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帰宅戦記  作者: 呉万層
8/18

挫折

 両手に竹刀を持ったまま塀を乗り越え、車止めを器用に避けていく。政彦は、帰宅戦の戦場を、戦いながら疾走していた。

 今日は、商店街のルートを進む風子や悠と別行動を採っている。しかも、敵を攪乱するために、半ば単独行動だ。

 まだ二回しか経験のない公園ルートを、政彦は二刀の竹刀で奮戦し、切り開いていった。

「そっちに行ったぞ。囲め」

「そっちって、どっちだよ。具体的に言え!」

「砂場、いや、水飲み場近辺だ」

「水飲み場なんて、何か所もあるぞ!」

 想定していないルートを走る政彦に、公園周辺を担当する連節棍部員と協力関係にある懐剣術部員・短杖術部員は、翻弄されていた。

「そら、こっちだ、こっち」

 風子による二刀流の鍛錬と、古賀によるパルクールの指導は、短期間にもかかわらず、帰宅戦における政彦の価値を大いに底上げした。

 二刀流の使い手は滅多にいないため、狭い場所で政彦に対処できる者がいないという理由もある。だが、陸上で鍛えた上で、一部なりとはいえ身に着けたパルクールこそ、政彦にとって最高の財産となっていた。

 流石に、パルクールを習い始めた初週は、全く役に立たず、市街地に出た直後に捕獲されていた。技の習熟が中途半端なためだ。

 公園内に侵入した際、階段両脇にある手摺りを滑り降りようとして失敗、無様に転げ落ち、悶絶してリタイヤ。俺には陸上の経験があると、密かに自信を持っていた政彦だったが、自分を恥じる羽目になった。

 パルクールを習い始めて二週目は、甲子園を目指す野球部の特待生の如く、授業に出ないで打ち込んだ成果か、住宅街寸前まで進出できた。ただし、加奈子率いる忍術部に捕獲され、網で絡め取られるまでにかかった時間は、十秒もなかった。

 政彦と同様に捕まった、自称・三好三天狗と共に、帰宅戦終了まで、橋近くの街灯前で晒し者にされて終わった。

 しかし、習い始めて三週間目の帰宅戦で、政彦は、今日こそ帰宅できると、確信すら抱き始めていた。

 政彦が強くなったから、という理由だけではない。今日に限って、薙刀部を始めとする武道系部活動の多くが、練習試合や強化合宿で、学内及び三好町にいないからだ。

 おまけに、今回の有志同盟は、チームワークが最悪だった。

「敵は一人だ。囲んじまえば、それまでだろう。何をモタついてやがる」

 連節棍部長が砂場で地団太を踏みながら、女性のような甲高い声で、味方への文句を叫んでいる。即座に、ペンギンのオブジェのある水飲み場から、優男風の声で反論が出た。

「偉そうに指図するな。なんだよ、連節棍って。誰も知らないマイナー部活の癖に、偉そうにするな」

「馬鹿野郎。ここにいる部活は、皆、ドがつくマイナー武術だろうが! 喧嘩するんじゃない。取りあえず、俺の指示に従え」

 言い争いを始める二人に、野太い声がかけられる。公衆トイレ付近で、諫めるフリをして主導権を取ろうとしている、懐剣部長だった。

 すぐに反論が起きる。

「黙ってろ。懐剣とか言ってるけど、改造メリケン・サックじゃねーか。伝統のない武術気取りのクソ・ドマイナー部が、偉そうに指図するな。ここは、歴史ある俺たち短杖術部が仕切る」

「フザケルな。俺らの懐剣は、かの宮本武蔵謹製だ。ブランドが違う」

「ブランド? お前の懐剣、購買部謹製だろ。三千円くらいの。知ってんだぞ」

「購買部製で何が悪い! 精神が問題なんだ」

 政彦は、醜い争いを続ける有志同盟員たちに、落ちていくカンダタを見る仏のような気分で目線をやった。

 超面白い。政彦は、喉が乾かないよう、口を開かずに笑った。

 これなら、今日こそ帰宅できそうだ。ついでに、風子から課された単独での攪乱も、上手くいきそうだった。

 これも、帰宅道連盟の情報のお陰だ。政彦は、情報提供者の由香里に感謝した。由香里への仕打ちは、すっかりと頭から追い出していたため、感謝は素直なものになった。

 風子との鍛錬を終え、寮の自室に戻り次第、政彦は帰宅道連盟のサイトにアクセスした。

 サイトには、日本各地の帰宅部がある高校・大学が網羅されていた。

 更に、帰宅戦に参加するであろう部活動の合宿や試合のスケジュール、参加する部活と配置までが、学校ごとに纏められていた。

 三好高校の部活動に関する情報も多く、活用できるのではと考えた政彦は、早速、風子に相談した。

 初め、風子は半信半疑だった。だが、ものは試しと、掲載されていた情報を元に、班を編成し、作戦を練った。

 初週、二週目と、政彦は帰宅できなかったものの、普段より多くの帰宅部員を、無事に帰宅させる成果を上げた。

 三週間目の今日も「武道系部活動の多くが合宿や練習試合・応援で手薄になっている。マイナー部活動を活躍させる狙いのスケジューリングの模様。数が少なく、一部を除いて練度も低い。連携も拙いため、帰宅には良い日。ラッキーカラーは赤」という帰宅道連盟の情報は正しかった。

 どこの暇人が作ってくれたかは知らないが、無事に帰宅できた暁には、広告をクリックしてやろう。よく使っていた通販サイトの広告なら、買い物をして、アフィリエイトで稼がせてやってもいい。安い奴しか買えないけど。

「おいおい。仲間割れしている場合か。ボサっとしてる奴から、やっちまうぞ」

 政彦は、感謝の念を抱きつつ、敵の攪乱を狙い、ヒット・アンド・アウエーで攻め立てていく。

 敵は、普段はメジャーな武道系部活動間のクッション役か、補助という名の雑役に回されているマイナー部活動ばかりだ。矢面に立つ経験に乏しく、連携は拙く、動きは鈍かった。

「他の奴らは、どけ! あの二刀流野郎は、俺たち短杖術部がとらせてもら、ブベラ!」

 ステッキを掲げて、政彦を追い回そうとしていた短杖術部の男が、横合いから頭を殴られて、失神する。協力関係にあるはずの連節棍部員が振り回す得物が、側頭部にクリーンヒットしていた。

 似たような風景が、数か所で散見された。

「お前ら、邪魔すんな。一応、仲間だろう」

「うるせー。お前らが棍の間合いに入らなければ済む話だろうが」

 ヌンチャクの棒の部分が長くなったような得物を振り回し、連節棍部員は味方を殴り飛ばすの醜態を演じている。味方にいなくて良かったと、政彦を安心させほど酷い働きぶりだった。標的である帰宅部員より、味方の有志同盟員を薙ぎ倒し、仲間割れに一役も二役も買っていた。

 政彦は、連節棍部の協力もあって、公園ルートで快調に撃墜数を稼ぎ、攪乱の役割を果たせていた。

 今日は本当に調子が良い。これは行けそうだと、政彦が気を良くしていると、気を滅入らせる男女の声が、後方から聞こえてきた。

「ぬふう。有志同盟も、質が落ちたのう」

「左様。歯ごたえがなさすぎでおじゃる」

「ふふふ、所詮、マイナー部活動。我ら三好四天王の敵ではないわね。さあ、最上君、華麗に敵を倒していいわよ!」

 先週の帰宅戦において、一緒の網に絡まり合って以来、自称・三好三天狗から、政彦は懐かれていた。

 今では、勝手に四天王の、それも末席に加えられていた。

 否定しているにも拘わらず、帰宅部の寮でも信じる者が出始めている。お陰で風子からは「悩みがあるなら聞くぞ」と心配され、悠からは「三好四天王の末席に選ばれたんだって? おめでとう。で、何目天なの? ああ、毘沙門天は可能性から消しておいてあげたわよ」などとカラかわれていた。

 古賀に至っては「頭は大丈夫か?」と真面目な顔で何度も聞いてきて、政彦を辟易とさせた。スクール・カウンセラーを紹介しようとしてきた際は、断るのに苦労させられた。

 スクール・カウンセラーが、眼鏡の似合う美人だったと、後に悠から聞かされた。その時は、自らの失敗に落ち込んだ政彦だった。

 何度も否定して、風子や悠など親しい帰宅部員には、なんとか信じてもらえた。だが、まだ少数派だ。

 帰宅戦でたまたま一緒になっただけでも、噂の信憑性が上がってしまう。政彦は自称三好三天狗を振り切るべく、公園を抜け、住宅街の東側へ急いだ

「畜生、四天王め。覚えてやがれ」

「ちょこまかと逃げないで、勝負しろ。クソ四天王。名前が泣くぞ」

 政彦は、陸上部時代を上回る俊敏さで、公園を駆け抜けていく。背中には、有志同盟員から、四天王のレッテルと共に、憎悪の声がぶつけられる。先ほどまでの爽快感が鳴りを潜め、政彦は、解けない誤解に絶望しつつあった。

「ぬふう。負け犬の遠吠えは心地よいのう」

「左様。癖になりそうでおじゃる」

「ふふふ、四天王最弱の最上にも勝てないようでは、我らの相手は務まらないわね。精々、虚空に吠えているのがお似合いよ」

 好き勝手に放言を楽しむ三好三天狗を、政彦は身に着けたパルクールの技術で引き離しに懸かる。一応、武術なりスポーツなりの経験があるのか、意外にも三好三天狗は俊敏だった。

 そこで政彦は、遠過橋より東に架かっている、住宅街東部への侵入口《礼真源橋》の手前に、三好三天狗を誘導し、囮とした。

 三馬鹿が、初めて役に立った。

「ぬふう。最上は何処。我らはここぞ」

「左様、助けにくるでおじゃる」

「最上君、最上君、わかっているわ。これは罠ね。敵の背後から奇襲を仕掛けるのでしょう? ねえ、そうよね?」

 有志同盟員が囮を相手にしている間に、政彦は住宅街へ急いだ。

  2

 住宅街東部に侵入した時点で、政彦は、失敗に気が付いた。東側の住宅街は、高い塀が多い。それでいて、公園のような高低差はなく、道路は平坦で路地などは死角だらけだ。

 現状、政彦の体力と技術では、高い塀を何度も越えて進むには無理があった。

 路地は、四人くらいなら並んで歩けるほど広く、袋小路も多そうだ。

 常に動き回らなければ、囲まれてしまうし、塀が高いため、袋小路に入れば脱出できない。政彦の腕では、多数との戦いに向いているとされる二刀流でも、対応しきれないだろう。

 かと言って、後退するわけにもいかなかった。三好三天狗が重囲の中を突破し、救援に来られる可能性は、極めて低いからだ。

 第一、 あの奇抜な三人組と、関係をこれ以上に強化したいと、政彦にはどうしても思えなかった。

 政彦も変人と言えるだろうが、三好三天狗とは方向性が違う。音楽性の違いのようなもので、同じグループには属せそうもない。高額なギャランティーが発生すれば別の話ではあるのだが。

 三好三天狗を当てにしないとなると、他の帰宅部員に頼るしかない。だが、こちらも望み薄だ。

 今回の帰宅戦では、帰宅部員の大半が、本命の商店街ルートに振り分けられている。残りの帰宅部員は、公園ルートや、更に東の丘ルート、工場地帯ルートに分散している上、協調性のなさを買われて、囮に投入されているような連中だ。

 あのダンサーや、ホージョーのような連中が振り分けられている。とても当てにできなかった。

「ふふん。哀れ哀れ。自ら罠に飛び込んできましたね」

「獲物がやって来たぞ。歓迎してやれい」

 政彦が躊躇していると、左右の路地から、芝居がかった、二つの声が掛けられる。声の主は、珍妙な格好をした二人の女子生徒だった。

 二人とも、低い背に似合わぬ漢服を引きずり、長髪の頭に冠を被っている。一人は緋毛氈でゆっくりと顔を扇ぎ、もう一人は、鍔を中華風に加工された竹刀の先端を下にして持っていた。まるで、三国志の登場人物がするような格好と仕草だった。

 格好から推測するに、何番目かになる、歴史研究部員の集団らしい。

 他の路地からは、二人と関係のあると思わしき部員が扮する、兵士たちが侍っている。兵士たちは、三国志を題材としたアニメやゲームに出てくるような、カラフルで装飾過多の、実用性の皆無な鎧で、身を固めていた。

 色とりどりの鎧を着ている割に、武器は、軽くて折れやすい、ただの角材で、いかにもアンバランスだった。

 数自体は十数名と、決して多くないにも拘わらず、鎧の所為で、動きを制限されているようで、不満顔だ。

「おい、あんまり動くなよ。肩が当たるだろ。ダンボール製なんだから、折れやすいんだぞ」

「わかっているわ。突起が多いから、ちょっと動くと、誰かにぶつかるのよ。肩アーマーだけでも、外せればいいんだけどね」

「しゃーねっしょ。肩アーマーは部長の趣味だからな。外すと泣くんだぜ。三年なのに。変なところに拘る所為で、武器に予算は回せないとか、マジ勘弁」

「でも、泣いてる女の子って、いいよな。外しちゃおうかな、肩アーマー……冗談だよ」

 部員たちは、山陰地方で起きた事件を解決する、社会性の薄い探偵のような声の低さで、不平を呟いていた。

 やる気が感じられず、政彦は戦闘の直前にも拘わらず、疲れからだけではない脱力感を味わった。

「ふふん。驚きと恐怖で、声も出ぬ様子。三島部長の武闘派腰巾着兼三好四天王も、存外あれで小胆と見える。ここで、わたしが東南東の風を吹かせたら、奴は腰を抜かすかもしれないわね」

「流石は、部長、もとい、孔明。人か魔か」

 呆れる政彦を尻目に、二人の女生徒は、ネタを振り合うオタクのように、楽しげに笑っていた。

 二人とも、決して不細工ではない。どころか、外見だけ孔明役は可愛らしく、おそらく周瑜役と思われる女生徒は、凛々しくさえ感じられた。

 だが、政彦は、気持ち悪さを感じていた。

 笑い合う二人の顔が、若さ相応の溌剌としたものでも、潤いのあるものでもなかった。

 加えて、見つめ合って笑う仕草も、政彦の癇に障った。幼女を性的な目で見るヒヒ爺のような厭らしいものだった。

 政彦は、オタクが軽侮される理由を、言葉や理論ではなく、感覚で理解した。

「ふふん。では、そろそろ始めるとするかね」

「そうだな。客人を待たせてばかりも、いられないしな」

 二人は政彦に向き合うと、緋毛氈と木剣を、政彦へ同時に向けた。

「「やっちまいな」」

 声がハモると、二人の後ろで押し合いへし合いをしていた部員たちが、動き出そうとする。一旦ここは引くか、イチかバチか迎撃するか、政彦は一瞬、逡巡した。

 下手に下がって、他のルートからきた敵にでも挟まれたら、厄介だ。それに、敵は武道系でなく、数も大していないコスプレ集団だ。一戦もせずに逃げるような相手ではない。政彦は、とりあえず膝を曲げ、竹刀を十文字に構えて、襲撃を待ち受けた。

 次の瞬間、敵の群れが、倒れ伏していた。

 もしかして、誰か、例えば三島部長が助けに来てくれたのか?

 政彦は倒れた部員の後ろを見やった。灰色と霞んだクリーム色の壁と、無粋な電柱に囲まれた虚空だけで、立っている者は誰もいなかった。

「イテテ、誰だ、俺の足を踏んでる奴」

「鎧が絡まって、立てない。誰か外してくれ」

「無理。動けにないし。部長が泣くし」

「一生泣かせてとけ。適当に馬謖でも見繕って、ナマス切りにさせとけば、満足するだろう」

「誰が馬謖役を? 言い出しっぺが?」

「いや、饅頭で代用しろ。菓子を与えておけば、濾水同様、部長の気も収まるさ」

 泣き言と不満、なんだか上手い言い回しを、部員たちはしていた。

 戦う前から壊滅した部員たちを前に、部長は動揺を隠せずにいる。部長は、緋毛氈を、大鷲の羽ばたきのように動かしていた。

「ふふ、ふふんんん。狭い場所で動けなくなるとは、なんたる生兵法」

 横にいる周瑜役は、明後日に顔を向けて、唾でも吐きそうなほど、冷たい顔をして呟いた。

「孔明も、やっぱり、人か」

「いや、わたしの所為じゃない。どこかに馬謖がいるはずなんだ」

 見捨てられまいと、部長は鼻で笑う動作を止め、周瑜に縋り付いている。失策をスパイの所為にして、責任を免れようとする、共産主義国家の幹部染みた発言と相まって、なんとも荒涼とした光景だった。

 政彦は、竹刀を十文字に構える自分の姿が、いかにも間抜けに思えて、帰宅戦の最中にも拘わらず、数秒、立ち尽くしていた。

 しばし、間の抜けた空気を楽しむと、政彦は構えを変えた。

 左手の長い竹刀を肩に担ぎ、右手の短い竹刀を前に突き出す。政彦は無言のまま悠然と歩き、左右の竹刀で交互に部長の頭を打ち、決着をつけた。

  3

 何番目かの歴史研究部を破り、勝利の余韻に浸る間もなく、政彦は、自宅のある西へ向けて慎重に移動を開始した。

 橋の附近を警備する有志同盟員のクラッシュ部、ルタ・リブリ部、捕物部の目を、ゴミ捨て場の粗大ごみや看板を利用して躱し、住宅街西部へ向かう。

 商店街側の遠過橋から聞こえてくる殴り合い、叩き合う音は、気になった。だが、一人で行ったところで、援護にならない。それにようやく、高校入学以来、初めての帰宅が果たせそうなのに、下手に目立っては、努力が水の泡だ。

 政彦は、心の中で風子と悠に、手をお座なりに合わせつつ、西へ西へと、急いだ。

 小さな公園や茂みに隠れながら進み、遂に、自宅まで百メートルを切った。

 遠過橋の方面に集中しているのか、有志同盟員の姿はない。石造りでアーチ状の「流殿弗不橋」を渡れば、政彦の自宅は、すぐそこだ。

「行ける。今日こそ、帰れるぞ!」

 二十メートル弱ほどしかない流殿弗不橋の手前で、多数のソーラー・パネルが並ぶ、自宅の屋根を発見した。政彦は、帰宅の喜びを、ウォークライのように叫んでいた。

 会話する相手もいないので、ただの五月蠅い独り言になったが、気にも留めない。誰かに聞いて欲しかったわけではなく、単純に、心情を吐露したかっただけだった。

 中学時代までは、毎日、渡っていたが、今や懐かしさすら覚える流殿弗不橋に、政彦は辿り着いた。

 一気に渡ろうと、飛ぶような気分で走り出す。政彦が、流殿弗不橋の半ばまで来たところで、女子高生の馴れ馴れしい声が掛けられた。

「あら~、君が一番乗りなの~? てっきり~風子だとばかり~、意外ね~。最上君、お・ひ・さ」

 嘲笑に近いクスクス笑いと共に、忍術部長の加奈子がゴミ捨て場に、ポリバケツから現れた。

「そこ、臭くないんですか?」

「ちょっとね~。でも、大丈夫~。忍者だし」

 加奈子は得意げに胸を張る。ついでに、昭和期の漫画でキャラクターがするように「エッヘン」と、口に出した。

 調子者のような振る舞いをし、目はどこを向いているか、ハッキリとしない加奈子だった。

 ただし、加奈子は狩猟者の視線を、政彦に送ってきている。政彦は、油断どころか、身動き一つ、迂闊にはできなかった。

 正面から相対して、初めて加奈子の恐ろしさを、政彦は理解できた。こんな暗殺者のような――忍者なのだから当たり前かもしれないが――加奈子と、風子は互角以上に戦っていたのか。政彦は、風子への尊敬の念を新たにした。

 これからは、胸ばかりでなく、技量に注目する割合を増やそう。気が向いたら、だが。政彦は、軽めに反省もしておいた。

 反省した上で、政彦は、加奈子に勝てそうもないと判断した。

「あ、すいません。急用を思い出しましたんで、失礼します」

 単独でも遠過橋を突破するであろう風子と合流すべく、政彦は後ずさりして距離をとった。

「え~。つれない~。なんてね~。逃がすわけ~、ないじゃな~い」

 間延びしているのに、遅くはない不思議な喋り方をする加奈子が、指を鳴らす。政彦の背中側で、急に人の気配が増えた。

 路地、ゴミ置き場のポリバケツとダンボール、家の門から、黒装束の忍術部員たちが、続々と現れた。

 あっという間もなく、退路を断たれた。政彦は、話し掛けられそうな相手を必死に探す、孤立を病的に恐れる新入生のように、首を巡らせて、逃げ道を探した。

 蟻の這い出る隙間はあるだろうが、あいにく、人間の政彦には関係ない。それでも、一つ、穴を見つけた政彦は、すかさず標的を指さした。

「そこの忍術部員。アウト―!」

「は? なに言ってはるんですか?」

 家の門から出てきた忍術部員は、政彦から不意に指をさされ、声だけで首を傾げる表現をした。器用な奴だ。

「あら、最上ちゃん、帰宅戦と野球の区別も、つかなくなっちゃったの~?」

「違う。そいつは、民間人の家から出てきたんだぞ。住居不法侵入だ」

 政彦は、真犯人の証言から矛盾や誤りを発見した探偵のような気分で、得意になって

指摘した。

 帰宅戦はあくまで学校行事であり、当然、節度が必要となる。不法行為は、厳禁だ。

 生徒会に通報すれば、忍術部はしばらく活動停止処分を受けかねない。正に、起死回生の一発だった。

 政彦に人さし指を向けられた忍術部員は、物々しい装束に似合わぬアニメ声で、静かに口を開いた。

「あ、ここ、わたしの自宅なんで」

「本当に?」

「部長のわたしが保証するわ~」

 忍術部員と加奈子によって、即座に起死回生を葬られ、政彦は、顔が熱くなっていく様子を感じ取った。これは恥ずかしい。

「なんだ、そうか。ごめんごめん」

 政彦からの謝罪を聞いて、忍術部員は覆面越しに笑った。覆面で見えないが、きっと、可愛い子に違いない。そうであれば、救われた気分になれる。

「気にしないで、間違いは誰にもあるから」

 忍術部員の笑みに気を良くした政彦は、場の雰囲気をクールダウンさせて、時間を稼ごうと画策した。

「あ、うん。ところで、どっかで会わなかった?」

 女子に話題を振る方法としては、古典の部類に入る遣り口を試してみる。ナンパの経験のない政彦にとっては、精一杯の方法だ。

 詐欺も、古い手口ほど使われるというし、狙いは悪くないはずだ。

「ほら、同じクラスの稲川。稲川明日香だよ。同じ列の、一番前の席」

「へえ、奇遇だね。ごめん。わからなかった」

 本当に実は顔見知りとわかり、政彦は正直な答を返していた。慌てたとはいえ、話の膨らまない言葉を出してしまい、政彦は反省した。

 そういえば、政彦の座る席の最前列は、地味なおかっぱの女子生徒がいたはずだ。印象が薄すぎて、どうしても思い出せなかった。

「大丈夫、わたしは、すぐわかったよ。三島先輩、ああ、それと、クラスメートの最上君と赤羽さんをはじめとする帰宅部員の皆さんには、お世話になってるしね」

 明日香のアニメ声が、不意に、触れれば切れる、鋭い氷のような冷たさを帯びる。静かな殺意に、政彦は状況を理解し始めていた。

 なぜ、他の忍術部員は、政彦の時間稼ぎに付き合って、攻撃してこないのか。政彦の稚拙な話術に誤魔化されているからではない。一年生部員の、ショータイムを邪魔しないよう、観客に徹しているのだ。

「疼くんですよ。貴方がた帰宅部員の皆さんを見ていると、わたしの、トンファーで打ち据えられた顎が。どうすれば、治ると思います?」

 明日香は覆面を下した。

 一見すると、なにもなさそうだが、怪我した場所が古傷となって、違和感が消えなくなっているのだろう。

 殺し屋のような目をする、クラスメートの明日香に見据えられながら、政彦は冷静に分析した。

「えーと……整形外科?」

「行きましたよ、心療内科も。でも、ダメでした。だから、わたし、考えました。それで、わかったんです。全ての帰宅部員を、血祭りにすればいいんだ、って。そうすれば、きっと治るんだって、わたし、決めたんです」

 いつの間にか、樫木と思われる短い警棒を手にした明日香が、ジャパン・ホラーの幽霊のように、少しづつ躙り寄ってくる。台詞の異様さに、ツッコミは入らない。周りの忍術部員たちも、ゾンビよりもゆっくりと近づいてきていた。

「ごめんね~。帰宅戦だから、負傷は当たり前って教えてるんだけど~。どうしても帰宅部員が許せないんだって~。明日香ちんのためにも、ちょっと入院してくれる? 拒否っても、させるけどね~。三日くらいなら~むしろ、いいでしょう?」

 加奈子が、カーボン製の刺す股を、手首の動きで回しながら、病院送りの宣告をしてくる。冗談じゃない、やっと、ここまで、自宅まで数十メートルまできたんだ。

 入学以来、初めての帰宅が果たせそうなのに、こんなところで捕まって、しかも病院送りなんかにされて堪るか。

 政彦は、両手の竹刀に力を込めた。ついで、目を見開いて退路を探すが、相変わらず、隙がない。早くも挫けそうになる。

「うふふふふ。やる気ですね、最上君。でも、こうも囲まれては、対処のしようもありませんよ。大人しくするなら、死ぬほど痛いだけで済ませてあげます。さあ、跪きなさい」

 諦めの境地への門を叩こうとする政彦に、明日香が残虐な言葉でストップを掛ける。なんとしても、血路を開こう。政彦は、ヤケクソな気分になった。

 どこかにないか? 蟻ではなくとも這い出られる隙間は。政彦は眼球だけを忙しく動かし、状況を確認する。

 空くらいしか、通れる場所はなさそうだった……政彦は、一つだけ隙を発見した。ここなら、なんとかなるかもしれない。だが、空間的な隙はあっても、時間的な隙は見当たらなかった

 無理にでも作るしかない。政彦は覚悟を決めた。

「せい!」

 政彦は、両手の得物を、空中に放り投げた。一瞬、忍術部員の視線が、二本の竹刀に吸い寄せられた。

 僅かな隙を逃さず、政彦はサッカーのキーパーがするように、横に跳んだ。

「小癪だね!」

 忍者のような方法で隙を作った政彦は、明日香の短い罵倒を、水中で聞いて確信する。明日香は、時代劇好きが高じて、忍術部に入ったに違いない、と。

 明日香が、素直に剣術部や居合道部に入らなかった理由は、きっと、捻くれてしまったからだろう。可哀そうに、精々環境と遺伝子を恨むがいい。

「また会おう。忍術部諸君」

 政彦は、ニヒルに笑いながら、捨て台詞を吐いた。慣れない、服を着たままするクロールで溺れそうになり、口に入る水を吐き出しながらだったので、我ながら情けなかった。

 如何にみっともなくとも、ともかく、忍者を出し抜いたのだ。気分は悪くなかった。

 政彦は、緩い流れに体を持っていかれそうになりながらも、懸命に泳いだ。もう少し北上してから揚がれば、家まで二・三十メートルだ。

政彦は懸命に手足を動かして、商店街に面している割には綺麗な川を泳いでいく。しかし、トライアスロンで、なぜ水泳が最初に行われるか、考えるべきだった、

 疲労の極みで、全身運動である水泳に勤しむなど、危険もいいところだ。しかも、政彦の場合は服まで着ている。ちょっとした自殺行為だ。

 案の定、政彦の足が、乳酸の増加と疲労に耐えられず攣ってしまう。頭の中で、エマージェンシー・コールが鳴った。

「これに掴まって」

 パニックになりそうな心を、体同様、必死に鎮めていると、落ち着いた声で棒が差し出された。政彦は、食事を前にした三木城将兵のような必死さで、棒を引っ掴んだ。

 棒を伝って川岸に近づき、手を借りて、どうにか岸に上がった

「ふー、あぶねー。死ぬかと思った。マジ、サンキューです」

 政彦は尻餅をついて、一息をつくと、日本における万能挨拶仕草、手刀を作って礼をする。同時に、制服が濡れて気持ち悪さに辟易し、そういえば、泳ぐより、走るほうが速いよなと、気が付いた。

「いえいえ、困った時はお互い様ですよ」

「そうよ~。気にしないで~」

 政彦の礼に、岸に引き上げた明日香と加奈子が、にこやかに答える。友好的に聞こえる声を発していても、目は、懐に飛び込んだ窮鳥を見る猟師ではなく、獲物の値段を決める前の、商人のものだった。

「いやいや、礼節を重んじる日本人として、そうも参りません。あ、そうだ、実は家が、すぐそこなんです。よろしければ、お茶などご馳走させてください」

 政彦はすかさず正座すると、笑顔を心がけながら、家に誘った。

「せっかくのお心遣いですが、生憎まだ用がありますので、遠慮させていただきます」

 加奈子は、声だけを友好的に発音し、解体前の豚を見るような目で、政彦を見てくる。忍者にも、地域によって色々と種類があるそうだ。どうやら加奈子は、情報収集系の忍者ではなさそうだ。

「しかし、それでは、わたしの気が済みません、是非」

 ご近所さんとの食事後に、後ろに並んだ客を気にせず、レジ前で支払いを主張する中年女性のように、政彦は粘った。

 女性を前にしたイタリア男のように、政彦は大げさな仕草で家に誘う。そんな政彦を見て、明日香はグッド・アイディアを思いついたようで、柏手を打って笑った。

「そうだ、代わりと言ってはなんですけど、貴方の膝の皿と手の甲を割らせていただけませんか?」

 明日香はいつの間にやら、木槌を手にしていた。

 つい数秒前まで、手にはなにも持っていなかった。まさに、ジャパニーズ・ニンジャのオリエンタル・マジックだった。素直に楽しめない状況が、政彦には、残念でならなかった。

「明日香ちゃん、落ち着いて。貴女の仇は、三島風子なんだから」

 慌てているせいか、普通の喋り方をする加奈子が、木槌を振り上げる明日香の手首を抑えた。

「そうよ、いくら帰宅戦って言っても、やりすぎは停学。下手すると、退学よ」

「どうせ三島風子は、もうすぐ来るころでしょ。その時に、今日こそ帰宅戦で決着をつけましょう」

 他の忍術部員も、政彦と明日香の間に入り、明日香を止めに懸かった。

 良かった。明日香以外の忍術部員は、割とまとも――ではないにしろ、マシなようだ。強盗犯に比べれば、窃盗犯など可愛いものといったところだろうか?

「離してください、部長。そいつ、殺せない」

 人体の破壊を上回る行為について言及する明日香に、正座したままだった政彦は、両手を前に出して抗議した。

「待て、膝の皿と手の甲じゃなかったのか?」

「あんまり変わらないわよ」

「大いに変わるだろ! 稲川さんが、そんなファンキーな人だとは思わなかったよ」

「アグレッシブって言って。ついでに、モア・アグレッシブとも。アウチッ!」

 不意に、アメリカンな悲鳴を上げて、明日香が脱力した。

「明日香ちゃん、ごめんね~」

 木槌を振り上げ続ける明日香に業を煮やした加奈子が、顎に掌底を叩き込んでいた。

「部長、お疲れです」

「うん。でも~、お疲れっていうには、まだ早いわよ~」

 加奈子は、労う忍術部員に背を向けた。

正座をやめて立ち上がろうとしていた政彦に、近づいてきた。

まだ風子は来ないのか、どこかに逃げ道はないかと、政彦は首を巡らした。

 風子はまだ来ないし、逃げ道はなかった。ただ、見慣れ家が、あと十メートルのところに、存在していた。

 加奈子が目の前に立った。

政彦は、目の端に、上下二つの鍵が設置されている、自宅の黒いドアを、懐かしい気持ちで映した。

 ノスタルジックな気分に浸る間もなく、政彦は加奈子に手錠を掛けられた。

 政彦の帰宅戦は、終了した。


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