action31
しばらく続く沈黙…そして、沈黙…。この15年間彼女なりに犯した罪の大きさに後悔し複雑な感謝の念に縛られながら生きてきたであろう。もう贖罪の時間は充分なはずた。どこで知り得たかはわからないが、真実を知ってからはなおさらその心中は彼女にしか分からない苦しみと共に生き長らえてきたのであろう。そして今、全てを許し新しい人生を歩んで行ってほしいと、話そうと思ったその時、彼女は不意に笑い出した。『ク、クスッ』えっ?!思ってもいなかった反応に呆然としているミホの前で、笑い声につられるように彼女の肩はだんだん大きく揺れていった。一体どうなってるの?あまりの奇異な行動にミホは、自分で立っているのがやっとだった。ひとしきり笑った彼女はゆっくりと帽子をとり、金髪のウィッグを脱ぎ、ポケットから取り出したハンカチで無造作に真っ赤なルージュを拭き取り、最後にサングラスをはずした。今、目の前で起きている事に頭がついていけていないのが自分でもわかっていた。すべての作業が終わり、鬼ごっこの鬼に見つかった小学生の様な顔で改めてミホの方に向き直ると
『あらぁ〜。とうとう見つかっちゃったのね…。お久しぶり、ミホちゃんん。』彼女が話す言葉の語尾でその、女の正体を確信した。何がどうなっているのか全くわからないが、兎に角ミホにとって一番考えたくなく、一番会いたくない人だった。出来る事なら今起きている現実が全て夢の中での悪夢でありますようにと願うだけだった。しかし、認めたくはないが、そう一年間思い続け、忘れた日はなかった、その会いたかった母の心臓を持つ女の人は...「ハル」本人だった。「どうして彼女なの…。」悪魔に見据えられた子供のように、焦点が定まらないまま、ぶつぶつ口ごもって、ハルの肩越しに見える丘のうえの教会にある十字架をぼんやり眺めていた。やっと自分の中で整理がついた母の事。今日、彼女に会って話ができたら、言ってあげたかった。贖罪の時はもう充分でしょう。これからはお互い自分の幸せを見つけられるように生きて…。と、完結するはずだった。それなのに、全てを許して?これからはあなた自身の幸せを見つけて?感謝の念?またしても、(?クエスチョン)の羅列…。そして、きちんと並べられた心の中のパズルのピースが音を立てて崩れていくのが遠くで聞こえた。何かを話そうとしているハルに持っていたユリの花を力いっぱいぶっつけて、駆け足でその場を後にした。これ以上一秒たりとも同じ空気を吸っていることさえ許せなかった。
あふれる涙の数だけ「お母さん!!」と叫んだ。今は何も考えられない。考えたくない。と自分が言っているようだった。そんな気持ちを持て余しながらふらふら歩いていると、まるでカメラのカチンコで場面チェンジしたように、またもやミホの前に黒装束の女が現れた。その手には抱えきれない位の白ユリの花、深々と帽子をかぶり金髪のウィッグこそはなかったが大きなサングラスをかけ、首から下げた朝日を受けて輝くロザリオが印象的だった。ふらついた足取りで思わずぶつかってしまったミホの脳裏に衝撃が走った。『何?!』自分の目を疑った。デジャヴか、いくらハルに対する憤りにまみれているとは言え視覚はウソをつかない。それは彼女も同じだった様で目の前で泣きじゃくる若い女性を見かねて『あの…どうかなさいましたか?大丈夫ですか。私にできる事がありましたら何でもおっしゃってください。』ミホを落ち着かせようとしているのかその、女性はゆっくりと静かに優しい声で言葉を選んで話しているようだった。しかし、その優しさは今のミホには耐えがたいほど心に染みて苦しかった。白いハンカチをそっと差し出し、涙が止まるまでずっと側について居てくれた。彼女は、ぶつかった拍子に散らばったユリの花を拾う事もせずミホの背中を撫で続けてくれて、その手の温かさは、しおれた花が一滴の恵みの水を得たように傷ついた心を徐々に癒やしていった。
短くて長い時間が流れた後、ミホはやっと地面に落ちているユリに気が付いた。あわてて拾い集めながら「すみません。せっかくの大事なお花がこんな事になってしまって申し訳ありません…。」と彼女に詫びた。その人は少し微笑んで『花はまた買えばいいですよ。それより少しは気分、良くなりましたか?』その時、初めて目が合った。今さらだが優しそうな御婦人で年は、40才代前半位?さすがに朝日に輝くサングラス越しでは、はっきりとした顔はわからないが今はその方がミホにとっては有り難かった。全くの他人のほうが話やすい時だってある。抱え込んでいる感情とか、ややこしい人間関係、もっと言えば、今、ここに居るのが飯島美保だと言う事さえ知らない、全くの行きずりの女性であるのが救いだった。「おかげ様でずいぶん落ち着きました。少しイヤな事があって、お恥ずかしいですが子供のように泣いてしまいました。お見苦しくてごめんなさい。ありがとうございました。」と軽く頭を下げた。そんなミホの様子を見届けたように彼女が言った。
『それは良かったです。…お嬢さんこの後、少し時間はお有りかしら?もしよろしければお花屋さんにお付き合いして頂けませんか?…いえ、無理ならいいのですよ。気分転換にでもなればと思ったものですから…。』そう言えば二人の足元には白ユリが散乱したままになっていた。「あっ…!大丈夫です。お花代は私が…」と言いかけたミホの言葉をさえぎるかの様に 『じゃ、決まりね。行きましょう。』と彼女が促した。丘を下る道々にも今、目の前にいる彼女の事を気にかけながら近くの花屋さんのほうに行こうとすると、『そこのお店にはもう白ユリは無いでょう』と小さく呟き、違う方向に歩きだした。もしや、あの花屋さんの白ユリって彼女が全部買っちゃったのかな。と思う位大きな花束を抱えていた気がする。『少し遠くなっちゃって悪いわね』と言いながら別の花屋を目指した。彼女は一緒に歩く間も、何にも聞いてはこなかった。どうしてあんな所で泣いていたのか?とか、何才だとか、どこから来たのか、名前だって普通は詮索するものだろうに…。




