見切らず千両
1
丘ルートの敵が帰宅部へ寝返ったと、モニターにより、全帰宅戦の参加者に知らされた。
有志同盟側有利だった戦況は、帰宅部側に大きく傾いた。
政彦たち本隊も、先陣を切る「ナイトオブ・ライジングサン」も、大いに士気が上がった。反対に、商店街北部の敵は動揺を見せ、ほとんど抵抗せずに、逃げ去った。
ただ、無傷では済まなかった
「ツッコミのデトロイト・モーター・コブラ」と呼ばれる賞金首、マシュー・オグトューが、因縁のあった漫才部の先輩と対戦し、敗北を喫したのだ。
先輩部員は、マシューの強烈のツッコミを鍛え上げた胸筋と首で受けきった。ショックを受けるマシューに、先輩部員は、相撲と柔道の技を研究して編み出した技「ボケ倒し」で勝利した。
直後に、政彦と風子の連撃で、漫才部の先輩を倒したが、マシューの脱落は、大きな痛手だった。
もっとも、戦いらしい戦いは、この漫才部の先輩部員相手くらいで、他に損害はなかった。
稼いだ距離を考えれば、悪くない結果だ。
「なんか、急に勝勢になりましたね。このまま押し切れるんじゃないですか?」
「油断するな。状況が急転するから、帰宅戦なんだ。だからこそ、面白いのだがな」
風子は、政彦の楽観論を戒めると、目を細めて、楽しそうに笑った。
そういえば、帰宅に成功しても、風子が帰宅部に再入部する理由を聞いていなかったが、きっと、単純に帰宅戦が好きなんだな。政彦は確信した。
やっぱり、得意分野って好きになりやすいよな。まして、風子の武術の腕前は、実生活では、中々使う機会がない。完全に自由にではないものの、対人戦で腕を振るえるのだから、好きに決まっている。確か、悠も同じような理由で、帰宅部への再入部を繰り返していたはずだ。
「諸君、橋だ。遠過橋が見えるぞ。渡れば、住宅街はすぐそこだ。さあ、行こう!」
汗を振り撒きながら走る騎馬役の上から「ナイトオブ・ライジングサン」の先陣を務める騎士役が、他の帰宅部員に情報を伝えてきた。
「よし、このまま、最上の家に行こうぜ」
「妹ちゃんが見られるな」
「美人かな?」
「俺は可愛い系希望」
本隊の帰宅部員たちは、激戦の中でも、政彦を家に送り届けるという目的を、忘れずにいてくれたようだ。
明らかな下心を感じさせる発言があるが、聞かなかったフリをしよう。それにしても橋か、なら、あいつらが来るのかな。
政彦の心配を他所に「ナイトオブ・ライジングサン」の面々を先頭に、帰宅部員たちは、道路を渡り、橋に足を進めた。
2
遠過橋に着く。誰も見受けられなかった。
政彦は、きっと、あいつら――忍術部がいるに違いないと、確信していた。
住宅街への、商店街ルート最後の砦である遠過橋は、忍術部の縄張りと目されていた。いつも、遠過橋周辺に、忍術部員がいたからだ。
「ふむふむ、敵はおらぬようだね。では、先陣は他の者に譲ろう。我らの愛馬たちが、疲労の極みなのでね。休息と休養が必要だ。さ、皆、行かれよ。先陣を譲ろう」
アーサーとその一党は、風子の許可も得ずに、そそくさと騎馬を解いて徒歩となった。
皆、嫌な予感がしたというより、忍術部の習性の所為だ。忍術部は柔軟な思考の持ち主である、という固定観念を裏切り、狩場はいつも橋周辺だった。
今回も、きっと遠過橋の辺りで、奇襲を仕掛けてくるのではと、待ち伏せを警戒して、動けずにいた。
「埒が明かんな。赤羽たちも、長くは保たんだろう。時間がない。前田、行け」
「俺っすか?」
前田は、諦めと絶望が混じった声を出した。表情は、体育の野球で「くるな」と念じていたボールがきた、運動に自信のない生徒のようだった。
「お前は先頭集団長だ。武勇伝でも作ってこい」
「部長って、結構、鬼っすよね」
風子は、体育会系の部長というより、性質の悪い不良の先輩のような言葉で、前田を押し出した。
「誰か、従いてくる奴、いる?」
前田は、振り返って仲間を探す。皆、遠過橋の欄干から川を覗き、忍術部員が隠れていないか探している。観念した前田は、大人しく、一人で前に出ていった。
早足で歩く前田は、二分もせずに、遠過橋の中ほどに到達する。なにも起きない。
今回は、駅周辺に呼び出されているのだろうか?
政彦が希望的観測を楽しんでいると、背後で「うわああ」と悲鳴が上がった。
前にも、同じような事態に遭遇したなあと思いながら、政彦は振り向いた。
3
政彦たちの背後から、忍術部員が襲い掛かってくる。
たちまち、最後尾の、水や予備の武器を運んでいた帰宅部員と護衛が、打ち取られていく。捕縛された者の中には、賞金首の姿も見えた。
やはり奇襲を食らうと、手練れでさえ苦もなく捕縛されてしまう。相手が忍術部員となれば、尚更だ。
「いったい、どこから来やがった」
「道路にも、商店街北部にも、いなかったぞ」
驚き、愚痴をこぼしながらも、二年・三年生の帰宅部員は、即座に迎撃態勢を採った。
槍や薙刀、棒などの長柄武器を持った帰宅部員たちは、隊列を組んだ。リーチの短い武器を装備した者や、格闘技系技能を持つ者は、飛び込まれた際に備え、サポートに回った。
前田を除けば、風子と共に最前列にいた政彦を含んで、半数は出遅れたが、却って功を奏した。
忍術部員により、重りの付いた巨大な網が投げ込まれ、隊列を構成していたほとんど者を、絡め取ったからだ。
網から逃れた者にも、動揺が走る。その隙を見逃さず、忍術部員たちが殺到し、次々と帰宅部員を打ち取っていった。
場は混乱し、忍術部員はその数さえ、把握できなかった。
「調子に乗るのも、ここまでだ。皆、狼狽えるな。忍術部は部員が少ない。三人一組で戦えば、問題ない」
「あら、風子ちゃんいたの~? すぐに出てこないから~、今日はいないのか思った~」
僅かに遅れて、風子がトンファーを撓らせながら、間に入って行く。すかさず、忍術部長の加奈子が、風子のマークに入った。
「おい、ジャパニーズ・ニンジャ・マスター。どこに隠れていた? お前の不快な匂いは、感じなかったぞ」
「匂い? やだ~。ふうちゃんったら、犬みた~い」
「そうか、塗料の匂いがするな。お前たちも、トリック・アートで隠れていたな」
「ふふふのふ~。商店街南部で使ったから、同じ仕掛けは使わないと思ったの~? あなたたち帰宅部は、どうせ急ぐしかないわけ。なら、一々確認とりながら進まないでしょう。橋で襲ってくるって、思い込んでなければね~」
風子と加奈子は、トンファーと棍で打ち合いながら、会話を続けていた。
トンファーが唸り、棍とぶつかって、小気味よい乾いた音を立てる。
得物と得物がぶつかり合う最中、互いに足払いや下段回し蹴り、前蹴り、揚蹴り、横蹴り、膝蹴りなど蹴撃を繰り返す。加えて、頭突き、手首や肘の関節を狙う。視線や肩の動きで、虚実の入り混じった動作を相手に見せては勇み足を誘い、カウンターを仕掛けていた。
つい、二週間ほど前なら、政彦には、何が起きているか理解できなかっただろう。激しく厳しい風子との訓練の賜物か、他の忍術部員と戦いながら、政彦は風子と加奈子の戦いを、理解できていた。
「戦いの最中に余所見って、失礼ですよ」
「やあ、ごめんごめん。えーと稲山さん」
「稲川です。クラスメートの名前くらい。覚えてください」
以前、政彦の膝の皿を割ろうとした稲川明日香が、重りのついたロープを振り回しながら躙り寄ってきていた。
「わかったよ、二奈川さん」
「ワザとやってる? いい度胸、ね!」
「甘い、ね!」
明日香が重りのついたロープを、投げてくる。政彦の竹刀に捲きつけようとしているのだろう。
政彦は、膝の力を一瞬抜き、腰を落とす。地を這うようなイメージで前に進み、両手の竹刀で、連続した打突を見舞う。左右の側頭部、腋の下、水月、脇腹、鎖骨、明日香も防ぐが、全ては受けきれない。数か所の急所に、打突が吸い込まれていった。
「ば、そんな。ちょっと前まで、ショボイ感じだったのに」
悪態をついて、明日香は倒れた。
「うわ、本音酷い」と、政彦は少し傷ついた。
「ほう、雑魚相手なら、様になるようになったな。少し待て。このコスプレ同好会長は、スグに片づける。最上は他の連中を援護してやれ」
「コスプレでも同好会でもなくて、忍術部長よ~。いい加減に覚えないと、殺しちゃうわよ~」
「やれるものならやってみろ。時間が惜しい。これ以上しつこく抵抗するようなら、ただではおかんぞ」
「どうするっていうの~? っていうか、あんた、いっつもうちの部員には当たりキツイでしょうが。今更なに言ってんのよ!」
忍者は冷静冷徹なはずだが、加奈子の沸点はああまり高くないようだ。すると、風子が、
「よし、最上、そこで伸びてる稲川とやらの服を剥いて、カメラの前に出せ」
と、人としてどうかと思う指示を出し、加奈子と、味方である政彦を驚かせた。
「へ、いや、流石に、それは」
「な、や、やめな」
「隙あり」
動揺した加奈子は隙を突かれ、トンファーを側頭部に受けて昏倒した。
「部長、流石に、今のは……」
自分の帰宅のためであるので、強くは言えない。それでも、政彦は、風子から心が離れそうになった。
「兵は詭道なりだ。覚えておけ、最上。確かクラウゼビッツとかいう、古代中国の、釣り好きな兵法家の台詞だ」
「ワザとでしょうけど、一応ツッコミますね。孫子でしょ」
風子の汗ばみ、上下する豊かな胸がなければ、危ないところだった。
「部長がやられた。散!」
部長の加奈子が打ち取られると見るや、残っていた数名の忍術部員は、得物を手近な相手に投げつけてきた。
政彦たちが怯んだ隙に、忍術部員は、商店街南部方面に去って行った。
不利と見て撤退すると同時に、文化系部活動の援護に回るためだろう。追いかけている時間はなかった。
風子がモニターを見ながら、決定を下す。
「よし、時間もない。網をどかし、加奈子の顔に落書きし次第、出発するぞ。この先、住宅街南部は、帰宅部側に寝返った丘の部隊と、敵が交戦中だ。一度、最上の家がある住宅街西部に立ち寄ったのち、西から敵本陣を急襲する」
ちゃんと、政彦の目的を覚えていてくれたようだ。
丘の部隊が寝返ったお陰で、政彦の家までは、もう敵はいない。政彦の気が逸るが、風子への義理立てとして、加奈子の顔に落書きをした。
政彦以外の帰宅部員は、網に引っ掛かった仲間を助ける作業が忙しく、他にペンを持った者はいなかった。
白目をむく加奈子の頬に書いた落書きを、小さなハートマークにした心遣いだけが、政彦の良心を示していた。
4
遠過橋を渡り、すんなりと住宅街に入る。近くに自宅がある者もいるはずだ。それでも「じゃあ、お先に」とか「お疲れです」とか言って、帰宅する者はいなかった。
「シスコンの兄を妹の元へ送り届けよう」という同調圧力に屈している者もいるかもしれないが、少数派だろう。ちょうど、RPGのお使いクエストをこなすような感じで、楽しんでいる風だった。
流殿弗不橋も渡り、住宅街北西に出る。線路が近いとあって、電車の走る音が、薄らと聞こえ始めた。
しばらく速足で出歩く。家まであと百メートルの地点で、政彦は「どうして一年の俺なんかのために、付き合ってくれるんですか?」と直接、聞いた。
「そりゃあ、せっかくのイベントだ。楽しまなきゃ、損だぜ」
「俺ら二、三年生は帰宅寮での生活に慣れたからな。それに、帰宅部員を長くやっていると、下手に帰宅してつながりが途切れたり、仲間と敵同士になるほうが、嫌なんだよ」
「そうそう、どうせ、あと一年で卒業だ。ここで確実に帰宅して、来週からお前らと戦うよりも、ノコノコと戦場に出てきた生徒会長に、目にものを見せてやったほうが楽しいじゃないか。頑張って行こうぜ」
二・三年生は、特に気負った様子もなかった。ただ、家に帰りたいと願っていた政彦と違い、帰宅戦を心から堪能している先輩が眩しく見えた。
「もう頑張る必要はないぞ。最上、お前の家に着いた」
風子が、淡々と事実を告げてきた。
風子の言うように、正面数メートル先に、政彦の家がある。何等の抵抗も障害も、感慨もなく、着いてしまっていた。
三週間前、地べたを這いずって見上げた家の光景を思い出す。あの時の「忸怩たる思い」とか「砂を食むような」とか、昔の人は、悪い事柄でもいい表現をするなと感心させられる光景だった。
あれほど焦がれた帰宅が、今まさに、叶おうとしている。なのに、政彦の感情は、まったく動かなかった。
以前、童貞を捨てた従兄が「こんなものか、って感じだったよ」と言っていたが、この帰宅も、そうだ。
こんなもんか、だ。
「どうした、入らないのか?」
扉を前にして動かない政彦に、風子が訝しそうに聞いてきた。
「あ、いや、その。鍵、なくしちゃったか、なって」
言葉を探す。嘘しか出てこなかった。
「なら、インターホンで、家族を呼べ。妹さん、いるんだろう?」
「ええと、はい、そのはずです」
政彦の嘘に、風子が、当たり前の指摘をする。政彦は、なんだかガッカリした。
多分「最後まで付き合え」と、言われたかったのだろう。要は、帰りたくなかったのだ。
「まだ、帰りたくないの」なんて、夕方でなく、夜に、それも女が言うもんだ。
政彦は、馬鹿馬鹿しくなった。こういう時、どう行動すべきだろうか?
「おお、いよいよ妹さんの登場か」
「俺、可愛い系希望」
「狡いぞ。俺が可愛い系希望」
「綺麗系で我慢しとけ」
「希望で外見がどうにかなるのか?」
帰宅部員が、口々に勝手でアホな主張を始めた。
なら、俺もアホな主張をしてもいいはずだ。
政彦は勇気を振り絞り、風子に叫んだ。
「あの! 部長、まだ帰りたくありません」
「ほう、なぜだ?」
皆が見つめる中、風子は、政彦に尋ねる。正しい答を導き出した生徒に解答を詳しく聞く、数学教師のような顔をしていた。
「久々の帰宅です。家族への土産に、武勇伝でも作ってから、帰りたいんで」
「よく言った、最上、お前は今日、本物の帰宅部員になったぞ」
初めて見る笑顔を、風子は浮かべている。弟子や後輩に対して、するものではない。同志にだけ見せる、信頼の証だった。
5
「せっかく家まで送り届けてもらったところ、悪いけど。生徒会長ぶったたいてからじゃないと、帰る気しないんで。俺も本陣に行くわ。よろしく」
政彦は謝りつつ、軽いノリで帰宅戦続行を宣言した。
帰宅部員たちの反応は「このまま帰っても、生徒会長ブチ倒しても、目的の帰宅ができるからなー。そもそも、最上の事情だし、お前が良ければいいんじゃね?」といったもので、割とあっさり、承認された。
これから「美人生徒会長に殴り掛かるとか、普通なら法的にアウトな行為とかしちゃおう。いや、冗談だけど。ホントホント」的な、イベントが始まる。
政彦の妹絡みの事情は、サブ・イベントに過ぎない。メイン・イベントの前には、霞んで当然だ。
「さて、そろそろ悠たちが限界だ。このまま線路沿いを東進し、三好駅南口の敵本陣へ向かう。丘の部隊も押され始めている。時間がない。今を逃せば、我々の敗北は決定的になる」
モニターで戦況を把握していた風子が、冷静に危機的状況を説明し、指示を出してきた。
商店街に比べれば、十分の一ほどと少ないものの、住宅街にも、モニターは設置してあった。
住宅街のモニターは、観光客が観る商店街のモノと違って、帰宅戦参加者しか観る者がいない。チャンネル争いを避けるため、ルーチンで各ルートを映す商店街のモニターと違い、モニター下のボタンで、ザッピングが可能だった。
商店街ルートでは、敵に取り囲まれている悠たちが映っていた。公園・工場地帯ルートは互角で、丘ルートは、ほぼ無人だった。商店街ルートでは、悠を筆頭に、まさ数名の帰宅部員が頑張っている。三好駅南口前の敵本陣では、元丘の部隊が奮戦しつつも、住宅街南側に、少しずつ押され始めていた。
風子の言うように、時間的余裕は全然なさそうだ。
「部長、急ぎましょう」
「全員駆け足。敵本陣が、丘の部隊に戦力を集中している間に、横合い突く!」
「応!」
疲労の見える野太い声が応じ、帰宅部本隊は、三好駅南口の敵本陣を目指して駆け出す。
距離にして、二百メートルもない。疲労の残る体でも、小走りで一分と掛からずに着く距離だ。
北側のフェンスと、南側の塀に囲まれた、細い道を駆けていく。すぐに、遠目で敵本陣を望めた。
生徒会長がいると思しき天幕周辺には、十数人の薙刀部員しかいない。政彦は、連結された船を見る呉軍の将か、桶狭間を見下ろす信長のような気分になった。
だが、細いとはいえ見通しのいい一本道とあって、見つかったようだ。天幕周辺にいる敵が慌ただしく動き出し、応急の隊列を作り始めていた。
身振り手振りで、丘の部隊と戦っていた味方を呼び戻している者もいた。
だが、今なら押し切れる。天幕から、悠が持っているような競技用薙刀を持った、長い黒髪の女生徒が、跳び出した。
天幕を守っている護衛の薙刀部員が、こちらを指さす。振り返った長い黒髪の女生徒と目が合った。
見つけた。




