強行突破
1
「来ませんね。後ろ」
「苦戦しているのかもしれん」
中立地帯で水分と栄養を補給しながら、政彦と風子は、帰宅戦の状況を伝えるモニターを眺めていた。
政彦と風子の周囲には、適正価格で得た、家庭科部謹製のレモネードやレモンのハチミツ漬けを堪能する帰宅部員たちが座り込み、体力の回復を図っていた。
「それにしても、じれったいですね。ザッピングできないんですか、このモニター?」
「放送部員が、気分で各ルートを映しているだけだからな。切り替わるまで待て」
モニターには、政彦たち本隊のいる商店街ルート、公園ルート、丘ルート、工場地帯ルート、商店街入口・坂が、順番に映し出される。まだ、後方集団がいるはずの、校門付近や坂の映像は、映し出されていなかった。
本隊と、半減した先頭集団に、後方集団はまだ追いついていない。先頭集団の戦力が激減したため、商店街ルート後半と、その先にある遠過橋、住宅街の敵を排除して、三好駅まで突破する際の予備兵力が不足していた。
モニターに映し出されて情報から、公園と工場地帯の二ルートは、上手く敵を引きつけてくれているとわかった。あとは、後方集団との合流を果たせば、前進できる。
モニターの画面が切り替わる。今度は、敵が動かないでいる、丘ルートだ。
「くそ、あいつら。なにが弁当よ。今になってビビりやがったわね。そんなんだから、部費で冷遇されるのよ」
悠には、皆、姉御肌なイメージがある。その悠が、暗い過去のあるバーのママがするような顔をしていた。
殺気のこもった声を、操作中の携帯電話にかけ続けている悠の姿は、快活さと朗らかさのイメージからは、かけ離れていた。
「電源が入っていないため、かかりません」と、政彦の耳にも聞こえる。だが、悠の鬼気迫る顔を見ていると、指摘はとてもできなかった。
むしろ、目も合わせないよう、政彦はさり気なく、悠から顔を背けていた。
「お、映像が切り替わったぞ」
「やっとですかー」
風子に話題を振られて、政彦は助かったとばかりに、間延びした声をわざとらしく出した。
首への負担を物ともせずも、モニターに顔を向けた。
長い坂と、制圧したはずの商店街入口のゲートが映し出されていた。
坂の中ほどまで、蛇の尾のように、有志同盟員が続いている。新聞部長の美墨を先頭に、大量の文化系部活動の有志同盟員が、商店街へ殺到しようとしていた。
2
「総員傾注。モニターは見ていたな。状況が変わった。後方集団は、全滅したと判断する。現有戦力で商店街後半と遠過橋の中間地点で挟み撃ちにされれば、勝ち目はない。一部を後衛に残し、本隊は、このまま商店街ルートを突破する。赤羽」
即座に決断を下した風子は、まだ携帯電話の画面を凝視する悠に。声を掛けた。
「は、はい、なんでしょう」
慌てて顔を上げる悠に、風子は事務的な声で命令を下した。
「お前が残って、後衛の指揮をとれ。最大十五人だ。人選は任せる。急げ」
「そんな部長、なんでですか。あたしも、生徒会長のいる本陣まで行きたいです」
悠が縋るような声を出す。しかし、風子の声に含まれる固さに、変化はなかった。
「合図を送ったのに、丘の連中が弁当がどうだと言って動かん。寝返り工作は失敗と見るべきだ。丘の連中が寝返っていれば、他のルートも一気に突破できたはずだ。後方集団が全滅しても、勝利は動かなかった。責任を取ってもらう」
「え、寝返り? 忍術部でもないのに、そんなスパイみたいな真似してたんだー。ふーん」
政彦は、間の抜けた声で、驚きを口に出していた。突然の緊迫した状況に耐えられず、場の空気を誤魔化そうとしたのだ。
無論、政彦が驚いたくらいで、変わるものでもなく、重苦しい雰囲気が続いた。
それでも、悠は吹っ切れた顔で、風子の命令を受諾した。
「わかりました。活きのいいのを貰います」
同時に、野太い声が、悠に掛けられた。
「それなら、ワシらが行こうか。弟よ」
「おう、兄者。腕が鳴るのう、京子」
「わたしは嫌。二人で行けば。ってゆーか、行け。わたしをセットにするな」
後衛に志願したのは、禿頭でヒゲの濃い、百九十近い長身の双子だった。
双子は、柔和そうに薄く笑いながら、盛り上がった胸筋を強調するように腕を組んでいる。秋月大洋・遠洋兄弟だ。
全く高校生に見えないが、双子はまだ一年生だった。
双子の弟の遠洋から「京子」と呼ばれた女子生徒は、同じく一年生の成宮京子だ。
平均身長をやや上回る程度の高さで、スマートボブの髪型と、細いアーモンド形をした勝気そうな瞳が、印象的な少女だ。
京子は、秋月兄弟と同じく腕を組んでいるが、強調するほどの筋肉も脂肪もない。腕を組んでいるわけは、体の部位を強調するためでないようだ。
細い目を更に細め、額に皺を作って悪態を吐く様子から見て、拒否を示していると考えるべき姿勢だった。
「ふふ、京子め、照れておるな」
「おう、兄者。いつもの通りだ。他の者にはわからなくても、ワシら兄弟にはわかる」
「血が教えてくれるからのう、弟よ」
秋月兄弟は、孫を見る老人のような、朗らか笑いを浮かべている。対して京子は、誰が見ても、シリアスな嫌悪感を示していた。
「嫌、普通に嫌。あんたたち兄弟と一緒にいるのも、時間稼ぎの囮になるのも、嫌」
「京子がいないと、この子が寂しがる」
「兄者の言う通り、この子も寂しがる」
秋月兄弟は、互いの腹を撫で合った。
子供がいない中「この子」などと言い出したわけは、秋月兄弟と京子、三人の通称を知っていれば理解できた。
三人は纏めて「想像妊娠ブラザース・プラスワン」と呼ばれている。秋月兄弟は、想像妊娠により、自分の腹の中に赤ん坊がいると思い込んでいた。
ありえない話だが「想像妊娠ブラザーズ」の秋月兄弟は本気だ。しかも、秋月兄弟が、自分たち兄弟を妊娠させたと主張する人物は、幼馴染である「プラスワン」の、成宮京子だった。
元銃剣道部の秋月兄弟は「なんか気持ち悪いから退部してくれ」と懇願され、元短剣道部の京子は「この子たちの親として、面倒を見てくれ」と、秋月兄弟に家の前で三日間「悪阻が!」とか「子供に罪はない!」などと絶叫しながら土下座され、やむなく帰宅部へ入部させられたという。
以来、秋月兄弟の長身を生かした、銃剣道の木銃による刺突の連撃と、打ち漏らした敵を仕留める京子の制体技によって、帰宅戦で活躍していた。
賞金も、戦うごとに上がり続け、三人を一組にしてではあるが、百万円にもなった。
京子の反発を無視して、悠は目を潤ませながら秋月兄弟の手を取り、大きく上下に動かして感謝を示した。
「ありがとう。貴方たちなら大歓迎。助かるわ」
「はっはっは、困った時はお互い様さ。気にするな」
「兄者の言う通りじゃ、我ら三人、いや、お腹の子を入れて五人。仲間は決して見捨てない。ほら、今お腹を蹴ったぞ、この子もやる気だ」
「おう、ワシの腹も、何度も蹴り上げておる。臨戦態勢だ、弟よ。仲間のためにも、この子らためにも、負けられんのう」
「ここでワシらが足止めせねば、全員の帰宅を果たすという大望が、果たせなくなる」
「また、断ると、わたしが悪人になる空気を作ってるし……わかったわよ。残ればいいんでしょ。でも、イザとなったら、皆を囮にして逃げるからね」
京子は渋々と、政彦の短い竹刀よりも、更に短い短剣形の竹刀を取り出した。
実力者の「想像妊娠ブラザーズ・プラスワン」が残るとあって、チラホラと手が上がり、十五名の志願者が集まった。
「よし、これだけいれば、結構いけるわ。三島部長、生徒会長、やっちゃって下さい。政彦、足を引っ張るんじゃないわよ」
元気を取り戻した悠が、競技用薙刀を掲げて、政彦に憎まれ口を叩いた。
風子は頷き、号令をかける。
「任せておけ。そろそろ中立地帯を出る時間だ。時間はかけられないから、切り札を切る時だな。一気に突破を図る《ナイト・オブ・ライジング・サン》前へ」
「了解した」
「ついに吾輩らの出番か」
「拙者の見せ場が来たのう」
不意に、高い位置から、下手な騎士の演技をしているような声がした。
三人の騎士が、政彦たちを見下ろしている。三騎士は、新聞部によって「ナイト・オブ・ライジング・サン」と呼ばれ、以来、通称として定着していた。
ただし、騎士といっても、本物の馬に乗っているわけでも、板金鎧を身に纏っているわけでもなかった。
縦にも横にも大きな体をした三人が、馬の首を被った帰宅部員を頂点とした三角形に配置され、後ろの二人が腕を交差させて置き、鞍としている。前後の帰宅部員が繋いだ左右の手の平を、鐙の代わりにして、騎士たちは馬上に鎮座していた。
要は、運動会における騎馬戦の要領だ。
馬上の三騎士は、二種類の格好に分けられた。糊とテーピングで固めたダンボールに、銀紙を張って作った西洋風の甲冑を着た二人の騎士と、同じくダンボールを加工して黒く塗った、日本戦国期の当世具足風甲冑を着込んだ騎士がいた。
騎士は右手に、先端を丸くしたカーボン製の長いラン巣を装備し、左手の小手には、名前の元になった旭日旗が描かれていた。
彼らは、今は廃部となった、ジョスト部員たちだ。
ジョスト部は、西洋騎士の馬上槍試合を行う部活動だ。去年までは存在していたが、今年の初めに廃部となった。あまりにもマイナーであったため、少なくとも日本では、試合が成立しなかったからだ。
そもそも、馬は馬術部にしかなく、騎馬戦を模して騎馬を作り、部内でジョストを行っていた似非ジョスト部だ。廃部にされて当然だろう。
ところが、部員たちは納得せず、帰宅部に入れられた後も、似非ジョストの訓練に明け暮れていた。それも、甲子園を目指す高校球児のような真剣さで、だ。
九人の騎馬役は暴食と走り込みを繰り返した。
騎馬役たちは、体重を百キロオーバーまで増やし、当たりを強くしつつ、心肺機能を強めた「動けるデブ」となった。
馬上で槍を振るう三人の騎士役は、徹底的な筋トレにより、バランスを崩さずに、連続した突きを出せる体幹と、カーボン製の槍で針を通し技の精度を手に入れ、帰宅戦で活躍するようになった。
今や「ナイト・オブ・ライジング・サン」は、タルタルの門から現れた遊牧民の騎兵と対峙した、西洋騎士のような目で、有志の同盟員から見られるようになっていた。
「よし、任せた。先頭集団の残余と、本隊は彼らの後に続く。時間が勝負の鍵だ、速さを意識しろ。悠たち後衛は、最後に出撃、地形障害と、我々が蹴散らした連中と装備を活用して、可能な限り後方からの敵を押しとどめ、時間を稼げ。正念場だ、行くぞ!」
「応! 泉の乙女の御加護あらんことを」と、先頭を行く「ナイト・オブ・ライジング・サン」のリーダー、自称アーサーが槍を高く掲げた。
「ハイよー!」
アーサーの右斜め後方で、自称ランスロットが勿体ぶった態度で、風子に敬礼した。
「速きこと疾風のごとし!」
アーサーの左斜め後方で、自称・山県政景が、空いた左手で胸を叩いた。
風子の檄に応え「ナイト・オブ・ライジング・サン」は跳び出していく。騎馬役は重々しい地響きを出して、中立地帯と商店街ルートの間に布陣している、槍術部をはじめとした有志同盟員に突っ込んでいった。
一人、実は戦国史系の歴史研究部に入りたかったのではないかと推測される騎士役がいたが、誰も指摘しなかった。優しさからではなく、どうでもよかったからだ。
「部長、俺らも行きましょう!」
政彦も負けじと声を張り上げ、突入していく。自分の前に実力者がいると思うと、安心して突撃できるものだが、今回は緊張が勝った。
如何に悠や「想像妊娠ブラザーズ・プラスワン」が強く、文化系部活動の集団が弱くとも数が違い過ぎる。長くは保てないだろう。
不安を振り払うように、政彦は走り「ナイトオブ・ライジングサン」の打ち漏らした敵に竹刀を打ち込んでいく。
気が付けば、追いかけてきた風子より、少しだけ前に出ていた。
俺も、成長したもんだ。
政彦が自画自賛していると、モニターが切り替わり、丘ルートに動きが見えた。
ああ、悠の奴、惜しかったな。




