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受け継がれるバトン  作者: 伊達サキ
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家に着く頃にはすでにあたりはどっぷり闇に包まれていた。外灯の薄暗い中、心配そうにうろうろ歩き回る父の姿がミホを迎えてくれた。体の事を気にかけてくれていたようで、家のなかにもハツカネズミのようにあちこちしながら気が気でなかった様子が一目でわかった。片方がサンダルでもう片方がスリッポンを脱ぎながら、『何かあったのか?』と平静を装いながら尋ねる父に「少し気分がすぐれなくて病院で暫く休ませてもらっていたの。心配かけてゴメンね。」と簡単に返事した。まさか本当の事など言える訳などなく、初めて父にウソをついた。心配させてしまったお詫びのお返しには最高の笑顔を添えておいた。『そうか…。大事なければ…それでいいんだが…。』とお茶をにごしてはみたものの部屋の様子が全てを物語っていた。

つけっぱなしのテレビ、広げたままの夕刊、入れたまま口も付けずに気の抜けてしまってぬるくなったビール、電話帳の上に置かれた直し忘れの子機etc…。ゴメンね、おとうさん…。「ありがとう」同じ言葉でも心のこもったその言葉はミホの心まで暖かくしてくれた。

その夜のばんごはんのおみそ汁はいつもよりしょっぱい気がした。


カルテの虫干しの手入れには一週間ほどかかり、そろそろ夏の虫が、院の裏庭で演奏会を始める時期になり軒下のスズメのヒナ達も随分おおきくなって、誰負けじと合唱するのを聞くのも仕事を楽しくしてくれる名脇役だった。小山先生はと言うと…毎朝、相変わらずの寝グセの髪を手でおさえながら陣中見舞いに来てくれてミホの体調を気にしては二言三言、世間話をしては知らない間に居なくなる。その日もいつものようにミホの居る中庭に来て、何やら言いにくそうにモジモジしていた。そんな様子に見兼ねてこちらから言葉をかけてみた。「おはようございます!患者さんのカルテ整理ももうすぐ終わりそうです。次のお仕事の事ですか?」そう言うミホに先生のモジモジは一層ひどくなりとても自分から切り出せそうには見えなかったので「あの…何でも言ってくださいね。もっと面倒くさい仕事でも…。」あっ!言っちゃったと今度はこっちがバツが悪くなりモジモジしてしまった。あちゃ〜。

そしてお互い顔を見合わせて「(

´,_ゝ`)プッ…」と吹き出してしまった。それで空気が和んだのか先生から次なるミッションが言い渡された。『実は、カルテ保管期間の5年以前にお亡くなりになった方達のファイルの事なんだけど、今まで自分一人だったので、悪いと思いながらのびのびになってしまっていたんです。正直そこまで手が回らなくて…。』とまた、頭をポリポリ…。『無理のない程度で良いので頼めないでしょうかねぇ…?』そう言えば虫干しを始める時に看護師の三木さんから聞いたのを思い出した。特に丁寧に表紙をつけて保管してあったんだっけ。亡くなった方のご家族も忘れはしなくてもその悲しみを越えて新しい人生を歩んで行けるに十分な年月が過ぎていると思われる位の長い時間だ。ミホも先生の考えに共感した。しかし、さてまたダンボール箱との戦いか…。正直面倒だが、さっき共感したばかりなのだ。「ウーン!」腹をくくってとりかかる事にした。軒下のひな鳥達もギャーピーとエールを送ってくれているみたいだしね。頑張!自分!!!


ひな鳥と言えば入院していた頃のすずめくんをふと思い出した。あそこのひな鳥達もそろそろ新しい空へと旅立つ準備をしている頃だろうなぁ。彼らもまた誰かの生まれ変わりなのだろうか…?輪廻転生。修学旅行で行ったなんとかっていうありがたいお寺で座禅を組みながら

御住職が諭してくれた話の中に出てきた仏教用語だ。生きとし生けるものは何度でも生まれ変わり姿が違えど自分の大切な人に寄り添う事ができる。次なる別な生まれ変わりで現世に降りることが許されるその日までは…。但し自分の存在は必ず虚無でしかなければならない。それじゃ、辛かった入院生活で心の支えになった窓際のすずめくん達ももしかしたら…そうなのかな…。と一笑したが心の中で、微笑んでいる声が聞こえた…??

今度のファイルは通院患者さん達とは違いそう多くない。なにしろ、ある日、ある時以降のカルテは存在しないそう、お亡くなりになったのだから…。分厚い表紙と裏紙の間にその人達の人生が凝縮されている。色あせたものは新しく取り替え、一冊一冊ていねいに調本していった。


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