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忘れられた彗星  作者: ちゃど
3/5

第三章 蜃気楼の輪郭



 全てを終わらせよう。

 一人残らず、全員殺そう。

 そうすればようやく、前に進むことができる。

 その為に生きるしかなかった。

 今度こそ。


 鏡を見ても自分がいない。

 もう他人のままで生きるのは嫌だ。

 自由になりたい。

 やり直したい。

 ――。

 ―――――。

 どこからやり直せばいい? 

 ……どこから?

 ……何歳から?

 お母さん。

 ……お母さんに聞かなきゃ。

 ……お母さん?

 …………。







 そっか。







 お母さんは、もういないんだ。






 第三章 蜃気楼の輪郭


 1


 目を覚ました。

 汗をかいていた。

 呼吸も荒い。

 冷たい戦慄が知らない内に体の内側から浸食をはじめていたみたいで、あと少し起きるのが遅かったら、それに全身を支配されていたかもしれないとすら錯覚する。

「……大丈夫?」宇未が未空の顔を覗く。彼女が体を揺すって起こしてくれたみたいだ。

「……もしかして、唸ってた?」未空が返答を求めると、彼女は首肯で返した。窓を見ると、もう朝がやってきていた。未空は上半身を起こしてから、呼吸の規則を整える。

(……お母さんは、もういないんだ)

 今の自分が十八歳だと気づいた上で、説得するよう、自分にわざと言い聞かせる。

「顔色悪いよ……?」宇未が未空の額に振れる。「……やっぱり、無理してるんじゃない?」

「……無理?」

「昨日、あんな量の血や死体見たり、事件に深く関わったりしたから」宇未は未空の頭を撫でた。「元々得意じゃないでしょ……? こういうの」

「得意な人がいるなら見てみたいよ……」未空は今の気持ちを紛らわすために皮肉を言った。「……顔洗ってくる」

 起き上がって自分の鞄からタオルを取る。未空はバスルームで顔を洗って、こっそり鞄から取ってきた髪留めを前髪に挟んだ。水にぬれていたせいか、いつもより陰気な母親が鏡に映っていた。

(……もうやめようって決めたのに。こんなこと)

 髪留めを外して部屋に戻ってから、未空は二人分のお茶を注いだ。エントランスに行く気にはとてもなれなかった。それは宇未も同じだろう。必然的に連続殺人に発展しているかどうかを確かめることになる。

 二人は沈黙を守ったままだった。容器が空になって、未空が先に立ち上がる。「ちょっと行ってくる」

「どこに?」

「エントランス」我ながら律儀だなと、未空は思う。

 宇未はわざとらしく三秒間の空白を置いてから立ち上がった。未空の隣に立った。表情は無色だったけれど、その意図は理解できた――彼女も律儀だ。

 扉を出てすぐ、下を見下ろす。丸テーブルと、それを囲むソファ。階段を降りて、一階に降りる。

 音がなかった。

 屋敷内はまるで無人みたいだった。

 二人は外に出る。開放感を味わいたかったからなのかもしれない。けれど開放感は無かった。まだ夏焼集落の檻に閉じ込められているままだったからだ。

 屋敷の裏側に回る。

 ベランダには秤がいた。彼は小枝の部屋を見つめているみたいだった。

 二人は秤に声をかけた。

 返事はない。

 秤のところへ近づく。

 彼の見ている景色を見た。

 秤小枝が死んでいた。


 正確には、死んだのが秤小枝だとは、まだ断言できない段階にあった。何故なら、彼女の首から上は、存在しなかったからだ。そして彼女の首は部屋のどこにもない。傷口は首の断面以外には見あたらなかった。畳に流れている血の量は非常に少ない。きっと、首を切断したのは、風呂場だろう。カーテンの無いこの部屋で首を切断するとは、とても考えられない。

 一階のベランダには柵などはない。部屋の中からはそのままコンクリートの地面が見えて、少し遠くに天竜川。秤はマスターキーを捨てていたし、窓ガラスには鍵がかかっていたので、窓を割って中へ入るしかなかった。それから内側から扉の鍵を開ける。既に起きていた四郎が部屋まで駆けつけてきた。四郎はその光景を見てから、皆の部屋の扉をたたいた。やがて次々に人が部屋に集まる。奏の時と同じように、誰もが死体に釘付けになっていた。

「――小枝あ!」旺次郎が、その死体に駆け寄った。甲高い声が響く。彼はその死体を不気味とも思わず、血まみれの肉の塊をただ抱きしめた。「なんで……なんでぇ!」旺次郎は後ろを振り返って、死体を見下ろす全員をにらんだ。「――お前らの誰かがこんなことをしたのか! こんな……こんなこと! ふざけるな! 何の為に首を切断する必要があった! ……俺と彼女の最後の約束までも、侮辱するつもりかあ!」

 約束。勿論、彼女の目の事だ。

 未空は死体を見る。

 これで連続殺人と呼ぶに相応しい事態となった。

 

「一つ判ったことがある」

 エントランス。ツトムが一人語る。

「……犯人を探すにあたって、動機から考える必要は無くなった」

「……どういうことだよ」四郎の声だ。怒りを押し殺した声。

「小枝ちゃんがこの中の誰かに殺されるような理由があったか――?」らしくもなく、ツトムは感情的になっていた。

「ある筈がない」旺次郎が顔を伏せたまま言った。「あいつは……、常に皆の事を考えていただろう!」彼は熱くなって、立ち上がる。「……しかも、また密室って」

 二度目の密室。

 小枝の殺された部屋もまた、密室だった。

 それも今度は、奏の時と少し状況が違う。窓は、クレセント錠だった。簡単に外から入ることはできない。勿論、扉にも鍵がかかっていたのを、未空も宇未も、その目で確認していた。

「俺は、首を切断したのかが気になる」ツトムが唸るようにつぶやく。

「俺への当てつけだったんじゃないのかぁ……?」旺次郎は自虐しているようだった。

「当てつけ? 首を切断するほどの労力まで使って……?」旺次郎は反応しなかった。「旺次郎、死亡推定時刻は――?」

「午前二時から三時くらい……。昨日よりも早い」旺次郎は辛そうに答えた。「体に傷がないってことは、首を絞められて殺されたってことかも。その後に首を切断。……生きている人間の首を斬るなんて、そうできることじゃない。争った可能性も考えられる」

 あたりが一瞬ざわめく。

「――秤。君の意見を聞きたい」ツトムが呼んでも、秤は反応しなかった。今の秤は、ああの部屋にある死体とまるで大差がない。誰が何を言おうとも、今の彼は稼働しないだろう。「……もういい、判った。あんたは小枝ちゃんが死んでも、何も変わらないんだな」ツトムは舌打ちして、壁を殴った。最後に「……そこまで薄情な野郎だったとはね」と捨て台詞を吐いて、自室へと戻っていった。真面目に歌の練習をしなくてすねて、泣きながら音楽室を出て行った女子がいたなと、未空は場違いなことを思い出す。今のツトムは、まさにそれだった。

 指揮者がいなくなった。ツトムを継ぐ者は現れなかった。最初に旺次郎が立ち上がった。彼は予想通り、部屋へ戻っていった。指揮を取るのかと期待の目で見ている人もいた。

「宇未姉」誰にも聞こえないように、未空が彼女の耳元で囁く。「……行こう。ここにいても、どうにもならない」

 宇未は未空の袖をつかんで頷いた。それから同時に立ち上がり、階段をのぼって、部屋へと戻っていった。

 小枝が死んだ。

 これは、昨日の内に真相を暴けなかった未空の責任でもあった。


 犯人の意図は何も理解できない。それでも確かに二人が殺された。

 宇未は泣いていなかった。両膝を抱えていて、さっきの秤と同じ状態だった。まるで慰霊碑が何かのように制止と沈黙を守り続けている。未空は彼女の右隣りに座っていた。少しでも未空が彼女の傍を離れようとすると、その時だけ彼女の右腕が動いて、未空の腕を掴んでくる。

 無意味に消費された時間がどれくらいなのか、未空には判らない。目覚まし時計や壁時計は無い。携帯を取ろうにも鞄の中なので、そっちへ行こうとすれば宇未に腕を掴まれる。けれど未空にとって、今は時間の消費は致命的な損失ではなかった。

 実のところ、未空もかなり怖かった。連続殺人に発展したことは勿論だけれど、それ以上に、自分が事件を解決しなければ、また人が死ぬということを思い知らされた。

 自分にはそういう責任が伴っている。

 人が死んだら、それは自分の責任になる。

 このままだと、やがて全員が殺される。

 次は宇未かもしれない。 

 そう考えている内に狂気までもを越えた何かが芽生えはじめて、未空は彼女から離れられなくなってしまった。

 未空は母親が死んだ日の出来事を思い出す。

 あの連続殺人に、動機は無かった。

 死んだ人と犯人の接点は、一切無い。無差別。

 そういう殺人があることを、あの日未空は覚えた。

 むしゃくしゃしたからという理由で人殺しを行った人がいる。たかが八つ当たりで殺された人がいる。新聞やテレビで、そういう事件は嫌なほど知ってきた。ただ、今回の殺人がそういった類の動機で行われたものなのかどうかは、まだ判断できない。

「……小枝ちゃんが殺される理由なんて無かった」宇未は断言した。

「でも、僕たちはまだこの屋敷に来たばかりだよ。彼らの何もしらない。断言はできない」

「殺される必要なんてなかった!」宇未は感情のままに叫んで、顔を伏せた。「……ごめん」

 未空は隣の背中をさすった。事態の深刻さが宇未の理解のキャパシティを超えている。未空は今の彼女がそういった状態だとすぐに判った。

 脳内で時計を描いた。秒針は六十回音を立てて元の位置までかえってくる。それが五週、十週……、それ以上続く。窓の外の景色は、展示された絵画みたいにまるで変化がない。

「……なんでこんなことになったのかな」

 宇未はらしくもなく、ありふれたつまらないことを言う。

 沈黙の耳鳴りが、やかましかったのだろうか。


 無意識に未空は、目を閉じて真実を探していた。何も見えない空間で、手探りの感触だけを頼りにして進んでいっているみたいだった。

(……首を切断した理由にこだわるのは、犯人の思うツボなのかな)

 いつか消えてしまうのではないだろうかと心配している内に消えてしまった、あの蜃気楼のような彼女――その輪郭。

 彼女の存在はどこまでも不安定で、この世の何よりも幻想的だった。

 姉妹の一人、奏が殺害された。そして今回は首の無い死体。きっとこういったものも、入れ替わりトリックとして取り扱われてきたのかもしれないと、未空は素人なりに考えた。しかし、あの体格、あの服装、どう見ても小枝だ。それに現実問題、常識的に考えれば、首を斬ったところで、残りの体を見れば、それが誰だかすぐに判るだろう。

(……たんま。いや、どうだろう)結論に至ったばかりなのに、未空は自信をなくしてしまう。未空だって、断言してあの体を小枝のものだと言えるわけではない。

 そしてもう一つ、基本的な問題がある。

 犯人はどうやって、あの部屋に入ったのだろう。一つ思い知らされたのは、窓の鍵がフック式だろうがクレセント錠だろうが、それは関係ないということ。

(扉からの侵入だと考えたほうがいいのか……?)

 しかし、それにも問題はある。秤の持っていたマスターキーは、もう存在しない。秤は天竜川に、それを投げ捨てたのだ。勿論、スペアがあるという可能性だって捨てきれないが、ここではそれ以外の方法を考えることにする。

 ノックして、部屋の主がドアを開けた瞬間に殺害する――これは?

 ないだろう。小枝が殺される前に、夜中にノックされても扉を開けないというルールがつくられている。奏の場合にも、否定される。彼女は眠っていた時に殺害されていた。ノックして扉の鍵を内側から開けてもらうことはできない。

 百歩譲って奏が扉の鍵を開けてくれたとしても、あそこまで完璧な密室にはできない。ノックで部屋に入れてもらったということは、犯人は鍵を持っていないことが前提となる。そこから密室をつくるのならば、奏の部屋の鍵を奪って、それを使って扉の鍵を外側から閉めるしかない。しかし奏の部屋に鍵はあった。だから、それを奪って密室をつくりあげたということも無い。

(いや、部屋から出る時は、窓から出ればいい……)

 しかしどうやって一階まで降りたのかと言う問題が出てくる。まさか飛び降りたわけじゃあるまい。

(ややこしくなってきた……)

 言えばきりがない。もっとシンプルに考えるべきだろうか。未空の内側では議論が多発している。しかしいくら考えてもまとまらないので、一度考えを中断させる。

「宇未姉」

「……何?」宇未の声はかすれている。

「お腹、空いてない?」こんな時に言うことじゃないのは承知していた。しかし実のところ、昨日から一切、何も口にしていない。

 宇未は伏せていた顔をあげる。「……空いた」

「食堂行こうか。ツトムさんが作ってくれてるやつ、残ってるかもしれない」

「……うん」

 

 2


 作り置きの定番でもあるカレーだけれど、未空も宇未もそれに不満はなかった。そもそも彼は率先して事件の解決にその身を捧げているというのに、それ以上何かをしてくれるだけでありがたいのも事実だった。

 二人は食事の間、何も話をしなかった。未空ははじめて入った食堂の中を見ていたけれど、これといって面白いものはなかった。自分達が来るまで夜の食事はここでしていたと、誰かが言っていた。

 食器を片づけてエントランスに戻ると、小枝の部屋の扉が開いていた。またツトムが調査をしているのかもしれない。

「行くの?」宇未が尋ねる。

 どう返せばいいのは、未空は迷った。「……でも、宇未姉は見たくないでしょ?」

「みぃくんの意見を訊いてるんだよ」宇未の声はいつもより低かった。「……ていうか、本当は行きたいんじゃないの」

「どうして?」

「だって、決めてたじゃない」宇未は目を閉じて、彼の背中を弱く押す。「本当の事を見つけるって」

 目を合わせてから頷いて、肯定を教える。「宇未姉は、見ない方がいいんじゃないかな。……ていうか、見てほしくない」

「行くよ。昨日、そうするって決めたんだし」

「そこまで律儀になることないだろ……。友達の死体なんだよ?」

「……言っても、もう一度は見ちゃったからさ」

 二人は黙って頷いて、小枝の部屋には入った。先客はツトムではなく、赤紅四郎だった。彼はびくびくした様子で、何かを探すようにうろついていた。

「……四郎さん?」宇未が声をかける。

「うわ!」四郎は跳ね上がって、転びそうになった。「――ああー、びっくりした。なんだよ……、脅かすなよ……」

「びっくりしすぎですよ」宇未は苦笑した。「……何してるんです?」

「……見ての通りだよ」四郎は気まずそうにしていた。

「見ての通りって?」

「いや……、だから……。そのね、ゲンバケンショーってやつだよ」

「……あなたが?」

「……ちょ、何だよその目は!」四郎は情けない顔をして宇未を見た。

「だって……、こういう類の状況、苦手じゃなかったですっけ」恐らく宇未は、怖いものとか、死体とか、そういう言葉の代わりに『こういう類の状況』という言葉で代用したのだろう。「一昨日も、お化けトンネル行った時かなり怖がってたじゃないですか。エントランスで怖い話してた時も。ほら、小枝ちゃんが――」

 宇未は何かに気が付いたように中断して、倒れている空の器を見る。首から上は無い。三人とも、無意識にその首の断面だけは見ないように気を配る。宇未は死体を見て、続きを言うのをやめた。

 四郎はしばらく、首切り死体を見ていた。「……ツトムの言葉が、ようやく判ったんだ。馬鹿だから、理解するのに時間かかったけど」ツトムはわざと間を置いた。「人が二人も死んだ。……だからもう、仲良しごっこしてる訳にはいかないんだ。……人を殺すくらいの恨みを抱いていたのなら、それに気づいてやるべきだった。きっと俺は誰かの汚い部分から意図的に目を逸らしてたんだ。本当は見ていたのに、都合よく、盲目的にそいつを良い奴だって言っていたのかも。……それが一種の押し付けにもなって、犯人を追い詰める原因になっていったんだ。……現状は、その結果でもある。……俺にだって、大きな責任があったんだ。……だからさ。こういうのが苦手とか怖いとか、もうそんな甘いこと、言ってる場合じゃないのかなって」

 四郎はびくびくしたまま、『ゲンバケンショー』を再開した。

「今更だけどごめんな。楽しいものになる筈だったのに。本当に楽しみにしてたんだ。小枝と一緒に話してて。どんな奴が来るんだろうって。できれば学校の課題とかでじゃなくて、普通の友達として、来年も来てくれたらいいな、とか」

 四郎の手には携帯がにぎられていた。それで写真をとっている。きっと、彼もツトムにプリントを頼むつもりだろう。未空と宇未は、無言で捜査に加わった。三人とも靴を履いたままだったが、なるべく、その少ない血の水たまりを踏まないように心掛けた。

「鍵はあったんだ。小枝ちゃんの部屋の鍵」四郎が指をさして、場所を教えてくれる。入口側から見て、右下のところに落ちていた。机は、窓のすぐ横にある。入口から見て、左上に位置していた。死体のすぐ横だ。死体は、窓のすぐ傍に位置する。

「鍵が部屋にある。……ていうことは、やっぱり侵入経路は二回とも窓なのかな」未空が呟く。「あるいは、マスターキーみたいなものが他にあるのか」

「少なくとも、秤さん、あのマスターキーは捨ててたんだ。天竜川に。それはツトムも見てる」四郎が反応する。

「その投げ捨てた鍵は、確かにマスターキーだったんですか?」

「あぁ。ツトムが確認してた。最初に皆の部屋の鍵穴にさしてね」

「……成程」未空は鍵のところまで歩いていく。それをつまみあげて、一応扉の鍵穴に刺して確認した。鍵は回って、『がちゃり』と音を立てる。この部屋のものだった。つまらない確認をしたと、未空は溜息をつく。死体の方まで戻っていく。被害者を直接調べることにした。見たくはなかったけれど、意を決して首の断面も見ることにした。今まで知らなかった恐怖を知って、気分が悪くなった。腹の底から消化されていないものが逃げ出そうとしているみたいだった。

「……何か判る?」宇未が未空の肩に触れる。

「……いや」一見、不審な点はない、と未空は解釈する。「問題は、犯人は、小枝さんが起きていたと知っていながらも襲ったってことになる。小枝さんは遅くまで起きている。……昨日の小枝さんの証言で、皆がその事を知っている」四郎がこちらに耳を傾けている。「そんな状況で、どうやって部屋の中に侵入して彼女を殺したか。扉からの侵入は、今のところ考えられない。ノックしたって、開けるわけないし。ツトムさんの助言にならって、覗き穴をのぞくくらいなら、するだろうけど。窓からの侵入だとすれば、この屋敷にはカーテンが無いから、すぐに誰が来たか判る。それにさ、殺されるなら、叫び声の一つもあげるだろう? いくらこの屋敷の構造がしっかりしているとは言っても、絶叫と言えるほどの叫び声をあげれば、誰かしらにその声は届く。でも、誰もそんなことを言いには来なかった」

「実際に争った可能性もあるとも言ってたよね、旺次郎さんが」宇未が付け足す。

 未空が認める。「そう。……恐らく、小枝さんは、犯人に部屋に入られてから、その人の正体に気づいて抵抗したのかも。犯人が部屋に侵入しようとしているのが判ったら、小枝さん自身が部屋から出て逃げようと考えるでしょ?」

「……そうなるのかな。ともあれ、犯人の正体に気づいた時には、何もかも手遅れだったと」

「クレセント錠のかけ忘れとかは? 入口の扉でもいいけどさ」四郎が言う。

「殺人事件の起きた後だから、残念ですが、とても考えられないですね……」未空が返す。

「そうかぁ」

 未空は宇未と四郎の二人を見る。「で、なんですけど。やっぱり、気になることがありまして」

「どうやって、ここまで完璧な密室をつくりあげたか」宇未が継ぐように言う。

「……そう。扉も窓も、鍵は閉まってる。で、鍵もあった。……一番自然な解決方法が、やっぱりマスターキーってことになるけど、マスターキーは捨てている」

「みぃくんさ。……動機については、どう考えてる?」

「動機……。うん、動機ね」未空は否定するような口調。「今のところはやっぱり、そこから犯人を辿っていくのは、現実的じゃないって考えてる」

「……やっぱりそうだよね」

「自然に考えれば、秤さんってことかな」未空は気まずい雰囲気をわざと体から放出した。「マスターキーのスペア。あるいは、屋敷に何かしらのギミックがあったりするって考えれば……。後者は、とても現実的じゃないけど」

「動機を考えなくていいってなると、そういう結論にもなるわな……」ツトムも同じ考えだった。

「これは感情論だけど……」二人の様子をうかがい、未空は前置きした。「やっぱり、秤さんは違うって思いたい。昔はすごくお世話になった人でもあるから」

 宇未も四郎も、何も言わないでいてくれた。未空にとって、それが一番ありがたい対処だった。

 四郎は思いついたように口を開く。「……そうそう。二人は昨日さ、何してたんだよ。寝る前とか、事件の時間帯とか」

「寝る前はみぃくんの部屋で、写真を調べたりとかしていました。……寝たのは二人とも、午前一時くらいだったよね」宇未が確認するように未空を見た。

「だね」

「二人とも……?」四郎が不審なものを見るような目つきをした。

「あぁ、はい。私、昨日はみぃくんの部屋で寝ていたんです」

「…………」四郎は黙って無表情になった。「二人で?」

「……四郎さんは? 昨日、何してたんです?」宇未はされているであろう誤解を解くのも面倒くさくなったのか、話を進めようとする。

「あぁ、えっとね……」四郎は白々しい顔をたてる。「午後十一時くらいには、もう部屋の中に完璧こもってたな。風呂は朝に入ることにしてたから、その日は入らなかった。ほら、殺人鬼がその間に来たらって考えると、びびっちまって……。寝るまでは部屋の中を片づけてた。その後も犯人が来るの警戒してて、できるだけ起きてようとしてたんだ。でも精神的に疲れてたのか、気が付いたら寝落ちしてて……」

「最後に時計を見たのは?」

「午前一時くらい。宇未ちゃん達と同じだよ」

「……うーん」宇未は後ろを向いて、迷いながらも言う。「……死体も、このままにしておくわけには、行かないよね」

「勿論そうだね」未空は歯切れ悪く言う。「死体は多分、また埋めるんだろうね。恐らく、今回は秤さんが……」

「私も、ちょっと個人的な感情出しちゃうんだけど。やっぱり、早めに埋めてほしいんだよね。小枝ちゃんの事……」宇未は死体を見た。

「写真は、十分撮ったよ」四郎が言う。「小枝ちゃんの役目は、十分に果たされた。ツトムにプリントを頼もう」

 四郎はその死体を、頑なに小枝と呼んでいた。

「じゃあ、四郎さんと二人で、ツトムさんのとこ行ってきなよ、宇未姉」未空が言う。

「みぃくんは? どうするの?」

「……秤さんに、報告だけしてくる。きっと秤さんも、宇未姉と同じ気持ちだろうから」

 宇未は表情を暗くした。「……判った。お願いね」

 未空はただじっと、倒れている赤い体を見つめていた。気づけば宇未と四郎は部屋を出て行っていた。

(――あ)

 宇未を秤のところへ行かせればよかった。

 この役目は、アフターケアのできる人間こそ適任だ。

 気付いた時には、もう遅かった。


 秤零士は部屋にいなかった。いたのは屋敷の外だった。彼は棺を作り終えていて、今は小さなスコップで穴を掘り続けていた。彼の爪の隙間からは血がにじみでていた。棺は奏の時と比べると幾分豪華な印象だった。

 未空は秤の背中に「秤さん」と語りかける。話をかけづらい雰囲気だったので、遠慮するような言い方を選んだ。「……現場写真撮り終わったので、もう小枝さん、動かしても大丈夫なので」

「そっか。ありがとう」

 彼は笑っていなかった。未空は懐かしさを感じた。これがかつての秤零士だったからだ。今の秤零士に対して、どこか安心を覚えてしまっていたと言えば、不謹慎にもなるだろう。

「未空くん」秤は立ち上がって、泥と血に塗られた両手をハンカチで拭いた。しかし新たな血がにじみ出てくる。「……手伝ってくれる?」

 未空は黙って頷いた。二人は棺を持って部屋までいき、その中に小枝の死体を収納して、再び同じ場所まで戻ってきた。穴はまだ掘っている途中だったので、秤は再び作業を再開した。スコップが一つ余っていたので、未空はそれを握った。

「僕も、いいですか」

「ありがとう。小枝も喜ぶよ」

 二人は無言で穴を掘り続けた。秤は感情的になっているのか、スコップを動かす腕が震えていて、動作は乱暴だった。時折、秤は棺の方をみた。未空にはそれが「もう少し待っていて」と言っているように見えた。

「あと何人、死ねばいい」秤は穴を掘りながら、いいだした。「事件を終わらせるためには、あとどれくらいの代償が欲しい」

「秤さん――」

 秤の指から、どんどんと血が滲み出る。乾いた血の下から、新たな血が出ている。乱暴に手を動かしているせいで、更にあちこちに傷ができてしまっていた。

「いつまでもいてほしかった日が、どんどん向こう側に離れていくんだ」秤は譲れないものを奪われたかのように苦しんでいた。「いつか、きっと忘れる。どんなに覚えていたいって思っていてもね」

「……忘れるわけないじゃないですか」

「どうだろう。自信が無いんだけなのかも」いつもの秤なら、ここで笑っていたかもしれない。「小枝はこの六年間で、生まれ変わったっていえるほどに成長した」秤は穴を掘る。「親としてこれほど嬉しいことはない」彼はただ穴を掘り続けた。「けど今になって気づいたんだ。本当に大切な事を教えてくれたのは、彼女の方だった」

 ずっと、秤はスコップで小さな土をすくい続ける。こうしていれば、いつかきっと報われると信じていたのかもしれない。

 空がオレンジ色になっていく。

「父親をやるってのは、こんな気持ちだったんだね」

 未空は手を止めて、秤を見た。「……子供、いたんじゃないんですか?」

 秤は未空を見て、目を瞑る。「……なんだ、天宮城の奴、言ってなかったのか」

 未空は気まずそうに白状した。「……すみません。実は、秤さんに子供がいたこと自体、秤さんの部屋の写真を見て知ったので」

 秤は「成程」と言いたげに相槌を打った。小枝の眠っている棺をみて、それから未空を見た。「絞扼性イレウス――」秤は一度、出そうとしていた言葉が喉元で引っかかった。それからもう一度挑戦して、ようやく言葉になった。「――それが、一歳にもなっていない、僕の娘の死因だった」未空は持っていたスコップを落としそうになった。未空も棺を見た。自分が今、どんな顔をしているのか、手に取るように判る。

「……絞扼性、イレウス?」

「腸がねじれて、その通り道が詰まって、消化物が通らなくなる」棺に手を置く秤。棺に血と泥がつく。「……顔が白くなって、何度も嘔吐して、やがてそれに血が混ざりはじめて……そんな嘔吐がずっと続く。……苦しそうにして、死んでいった。……僕たち夫婦は、黙ってあの子の苦しんでいる姿を見ていることしかできなかった」

 また見たくないものが見えた。

 未空は痛みを見てしまった。

「……それから、妻の顔を見るのが、辛くなった。向こうもそうだった。……だから――だから……、離婚した。……今まで見てきて、一番辛かった現実だった」秤は両手を見つめる。「宝くじが当たるこの運とか、やっぱり皆は、羨ましがるんだ。……けど、お金なんて、労働時間と交換して手に入れればよかったんだ。お金は常に何かの代用品で、僕はそんなものが欲しかったわけじゃない。かけがえのないものだけがずっといてくれれば、それでよかった」そして秤は、自分の屋敷を見上げた。「僕はこの屋敷を、やはり憎しみの象徴にするつもりだったのかもしれない。けれど、この屋敷の象徴をそうさせなかったのは、やはり小枝だった。……あの時、僕は小枝を助けてしまったのに、深い理由はなかった。ちっぽけな人間としての価値観のせいか――やっぱり、祖父の言葉のせいか」

 最後らへんが口ごもるように言っていたので、未空には聞き取れなかった。

「六年前、目の前に少女が倒れているのを発見した――その時は勿論、ずっと家に置いておくところまでは、考えてなかった。何かしらの方法で、彼女を出ていかせようって、考えてた」秤が未空を見る。「じゃあ、何が、運の尽きだったとと思う?」

 運の尽き。

 未空は首を横にふる。「判りません」

「僕の死んだ娘の名前も、小枝だったんだ」聞いてすぐには理解できなかった。理解できてからは形容し難い――それでも鋭くてどこかが痛むような、不思議な感覚を味わった。「彼女の口から名前を聞いた瞬間に、全てが決まったような気がした。だから、これは何かの運命なんだって思って受け入れることにした。つまらないことで、彼女をずっと家に置いておこうと決めてしまった。死んだ自分の娘と重ねてしまったから。彼女を守れば、死んだ娘が救われるって信じて、そして僕は今度こそ父親になれるって、考えていた。小枝の死んだ今になって判った気がする――僕のしたことがどれだけ自分勝手なことだったか。僕は……彼女を自分のエゴの為だけに利用して、巻き込んで――殺した。……人形みたいな使い方をしたんだ。だから彼女だって――」

「嘘つくなら、僕以外の人の前でやってください」未空は強引にさえぎった。視界にうつる血まみれの手を、ずっと見つめていた。「……お願いですから」棺を見てから、未空は自分の白いハンカチを取り出して、それで秤の両手の血を拭きとる。血の跡は少し残る。「『見る』人の方の身にも、なってください」

 秤は未空の事を良く知っている。

 宇未と同じように、未空が何を見てきたかも知っている。

 二人とも何も言わなくなった。

 ただ黙って作業が再開される。

 長い時間かかった。

 二人は小枝を埋めた。

 全てを終えたころには、秤の手はまた真っ赤に染まっていた。


 3

 

 気が付けば空は紫色だった。

 未空が奏の部屋に行ったのは、ただの気まぐれだった。母に会いたいのと似た気持ちが混ざっていたのかもしれない。扉には鍵がかかっていなかった。今度は玄関で靴を脱いでから、部屋の中に入る。短い廊下が伸びていて、その先にある畳の様子はここからでも十分見える。血は既に拭き取られていたけれど、滲んだ赤色は完全に取れてはいなかった。未空は奥まで進む。

 部屋には、膝をかかえて、胸と膝の間に表情を埋めている創がいた。

「……誰?」創が顔をあげずに訊いてきた。顔をあげる気力すらないみたいだった。

「僕です。天宮城、未空です」

「……あぁ、君か。よかった」

(……よかった?)未空は三回瞬きをした。「なんで『よかった』、なんですか?」

「君は大人しくて可愛らしいし、一緒にいても怖くないから」

「……はぁ」釈然としないままだったけれど、実のところ、それは未空も同じだった。どうしてだか、彼女を怖いとは思わない。未空は壁にもたれて座った。創のすぐ隣だ。「ずっとここに?」

「いや、さっきまではぬいぐるみ探してた。……見つからなかったけど」

「……大切にしてたって、言ってましたね。小枝さん」

「本当ね……。あげた側の身にもなってほしいくらいだったよ。あんなに大切にしてもらってたなんてね。……せめて今からでも見つけて、お墓に置いてあげようって思ったんだけど」創がゆっくりと顔をあげる。二人の視点が一致する。畳に残った血の跡。「……どう? 捜査の進展具合の方は」

「全然。何分、ピースが足りなさすぎて」

「皆個室で過ごしてたから、共通のアリバイとかもできないしね。個人の証言じゃあ、意味もないし」創の意識は、半分以上が上の空だった。「小枝ちゃんは? 埋めてあげたの?」

「丁度、今終わって」

「そう」創は天井を見上げる。「……でも折角埋めてあげたっていうのに、首が無いと、なんだか気持ち的には未練が残るね」未空は頷いて同意する。わざわざ言葉する気にはなれなかった。「……なんで首を切断する必要があったんだろう」

「今回の一番の謎です。……けど現状、そこに意味があるとは思えないんですよね」

「でも、首を切断するのって、すごい大変な作業だって言うじゃない。何の意味も無いのに、わざわざそんなことをする?」

「そうやってかく乱させるためっていうのは?」

「論理的じゃないね」創の言い方は、さっきから攻撃的なように感じた。

「……確かに。ただ、現状ではそこに理由を用意できないんです」

 創は小さく唸る。「ツトムンは、何か言ってた?」

「ツトムン……?」

「マナブツトム」 

「……あぁ、ツトムさんか。いや。そういえば、今日はあれから、会ってないんです。今は、宇未姉があってる筈なんですけど」

「そう」創がそっけない相槌を打つ。「動機については、どう考えてる?」

「その事なんですけど。……心あたりありません? 小枝さんに恨みを抱いていた人とか」

「いるわけないじゃない」

 創の対応がどんどん冷たくなる。

「……動機から考えない方がいいんだよな、きっと」未空は自分に語り掛ける。

「でも、動機の無い殺人っていうのも、おかしくない?」創が反論した。

「おかしくないですよ」未空は断言する。無意識に、怒り混じりの口調に変わっていた。「人殺しをするのに理屈を求めるのは、筋違いです」

「…………? ……あぁ――」創は納得したように声を漏らした。「君のお母さんの件、か」

「誰から聞きました?」

「旺次郎さんだよ」創は短く答えた。「……殺人犯。君は一足先に味わっていたんだね。こういう気持ち」

 未空は黙って床の血の痕を見た。

 真実奏に頭を撫でられた時の事を、ふと思いだした。「そういえば、一番はじめに話したのは、奏さんだったな」

「お姉ちゃんに?」創の声のトーンが上がる。

「はい。服を届けた時に」未空はもう一度赤いシミを見る。「……だからここに来たのかな。お母さんに会いたい、みたいな気持ちで」

「お母さんが好きだったの?」創が思いの外、くいついてくる。

「そうですね。優しい言葉とか、綺麗な言葉を沢山知ってて。そういうものばかりを教えてくれました」何度も他人に言ってきたことだった。未空にとって母親は一番の自慢だった。未空は自分の髪の毛をつまむ。「僕は本当の事を探すのが好きで、その楽しさを教えてくれたのが母で……、『他人の為にいきてほしい』って言われて――。……だから今も、こんなことしてるのかな」

「真相を暴こうとしている、今の行動のことを言ってるの?」未空は認めるように首を縦に振る。「お母さんと似てたの? お姉ちゃんは」

「そういうわけじゃないんです。ただ――辛かったねって、言ってくれたから」未空は久しぶりに『ずれた』ことを言ったと思った。

 創は目を瞑る。「……珍しいね。私にならともかく、他の人にそういうこと、あんまり言わない人なんだけど」

「そうなんですか?」なら、どうして自分に言ったのだろうか。未空は息をのむ。「……奏さんは、良いお母さんになれたって思うんですよね。僕は」

 奏にも言ったことを創に言う。彼女がどう返してくるか、気になった。

「……うぅん」創はとても同意するような顔をしてはいなかった。「どーだろ。……酒癖の悪い人だから。おまけに、煙草であんなこともしちゃうし」

「口の火傷跡のことですか?」

「……あぁ、聞いたんだ。馬鹿だよね」創は色の無い表情のまま、未空を見た。今の彼女は、事件の前とはまるで別人みたいだった。「でもそっか。なんとなく判ったよ。おねえちゃん、何か君の事、ちょっと気にかけてたみたいだったから」

「僕を?」

「それも珍しいことだったんだ。あんまり、他人に深く関わろうとしなかったから」

(そういえばそんなこと、誰か言ってたな……)未空は心の中で呟く。

「実はこの会に参加する前ね。私が先に、行こうって提案したんだ。こういう会があるから、二人で行ってみようよって」

「創さんが先に?」

「そう。私達のコンプレックスもそうだけど、これでお姉ちゃんの何かが変わるかもしれないからって思って。……でも、変わらなかった」

「……きっと、体質のせいじゃないですか」《異質》。未空はそれを思い出した。「僕と話してた時、言っていたんです。自分は変わらないまま、周りだけが年老いていく。それは地獄だって。……やっぱり、それが怖かったから、深く関わることができなくなっちゃったんじゃないのかなって」

「――あぁ……」創は死人のような声。「……それもあるのかな」

「それ、『も』?」

「一括払いで説明できるような理由じゃないよ」

「あなたは平気なんですか? 自分以外の人が老いて行く光景を見るのは」

「私は案外そういうところ、平気なんだよね。結構割り切っちゃってるから。お姉ちゃんの理由は、きっと複雑なんだ。私だって、お姉ちゃんの全部を知ってるわけじゃないし。結構あの人はクローズな性格なんだよ。無口で、他人に対しても閉鎖的で……」

「生まれたときから?」創は黙る。視線すらこちらによこさない。「旺次郎さんが話してくれました。あなたが小さい頃、喘息にかかってたこと。それが、ぬいぐるみをつくるきっかけになったって」

「……口が軽いなぁ」創は困ったように溜息をついた。

「だったら少なくとも、あなたに対しては、何か思うところがあったんじゃないんですか?」

「さぁ」創の声が冷たい。あまり話はしたくないらしい。創が立ち上がるのを見て、それを確信した。

「……行くんですか?」

「行くよ。いつまでも、こんなウジウジしてるわけにもいかないし。……それに、ぬいぐるみも見つけてあげたいから」創は一度、未空を見下ろす。「君はどうするの?」

「……どうするって?」

「真相を暴いて、それでその後は、どうするの?」

 創は未空を睨んでいた。

「終わってから、考えます」

「そういう考え方をしてるから……秤さんと同じ道をたどるんだ」

 未空は何を言われているのか、全く判らなかった。「どういうことです?」

「あなたと秤さんは同じなの」

 創の口調がきつい。未空は苛立って、舌打ちをしてしまう。聞こえてしまったかもしれない。「僕と秤さんは別人です。……一緒にしないでください」

「違う、同じだよ」創が未空の目を覗く。「――きっと、同じなんだ」

 反論する暇もあたえないで、創は早足で部屋を出て行った。未空はわずかに残っている血の跡を見続ける。

(……なんて大人げない。まるで八つ当たりだ)

 大人げない。

 未空は心底そう思った。


「秤零士は、この上ないくらいに意気地なしだ」

 さっきから何度もツトムが同じ事を言って来るので、そろそろ宇未もうんざりしはじめてきた。ツトムの部屋の床に広げられた写真を眺めながら、四郎の表情をうかがう。彼は四つの手にそれぞれ別の角度から撮られた写真を持っていて、交互に眺めている。四郎も鬱陶しそうな顔をしている。

「なぁ、さっきから同じことばっかやめてくれよ」四郎が口にすると、宇未はちょっぴりスカッとした。

「……言いたくもなるさ。こうして無能でオカルトが苦手な君までが手伝いにきてくれたっていうのに、あいつは何もしないんだ」

「……それは褒めてるのかよ」

「褒めてる褒めてる。これはマジだ。……それと比べて奴は、小枝ちゃんが死んだってのに、何も変わらなかった。元刑事がこの事態に手を貸してくれれば、それこそ正に百人力と呼ぶにふさわしい力を得られるってのに……」

「仕方ないだろ。小枝ちゃんが死んじまったんだから、逆にショックのあまりっていうかさ……」

「……だからこそ、犯人を探すべきなんだ。彼は気づいちゃいない。どういう手段を行使しようとも、絶対に過去から逃げることなんてできやしないのさ」ツトムは両手を叩いて、大きな破裂音を出す。「――まぁ、いい。この話はやめだ。いい加減君たちもうんざりしてきた頃だろう」

「ずっと前からだけどよ」

「じゃあ赤紅四郎。君から聞こうか。この小枝ちゃんの犯行、どう考える」

「……おいおい」四郎は『まいった』といわんばかりの困った笑い方をした。「……俺はあんたが思っている以上に馬鹿なんだぜ? ……勘弁してくれよ」

「捜査側に回ったなら、一つぐらいひねり出してみろ」

 四郎は両腕を組んで(しかも二組)唸る。本気で悩んだ末に、彼は決心したように語りを始めた。「……自分が犯人だったらって視点で考えたんだけどさ。……例えば、約束をしておくってのは?」

「約束?」宇未が追及する。

「そう。例えば、夜中の二時に部屋に行くからってあらかじめ予告しておいて、警戒心を無くさせておく。それで、約束の時間に部屋に行って、扉を開けてもらうとか」

「うん、まぁ」ツトムは変な態度になる。「……正直、あんたにしちゃあ、そこまで発想は悪くない。逆に、割とまともで驚いた」ツトムは素直に評価した。

「え、嘘」四郎は嬉しそうだった。

「だが、ネックなのが時間帯だよ。小枝ちゃんが殺されたのは、午前二、三時くらいだろう? 事件が起きた後だっていうのに、そんな怪しい時間を指定されれば、やはり警戒もするじゃないか」

「……あぁ。そっか」

「けど犯人の視点に立つってのは、忘れていたよ。『ホワイトルーム』を書いてた時も、犯人の気持ちを第一に考えていたからね」ツトムが宇未を見る。「君はどうだ。雪桜宇未」

「私、こういうの苦手なんですよね。答えを出すのとか、自分で組み立てるのとか」宇未は前置きしながらも、自分なりに仮定を築こうとする。時間は掛かったけれど、ひとつだけ思いついた。「弱みを利用するっていうのは? 犯人は小枝ちゃんの弱みを握っていて……、それで、置手紙かなんかで、『弱みを握っている』って伝える。それで、あとは四郎さんの仮説を借りるんですけど……、ドアを開けておいてもらうとか。それで、首を絞めて殺害して、首を切断する……。首を絞めれば、叫び声も出せないし。なんで首を切断したのかはともかく、それで筋は通るんじゃないでしょうか」

「あぁ、そう来たか。玄関で首を絞めて殺す――そしてすぐ傍にある風呂場で首を切断。あの時血の量が少なかったのは、風呂場で既に流されてたから」ツトムは三回首を縦に振る。正直、宇未はそこまで考えてはいなかった。「しかし、弱みを握っている相手に対して、手間をかけすぎじゃないか」

「……確かに。自然じゃないですね」宇未は認めざるを得なかった。「それに、鍵が部屋にあった以上、この仮説は適切とは言えないですよね。もしも犯人が小枝ちゃんの部屋の鍵を使って扉をロックしたのなら、部屋から鍵は見つからない」

「一つの問題が、そこ。で、もう一つ」ツトムははっきりとした声で言う。「君たち二人の推理に共通してるのは、内側から開けてもらうっていう手法だってこと。……悪くないんだけど、それじゃあ、真実奏が殺された時のトリックには使えないんだよ」

 宇未は目を閉じる。「……彼女は、寝ていたから」

「そういうことだ」

「やはり、奏さんの時は、窓から侵入されたんじゃないですか?」

「かもね。あのベランダまでたどり着ければ、あとは無防備な彼女を殺せば良いだけだからね。当然、そこまでが問題になるんだけれど……」

「でもさ、ハシゴをつくれるような材料ならあったんだろう? 倉庫に」四郎が発言した。

「事件当日、倉庫は閉まっていた。しかも天宮城未空に聞いたところによると、秤曰く、木材は減っていなかったとのことだ」

「じゃあよ、犯人が予め用意していた、とかは?」

「どうかね。……あぁ、そうそう。外から侵入するにあたって、大きな問題があったじゃないか。前にも言ったけど、この屋敷、カーテンはない。おおがかりな用意してチンタラやったら、小枝ちゃんが気づくだろう。彼女は起きていたんだから」

「……あぁ、そういえばそうか」四郎は認める。「……あの子の首、どうしたんだろ。なんで、奪われたんだろ」

「奏の件を考えないで意見すると、星七田旺次郎が怪しいかな」

「なんで?」

「動機になるのかは、はっきりしないけど、奴は小枝ちゃんの死後、あの黒い目を貰う約束をしていたんだろう? 大切な約束なんだと、いつも自慢みたいに話していた。もしかして、内心ではすごく欲しがっていたとか。それで、首を斬った」

「首を切断する必要はあったのかよ? 目をくりぬくとか……そういう、最低限の手間で行うだろう。あの人なら」四郎は言ってすぐにぞっとしていた。想像してしまったのだろう。

「意外と発言が賢いじゃないか。……そのカモフラージュなのかもな。目だけ盗めば、そこに意図があるってのを悟られるから」

「でも、それでいけば、首を斬った謎は解決できますね」宇未が言った。

「解決するのはそこだけだし、今のところ、聞き苦しいこじつけの段階なんだけどね」ツトムは銀色の髪をかいた。「……それはそうとさ。あのぬいぐるみはどうしたんだろうね。見つかってないんだろう?」

「あぁ、そういえば……」四郎は今まで忘れていたかのようだった。「これは事件に関係してくるのか?」

「どうもあれが事件の役に立つとは、考えられませんよね」宇未は自分なりの考えを述べる。「盗むほどの何かがあったのかな……。例えば、中に何かが入っていたとか」

「今となって、それはもう確認できないな。……果たして犯人が盗んだのかっていう疑問も出てくる。自然に考えれば犯人だろうけど、やはり使い道がはっきりとしない」ツトムが眉間にしわを寄せる。

「うぅん……」宇未が悩みながら写真を見る。死体にはやはり他の傷は無い。「……一度、みぃくんのところまで戻ってもいいですか。……何か、判るかもしれません」宇未は四郎と顔を合わせる。四郎も宇未に賛成らしい。

「判った。彼の意見も必要だろう」ツトムが手をたたく。

 宇未は会話の全てを記憶している。それを彼のもとまで持ち帰ることにした。


 4


 自室にいた未空を見つけて、宇未は四郎、ツトムと話し合った事を、一つ残らず教えた。未空は自分のボールペンとメモ帳で、要点を箇条書きして残していた。

「どう、みぃくん」宇未は未空に問う。

「……ちょっと待って」未空は難しそうな顔をして目を閉じている。未空はしばらくの間、そうしたままだった。ちょっとしてから、目を瞑ったままペンを指先で回し始める。ぎこちない動きだった。「……まず初めにだけど――ぬいぐるみに何か入っていた。その線は無いんじゃないかな」

「なんで?」

「だって、やる意味がないじゃない? わざわざそんなところに隠さなくてもいいでしょ。誰かが気軽に手に取るであろうぬいぐるみの中に隠すのは、いささかリスクが高い。外に隠す方がよっぽど現実的だ。ここは夏焼集落なんだから、安全な隠し場所なら無限にあるんだし」

 宇未は感心するように声を漏らしてから言う。「……そっか」続けて宇未は訊く。「じゃあ、何が目的だろう」

「わざと関係ないものを盗んで、そこに視点を行かせるっていうのは? 気づかれたくない事が他にあったから、あえてぬいぐるみを盗んだ」

「うーん……」宇未は、今度は満足しなかった。「確かにぬいぐるみに使い道はないから、そう言いたくもなるけどさ。ただやっぱ……ねぇ」

「否定しなきゃよかったかな……。ぬいぐるみの中に仕込んだっていう仮説」とんでもないことを言いだす未空。「……ぬいぐるみ」その後何か思いついたような顔をしたが、喉元で言葉を飲み込んだ。

「……どうしたの?」

「――いや」未空は目を逸らす。きっと思いついたものの、彼の中では満足する結論まで至らなかったのだろう。「密室の謎に戻ろう。ここが成立しない限り駄目だ」未空は突然深刻な顔になる。「……部屋には鍵がある。――それが問題なんだ。宇未姉達が何度も議論したように、内側から入れてもらうってことは、犯人が鍵を持っていない証拠だ。そして、その手法は、一回目の奏さんの時の犯行には、使えない」

 未空が両手で顔面を覆う。頭を撫でると、少しだけ気分を取り戻したようだった。「……すっごい『ずれた』こと言っていい? 不謹慎なんだけど」

 未空がこういう警告を出すのは、宇未の知る限り、初めてだった。

「いいよ」宇未は優しく言った。

 未空は溜息をついた。「……ミステリー小説とか、今まで読まなかったから、やっぱり読んでおけばよかったなって。……そう思った」

 ツトムも同じことを言っていた。未空も気づいていただろう。

「ずっと疑問に思ってた、それ。……どうして今まで、読んでこなかったの? クイズとか好きだし、得意でしょ?」

「確実に人が死ぬから」未空は言った。彼らしいと、宇未は頷く。「母さんが死んだ時は六歳だった。小説を読み始めたのは、確か十歳くらい。……その時にはもう、そういうのは見ないことに決めてて……。あとは――そう……やっぱり、汚い言葉ばっかり出てくるから。死ぬとか、殺すとか、復讐とか。そういうの」

 宇未は未空を見て、もう一度頷いた。「あぁ、やっぱり、みぃくんらしいね」昔の彼を思い出す。「お母さんが死んでから、みぃくん変わったじゃない。人ともあんまり接しなくなったし、表情もあんまり変わらなくなったし、泣かなくなっちゃったし」

「そうだっけ」未空はとぼけたのだろう。けれどもしかしたら、本当にもうあまり覚えていないのかもしれない。

「それが当時、すごい心配だったんだ。変わったんだって。別人になっちゃったんだって思って。でもまたみぃくんと接していく内に気づいたよ。みぃくんの本質は、何も変わっていないんだって」

「……人間はそう簡単には変わらないよ。むしろ、あの時より臆病になっただけだ」

「だから前に進みたいって思って――事件にかかわったんだね」

 宇未は自分の額を未空の額にくっつけて、彼の後頭部を撫でた。

「早くしないと」未空は自分に言っているみたいだった。「……また誰かが死んじゃう」

 未空はゆっくりと、宇未の温かい拘束をほどく。それから床に写真を広げて、それを見つめた。

「僕には責任がある」

「……責任って?」宇未は未空が心配になっていった。らしくもないことを言い始めたからだ。

「真実を解き明かせなかった責任。そのせいで、小枝さんが死んだ」

「みぃくんのせいじゃない。そんなこと言ったら、私にだって責任がある。この呪いが、そもそもの始まりじゃない」

「違う――それだけは、絶対に違う!」未空は抵抗するように声量をあげる。「そんな非科学的なもの、誰が認めるものか」

 判ったことがあった。

 違う。

 白々しくも、『判ったことがあった』と、この瞬間に判ったかのような言い方をしたけれど、本当はずっと知っていた事でもあった。

 宇未は思った。彼は――自分の為に戦っていたのかもしれない。

 多分、断言しても怒る人も指摘する人もいないだろう。

 その動力源は、母親の言葉か、それとも――あの葬式の日、黒い煙を見て泣き崩れた彼を抱きしめたからだろうか。その恩返しをしようとしているのかもしれない。

 けれど未空は知らない。

(本当に離れられないのは、きっと自分の方だ)

 蓄積されていく年齢と平行して精神年齢を増やしていく半面、ずっとこうしていたいと現状に甘んじて生きてきた自分にとって、未空の成長は何よりも羨ましいものだった。彼が前に進みたいと言ってくるなんて、夢にも思っていなかった。

 だがそれ以上に、悲しくもあった。

 未空はきっと、一生自分に甘え続けたまま死んでいく――今まで宇未はそう信じ切ってしまっていた。それなのに未空は、自ら地獄を選択する勇気を得た。それだけで宇未の中にあった未空の人間像のほとんどが崩れていった。

 いつまでも自分に甘えるつもりはないようだった。

 きっと今だってそうだ――置き去りにしてきた青春や、わざとらしく見逃してきた他人の痛みを、今もまだ取り戻したがっている。

「みぃくん、もう休もう」

「駄目だ。……今日中に――。今日中に、解決しないと。また誰かが死ぬんだ」

 彼は優しい。

 けど彼の意志を聞いたあの瞬間、自分の中の彼は優しいだけの存在ではなくなった。宇未の中で形成されていた未空の形は消えて、また別の形状となって生まれ変わっている。

 彼は気づいているのだろうか。

 自分が前の方角を捉えていることに。

 そして今にも、そこに歩みを始めようとしている――。

 十二年のハンデなんて、歩いてみれば脆弱なものだと、すぐに判る。

 彼は優しい。

 痛みを見て、それを消そうとしてきた。彼こそがこの世で唯一、本物の優しさというものを知っていて、それを持っている人間だ。

 自分の抱え持ってきた痛みの全てが、いつの間にか彼によって消されていた。




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