action26
息を止め思わず室内を見わたした。どこのベッドの間仕切りカーテンも開かなかった。小さくガッツポーズをしてそそくさと病室を出た。数カ月ぶりの友達との再会で楽しく時間をつぶせた。川崎医師の診察は相変わらず混み合っていて予約時間を1時間以上押していた。今更だが先生を頼って遠方からも患者さんが来る事も珍しくはない。やっとミホの順番がまわってきた診察では血液検査の結果も特に問題は無く順調との事だった。しかし、今日、このままでは帰れない。計画通り、川崎医師から話を聞くためひと芝居を打った。帰りかけに、ミホは思いつめた顔をして「実は…。」と切り出しアポを取ることに成功した。心のなかで「ゴメンナサイ」と謝っておいた。兎に角忙しい先生だが自分が執刀し長いあいだ面倒を見続けてきた患者からゆえか、わざわざ昼休みをさいてまで時間を取ると約束してくれた。まんざら心配事には変りはないのでウソをついたのでは決してない!と正当化してみるも、何かにつけて自分は気合いを入れないと気持ちの切り替えが苦手なのだなぁと弱さを自覚したのだ。午前の診察の患者さん達がはけるまではまだまだ時間がありそうだったので少し外出しあの人が好きそうな手土産を買い東館のナースステーションを訪れた。「ふぅっ…ふぅっ…ふぅ…」三回のため息を背負いながら。
『あら〜〜ミホちゃんじゃない〜!!』どこからともなく現れ、手をひらひらさせなからカンに障るトーンと話し方。「出たな!!」今日は出勤なんだな。ハル。「こんにちは。以前はお世話になりありがとう御座いました。」と無難な挨拶をした。ハルは目をパチくりさせながら『以前?…いつの事…?何かあったっけ…?』と言いながらすぐさま目は持参したお土産にロックオンしていた。お前は狩猟犬になれるよ!と言ってやりたかった。大好物の風月堂の栗饅頭、そんなに匂うのかな?ミホにとっては一大事だった事でもこの病院という異空な空間では取るに足らない日常茶飯事のひとコマに過ぎなかったのだろうか…。しかしそれはミホにとっては有り難いことだった。逆に覚えていられるより一億%救いだ。ハルの事だから根掘り葉掘りほじくりまくって興味本意で聞いてくるはずだ。そして、次の日にはそれに尾ヒレを着けて、身をつけ想像もしない色もつけて病院中に知れ渡る事間違いない。考えただけでもゾッとする。『もしや、お土産、持って来てくれたの?前よりはずっと元気そうで良かったわ。』はあ?前っていつの事だ?お土産を持って顔を出せと言ったのは、そっちの方じゃない!そこだけは覚えているのか?
また、心の声が口をつかないように、アブナイ、アブナイ…セーフかな。当たり障りのないサラッとした会話からは、ミホがここで移植手術した事についてハルは知らなさそうだった。さすが秘密厳守が徹底されていることが証明され、ほっと胸をなておろした。知らぬが仏…。なんて古くさいコトバだが世界中で一番知られたくない人だから…。御用心、御用心…。そして手のやける患者さんの悪口や、なんとか医師がどーしたのこーしたのなどと日頃のストレス???をマシンガンのように一方的に喋り倒すと、少しはスッキリしたのか『せっかくだから、ゆっくりしていってね♡…』と言う言葉を残してまた、手をヒラヒラさせながらハルはお土産と共にナースステーションの奥に消えて行った。沈黙…沈黙…。どっと疲れが押しよせてきた。今さらながらハルの担当患者さん達がお気の毒に思えた。彼女の辞書には「ストレス」と言う言葉はあるのだろうか?さてと、ここでのストレスは置いていくよと踵を返し北館(本館)の待ち合いに戻ってお昼休みを待った。やはり思っていた以上に川崎医師は忙しいらしく12時をまわってもなかなか来なかった。○○大学附属病院寄贈と刻まれた柱時計が半を知らせる頃になってようやく先生が姿をみせた。聞くとまだ、診察は途中らしい。幸い総合病院の外来患者の診察は基本午前中だけなので終わり次第時間を取ると言ってくれた。
少々の罪悪感はあったものの考え尽くした最後の望みの綱だった。さて、15年前、この病院で行われた心臓移植について、川崎医師はどれ程の内容を把握しているのだろうか?そして教えてくれるのだろうか?少なくともその時のレシピエントは自分に命を与えてくれたドナーがミホの母であるという事実をどこからか知りえている。そして今までの長い間その重い十字架を背負ったまま贖罪の人生を送ってきたようである。あれこれ考えているうちに、その場にミホだけを残し、どれだけ大勢の人が目の前を通り過ぎて行っただろう。いつもと、変わらない風景をぼーっと眺めていた。一時間ほどが過ぎた頃、川崎医師はやっとミホの元に戻ってきた。ここでは何だからと、例の部屋に場所をうつしホットコーヒーを入れてくれた。長時間待たせてしまったお詫びと、深刻そうなミホを見かねてからかは解らないが、今から語られる事を真摯に受け止めようとしてくれているのは確かな様だった。上っつらだけでその場しのぎしか出来ないどこかの政治家とはひと目で違う。真っすぐな人だ。




