新戦力
1
放課後の、それも生徒会活動が終わったばかりの生徒会室で、雪菜は新聞部長の美墨と対峙していた。
生徒会役員が退室すると同時に、美墨は生徒会室に滑り込み、居座ったのだ。
最後の事務仕事をこなしていた雪菜が静止する間もなく、美墨は了解も得ずに、備え付けのカプセル型コーヒー・メーカーでエスプレッソを楽しんでいた。
あまりに図々しい美墨の行動に呆れ、雪菜は追い払うタイミングを逃してしまった。お陰で、残っていた事務仕事を片付けるや、美墨と向き合う羽目になっていた。
対面した際に湧き上がる感情は、相手によって様々だ。
好ましいと思う人物なら心が躍り、逆であれば、会う前から家に帰りたくなる。社会階層に関係なく、誰でも同じようなものだろう。
後は、上下関係により違いがある。感情を表に出すかどうか、あるいは、どの程度まで隠し、どの程度まで出すか、だ。
判断がつかなければ、とりあえず、当たり障りのない質問で様子を見るのがいいだろう。三好高校生徒会長の雪菜は、冷静な態度で口を開いた。
「折り入って相談したい案件があるそうですが、どんな内容ですか?」
「まずは、相談に乗ってくれた上、人払いにも同意してもろうて、ホンマありがとうございます」
美墨は相変わらず胡散臭い関西弁だった。
顔には、ハリウッド映画で日本人ビジネスマンを演じる、日本人ではないアジア系俳優のようなニヤニヤ笑いを浮かべていた。
誰が見ても、腹になにか黒いモノを抱えていると推測できるだろう。
だが、無下に追い払うわけにもいかない。帰宅戦では存在感の薄い文化系部活動にあって、美墨の新聞部は、強い影響力を誇っているからだ。
帰宅戦において学校が得る利益は、二通りある。一つは北畑傘下企業の協賛金、もう一つは、新聞部発行の帰宅戦新報の販売と広告料だ。
帰宅戦の基本的な情報は、三好高校のホームページ上で確認できる。だが、通り一辺倒の説明しかないため、あまり人気はない。対して帰宅新報は、各部活動の個性豊かな部員や、帰宅戦における戦術の解説などに定評があり、有料メール・マガジンにもかかわらず、人気を博していた。
ために、新聞部長の美墨には、雪菜と言えども、無下にはできなかった。
もちろん、三好町とその周辺に多大な影響力を持つ理事長の孫、雪菜がその気になれば、新聞部を潰す程度の横暴は造作もない。帰宅戦が盛り下がるとか、収益が減るとかいった、後先を考えなければ、の話だが。
「要件があるなら、お早くお願いします。今日は少々立て込んでおりまして」
雪菜は不機嫌さを出さないように気を使いながら、美墨に返事を催促した。
「いやあ、なに。帰宅戦での、我ら文化系のなんですけどね。もう少し、貢献させてもらえんかなあって、話なんですわ。端的に言わせてもらいますと、帰宅戦で、武道系の部活動さんと肩を並べさせてもらえないかて、提案なんですけど」
「まさか、実戦に出るつもりですか? それは、危険が大きい。体ができている上、戦いに慣れている体育会系でも、怪我人や失神者が続出するほどです。帰宅戦は、体力的に相当に厳しいのですよ」
「確かに、生徒会長の言う通りです。せやかて、帰宅部員を増やした以上、体育会系の部員は減っているやないですか。それに、合宿やら試合やら、応援やらで、部活動ごと帰宅戦を欠席する場合もあるんと違います? 人手が減りすぎたら、帰宅に成功する連中も増えるやないですか。そうなったら、よくないでっしゃろ?」
美墨の言う通りだった。
一度でも帰宅部員になった者は、元居た部活に復帰しても、居場所はない。またすぐに、帰宅部に戻らされる者さえいる。
必死になって帰宅しても意味がないと思われては、帰宅部員たちはやる気をなくし、帰宅戦はつまらないものとなり、収益は激減する。美墨の言う通り、全くよくない事態だ。
「栗原さんのおっしゃる通りです。ですが、文化系の皆さんでは、怪我人どころか、死者が出る可能性さえあります。せっかくのご提案ですが、お断りせざるを得ません。それぞれが、向いた仕事で貢献する。それだけでいいのです」
人手不足だからといって、戦闘に不向きな人材を投入するなど、愚の骨頂だ。第二次世界大戦末期の枢軸国ではあるまいし、事務員や整備兵を最前線に投入するような真似をするほど、有志同盟の戦力は少なくない。美墨もその程度は理解できるはずだ。まさか、侮辱するために敢えて言っているのではないかと、雪菜は訝しんだ。
「いや、実は。案外、向いているようなんですわ。論より証拠、百聞は一見に如かず、ですな。おい、入ってこいや」
雪菜に人格を低く見積もられていると知らず、用心棒を呼ぶ悪徳商人のように、美墨は手を叩いた。誰か、あるいは誰かたちを呼び込む動作だ。
何事かと、雪菜が視線を向けると同時に戸が引かれ、先頭の人物が、部屋に足を踏み入れた。
「なるほどなるほど。これは中々」
部屋に入ってきた、文化系部活動の部長たちと対面すると、雪菜は頷きながら、美墨に視線を送った。
「ふふん。お気に召していただけたようで、何よりです。こいつらが、帰宅戦に備えて、去年から鍛え上げた、我ら文化系部活動の切り札なんですわ」
美墨は、漫画的なまでに踏ん反り返っている。普段の雪菜なら、不愉快になるところだが、ともかく、帰宅戦で使える駒が増えたので、見逃してやった。
強いかどうかは置いておいて、バラエティーに富む文化系部活動の部員を、帰宅戦に動員できる意義は大きい。ついでに怪我人の増加など、不安も大きいが、文化系部活動の、実質的な代表である美墨からの提案だ。
文化系部員が原因で、医療費の増額が見られるようなら、美墨に、文化系部活動全体に、予算という形で責任を取ってもらえばいいだけだ。
「結構です。栗原さんの望む通り、文化系部活動も、帰宅戦への参加を認めます」
雪菜は美墨に笑顔を見せ、願いを承認してやった。
2
美墨をはじめとする文化系部活動の面々が去った後、辛抱強く空き教室で待っていた薙刀部副部長の舞が合流した。
「待たせてしまいましたね」
雪菜は、舞が淹れてくれたコーヒーを、飲みながら、舞に軽く頭を下げた。
「そんな。自習が捗りましたし、わたしの仕事は部長の補佐です。待機時間が必要なら、いくらでも待ちます」
舞は恐縮した様子で、大いに頭を下げた。いい子ではあるけれど、人を崇拝する態度はいただけないわね。雪菜は、舞のつむじを見ながら思った。
きっと「どこまでも貴方についていきます」とか、思考を放棄して、無責任で気持ちの悪い決意を固めているに違いない。皇帝に忠誠を誓う騎士を気取って、自己陶酔に浸るわけだ。
ただ、雪菜に従っていれば、うまく運ぶと安易に考える愚物。自分で思考できないようでは、いいところ少数を纏める現場責任者にしかなれない。舞程度の女が副官役では、どうにも心許なかった。
とはいえ、有志同盟幹部のような、舞よりも愚かだったり、野心があったり、何を考えているのかわからなかったりする連中も、いただけない。舞並みの忠誠心があり、能力も雪菜に匹敵する者はいないものだろうか?
雪菜は「なぜ我が社には、織田信長や坂本龍馬のような若者が入ってこないのか?」などと、都合のいい戯言を吐く社長のように頭を捻った。
「そう言ってもらえると、助かります。生徒会の仕事が、少し残っていますが、大して時間は掛からないでしょう。もう遅いですし、簡単に済ませてしまいますか」
「はい。指示だけ書いて、明日にでも事務班に投げておきます」
「会長~。北畠生徒会長~」
舞が、書類に指示を書き込もうとした時、算盤部長の古賀由香里が、泣きながら生徒会室に乱入してくる。緊急事態かと立ち上がった雪菜の胸に、由香里が飛び込んできた。「こここ古賀。おお落ち着け。なにがあった深呼吸だ吸って吸って」。
普段のクールを気取っている由香里の、幼子のような泣き顔に、舞は漫画のキャラクターのような、わかりやすい動揺を示していた。
舞は由香里とは別種のクールさ、副官的な怜悧さを出そうとするが、少々想定外の事態が起きれば、ただの小娘のようになってしまう。いい加減、理想の自分と、現実の自分のギャップに、気がついてもいい頃だろうに。
「大沢さん。吸わせすぎです。古賀さん、過呼吸を起こしているじゃありませんか。落ち着くのは二人共です」
雪菜は、胸に縋り付く由香里と、首を左右に振って二人を交互に見る舞を、静かな口調で諭した。
由香里の背は雪菜より高かったため、宥めるために手を大きく伸ばさなければならず、少々難儀した。利用しようとして擦り寄る者には容赦なく叩き潰すし、気安くするつもりもない雪菜も、素直に縋られると、無下にできなかった。
雪菜はしばらく、震える由香里の頭や背を苦労して撫でてやった。五分もすると、由香里も落ち着きを取り戻した。
「ほら、飲め」
「……ありがとう」
由香里は、舞の淹れたコーヒーに、ミルクと角砂糖をたっぷり入れ、飲み干した。
普段なら、由香里はブラックしか飲まない。どうやら、無理をしていたようだ。甘党が格好悪いわけでもないのに。
机の上に盛られたチョコレート菓子を鷲掴みにして口に放り込む由香里に、雪菜は声を掛けた。
「それで、なにがあったんです。貴女がそんなに取り乱すなんて、珍しい」
「実は……。帰宅部員で、一年の最上って奴に、酷い目に」
由香里は、シャックリを上げながら、三島風子の取り巻きの一人、最上政彦にされた仕打ちについて語った。
「そう、それは大変だったわね。もう大丈夫ですよ。よしよし」
暗黒舞踏の踊り手のように震える由香里を、雪菜は背中をさすって、慈母のように励ました。
「ありがとうごじゃいましゅ。生徒会長。あいつに思い知らせてやりたい。どうか手を貸してくだしゃい。目にものを見せてやるのでしゅ」
由香里が、舌足らずな声で、雪菜に、復讐の手伝いを求めてくる。雪菜は、肯定の意味を込めて、諫めに懸かった。
「もちろんです。幸い、我らが三好高校には、よい制度があります。最上政彦なる男子生徒には、精々高い所へ登らせてから、転落を経験させてあげましょう」
由香里は、男前の顔を半ば取り戻し、期待に輝かせて、頷いた。