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受け継がれるバトン  作者: 伊達サキ
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周囲に怪しまれないように気をつけながらパンドラの扉の前までたどり着いた。そこは以前と全く変わらず、殺風景で薄暗く無機質で全く人の気配はしなかった。そんなドアには小さく『SUTAFF ONLY』と言うステッカーが貼られていたがその小ささ以上に堅く侵入者を拒んでいるようだった。耳を済ませ集中してみたが何の音や話し声も聞こえない。まるで大きな鉄の金庫のようだ。もちろん中に金塊や株券、はたまた福沢諭吉が眠っているとは思わないが得体の知れない怪物か横たわっているように思えてならない。小刻みに震える手に全神経を集中させてドアのスライドの持ち手に自分の手を添えた。そして静かにかつ慎重に力をいれた。スーッとかすかな音とともにそれは口を開いた。「えっ!!まさか!!」と思わず声が出るのを飲込んだ。あまりにもすんなり開いてしまったパンドラの扉。周りの闇に溶け込んだような室内が大きな口を開けてミホを招き入れているようだった。


少しずつではあるが自分が居る空間に目を慣らしてからゆっくり室内を見渡した。窓らしき物はなさそうで昼間でも照明を付けないとまともには歩けない。という事は今はここには誰もいない、ミホだけだ。童話に出てくるピノキオが大クジラのお腹の内を漂流した時のように不安感かのしかかってくる。闇を嫌がるのは人間の本能だろう。野生動物にはかなわないから人類は昼活動という手段でここまで生き延び進化してきたに違いない。そんな関係ない事を考え、

気を紛らわせながら電気のスイッチらしき物を手探りでやっと見つけたがいざこの状況下で部屋を明るくして良いものだろうか?幸い廊下に光が漏れる心配はないだろう。しかし、余りにもすんなり部屋に入れた事やカギがかかっていなかった事など少々ひっかかる。もしや誰かが締め忘れを思い出し戻って来ないとも限らない。正常に機能していない今の頭で可能な限りのifをかき集め考えた。そして最後にたどりついたifはbutだった。そう、しかし、知りたいのだ。病院の誰もが語りたがらないこの部屋の秘密をどうしても知りたい。ミホの中で悪魔が囁いた。カチッと僅かな音と供にミホの指がかすかに滑った。


心地良かった朝の日射しが少々汗ばんて感じる頃には小山医院での事務作業という名の雑用にもだいぶん慣れてきて今は、医療事務の資格を取るために勉強を始めるまでに社会復帰していた。何だか後付けのような気もするが空白の3年間はミホのまだまだ若い頭でさえ錆びつかせるのには十分過ぎるブランクになっていた。高校受験の再来だ。特に数学には今でもアレルギーを起こしそうな位、苦手でいくらパソコンに領収書のひな型があるとは言え、初、再診料はまだしも投薬の単価やらジェネリックに変更可能かどうか等々、頭を抱える事が山積みだった。今ではかなりの病院が電子カルテに切り替わっていて許可を得れば何処からでも特定の患者情報が閲覧てきるようになってきてはいるが、ここ小山医院に関してはそう言う近代的なシステムにのりそこなっているのが現状だった。地域に根づいたかかりつけ医としての信頼は厚い。優しいし腕もピカイチ!親身になって患者に寄り添って痛みや苦しみも共有してくれる。そういう人柄に助けられたミホ本人が言うのだから間違いはない。


しかし、悲しいかな先生は全くの機械オンチなのだ。仕事で緊急の用事があるかも知れないと周りに勧められてシニア向けのガラケーをもってはいるものの今だかつて通話している所を見たことがない。まあ、それだけ急患がいなくて良い事だと、物は考えようなんだけど…。これであの、「こ難しい医療器具」をよく使いこなしているものだと摩訶不思議でならない。壁一面に貼られたミホが書いたガラケーの使い方ガイドがこっちを見て苦笑しているようだった。長雨も一段落、うっとおしい梅雨も明け年に一度、晴天が続く日を選んで行なっている虫干し作業を今年はミホが担当する事ちなった。いくら小山医院が小さいからと言えど、過去10年分をさかのぼってのカルテの管理人は重労働だ。いや、体力的にではなく精神的に、頂上の見えない登山に一人で挑む気分である。保管義務をとっくに過ぎている患者さんの分まで処分する事なく大切に段ボール箱にきちんと入れて積み上げて置いている。箱の横側には五十音順で「ア」から始まるように書いてあるのだがその数は有に50個以上もありそうだ。中には、その時の長さに比例して文字が色焼けしているものまである。USBなら片手にすっぽり入ってしまうのにと思ったものの、ここにこそ先生の医者としてのこだわりがあり、患者さん達と供に病気に向き合う姿勢があるのだと長年勤務を重ねてきた看護師の三木さんがそっと教えてくれた。たかが数枚の一人分のカルテにもその人の人生があり生活があり心がありそういうもの達をひっくるめて凝縮されているのが手に取るように感じられた。これは、電子カルテとは比べ物にならないほど凄い。世界一のアナログカルテだと尊敬した。不思議なもので自分の心の持ちようひとつで今まであんなに苦痛に思っていたこの作業を任された事がとても誇らしくさえ感じられてきた。さあ、はじめよう、とマスクとぐんてをはめた。今日は良いお天気だから作業もはかどるだろうな。


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