action28
今では珍しくなったアナログ時計の単調な時を刻む音がミホの16ビートにまで高まった心をだんだん落ち着いた二分音符にまでスローダウンさせつつあった。もしかしたら、この部屋にはこんな時の為にあえてアナログ時計が置かれててあるのではないだろうか?雨音にもよく似た単調なその音は時の流れに身を委ねるにはちょうど良かった。移植と言う極めてまれな体験に一体どれぼどの人が平常心で、その事実と向き合うことが出来るのだろう?そして、それは本人だけでなくその家族をも巻き込んで暗中模索、疑心暗鬼、人間不信、そしてその中からたった一筋の光を見つけ出すまで、心をかき乱すのだ。しかし、冷たい雨もいつかは止む。時を刻む秒針と心の中の雨音がシンクロして徐々に冷静なミホに戻っていった。長い沈黙が続いた。最初に交わした約束の選択に迷っているのだろうか?…?実際、今ミホがカミングアウトした内容は移植倫理会規則に十二分に、違反しているのは自覚している。しかも、ここで答えを求めるという事は川崎先生の医師生命をも脅かす事になりかねない。いくら、オフレコとは言えど知らなかったでは許されるものではないのだ。心がどんどん重くなって底なし沼にでも落ちてゆくような錯覚に押し潰されそうになった頃、
先生から意外な言葉が出た。『以前にも、こんな事があったのですよ。いえ、以前と言ってもつい二、三年ほど前ですがね。』川崎医師の顔にはもうそれはなく、真っすぐにミホに向き合うように答えてくれた。『かもすると、生死を分かつ移植手術に長く携わっているとドナーとレシピエントとの間でまた、御家族をも含め感情の行き違いなどが起こるのも珍しいことではありません。ミホさんは一体そのレシピエントの方の何を知りたいのですか?具体的に住所、氏名、という事でしょうか?知ってどうなさるおつもりですか?その方にお会いになるつもりですか?』何だか自分の覚悟を試されているようだ。しかし、ミホも怯みはしなかった。それを悟ったように川崎医師が口を開いた。『残念ですがそれらについては今までも、これから先も答えはNOを貫かせてください。それが、医師としての責務、臓器移植に携わる者としての使命と考えています。ただ、ミホさん御自身でお調べになる分には私は何も口を挟むことはできませんが…。この部屋のカルテには保管期限というものが有りませんので、ミホさんのお母様のカルテも大切に仕舞われていると思います。』と、言うと先生は急に椅子を残して壁添いに頑丈に備え付けられたスチール製の棚に近づき「あ行」の『イ』の引き出しのセキュリティロックをいとも簡単に解除したかと思うと、ミホに少し茶目っ気じみたように『そうそう、私まだお昼ごはんをいただいてなかったので、食堂に行って来ますね。もしまだ話足りないようでしたら30分位で帰ってきますので少し待っててください。
今日は、いくらでもお付き合いしますよ。それからこの部屋は特にセキュリティが厳しいいですので外からロックをかけておきます。誰も入って来れないのでスミマセンが一人で待っていてください。おっと、それともうひとつ!むやみにそこいらの引き出しなんか開けたりしないでね。警報機が作動しますのでね。』と先生の立場でこれ以上は…という程のギリギリの選択肢で答えてくれた。「ありがとうございます!!先生、一生恩にきます。」と後ろ姿に深々と頭を下げた。
タイムリミットは30分。母のファイルはすぐそこ、手を伸ばせば届くところまできていた。急がなくては…。1分1秒を惜しんでミホは母の事故からドナーになるまでの一部始終を読み取ろうと必死だった。大体の内容は小山先生から聞いたものと一致していた。しかし、やはりレシピエントの情報までは辿りつくことはできなかった。予測はひていたものの緊張の糸が切れたように肩を落とした。。ミホが本丸に乗り込んでも知り得なかった事をナゼ「あの人」だけが知っているのだろうか?どこで知り得る事ができたのだろうか?何だかもっと近くに居る人が係わっているような気がしてならなかった。何なんだろう、この心のモヤモヤは…。ざわざわざわ…。昼食から戻った川崎医師はあたりをぐるっと見渡して、『いたずらはしていない様ですね。』と苦笑した。『さて、私からのささやかな贈り物でしだが、役には立たなかったですか?』自分の落胆ぶりがもしや顔に出ていたのかと咄嗟に「いえ、そんなことはありません。ただ、私は、レシピエントの方にひと目でもあえたら言いたい事があったんです。」『差し支えなければ教えてもらっていいですか?』…川崎医師の問いかけにミホは「もうこれ以上苦しまなくて良いですよ。」と、そして「これからは自分の幸せだけを大切にして生きていって欲しい!」この想いをどうしても伝えたかったのです。
『ミホさんも、立派で優しい大人になりましたね』と川崎医師は少々誇らし気に言った。帰りがけに先生は『レシピエントの件ではご希望には添えませんでしたが移植の適合率とは私達が思っている以上に厳しいのが現状です。ミホさんがお受けになった二度の移植手術…。さて偶然なのか、神様の気まぐれなのか、もしや必然で起こり得るべきして起こったのか…?私が答えられる最後の言葉です。』何!!?ミホの背中に電流が走った。何だかとんでもない事を聞いたような…。次のターゲットが決まった。ミホの感が当たっていればたぶんここが今だ秘密のベールのそのまだ奥に隠されていた事実の「ありか!」
小山医院にもまた、春の訪れを告げるすずめくんの姿をちらほら見かけるようになった。まるで何もなかったように平穏な日々をくり返しミホの体調も順調に回復していた。医院での仕事もほぼ支障なくつとめられていた。そう、母の一件を除いては…。あれからずっと川崎医師がくれた最後のヒントを考えない日はなかった。しかし、どう考えてみてもまだピースが足りないようだ。1000個のジグソーパズルの一番肝心な所が欠けたままだった。まだ、問い詰める事はできない。力づくでこじ開けようものなら全てが粉々に壊れてしまいそうだ。時期焦燥、あせるな!ミホ!!そう言い聞かせる悶々とした毎日を過ごしていた。数カ月ぶりの検診に出かけた病院での待ち時間つぶしに、いつものすずめくんに会いに行ってみた。いつも同様そっと、病室に入り忍び足で窓際を目指す。「トン、トトーン」いつもの挨拶をする。窓ガラス越しだったが「ある、ある!」大事そうに胸羽根を脹らませてあたためているお母さんすずめのすき間から、去年と同じように、小さな卵がが数個見つけられた。「オメデトウ」そして隣の巣には、あらぁ~貯めたわねぇ。以前は宝箱って感じだったけどここまで詰め込んじゃうともはや子供のガラクタ入りのおもちゃ箱…。乙。そう思いながらじっと見ていると、あれっ?イヤリングが見当たらない!!右から左から上からと探すが見つからなかった。おもちゃ箱の底に埋もれちゃったのかなぁ…と諦め半分で背伸びして覗き込むとずいぶん下の方でキラッキラ光るのが目に入った。地面に落ちちゃったんだ…。積載オーバーだよ…。拾ってくるね。一階まで降りてちょうどすずめくん家の下辺りで見つけた。太陽の受けて輝くイヤリングはすぐに見つかった。でも…すずめくんに返す事はかなり難しい。ミホはそれをハンカチにそっと包みポケットに納めた。『友情の証』にもらっていいかな…?相変わらずお母さんすずめにあげるご飯集めに忙しいすずめくんにつぶやいた。心からの「Thanks♡」




