action32
世の中そんな人ばかりだと思っていたので、かまえて鎧を着ていたぶん、少々拍子抜けしたが、今のミホにそれは、‘‘救いの沈黙‘‘だった。とても、本当の事を話せる状態ではなかったからだ。そして、彼女からそういう話題が出ないというのはまた、彼女も、しかり自分自身の事を詮索されたくないとの意思表示とも受け取れた。「匿名希望」な関係の二人は今、『白ユリを手に入れる』という共有するミッションを持って不思議な短い旅を続けている。とは言え道すがら全く無言だった訳でもなく食べ物は何が好きだとか、最近見た映画のあの俳優のお芝居が下手だったとかいろいろと共通点が見つかるものである。そんなぎこちない会話をしているうちに20分程歩き、二軒目の花屋さんに着いた。その女性はミホに綺麗に並べられたポットやプランターの花でも見て待つように言うと一人で店内に入っていった。お店の前に飾られたパンジーやカーネーション、色とりどりの花を見ながら時間をつぶしていると、約束通りほんの二、三分で大きな花束を抱えて出てきた。それは、やはり白ユリだった。
『お待たせね。もどりましょうか。』と促されて来た道を戻ろうと横断歩道を渡っている二人に、それは、一瞬の出来事だった。信号無視のトラックが、ミホと彼女の間を切り裂いたのだ。咄嗟に彼女は『ミホちゃん!こっち!!』と叫びながら美保の腕を引っぱり逆車線に突き飛ばした。まるでスローモーションかコマ送りの写真のようにその光景は薄れゆく意識の中でまばたきを忘れたミホの脳裏に焼き付いていった。そしてその数秒後には、今買ったばかりの白ゆりが宙に舞い彼女は数メートル先に倒れていた。通行人達の「救急車!!早く救急車を…!!」と叫んでいるのを最後にミホは気を失った。奇跡的にかすり傷程度で済んだのを教えてくれたのは見覚えのある病院のベッドで目を覚ましたミホの傍らにたたずんでいた川崎医師だった。何だか今日一日が果てし無く長い夢の中の出来事のように思われた。あまりにも沢山の事が自分を中心としたサークルの中で起こりそしてそれらすべてが理不尽な転回で過ぎ去っていった。真ん中にポツリと取り残されたミホの存在を忘れたまま。ズキズキする頭を抱えながら、そんな中でたった一つ証明されたと思われる事を今、ミホは川崎医師に確認しようと決めた。
「先生!!事故の時、私を助けてくれた女の人はどうなりましたか?ケガは?大丈夫だったのですか?もし、会えるなら話したい事があるんです!!」川崎医師は、スリ傷で腫れ上がったミホの手に、そっと自分の手を重ね『残念ながらお亡くなりになりました。』と、うつ向き加減にそれだけを告げた。…遅かった…。遅かったのだ。もっと早くに気付くべきだった。同じ日、同じ時間、黒装束、そして白ゆりにロザリオ…偶然がそんなに重なるはずがないじゃない!それらはもう必然だったんだよ。いくら裏切りの「ハル」に縛られ、正常な思考回路でなかったにせよ彼女の事をもっとよく観察していれば決して難しい問題ではなかったのに、そして確信は彼女が最期に残したあの言葉…。『ミホちゃん、こっち!!』ミホは以前この声を聞いている。そう、あの「宣告室」と呼んでいた部屋でパニックっていた自分を寸前のところで助けてくれたのは彼女だった。確にあの言葉だった。何故、あの時あの場所に居たのかは今となっては真実は闇の中になってしまったが、せっかく会えたのに、ずっと探していたのに、何も語る事なく彼女は逝ってしまった。
川崎医師に、ひと目でいいので彼女に会わせて欲しいとお願いをした。本来は御親族のみとなっているが、諸事情を知っている先生は!17時までなら霊安室にいらっしゃると教えてくれた。鉛のような体を引きずりながら彼女の所まで歩いて行った。部屋の前に居る係りの人には、話が伝わっているようで軽く会釈するとすんなり中に入ることができた。そこはよくドラマに出てくる様な場面だった。無機質な部屋に、灯ったたったひとつの『ろうそく』火がはかなくとも、まぶしいとさえ感じられた。ゆっくりと遠巻きに様子を伺いながら彼女のもとに近づいていった。まるで眠っているかのような彼女に言葉をかけようとして、また後悔した。名前を知らない…。なんてことだ…。命を救ってもらった感謝の言葉をかける
事すら出来ないと言うのか…。母の心臓を受け継いだこの人に。
血の気を失った彼女の顔はまるで陶器のように白く透き通り美しく、重ねた手は冷たくそれでいてとても安らいでいるようだった。誰かに似ている気もするがそれがミホが肌身離さず持っている写真の母のようにも思うのは気のせいだろうか?後になってやっと彼女の名前が『成瀬ユキ』と言うことを知った。結婚はしていたが子供はいなかった。訃報を聞き駆けつけたご主人が教えてくれた。二人の事故当時の事をミホの口から知った彼は少し安心したように『遅くなってゴメンな。ユキ…。良かったな。お前の願いが最期に叶って…。』と打ち寄せる嗚咽をこらえながら彼女に語りかけた。ユキさんは生前に、自分の生い立ちや心ならずも犯してしまった罪と、終わることのない贖罪などを全てご主人に告白していたそうだ。いつかは自分に心臓という名の命をくれた御家族に直接会って謝罪したいと事あるごとに言っていたらしい。




