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三年振りに帰ってきた我が家は以前と少しも変わっておらずミホの部屋もあの絶望に飲み込まれそうな入院の日以来、時が止まったように何一つ違ったものはなかった。いまではもう必要とされない学習机でさえもピカピカに磨きこまれ、窓ぎわのベッドの布団もふかふかで少し温もりを感じるほどだった。いつご主人が帰ってきても良いようにあつらえられ、ミホを迎えてくれていた。「ありがとう、お父さん」小声でつぶやいた。それを聞いてか聞かずか『学習机はもういらないな…』とぶっきらぼうにつぶやいた父は少し照れくさそうだった。男親と言うものは異性ゆえ娘にどう接していいのかわからない事も多いと聞いた。ご多分に漏れず父も不器用で無口でそれでいてミホを世界で一番愛してくれている。それは十分すぎるほど肌で感じていた。今年でミホも21才。立派な大人である。人生の再スタートするのにも まだまだ若い。失った三年を取り戻す為にまず仕事を探そうと思っていた。しかしそこには新たな壁が立ち塞がった。高校生活ではバスケにほとんどの時間を費やしてしまっていたので勉強などは全くおろそかにしていた。そのツケが今になってまわってきたのだ。
よもやバスケができなくなるなんて考えもしなかったので自業自得なのだが事実、就職のスキルとなる英会話、パソコン、簿記などなど、全くのかやの外で、自分でもどうやって単位を取ったのだろうと、情けないほど履歴書の特技、免許などの欄に書けるものはなかった。さらに過度の体力を消耗する運動も厳禁という重いタグまで付いているのも大きな足かせになっていた。八方塞がりってこういう事をいうのだろう。自分が置かれた現実とは余りにも厳しいものだった。何か良い考えが浮かばないかなぁ…。と思いながら気分転換に近所を散歩していると、聞き慣れた声で名前を呼ばれた。振り返ると小山先生だった。ミホの病気を見つけてくれて、その後も陰ひなたになり支えてくれた数少ない恩人のひとりだ。久しぶりの再会を喜んでくれ、ミホの頑張りを讃えてくれた。そんな懐かしさに甘えてかつい、今の悩みを先生に相談してみた。すると、少し思いを巡らせたような小山先生から『それならうちに来てみませんか?』と意外な言葉が返ってきた。きょとんとしているミホに、『ちょうど受付の女の子が辞めてしまって探していた。』と言った。そして、『ただ、あまりお給料は良くないけどね。』と少し照れくさそうに、頭をポリポリとかきながら、言葉を足した。
「ホントに良いんですか!!」砂浜で探していたコンタクトレンズを見つけたかのように声をはね上げた。小山先生はウンウンと笑顔で何度もうなずいた。ただし決して無理はしない事!!とひとつだけ条件がついた。とたんに周りの景色がバラ色に見えた。人間とはかくも単純な生き物なんだと我ながら呆れてしまった。その夜は数年ぶりにウキウキと言う気持ちのままベットに入った。いよいよ明日からは夢にまで見た“普通の人”と同じ生活が待っている。社会人として、『普通の』という響きが、ミホにとっては、とても特別な意味を持っていた。修学旅行の明日を心待ちにしている学生の様にソワソワしてなかなか寝付けなかった。翌朝リビングに降りていくと台所から懐かしいお味噌汁の匂いがしてきた。「おはよう」と声をかける前に、お父さんは背をむけたまま『おいしいかどうか自信はないけど良かったら食べていけよな。』とまたぶっきらぼうに言った。ミホの再出発を心から喜んでくれているのが、お味噌汁の美味しさから伝わってきた。「うん」と返す短い言葉に感謝の全てを注ぎ込んだ。




