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受け継がれるバトン  作者: 伊達サキ
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イヤな事ばかりで思い出したくもないこの病院でミホを支えてくれた二本柱のひとつ、すずめくんとの友情…。そして、もう片方の柱、そう

川崎医師との信頼…。それぞれの絆のお陰で今、自分はここに居る事が出来ているんだよ。とイヤリングに語り掛けた。その後の、川崎先生の診察は『順調、順調、はい、良いね!』と、血液検査の結果とミホの顔を見比べては異常がない事を喜んでくれている。先日のカミングアウトなどまるで何も無かったように振る舞ってくれている。そんな優しさが有り難かった。もし、あの時、あれ以上強引な行動をとり続けていたとしたら、ミホは二度とここには来れていなかっただろうし、川崎医師も始末書などでは済まされない程の重いペナルティを負わされていてもしかるべきだったろう。周りの事など何も考ず、感情に任せて暴走していた私の「たずな」を取っては見事に納めてくれた先生の方が一枚うわてだった。さすがに長い付き合いだけのの事はある。病院からの帰り道2、3歳位の女の子がお母さんに甘えて抱っこをせがんでだだをこねていた。「お母さんか…。いいな…。」正直顔もあまり思い出せない。ミホに笑いかけてくれる母の顔はいつもおぼろげだった。今日、一日お休みをもらっていたので家に帰ると、久しぶりに古いアルバムを押入れから引っ張りだした。私が一番忘れてはいけないのに、今までは、わざと避けていた。母への慕情

…。

今、ミホはそれに正面から向き会おうとしている。そう、今だから尚更、自分に母を刻まなければいけないと思った。広げたアルバムは空白だった長い年月を教えるようにセピア色を重ねていた。そして、十数年前の空気が優しくミホを包み込んだ。「お母さん、久しぶり…。いえ、初めまして。」の方が自分の気持ちに近かった。丁寧に表紙をめくった。1ページ目には産まれたばかりのミホを、まるで壊れそうなシャボン玉を抱えるように抱く母がいた。もちろん記憶はないがその幸せそうな笑顔が写真からあふれていた。急いで自分の部屋から鏡を持ってきて母と自分のとを見比べてみた。「やっぱり…似ている。」心の奥のほうがじゎ~っと暖かくなった。さしずめお父さんはカメラマンだったのかな。そう言えば父は昔から写真嫌いだったからなぁ。その時、『ガラガラ…』と玄関のほうから音がした。続いて『ただいまー。』と父の声、どうしょう…。反射的にアルバムを隠そうと思ったが、ミホはその手を止めた。うん!この際だから一緒に昔の写真を見ながら母の思い出話を聞くのも悪くない。世に言う「供養」になるんじゃないかと思い直した。夜勤明けの疲れた父は、ミホのそんな申し出に最初はびっくりしていたが『美保も、もうそんな年になったんだな。この頃はますます母さんに似てきたし美保からそんな事を言い出すとは思ってもみなかったけど、この際だから何でも聞いていいよ。』と親子でタイムスリップの旅に出た。

日頃は無口な父もいざ母の事となると、こうもじょう舌になるものかと感心させられた。それほど母を愛していたのだなぁ…。羨ましくさえ思った。自分の体と心の中に無くしていた想い出が次々と塗り重ねられていくのがとても嬉しかった。アルバムには美保の誕生から始まり、お宮参り、お食い初め、1歳のBirthday、七五三詣り、幼稚園入卒、小学校入学、と人生の節々を余すことなく綴られてあった。そのひとつひとつの写真を父は時折笑顔まじりで、詳しく注釈を入れながら思い出を語ってくれた。幸せだった日々がうかがえた。しかし、その写真達も小学二年の運動会を最後に、時が止まっていた。以後余白にするにはあまりにも短いそのアルバムのタイトルは果たして何と記せば良いのだろうか?説明し終わった父はその中の一枚の写真を剥がしおもむろに美保に差し出した。『良かったら美保の側に置いてやってくれ。』といつもの無口な父に戻っていた。手にとってみるとそれは小学校入学式の時に撮った物だった。母と手をつないで寄り添うように隣に立っている自分は満面の笑顔でキメポーズをしていた。そのポーズが何だったのか、今のミホには分からなかったが、兎に角、精一杯の喜びの表現だったのだろう。

「こんな大切な写真もらっていいの?」と問うミホに『お母さんも一番それを望んでいるだろうから』と短い答えが返ってきた。「お母さん…。」写真を胸にそっとかかえた。赤ちゃんこの時母が私にしてくれた様に…。それ以降、何度か母のお墓に行ってはみたが、あの時の女性に合う事はできなかった。せっかくあと少しの所まできているのに、もどかしい気持ちをもて余していた。何かないのか、何か…。自問自答を繰り返すが八方塞がり、川崎医師、小山先生、三木さん、お父さん、まだ皆全てを語ってはいない。人生には知らなかった方が良かった事ってあるのだろうか?何も知らなければ幸せに暮らしていける。知ればかえって苦しいイバラの道を歩く事になる。皆はほぼ前者を勧めるだろうが、ミホは後者を選ぶべきして選んだ。そしてそう、会うべきして会う。決して諦めはしないと再び自分を奮い立たせた。今年も、うっとおしい梅雨も明け小山医院のスズメのヒナ鳥達も元気にギャーピーギャーピー叫んでいる。お母さんスズメが餌を運んで来ようものなら我先にと全身で「ギャ〜〜」と自己主張し一番先にご飯にありつこうと必死だ。その、生存競争たるや人間など足元にも及ばない。産まれつき弱い子は母が自ら、巣から突き落とすらしい。それは強い遺伝子のみを子孫に残すという動物の本能なのだと、聞いたことがある。もし、自分がスズメに産まれて来ていたらと思うと冷や汗が出てなんとも複雑な気持ちになった。野生界とは人間が考える以上にシビアなものだ。

一年とは、早いもので、今年もまた、カルテ整理の時期がやってきた。またあのピラミッドの箱との戦いか…。正直ちょっと気が重いが、そもそも母の軌跡の出発点がここからだったのだから、仕切り直しだな。よし!!この一年患者さん達が大事なかったようにと願いつつア行の箱に手をつけた。「秋月ヒロエ」さん。タバコ屋のおばあちゃんもそう変わりなく現状維持か…。良かった。毎年少しずつではあるがカルテが足されている患者さん達がこの小山医院をどれほど信頼していかが良くわかる。ホームドクターにしておくのは勿体ない知識と技術を兼ね備えているのにナゼ小山先生はここにこだわるのだろう?70才を過ぎた今でも、早々たる大学病院からのお招きがあるのを断り続けていると看護師の三木さんがそっと教え手くれた。以前その理由を聞いたところ『自分には、そんな資格はない』と言っていたそうだ。それが何を意味しているのかは答えてくれなかったらしい。大学病院のごちゃごちゃした派閥関係が嫌いなのか、自分は一生涯現場で、という考えなのか…。あのひょうひょうとした外見からはミホもうかがい知れなかった。


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