長は迷える子羊の前にそっとひとつ置いた。そしてもう一度同じ言葉を掛けてみた。『ミホさん。大丈夫かね?』今度はそれに気付いたのか、かすかに肩がゆれた。しかし、顔は未だモニターからはなすことはしないで、静かに漏れ出した声はだんだん大きくなっていった。「ウフフフ…ハハハ…」真逆と思われるこの言動を精神科医ならどのように分析するだろうか?人間は笑いながら泣く。人間は泣きながらももっと強く泣く。とても複雑な生き物だ。


やがてテレビ画面の砂嵐も終わり、真っ黒になった世界を見つめる彼女の顔が、勾玉に写り混んだ裸の魂のように、後ろから心配する院長の目に鮮明に飛び込んできた。そこには、大声で笑い叫びながらも、そんなものなど足元にも及ばないほどの涙で覆い尽くされたミホがいた。人とはこんなにも泣けるものかと思うほど全身で涙と闘っていた。そうする事でこの現実を受け入れようとしている風にも見えた。パンドラの箱を開けてしまった彼女は今、災いという試練をもがきながら、自分一人で乗り越えようとしている。その悲しみの大きさに比例するかの様に家中に響き渡る絶叫の涙と共に…。今彼女にかける言葉は見つからなかった。院長は再び静かにリビングのドアを閉め部屋を出た。二月の末と言えど寒のもどりは体の芯まで冷える。そのあと何度のぞきに行ってもミホはたじろぎもせずそのまんまの姿勢で画面を見ていた。年のせいかついウトウトしてしまった院長が目を覚したのは早朝の5時を少し過ぎていた。霜が降りてもおかしくない程、寒く外はまだ、暗かった。そっと階段を下りリビングを覗いてみた。っと、ミホの姿が見えない‼正直、居ても居なくても心配にはかわりは無いのだが、しかしながら、あの場に彼女なりの何かしらの幕引きをしたからこそ、ミホはこの部屋を出る決心をしたのだろう。


全ての災いが消え去った後のパンドラの箱に残された希望を彼女は見つける事ができたのだろうか?そんな事を覚めやらぬ寝ぼけ頭で考えていると、何やらキッチンの方から美味しそうな匂いが漂ってきた。つられるように近づいていくと美保が背中越しで院長に「おはようございます。」と挨拶をした。思わず顔がほころび緊張という魔法がとけた。『あぁ、おはよう。みほちゃん』と魔の抜けたような返事になった。思い過ごしの心配が徒労に終わったことに安堵した。「お味噌汁ができましたよ!」と振り返った彼女に『よ、洋子さん⁉』と叫んでしまって眠い目をこすって見直した。そこには、昨日からは比べ物にならない程、見違えるように美しい大人になった美保が居た。「いやだわ、先生はまだ夢の中なの?」と明るく微笑む彼女の耳にはティアパールのイヤリングが輝いていた。それが決して強がりやあきらめを装ったものではない事はすぐにわかった。彼女はパンドラの箱の奥底にようやく幸せを見つけたのだと院長は確信した。今さら昨日の事に触れることはすまい。それよりも…。


『美味しそうな朝御飯がいただけそうですね…。』と顔を洗いにその場を離れた。


春間近な小山医院の中庭に少々あわてんぼうのスズメくんが舞いこんできた。見上げた青い空はどこまでも続いている。お母さん、ユキさん、そしてはるさんへと…。私はこれから、みんなの思いを抱えて一緒に生きてゆく。しっかりと前だけを見つめて…。


一方、インレー湖よりまだ西に車で一時間ほど走った所にあるカローの町。今では珍しくなった少数原地住民パラウン族の朝も早い。木造の高床式の家の中央には囲炉があり片手ナベや鉄製と思われるやかんが置かれていて、火にかけてある大きなナベからは湯気が上がっている。部屋の隅に吊るされたハンモック、向かい合う合う端には洗濯物、全てが大ざっぱで統一性が無い。家畜のニワトリも同じ目線の床でせわしなく、ウロウロしている。男達は夜明け前から狩りに出かけていて、母親らしき女と子供ら5人の一家だった。ごくありふれた日常だったが、その女性は、あふれる涙をこらえながら母親の後ろに立った。そして、膝まずきその肩を両手で抱きかかえた。『チェーズティンバーデー…。トアバーオウメ…。タウンパンバーデー…ママ…。』やっと覚えたパラウン語を初めて話した。 


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