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「今日はお忙しい中お時間を取って頂きありがとう御座います。」と心よりお礼を述べた。川崎医師はいつもの優しい眼差をミホに注いだ。それに促されたように言葉を続けた。「そして、私が今から話す事はお互いにこの部屋だけのオフレコというお約束をさせて頂きたくお願いします。ですので先生がご存知な事があればぜひお答えくだされば有り難いと思います。どうしても…と言う時にはYESかNOで、それでもダメなら、うなずくか首を横にする。そしてこれ以上は…と言う時には話を聞いて頂くだけでも結構ですのでどうか宜しくお願いします。(以前、何処かで見たような光景だな…と思いながら)もう先生しか頼る人がいないのです。」最初のうちは訝し気な顔をしていた川崎医師もミホの懇願を受け入れたのか黙ってうなずいた。「今からさかのぼる事、15年前、この病院で心臓移植手術が行なわれました。覚えていらっしゃいますか?」いくら、相談に乗ると言えどいきなり、唐突に、なんの前置きもなくそんな事を訪ねられても、さすがに返す言葉がなかったのも無理はない。シャットダウン?強制終了?門前払い?…か?ミホはしばし先生の初めの答をじっと待った。
流石に始めから飛ばし過ぎたかと自分自身を反省した頃、カチャリと小さな音がした。川崎医師は熱いコーヒーをひと口すすった後で『ええ、覚えていますよ。確か、交通事故からの緊急オペでしたね。』全てにだんまりでは無さそうだ。そういう正義感あふれる性格と長い間のお付き合いだからこそこの人を選んだ最大の理由であった。それを確認した様にミホは話を続けた。「はい、そうです。そしてあの時のドナーが私の母『飯島洋子』だったのです。不妊症の母が私を授かった時、幸せのおすそ分けにと言う思いでドナー登録をしていたと聞きました。そして、その『まさか』が現実に起こってしまったのです。救急搬送された病院から当時からホームドクターだった小山医院に連絡が入ったそうです。そしてまだ意識のあった母は「もしも」の時には、あの『まさか』の約束をくれぐれもお願いしますと遺言を残したまま数日後、脳内出血がもとで植物状態になってしまったと、聞いています。意識はその後も戻ることはなく小山先生は母のカルテの最後に一筆『Spender』と書き込みました。」話している内容は小山先生が教えてくれたものとほとんど変わりはないが、いざ自分でそれらを言葉にし、自らも聞くとさすがに涙でつまってしまう。再び「カチャリ」とコーヒーカップを置いた川崎医師は『痛ましい事故でした。』とポツリと言葉をこぼした。息をついでミホは続けた。「そういういきさつで母はドナーになったのです。そして、その時のレシピエントは事故の加害者であったとある人から教えてもらいました。勿論どこの誰かは知りません。
頭では納得していても全てを受け入れるのにはかなりの時間がかかりました。言葉は悪いですが母を死においやった相手の体のなかで母の心臓だけが生き続けている。そんな馬鹿な話があって良いのでしょうか…?母は、それでも母は満足しているんでしょうか?いろいろ考えを巡らせているうちに、最近になってようやく母の気持が少しずつ解ってきた気がします。そして、そんな母を尊敬できるようにまでなりました。事実、私がそんな善意の第三者に2度までも命を助けて頂いたという思いも少なからず影響しているとおもいます。」川崎医師のメガネの奥で何かがキラキラ光っていつしかそれは頰をつたい持っていたコーヒーカップに波紋を作った。しばらくして、先生はやっと口を開いた。『あの時の、移植手術にそんな悲しい物語があったなんて今の今まで知りませんでした。当時、私もチームの一員としてオペに参加していました。そうですか…。あの時の女性がミホさんのお母様だったのですね。お察しします。』その言葉には尊敬の念が込められているように思んばかれた。川崎医師はおもむろに立ち上がり窓際まで行くとぼんやり窓の外の景色のまだ向こうにある何かを眺めている様だった。一息入れるためにミホもとっくに冷めてしまったコーヒーに手を付けた。潤った喉で再び話し出した。
「私もこの事実を知ったのはごく最近です。ひょんな事からの偶然でした。でも今にして思えば必然だったのかも知れません。」『えっ?』川崎先生は浅くイスに腰掛けたまま瞬間凍結したようだった。短い感嘆詞の中に全てのナゼが詰め込まれているように聞こえた。今はかまわずに話を先にすすめた。「本当の事を知った私は先日、久しぶりに母のお墓参りに出かけました。生前母が大好きだったと父から教えてもらった白ユリの花を買って。その日はたまたま命日でしたので良い供養になればと訪れた墓地で不思議な体験をしたのです。かなりの間来ていなかったので、母を探すのに一苦労だろうと思っていた私の目にまわりの風景からは明らかに違う白い世界が飛び込んで来たのです。近くに寄ればその輝くものの正体は白ユリの花である事がわかりました。あらかじめ丁寧に掃除され白檀のお線香の煙にそれらは見え隠れしてとても幻想的でした。そして…ふと煙の向こうに女性らしき影が、だんだん遠ざかって行くのが見えました。あまりにも思いがけない出来事が理解できずにいた私は『あのぅ…』と吐息のような声しか出なくて、結局彼女は振り返ることすらなく丘の向こうに消えて行ってしまいました。先生?…。白ユリの花言葉ってご存知ですか?」目を閉じたまま黙ってミホの話に聞き入っていた川崎医師は、絞りだすような声で『「純潔」ですか…。』「そう、キリスト教では聖母や聖人に捧げる花として知られています。しかし、母の命日に母が好きだった花を捧げに来る人って…人って、母の心臓を受け継
いだあの時のレシピエントだった人としか考えられないんですが先生はどう思われますか?」




