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忘れられた彗星  作者: ちゃど
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エピローグ 引き裂かれたふたご座

こちらで完結となります。

ここまで読んでくれた皆さま、本当にありがとうございました。



 エピローグ 引き裂かれたふたご座 




 有意義な夏休みになっただろうか。

 最後の日――九月三十日、天宮城未空はこれまでの一日一日を振り返ってみる。初めての大学の夏休みで、今までより一か月も長かった。無意識にだらけてしまった日もあったかもしれない。

 午前十一時、未空は指定された三軒茶屋駅で降りて、駅の近くにあるカラオケボックスに入る。先に入っているであろう人物の名前を店員に告げると、部屋の番号を教えてもらう。

 教えられた番号の扉を開けると、中には先に赤紅四郎とマナブツトムがいた。四郎はぶかぶかな上着を着ている。上の二つの腕だけを出して、下の二つの腕は服の中に隠していた。

「宇未ちゃんは?」四郎が訊く。

「課題が終わってないって。半泣きになりながら電話きました」未空は親指と小指を立てて、電話のジェスチャーを見せる。

「はは、そっか。残念だよ。会いたかったな」

 店員がドリンクを運んでくる。店員が出て行って遠くに行くのを確認する三人。

「始めようか」ツトムはこわばった顔つきで言う。「……その前に確認なんだが、警察は家に来たかい?」

「まぁ、何度か……」未空はぎこちなく答える。

「なんて答えた?」

「ツトムさんのメールの指示通りに……」

「そしたら?」

「結構粘られましたよ……。それも同じ質問の繰り返しで。最終的には諦めたかのように帰っていきましたけど」未空は運ばれたコーラを飲んだ。「……それでなんですけど。実は僕、あれから新聞とかニュースとか、見ないようにしてて……。警察が来たってことは、《彼女》……警察に連れていったんですか?」

「あぁ、連れてった」

「秤屋敷は……?」

「君の想像通り」

「……そうですか」未空は下を向いて、最後に見た《彼女》の姿を思い浮かべる。「その、下品な質問なんですけど……。小枝さんの事は……?」

「喋ってないみたいだな。警察に質問されないってことは。……ていうか、操り主のいなくなったマリオネットみたいに、もうほとんど何も喋らないらしいから、《彼女》」

 未空は寒気がした。「……僕達が帰った後は、どうしたんですか?」

「まず《彼女》から、今まで何があったかを訊いたよ」目のあった四郎が答えた。「……今回集まったのは、それを話す為だ。けど正直……」彼は無意識に口元を覆っていた。言葉の続きは、なんとなく予想がつく。

「話してください」今から知ろうとしていることは、夏休みの始まる前の自分なら背いてきた、醜い汚物みたいなものだ。

 四郎は何度も唸る。自ら話を展開していくのに抵抗があるようだった。

「変な前置きをするけどね……」四郎を助けるようにツトムが言った。「正直言うと、俺たちは今でも、この事実を完全に受け入れられていないんだよ」ツトムは両手の指を交差させる。「あれは文字通りの狂気だった。天井知らずの狂気でありながら、どこまで行っても狂気。最初から最後までが、狂気で構成された人生だった」

「……最近ミステリーを読むようになったんですけど」未空はコーラのストローから口をはなして言う。「やっぱり探偵役が解決編で長々と語る時は、そういう風な、まわりくどい前置きがお約束ですよね。……何かの伝統でしょうか」

「頭を良く見せようとしているのか、作者の自己満足か。俺は後者だけど。ホワイトルームを書いた時の事だよ」

「勿体ぶってるのかもしれませんね。確かにいきなりトリックを話すよりかは、焦らしたほうが断然面白いです。緊迫感が出ます」

「あるかもね」ツトムは評価するように人差し指を立てた。「判ってる。君がここに来たからには話すよ。ちゃんと隅から隅まで」

 未空はいつものボールペンとメモ帳を取り出す。メモ帳も、屋敷の時と同じものだ。

「……じゃあ、本題に入ろう。断っておくけど、結構長くなる。最初から話さなきゃならないからね」

「……最初って?」未空はボールペンを回す。

「あの双子が生まれた時からさ。真実姉妹の生まれた時から」

 確かにそれは長くなりそうだ、と未空は覚悟した。


                  ※


「四三年前、昭和五一年の五月十六日、日本で双子が誕生した。双子の名前は、真実奏と、真実創」ツトムは改まった口調で話を開始した。「姉であった真実奏は普通の子として育ったわけだけれど、妹の真実創は体が弱く、酷い喘息に苦しむことが多々あったらしい」

「……言ってましたね。旺次郎さんが」と、未空。

「喘息は生まれつき酷かった。重症持続型の喘息……。彼女、病院で寝たきりの生活が続いていたそうだ」

「えぇ。それも聞きました」言いながらも、未空はメモを取る。あとで宇未に伝えるためだ。

「真実奏は、毎日、真実創の見舞いに行っていたそうだ。幼稚園や学校であったことを話すためにね。絶対に病気が治るとか、そういうことを言って、一緒に学校に行こうと励ましたりもしていた……。なんとも良い話だね」ツトムは紙芝居を読みきかせているかのような語り。「……そんな彼女が裁縫に憧れたのは――」

「母親の影響で」未空が先に言う。

「そう。その通り。幼い真実奏は、妹の創ちゃんのことをとても想っていた。ぬいぐるみをつくると互いに約束したのもその時だった……。その生活に終わりを迎えたのは」

「十歳になる頃――」未空はツトムの口調にうんざりして、また先に言ってしまう。「――には、喘息との縁は完璧に切れた。……それから、真実創は」

「――真実創の喘息との共同生活は、七年間続いた」ツトムは突然真顔になって、打って変わって氷みたいな口調で語りを再開する。物語の場面が変わって、別の人が語りをはじめたみたいだった。「生まれてから七年、昭和五八年まで」

 コーラが気管支に入って、未空はせき込んだ。「ちょ……、ちょっとまってください」未空は慌てて手を前に出して、中断させる。「僕と四郎さんが聞いたのとは……、別ですけど……」

 未空は確認するように四郎を見た。四郎はどうしてだか目を逸らして、気まずそうな顔を立てていた。ツトムは視線をずらさず、ずっと未空を見たままだった。

「いいか、天宮城未空。心して聞け」

 小さな地震が起きた。

 未空は下を向いて自分の膝を見て、その震源が自分の体の中からだと気づいた。

 震えている――本能が今までに経験していない未知の恐怖を感じ始めている。ツトムの手も若干ながら震えている。

 あの《彼女》と対峙したときと同じだ。

 恐怖の象徴と言えるような何かが、どんどん背中へと近づいてくるあの感覚。

 未空は咄嗟に後ろを振り向いた。

「昭和五八年の六月二日。真実創は、亡くなっている」


                  ※


 喘息死。

 国内でも、年に数千人にしか死者の出ない、珍しい死因だと、星七田旺次郎は言っていた。

 未空は今言われたことを何度も脳内でリピートして、メモにも同じことをかいた。それでも全然理解が追いついてこない。頭は冷静だったし、取り乱すようなこともなかった。それでもただ恐怖だけが充満している。

「驚くことじゃないだろう。君も、《彼女》が真実奏の娘だったということは知っていただろう」ツトムは未空を落ち着かせようとしていた。「残された真実奏は、非常に悲しんだんだろうね。……それは、俺らの想像を絶するほどのものだった。真実奏の経験した、この後の物語が、それを証明している」

「……そういう謎めいたような言い方はやめにしましょう」未空はペンの先端部分でメモを軽く叩く。

「判ったよ」ツトムは潔く従う。「ここから大きく月日は流れる。彼女――真実奏が二四歳の時だ」

(一気に飛ぶ……)未空は黙って言葉を待つ。

「……彼女はとある男性と交際をはじめた。真実奏がその男性とどういう付き合いをしていたのかは、俺たちも聞かなかった。が、これがまた事件の大きな原因であって、一つのはじまりでもあった」

「どういうことですか」

「真実奏は、妊娠したんだ」ツトムは押し殺すような声で、未空に告げた。未空はまた後ろを振り向きそうになる。「……言い方を変えると、男は、妊娠させてしまったんだ。結婚なんて、まだ一割も視野に入れてなかった状態でね」

 ツトムはここで未空に言葉を理解させるためか、メモを取らせるためか、ひとまず言葉を切った。未空もその配慮には助けられた。メモを取って、母親がよくしていたペン回しを真似する。

「……すみません、もう大丈夫です」

「それでは続けよう」ツトムが軽い手振りをする。「妊娠を聞いて、男は真実奏に、必死になりながら訴えた――結婚は無理だって。貯蓄的な問題でも、それ以外でも。何より、覚悟ができていなかった」

 今まで落ち着かない様子で話を聞いていた四郎が、自分のメロンソーダを飲む。流石にガムシロップは無かった。

「妊娠してしまった彼女の生活も、多分、地獄に値するほどのものだっただろうね。自分には、その命を取り扱う責任が生まれてしまった。自分の腹の中から命が宿る以上、自分だけが子供から逃げることはできない」ツトムはコーヒーをすする。「ならここで中絶するか。悲しいけど、そういう選択肢だってあっただろう。……けれど彼女はその時に――いや、もしかしたら恐らくその前から、決めていたのかもしれない。出産して、生まれてきた子供をどうするか――どう育てるか」

 既に真相を知っている四郎までもが、体を震わせた。

「……できればその後は、もう聞きたくないです」未空は額を押さえる。

「やめる?」

「……いえ」未空は諦めるように溜息を吐く。「その産まれた子……《彼女》ですよね。名前は――? そう、《彼女》、名前が無いって言ってたじゃないですか……。……でもそんなことは不可能です」

「何言ってるんだ君は」ツトムは勿体ぶりもせず、当然のように簡単に言った。「真実創だよ」

 未空はその言葉の裏の暗号を解読しようと試みたが、処理できないままだった。「……は?」

「名前。真実創、と名付けたんだよ」

 未空は立ち上がりそうになった自身を抑える。「いや、そ。そんなことを――」

「外国ではよくあることだろ」 

 未空は一度冷静になろうとする。とうとう変な笑いまで込み上がってきた。「ここは日本です。子供に死んだ双子の名前をつけるなんて、彼女の親が知れば、必ず反対する。許すわけがない」

「そう、ここは日本だ。けど《彼女》――」ツトムの目が細くなる。「《彼女》が生まれたのは、アメリカだ」

 誰も喋らなくなると、テレビからバンドのインタビューが聞こえてくる。今はそれが逆に不気味さと不快さを際立たせる要員になってしまっていた。音を消したかったが、未空にはやり方が判らない。

(……アメリカ?)

 十秒ほど過ぎ去った後、ようやくまともな思考を取り戻す。ツトムは最初から、話す順序を決めていたのだろう。話の展開のしかたが、あまりに上手すぎる。

(何、言ってるんだ?)

「なんて言いたがってるのかは、大体判る。当ててやろうか」未空は拒否した。「彼女はね……。アメリカで一人暮らしをしていたんだ。高校生の頃から、バイト代を貯金していたらしくてね」

 最後はどこへ転がり落ちようとしているのか。

 遠くにあるものを見ようとしているのに、不気味な霧が邪魔をしていて、その先にあるものを映そうとしない。

「……何の為にアメリカに?」ようやくして未空は質問が思いついた。

「裁縫さ」その単語を聞くと、いよいよか――話がまとまり始めようとしているのを感じた。「……真実奏は日本の美術大を卒業した。その後に、アメリカの美術専門学校に入学したんだ。アメリカの学校に通ったのは、自分の実力不足を実感していたからなのかもね。……ここは単に、俺の予想だけれど」

「大学を卒業してから専門学校に。……しかも、わざわざアメリカの、ですか」

「よほど優秀で魅力的な専門学校だったんだろう。けどそこまでしてやり遂げる意志が、真実奏にはあった。……君だって知っているだろう」ツトムは試しているみたいに問いかける。

「……死んだ、真実創さんとの約束」答えると、ツトムは首肯した。未空の悪寒が、さっきから続いたまま止まらない。「……狂ってる」

「そうだ、狂ってる。でもね、言い換えれば、真実奏はあまりにも純粋すぎたということなんだよ。……一途だった。約束を果たそうとした――そして、死んだ真実創の意志を背負って、生きてきた。彼女が死んでからもずっと、それだけを考えていたんだ。それだけの為に生きてきた。そんな真実奏にとって、ここで妊娠したことは、一つの運命のように思えただろう」

 未空はいくつか気が付いたことがあった。思わず叫びそうになったが、ここでは言わず、後で確認しようと考えた。

 ツトムは一層大きな深呼吸をして、両手を広げる。「さぁ、いよいよ話の論点が戻ってくる。さっきも言った通り、真実奏が、《彼女》を《創》として創り変える。奏は、外国人と交わった。……その様子だと、あんたはもう気づいているね。彼女のあの栗色の髪の毛は染めたものなんかじゃない――地毛だ。彼氏のものが遺伝したのさ」

 未空は確かめるように頷く。

 ところどころ日本人離れした、あの容姿を思い出す。

「真実奏は、男と別れるための条件を出した。……子供が生まれて生活が安定するまでの間は、自分と子供の面倒を見ること。そして自分の妊娠を、必要最低限の人にしか言わないこと。……男は約束を交わした。約束の日まで同じアパートで同棲し、娘の事は最低限の必要な人物にだけ話し、世話を続けた。恐らく全部は上手くいかなかっただろうし、問題も起きただろう。腹が大きくなるから、出産したことそのものは隠蔽できない。アパートなら赤ん坊の泣き声も同じアパートに住んでいる人には聞こえるだろうし、育児に必要な道具も買わなければならない――必然的に、目撃もされる。物心がついて、二足歩行できるところまでは、苦労の山だっただろう」

 その狂気は、確かに天井を知らない。

 現実の話とは、とても思えない。

 もしかしたらずっと、ツトムは別の作家の作品の話をしていたのかもしれない。

「……男の子として生まれていたら、どうしていたんでしょう」未空はふと思う。

「多少の改変はあっても、《創》として育て上げてただろうね。……事実、もしかしたら本当の《創》は――男の子だったかもしれないだろう?」

「……それだけの執念は――あったでしょうね」それは認めざるを得なかった。

「そう。彼女の執念」ツトムは声を低くする。「真実奏はただ待ち続けた。次元の違う執念を持ってして、最後まで耐え抜いた。十五年――《彼女》が生まれてから、十五年だ。真実奏は十五年間、狂気のままに従って、その半面、その狂気に飲み込まれぬよう耐えて、生き続けた」ツトムが死者のものまねをするような声を発した。「……その十五年が経過して、とうとう最後の障壁と呼べるものが無くなったんだ」

「……最後の障壁?」

「そう。真実奏の最後の身内である、母親が亡くなったんだ」

 また母親。その単語はもう、うんざりするほど聞かされていた。

「それがどうしたっていうんですか」

「さっき君は言ったね。創という名前をつけるのを、親が許すわけがないって。真実奏は、母親には自分が娘を出産したことは、この十五年間、一切伝えていなかったんだ」

 ツトムはそのまま続ける。

「ずっとアメリカにいたあの親子が、それをきっかけに、とうとう日本に帰ったんだ。身内さえいなくなれば、安心して日本に帰れる。娘の事もばれることなく。すべて思い通りに行くと思っていただろう。そして現に、うまく行ってしまった。日本に帰ってからどうするかという計画をたてる時間は、十分にあった。十五年という時間があれば、何もかも事足りただろうね」

 未空は話を止めさせるように手を前に出す。メモを取る振りをしていたが、実際には理解が追いついていないというのが理由だった。未空がオーケーサインを出すと、ツトムは狂気の物語を再開させる。

「《彼女》にぬいぐるみの知識や技術を植え付けたのだって、その間にだ。家から出ることを禁じられていた彼女は、ただそうするしかなかった。逃げ出そうとしても必ず真実奏は、彼女を連れ戻した。途中から、《彼女》は全く逃げ出さなくなった。その内、《彼女》も気が付いたのかな。逃げ出すにしても、行き場なんてないって」

自由になるための殺人。

 最後に長い時間抵抗し続けていた《彼女》の姿が、今でもはっきりと思いだせる。まともに声が出せなくなるまで、ひたすら叫び続けた、あの姿。

「……想像できるか? 彼女は十五年間、ほとんどあのアパートの中で過ごした。学校にも行かず、友達はおろか、他人ともまともに話す機会すらなくて……。ひたすらただ、ぬいぐるみを作り続けている内に、十五歳になっていたんだ」ツトムは可愛そうなものを見るような表情をした。彼がこういう表情をする機会は、きっとこの先訪れないだろう。「……その異常な生活が、密室殺人の正体だ」

「……密室――」未空は忘れていたことを思い出した。「……そうだ――密室! 何故《彼女》は、あそこまで密室にこだわっていたんですか」

「今言った通りさ」ツトムは足を組む。「……その異常さが、彼女の中では常識となっていったんだ。人の死の象徴――孤独。『閉じ込められて、そのままいつか死ぬだけ』。《彼女》はあの部屋で過ごしている最中、自分はこのまま閉じ込められて死ぬんだと考えていたんだ。人が死ぬときは、閉じ込められて、孤独になった瞬間。彼女の中の常識ではそうなった。疑いはしなかった。けど密室は、もしかしたら彼女なりの悲痛の叫びでもあったのかもしれないね」

 停止する思考。

 悲しくて激しい、長いクラシックが終えたかのような静けさが訪れる。

 しばらくすると、テレビの声がまた聞こえはじめる。さっきと同じインタビューの映像が流れていた。

「日本に帰ってからも、しばらくは多忙な日が続いた。けど今度のは、何とも平凡なものだ。引っ越しとか、手続きとか。……全てが落ち着いて、しばらくした頃。とうとう真実奏は、本当の狂気へとその身を捧げた。……言わなくても、判るね」

「……《彼女》を、真実創だと認識するようになった。そして、二人の年齢は、同じになった」

 ツトムは首肯した。「しばらくは二人とも、アルバイト生活に勤しんでいたそうだ」

「《彼女》の方は、雇ってもらえたんですか? いくら《異質》と嘘をついたって……。履歴書とか、年齢の確認できるものとか必要になるでしょう」

「勿論、苦労していた。確かに今は履歴書とか、そういうのがなくても採用してくれるところとかもある。ネットで探せばいっぱいでくるし、事実、《彼女》はそういうところの面接ばかり受けた。でも条件が変わっているところもあったし、当然ながら《異質》と言っても怪しまれてしまうケースは多くあった。数か月かは、バイトを探すだけでもかなり苦労したようだ。……けどね――。真実奏は、《彼女》がどんな失敗をしても、もう怒らなかったそうだ。むしろ優しく笑って、『大丈夫だから』と言って、バイトが見つかるまで、一人で頑張っていたらしい」

 笑顔を想像して、ぞっとする。「……その時にはもう、《彼女》は、妹の真実創だったから」

「その通り。暴力を振るわず、厳しいことは言わず。別人のように、優しい姉になっていった」ツトムが片目を瞑る。「最終的には、真実奏と同じバイトに雇ってもらったらしい。……コネってやつだね。ずっと妹の事は話していたし、《異質》の事も教えていたから、疑いもされなかったそうだよ。履歴書だけ持ってくればいいと言われた《彼女》は、嘘で固めた履歴書を書いて、提出したそうだ」ツトムは息をつく。話はもうすぐ終わりを迎えようとしていた。「……ここまで終えられれば、もう安全なラインまで踏み込んだと言ってもいい。贅沢はできなくとも、それでも暮らしそのものは何とかなる。……安定した後、真実奏は、例の裁縫のイベントに出る事に決めた。《彼女》が十六歳だ。最初はやはり趣味程度にとどめておく程度だったんだろうね。それで食べていこうなんて、微塵も考えていなかっただろうさ」

「好きな裁縫が出来ればいい。そう思っていたんでしょうね」未空が自分なりの考えを述べる。

「あぁ……実際、そう考えていたらしい」ツトムも認める。

 未空はもう一つ引っかかっていた事を思い出す。

「……ここまで来て、ようやく一つ、謎が解けますね」

「何かあったっけか」ツトムには心当たりがなさそうだった。

「四郎さん、覚えてます?」

 不意に呼ばれた四郎が戸惑う。「……え、何が?」

「ほら。奏さん――文字が読めないって、旺次郎さんが言ってたじゃないですか」

 四郎は軽く顎を引く。「それがどうしたんだよ」

「あのですね……」未空は言いたことを整理する。「なんか都合が良いというか……、ちょっと不自然だなって思ったんで、事件のあと、僕も色々と調べたんです。症状の事。……けど、ケースは実在しました。……文字は書けても、読み取ることができなくなる症状とか。思考制止って呼ばれたりもしてるそうで……」

「だから、どうしてそれがここで?」四郎は不思議そうに説明を求める。

「例えば毎年、保険証が届くでしょう」二人ははっとして、同じような顔をした。「そこには、生年月日が書いてあります。こういう風に生年月日が記されていたり、他にも矛盾が指摘されることは、日常の多くで垣間見えます。だから彼女の精神がそれを拒んだんじゃないかと、僕は考えます。三年前に発症したって聞きましたし、時期的にも、つじつまが合います」

「あぁ、確かにそうだ。三年前だって言っていた……」四郎は興奮した様子だった。服の内側にある二つの腕が『もぞもぞ』と動いていた。

「真実奏は、自分の娘を真実創として創り上げた。そう思い込んだ。そして自ら、その体に病を植え付けた。自分で自分の首を絞めるような行為を、何重にも行った。そういうわけだね」ツトムは自分の首に触れる。「《彼女》の方は、ただの被害者だった――」

 その台詞を最後にして、ツトムは口を閉じる。

 長い時間、言葉の続きを待ってみた。

 いつまで経っても、ツトムは何かを言う素振りを見せはしなかった。

(これで終わり……?)

 閉まりが悪くないだろうか。確かに落としどころが難しいが、どうしても胸がくすぐったくなる。

 四郎も似たような思いを抱いていたのか、まだツトムを見つめている。

 じぃっと見つめていた。

 未空と四郎が目を合わせて、互いに諦めるかのように飲み物に手をかけた。

 これでこの現実味の欠片もない、でっち上げられたかのような物語は、ようやくして終わりを迎えることとなる。

 今となっては、何も感じない。

 まるで裸のままで宇宙に投げ出されたみたいだった。何も感じないままで宙に浮いているような感覚で、体のどこにも力が入っていない。

「…………」

 《彼女》に会いたいと、未空は思った。

 あの名前の無い少女は今、刑務所の中でただ動かず、じぃっとしているのだろうか。

 何もせず、ただ人形のように。

 いつ、真実奏を殺すことを、決意したのだろう。

 正常な空間で生きるようになって、自分の生活が普通では無かったと知ったとき、《彼女》はどうしたのだろう。

 自分こそが他人の死体の皮で編まれて創られたぬいぐるみだと知ったとき、《彼女》は、どう思ったのだろう。

  

                  ※

 

 彼らとは友達になれただろうか。

 彼らと別れて電車に揺られている最中、気が付けば未空はそんなことを考えるようになっていた。

 カラオケを出てからは小さな喫茶店に入って、ただ長い時間、ダラダラと気楽な話ばかりをしているだけだった。事件の事なんてまるで無かったかのように白々しく笑い続けた。逃避するように目の前の話に集中して、幸せになりたいと願うかのように笑っていた。

 親しい関係になれたという保証はまるでない。ただ別れが惜しいと感じる今の気持ちさえ大切にしていられれば、案外何とかなるかもしれないと、珍しく前向きに物事を捉えられた。

 電車の中の九割以上の人間がスマートフォンをいじっていて、いつもは自分もこの中にまざって携帯をいじっていたなと思い出す。どうしてだか携帯を取り出すのに抵抗が出てきた。意地を張っている内に退屈になって、鞄の中に何かないかと覗きこむ。そこには余りの土産が入ったままになっていた。

 真実奏、秤小枝、星七田旺次郎、秤零士、そして《彼女》の五人分のブレスレッドが、これからの居場所を相談しているみたいに体を寄せ合っている。その内の一つを手に取って、中心部分に彫られているその形を見つめる。

 あの店には何度か幼い頃、母親と一緒に行ったことがある。父親とは無かった。あの時、確か母親が、この形が何の形なのかを教えてくれた。それが何なのか、まともに判っていない年齢の時に聞かされていたので、覚えているわけもない。母親との記憶は一つ残らず全て覚えていると思っていたけれど、振り返ってみれば、やはり忘れている。

 電車が地下から地上に出ると、夜空が見えた。未空は電車を降りる。

 また不意に、黒い煙が見えた。

 煙突ではない。ロケットの飛び立った後のような、あの煙だ。空高く残留しているあの煙の先には、きっと今まで死んで星になった人達が先に待ってくれている。発射場は、ずっと向こう側の地。自分は死ぬまでに、あの離陸地点へと辿り着かなければならない。

 輝きを続けている無数の星々は良く見ると揺れ動いていて、今にもこちらへ落ちて戻ってきてくれそうだった。未空は否定するように首を横に振って現実を受け止めていく。それでもその星空を見て、何度も考える。もしも空が落ちてきて、死んで星になった人までもが降ってきたのなら、自分は一体、誰を受け止めるのだろう。

 夏休みが終わる。

 悲しい未来が、どんどん、どんどん、近づいてくる。

 だけれど未空には、この夏休みで気づけたことがあった。どんなに幸せな過去にすがって嫌いな明日から逃避しようとしていても、足は明日の生まれる方角を目指して歩き続けていた。それは幸せだったあの過去以上の未来を作ってほしいと、六歳の頃の自分が後ろからずっと、背中を押し続けてくれていたからだった。

改めまして、この度は忘れられた彗星をお読みいただき、ありがとうございました。

皆さまに何か一つでも与えられるものがあったのならば幸いです。

同じ小説の道を目指すもの同士、これからもお互いに歩みをつづけていければと思います。

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