経営判断
1
「最近、盛り上がりに欠けまへんか?」
月曜日の放課後、有志同盟の会議で、栗原美墨は、過程と主語抜きで発言した。
美墨の、金銭面で消極的な損害を受けた関西人じみた言動に辟易としつつ、雪菜は議長の義務を果たしに懸かった。
「いったい、なんの話です? 政治・経済? それともスポーツですか?」
雪菜は、過程も主語も理解していた上で、美墨が抜かしたものについて言及してやった。感情が表に出ないようにするには、努力が必要だった。
「議長はんもボケるんですなー。大阪人のワシが、お株を奪われた形となってしまいましたわー」
美墨は、小馬鹿にしたような関西弁で嘆きながら、自分の頭を平手で軽くハタいて、天井を見上げた。
確か、美墨は埼玉県出身だったはずだ。どうしてか、美墨の中では、大阪生まれというストーリーが、オフィシャル設定になっているようだ。
人をイラつかせる美墨の言動を聞かされても、雪菜は感情を表に出さずにいられたのは、薙刀部副部長の遠山舞がいてくれたからだ。
舞の放つ殺気は、武人のものではなかった。恋人の浮気相手に会い、爆発寸前の感情を抱えた、ヒステリックな女のような危うさがあった。
雪菜は、口で勝てないと見た舞が、跳びかからないかと心配していた。お陰で、美墨に感情をぶつける余裕はなかった。
「それは、失礼しました。で、栗原さんは、何が盛り上がりに欠けると仰っているのです?」
馬を制するような気分で、舞を軽く手でいなしながら、雪菜は美墨に発言を促した。
「議長、放課後やからって、眠たい台詞を吐かんでもらえます? ここは有志同盟の会議でしょう? 帰宅戦が盛り上がらんって話に、決まってますわ」
「そうかい? 俺は、いつもの通りだと思うよ。考えすぎじゃないかな」
サッカー部長の西崎が立ち上がって、唾を飛ばす美墨を諭した。わざわざ二回も髪を掻き上げながらだった。うっとうしい上、過剰な制汗スプレーの匂いが広がって、雪菜のこめかみをひくつかせた。
「いつも通りやて? 阿呆。そりゃあ、マンネリ言うてな、盛り上がりのない証拠じゃ。ボケカス」
西崎の気持ちが悪い流し目を、意地悪く出した舌で躱し、美墨は悪態と共に切って捨てた。
流し目よりも、笑いながら肩を竦める動作のほうが、より気持ち悪く感じていた雪菜は、心の中で美墨を褒めてやった。
余裕を演出している西崎だが、すぐに綻んだ。
空手部長の大江が僅かに吹き出した嘲笑の吐息を聞くと、苛立たしげに舌打ちをした。日焼けしたこめかみもひくつかせていて、雪菜の気分は、を少し良くなった。
「それで、帰宅戦が盛り上がっていないとして、どうしようというのです? なにか解決策でも? 栗原さんなら、当然、用意しておいでなんでしょう?」
雪菜は話を促す。どうせ、帰宅戦で利益を得ている新聞部長の美墨は、自身に有利な解決策を提示したがっているに違いない。
「そりゃあ、あたしも有志同盟幹部ですから。当然ですわ。次の帰宅戦、もっと派手にしたったらどうかと、思うとるんですけど、どうでっか?」
「派手とは? 帰宅戦では、小さいとはいえ、町一つ使っているんです。十分でしょうに」
雪菜の妥当な反論を聞いても、美墨は引き下がるどころか、体を乗り出すようにして、主張を続けた。
「ええ、ええ。確かに凄いですよ。ですけどね、マンネリには、勝てんのです。どんな刺激も、新鮮さをなくしたら、飽きられるんですよ。そやから、ここで一発、でかいイベント入れまへんかって、話なんですわ。さっさと承認してください」
「内容も聞かずに承認なんて、できるわけないでしょう。一応、内容をどうぞ。栗原さん」
話を促す雪菜に気を良くしたのか、美墨は更に体を乗り出し、スキー・ジャンプの選手のように、体を傾斜させた。
文化系とは思えぬ、体幹の強さだった。
「まず、帰宅戦に参加する文化系部活動を増やしてほしいんですわ。前回は、お試しいうって扱いやったから、一部しか参加させてもらえんかったでしょう? それじゃあ、やっぱり盛り上がりません。全面解禁でお願いしたいんですわ」
雪菜は一瞬、眉を顰め、すぐに元に戻した。
以前、雪菜は美墨の願いを聞き届け、帰宅戦に文化系部活動を本格参戦させると決定した。ただし、無制限に、ではなかった。
今まで文化系部活動は、帰宅戦に参加するフリをして、参加手当を得ていた。
前回は、美墨が連れてきた、帰宅戦で戦えそうな文化系部活動の部員に絞って参加させていた。
美墨は、文化系部活動の帰宅戦参加を、無制限にせよ、言っている。無理を言うと、雪菜は内心で呆れ、舐めるなと、憤った。
雪菜が、一部とはいえ文化系部活動の帰宅戦参加を認めた動機は、遠征は合宿などで人手が不足するからという理由もある。全ての体育会系部活動の部員が、帰宅戦に参加するわけでも、積極的でもないからだ。
そこで雪菜は、文化系部活動の中でも、筋肉トレーニングや走り込み、あるいは、野外活動が多い部活動を動員してもよいと、美墨に許可を出した。
「それは、どうでしょうね」
「気が乗りまへんか? 我ら文化系部活動の力、前回の帰宅戦で、認めてもらえてたと思うたんですけどね」
否定的な雪菜の言葉に、美墨は実績をアピールしつつ、更に身を乗り出してきた。
選抜された文化系部活動は、前回の帰宅戦で、合宿や遠征で減った体育会系部活動の代わりを見事に務めた。
帰宅部長の三島風子率いる、商店街ルートを通る帰宅部主力を、長時間に渡り拘束した。一部ではあるが、体育会系部活動の部長たちからも、好意的な評価を得ていた。
「前回の活躍は聞き及んでいます。しかし、帰宅戦で戦えそうな、演劇部など、一部の部活動に絞ったから、良かっただけではないのですか? 全面解禁となると、躊躇しますね。それに、敢えて、新規で帰宅戦に参加する文化系の方々が、それほど大勢いるとは思えません」
「その点は大丈夫ですわ。今まで帰宅戦からハブられていた分、皆やる気充分ですからな。なにせ、文化系部活動の代表であるウチに、是非とも帰宅戦に出させてくれと言ってくる輩が多くて、難儀しているくらいですわ」
美墨は、同じ文化系代表である、算盤部長の古賀由香里を差し置いて、自信満々だった。
「正直、気が乗らない」といった雰囲気を出していると雪菜としては、空気を読んでほしいが、自称関西人である美墨には、無理な要求だと決め付けた。
関西人が、空気や雰囲気を読むはずはない。完全は偏見だが、中らずと雖も遠からずだろう。美墨は、偏見通りの関西人を演じているのだから。
第一、 美墨の自信には根拠があると、雪菜は知っていた。
最近の帰宅戦新報で、文化系部活動の帰宅戦参加を、いくつかのキーワード「熱戦」「チームワーク」「特典」などを組み合わせ、帰宅戦を飾っていた。帰宅戦を、激しいが楽しく皆で楽しめてお得なレジャーであるかのように、記事で扱う不届き者は、新聞部長たる、美墨本人だ。
文化系部活動を煽る張本人であり、実質的に文化系部活動を纏める美墨に、帰宅戦参加を求める嘆願が多く届くのは、当たり前だ。
戦争を煽る悪しきメディアを見ているようで、雪菜は眩暈がしそうになった。雪菜は、やたらと軍用ブーツの響きが聞こえてくると主張する、聴覚と精神に問題を抱えた連中とは違う。それでも、ローファーの響きが、微かに聞こえたような気がした。
どう反論したものか悩む雪菜の隣で、我慢しきれなくなった舞は制止を振り切り、美墨を睨みつけた。
「愚かな。貴様ら文化系のモヤシどもなど、やる気があろうが数を揃えようが、帰宅戦で役に立つものか。町一つが戦場になるんだ。息が持つまい。インドア派はインドア派らしく、屋内で活動しているのがお似合いだ」
舞は、指を差しながら、美墨を罵倒する。対して美墨は一瞥をくれると、顎を突き出しながら笑った。知識が豊富で弁の立つ子供が、大人を馬鹿にする際に浮かべるような、厭らしい嘲笑だった。
「なんや、薙刀部の副部長はんは、反対でっか? ははあ、さては、わしら文化系に負ける心配でもしとるんでしょう?」
「図に乗るなよ、小娘が! 貴様ら文化系のモヤシどもに負ける要素など、欠片もない。鎧袖一触にしてくれるわ!」
いや、舞、貴女も歳は一つしか変わらないでしょう? あと、鎧袖一触って、何です? 戦うんですか? 一応味方ですよ?
雪菜は舞の台詞に呆れつつ、内心でツッコミを入れる。ただし、どれから言うべきか迷いもあって、口には出せなかった。
「鎧袖一触って、なんやねん。何? 薙刀部は文化系と戦おう言うんでっか。わしは、帰宅戦の捕獲数で勝いう意味で言ったんでっけどなー。薙刀部長でもある議長は、了解しとるんですか?」
雪菜は、自分と同じツッコミを入れた美墨に、好評価を与えようとしたが、後半で矛先を向けられ、断念した。
「美墨さん。遠山副部長の発言が不穏当であったと認めはしますけど、言葉の綾でしょう。あまり虐めないであげてくださいな」
「綾、ねえ。本音と違いますか? どうも副部長さんは、あたしら文化系部活動に、含むところがおありのようで。文化系部活動代表としては、子供の窃盗を大目に見るバカ親やあるまいし、見逃がすわけにはいきませんな」
やんわりとした雪菜の制止を、美墨は躊躇なく振り切る。追撃をやめるつもりは一切なさそうだ。
雪菜は、美墨の隣で俯いたままでいる、由香里に目をやった。もう一人の文化系部活動を代表する由香里は、端正な顔を歪めて、愛用の算盤を凄まじい速さで弾いていた。
よく見ると、口元が僅かに動いている。雪菜は耳を澄ませた。
「ふふふ、ゴール前で捕まるとは、とんだ間抜けだな、最上政彦。次は、このわたし自ら、目にものを見せてあげるよ。自主退学まで追い込んでやる。いや、帰宅部ごと、この世から消し去ってくれよう。ふふふ」
由香里は、何やら不穏当な単語を呟きながら、楽しそうに笑い続けている。この場では役に立たないと、雪菜は理解した。
今度は体育会系の二人に目を向ける。西崎は先ほど美墨に罵られて不貞腐れ、髪を弄る以上の行為は期待できそうもない。もう一人の体育会系代表である、空手部長の大江は、ただ座っているだけで、発言する素振りは欠片も窺えなかった。
雪菜は、まだ発言をしていない大江に話を振ろうかと考え、止めた。喋りが上手いわけでもない大江では、口を開いたところで、役に立ちそうもないし、またぞろ押忍押忍言われても鬱陶しいので、見逃してやった。
美墨と舞の睨み合いが続く。美墨への嫌悪と拒絶を、文化系に転化した発言をしてしまったせいか、舞の眼力は徐々に衰え始めていた。
舞の横顔から僅かに見える白目の部分は、かなり充血していたため、雪菜は良いクールダウンの機会とポジティブに捉え、後は自分で何とかしようと決めた。
「栗原さんの誤解は脇に置いて、話を戻しましょう、文化系部活動の帰宅戦投入を、全面的に解禁しよう、というお話でしたね。結構ではないですか」
雪菜にしては早口で喋り、美墨の要求を呑んでやると伝える。これで文句はないでしょうと、雪菜は美墨の顔を横目で見た。
「おお、そうでっか。流石は議長閣下、話がわかりますなあ。これで、わしら文化系も、帰宅戦で花道飾れますわ。いやあ、ええ気分ですわ。誤解が一発でパアッと晴れるくらいに。ほな、わしは失礼します。明日、文化系部長連合の会合がありますよって、これから準備で大わらわですわ」
美墨は「忙し忙し」と呟きながら、退散した。
遠ざかる美墨の背中を見送ると、雪菜は残ったメンバーに向き直り、口を開いた。
「さて、ここからが本番です。忌憚ない意見をお願いします」
策士を気取る馬鹿は、もういない。ここから先が、本当の会議だ。
2
「押忍。まずは、文化系部活動の全面参加を前に準備を進めなければなりません。時間を稼ぐ必要があります。押忍。スケジュール調整が必要ですから。押忍」
意外にも、美墨が去った後、最初に発言した者は、大江だった。
内容も、的を得ている。美墨の主張を聞いて、文化系部活動を帰宅戦に参加させる以上、主導権を握られないためにも、体育会系部部活動のスケジュール調整が必要だ。
体育会系部活動の遠征や合宿を取り消し、または延期をして、初となる文化系部活動の帰宅戦本格参加に備えなければならない。文化系部活動所属の部員は、個々の戦闘力は低いが、生徒の数は圧倒的だし、美墨の息がかかった一部の部活動は、侮れない戦闘力があった。
大江には、押忍押忍を言うくらいしか取り柄がないと、雪菜は見なしていたが、間違えだったようだ。
考えてみれば、大江は武道系部活動において、薙刀部に次ぐ勢力を持つ空手部の主将だ。ただの脳ミソ筋肉では勤まらない。発言を控えていただけで、美墨の暴走への対応に関して、考えはしていたようだ。
「しかし、時間を稼ぐにしろ、栗原さんが聞き入れるかなあ? さっさとしろと言ってきそうだよ。彼女、キツイから」
意外にも思ったのは雪菜だけでないらしく、西崎は顔に困惑を張り付けて、質問の形態をとった否定を口にした。
「押忍、その点は、大丈夫です。押忍。こちらから、栗原女史のいうところの祭りを、盛り上げる仕掛けを提案するのです。押忍」
「なるほど。それなら、納得させられそうですね。しかし、それだけでは、少し弱いですね」
「じゃあさ。賞金上げたり、賞金を懸けられる帰宅部員を増やすって、どう? 昨日、賞金稼ぎの映画やっててさ、賞金首がウジャウジャ出てくんの。結構、面白かったんだよね。帰宅部員には、有名人も多いし、やりがいも増すんじゃないの? でさ、追加の賞金を準備する時間が必要とか言えば、栗原さんも納得するでしょ。彼女は、お金にうるさいからね」
西崎が、美墨を揶揄する笑みを浮かべながら、面白い提案をした。声色には、美墨に対する嫌味が多分に含まれている。だが、賞金首を設定するとは、中々実際的な案だ。
ナルシスト臭く、鬱陶しいが、西崎も馬鹿ではないようだ。
「なるほど。それなら、栗原さんも納得するでしょうね。お爺様……もとい、理事長に賞金の増額をお願いするという名目で、時間を稼げます。お爺様は施設の活用に関しては便宜を図ってくださいます。けれど、現金となると、渋く、いえ、ロマンス・グレーでいらっしゃいますからね」
ケチ、渋いを、ロマンス・グレーと例えたと、理解できたかしら。会心のジョークに気を良くした雪菜は、チラリと室内を見渡す。
あまり反応はない。分かっていて態度に出さないのか、それとも理解していないのか、雪菜にはわからなかった。いわゆる「滑った」状態のようだ。
「ん~まあ、あれだ。賞金ってなると、誰にいくら懸けるか、上げるかとかで、また話し合いも持てるし、時間が使えるじゃない? 議長も賛成みたいだし、その方向で行こうじゃないの」
西崎が戸惑い気味に、雪菜の発言を流し、話を進めようとしている。西崎なりの気づかいか、それとも、ただ呆れているだけか。後者なら問題だ。
「よいと思います。理事長はお忙しい方ですからね。面会の機会を時間も、あまり取れないはずです。上手く時間を稼げるでしょう」
「押忍……押忍」
すかさず舞が賛成し、リアクションに困っていたらしい大江が、押忍の一点突破を、もとい、二点突破を図った。
雪菜は、暇でノリのいい学生のように首から上へ集まる血液を意識しながら、所詮は脳ミソ筋肉かと、八つ当たり気味に大江への評価を下げた。
「ちょっと、いいかな。賞金首と賞金の設定に関して、提案があるんだ」
危うい独り言を止め、由香里が手を上げてくる。いつもの女生徒に好まれそうなクールさに、少しの毒を含んだ態度だった。
「伺いましょう」
雪菜は、不吉な予感に囚われながら、頷いた。