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帰宅戦記  作者: 呉万層
12/18

空弁当と問いボール

 1

 雪菜には、子供のころからの持論があった。

上位にいる人間は、精神的にも物理的にも、大所高所にいるべきだ。

 指導者は、下からもたらされ、分析された情報を元に、後方から判断を下す。

 成功すれば自分の手柄、失敗すれば、下の誰かに責任を押し付ければ済む。現場で泥臭く戦う必要性はない。自分で判断できない下の人間が、上の人間から与えられる命令の下、泥と汗に塗れればいいのだ。

 だから、なぜ自分が、帰宅戦に放り込まれなければならないのか? 理由はあるし、知ってはいるが、雪菜は理不尽に感じてならなかった。

「おかしいですね。ここは、わたしのいるべき場所ではないはずなのですが」

 おまけに、全ての帰宅部員が標的とする立場とあって、胸に込み上げる不快感で、眩暈がしそうだ。独り言の一つも、漏れて当然だ。

 午後三時四十五分、帰宅戦開始の十分前、三好駅前の広場で、雪菜は、薙刀部副部長の遠山舞を長とする、多数の護衛に囲まれていた。

 護衛は、最低でも二段位を頂く、薙刀部の精鋭を中心とした百五十名にもなる大所帯だ。内訳は、帰宅戦の経験も豊富な、引退前の脂がのった三年生薙刀部員五十名を中心としている。補助として、大江率いる各種空手部・ボクシング部・柔道部から派遣された近接格闘部隊が百名配属されていた。更に、ボールによる阻止攻撃を行う、西崎を長とするサッカー部員と、サーブを得意とするテニス部員などの、球技系部活動も加わっていた。

 本隊周辺には、少人数の体育会系部活動を組み合わせた五十名前後の支隊が三つ、本隊の西・南・東に展開している。球技系を除く本隊支隊、全て合すれば、総兵力は実に三百名だ。

 それでも、安心は全然できない。帰宅部長の三島風子は鬼神の如き強さを誇っている。他にも、恐るべき強さと技能を持った賞金首たち、無数にがいるからだ。

 ただし、このままでは、だ。当然、他の手も打ってある。考えたのは、雪菜でも舞でもなく、有志同盟の会計にして、算盤部長の古賀由香里だった。

 普段、頼みとしておらず、人格も下と見ている者の案を採用する状況は、少々癪だった。

 採用したのは雪菜だったので、手柄は、由香里と半々だとして、自分を納得させた。

 だが、果たして本当に大丈夫なのだろうか? なにぶん初めてとあって、雪菜は確信を持てていなかった。

「会長、御飲物です」

「ありがとう」

 雪菜が、沈んでいると、タイミングよく、舞が、冷えたミネラル・ウォーターを差し出してくる。ご丁寧にも、ワイングラスに入れられていた。

 雪菜を気遣ったというより、ただ、奴隷根性のままに傅いているだけだろう。タイミングは良かったので、雪菜は感謝して受け取った。

 良く冷えたミネラル・ウォーターを、ゆっくりと喉に流しこむ。春と夏の間に存在する、暖かい季節に飲むには、心地よい冷たさだった。

 一息つくが、不快感の軽減には、焼け石に水だった。

「緊張されていますか?」

 心配顔の舞に、雪菜は微笑を浮かべて答えてやった。

「ええ、少し。なにぶん初めてですから」

 十日ほど前、美墨とやり取りをして以来、胃を悪くした際のような、焼けるような不快感は、思い出したように襲ってきていた。

 美墨を追い落とす準備期間を得るための口実として、エース級の帰宅部員の賞金を上げるよう、理事長と交渉する運びとなった。

 盛り上げるために必要なそ措置であり、ついては文化系部活動の帰宅戦全面参加を延期すると、美墨に告げた。

 ところが美墨は、文化系部活動の帰宅戦の全面参加を延期する条件として、雪菜の帰宅戦参加を要求した。

「そのほうが、盛り上がるやないですか。初となる、文化系部活動の帰宅戦全面参加を活気づけようと、わざわざ理事長と交渉するくらい、気に懸けてくれとるんでしょう? やったら、受けてくれますやろ。薙刀部長はん」などと、わざとらしい関西弁で、白々しくだ。

 断りたいところだったが、雪菜自身が断っては、武道系部活動筆頭である薙刀部長の沽券に係わる。他の幹部が反対してくれるだろうと「結構です。立場もあって、参加してきませんでしたが、偶には出なければと、機会を探っていたところです」と答えてしまった。

 ところが、空手部長の大江も、サッカー部長の西崎も、算盤部長の由香里も、反対しなかった。舞さえ、なにも言わなかった。

 各幹部は、一度くらい雪菜が帰宅戦へ参加しても当然、という雰囲気を醸し出していて「やはり、気が進みません」とは、とても言えなかった。

 美墨の意地悪と自らの見栄のために、指導者でありながら、雪菜は帰宅戦に参加する羽目となった。

 最初に理由をつけて断っておけば……。

「午後三時五十五分になりました。開始です」

 雪菜が、迂闊さに後悔していると、舞が帰宅戦開始を知らせてきた。

  2

「いいぞー、やっちまえ」

「数を減らしておいてくれ」

 駅前の巨大モニターに、帰宅戦の様子が映し出されている。雪菜の周囲を固める帰宅阻止有志同盟の精鋭たちが、今はまだ傍観者の気分で、モニターに見入っていた。

 帰宅部員が、球技系部活動による帰宅阻止攻撃で昏倒すれば、喝采を送り、口笛を鳴らす。帰宅部員に、有志同盟の隊列が突破されれば、顔を覆って首を上げる。楽しそうでなによりですねと、雪菜は醒めた目で見ていた。

 だが、派手な動きをする賞金首の帰宅部員には、目を見張るものがあると認めざるを得なかった。

 やはり、会議室で一人、モニターを眺めるより、現場の熱気を感じながら見るほうが、迫力がある。スポーツ観戦とは、こうでなくては。

 初めて帰宅戦を見た時のような、昂揚感があった。それでも雪菜は、まだ少し、不快感を覚えていた。

「おお、文化系の連中も、意外にやるな。演劇部と歴史研究部系以外は、役に立たないもんだとばかり思ってたが」

「結局は、一部だけだろ。戦闘力のバラつき多過ぎ。俺は一緒に戦いたくないな」

「でも、後方集団を追い詰めてるぞ」

「数と栗原の力だろ」

 どうせ大した活躍はできないだろうと高を括っていた文化系部活動、特に美墨の活躍のせいだった。

 精々「お気の毒様」と、下品にならないよう、短く冷笑してやろうと思っていた。嘲笑の楽しみがなくなったのは残念だが、もっと深刻な問題があった。

 自分から帰宅戦に志願しておいて、手もなく撃退されたとあれば、美墨の評判は地に落ちるだろう。

 無論、新聞部長である美墨は、自分に不利な記事は、絶対に書かない。だが、帰宅道連盟のサイトを運営する由香里がいる。由香里に美墨の失敗を書かせればよかった。

 美墨さえ抑えてしまえば、文化系部活動は、完全に雪菜の統制下に入れられるはずだった。ところが、最低限の活躍を示した以上は、美墨の権威失墜は、次の帰宅戦を待たねばならなくなった。

 深呼吸を一つして、雪菜は冷静さを取り戻す。美墨を料理するには、また今度にするとしよう。無理やり作っても、無様な味になるだけだ。どうせ作るなら、美味しくて上品な料理であるべきだ。

 今は、どう帰宅戦を有利に導くか、考えるべきだ。

 帰宅道連盟のサイトを運営する由香里の策によって、帰宅部員たちは、体育会系部活動の多くが、合宿などにより、帰宅戦の参加人数が少なくなっていると、思い込まされている。

 だが、あとホンの数十分で、合宿に向かった体育会系部活動の部員たちが、三好駅に戻ってくる手筈となっていた。

 実際には合宿に参加せず、三好駅から一時間ほどの、体育館が近くにある駅で、待機させていたのだ。

 その数、二百。

 現在配備されている有志同盟員だけで、本陣及び周辺の三百名、各ルート合計五百五十名の総計八百五十名にもなる。加えて、文化系部活動からの応援が、各ルートに四百名、校舎から出撃して後方集団を扼する文化系部活動総隊が千名の計千四百名。今参加している体育会系・文化系部活動を総合すれば、二千名を超える大兵力だ。

 現有兵力だけ、三百二十名の帰宅部を圧倒できる。万一打ち漏らしても、消耗した帰宅部に、新鋭の体育会系部活動二百名が、一斉に襲い掛かる手筈だ。

 如何に風子以下、高い戦闘力を持つ帰宅部員の賞金首たちといえども、ひとたまりもないだろう。やはり、確信を抱いても大丈夫だ。

 雪菜は余裕の笑みを浮かべると、グラスを手に取った。

 すかさず、舞がミネラル・ウォーターを注ぎ足す。雪菜がグラスを掲げて礼をし、飲み干そうとした。

「着信だにゃー。着信だにゃー。着信だにゃー」

 舞から、可愛らしい声で、着信を告げる声が流れる。即座にポケットから、三毛猫のストラップが付いた携帯電話を取り出し、赤い顔をして謝ってきた。

「す、すいません」

「いえ、お気になさらずに」

 意外といえば、失礼かもしれないが、舞も女の子だったようで、可愛いものは好きらしい。雪菜も猫好きなので、共感できた。

 可笑しみを堪えながら、雪菜はグラスを口に運ぶ。まだ冷たい、ミネラル・ウォーターが、喉に心地いい。

 雪菜が渇きを癒していると、隣で携帯電話を耳に当てていた舞が、不意に耳元まで顔を近づけてきた。

「会長、大変です。合宿に出ていた部活動が、駅で発生した計器故障のために、全員、電車内で立ち往生しています」

 舞は声を落として、雪菜にとんでもない情報を伝えてきた。

 雪菜は、顔から血の気が引く音を聞いた。

「なんですって! 復旧の目途は?」

「まるで立っていないようで、帰宅戦には、間に合いそうもないと言っています」

 雪菜は、思わずグラスを取り落した。

 派手な音を立てたが、モニターに見入っている者が多かったため、ほとんど気付かれていなかった。

 モニターには、風子が豊かな胸を揺らしながら、トンファーで有志同盟員を蹴散らしている姿が映し出されている。男子生徒からは喝采を、女生徒からは、なにか恨みの籠もった賞賛が浴びせられていた。

 そういえば、風子の進む商店街ルートに配備されている有志同盟、二百五十名だ。決して少なくないが、あの風子が指揮を執っている以上、突破は充分ありえた。

 いよいよ、あの風子と直接対峙する可能性が高まったと見るや、雪菜に残っていた余裕は、大幅に減少した。

「遠山さん。丘の部隊は、まだ交戦していませんね。すぐに、こちらへ呼んでください」

「は、しかし、よろしのですか? 丘を取られると、公園、工場地帯の味方が、分断されかねませんが」

「合宿組が来られない現状では、攻撃を受け止めてから、反撃するための部隊が、そう、予備兵力が不足します。古来、予備兵力なしに、決定的な勝利を上げるのは困難、とされています」

「しかし、丘の部隊は、数こそ百五十名ですが、武道系でも球技系でもない弱小部の連合です。頼りになるかどうか、疑問が」

「構いません。急いでください」

「了解しました。連絡を取ります」

 雪菜の命令に疑問を持ったようだが、命令を早口で重ねると、舞は携帯電話を操作し出した。

「わたしだ、遠山だ。丘に布陣している部隊は、即座に三好町前に移動せよ。現在、到着予定の合宿組が、電車内で立ち往生しており、反撃用の予備隊が不足している。急げ。なに? おい、切るな」

 舞は、携帯電話に怒鳴り声を上げた。

「どうしたのです? 何か、トラブルでも?」

「それが、丘の部隊指揮官が、現在、弁当を食べたばかりで、動けないと」

「な、なんですって? 弁当? なぜ、帰宅戦の最中に」

「申し上げにくいにですが、恐らく、意趣返しかと」

「いったい、なにについて仕返しをしようというのです? 私が、私たちが、なにをしたというのです!」

 舞の瞳に映る雪菜は、納得できないと、顔に書いてあった。

「武道・格闘技系でも、球技系でもない部活動は、一部の実績ある部以外は、部費を低くく抑えられています。丘の部隊を率いている、ワイフキャリング部長の橘は、以前から、不平を漏らしていましたので」

 体育会系部活動の予算は、雪菜が部長を務める、薙刀部を筆頭とした武道・格闘技系部活動と、西崎が部長のサッカー部や、野球部などメジャーな球技系部活動が大半を獲得していた。

 パワーリフティング部や、ワイフキャリング部、ペタンク部、タッチ・フットボール部などといったマイナー部活動は、並の文化系部活動よりも、予算配分は少なかった。

「部費が少ないままの原因は、知名度だけでなく、実績もないからでしょうに。逆恨みもいいところですね、まったく。いいでしょう。そちらがそのつもりなら、考えがあります。サッカー部長の西崎さんを呼んでください」

 苛ついていたところに、帰宅戦の昂揚感と、朝比奈の命令不服従が加わった結果、雪菜の発想は飛躍した。

「どうされるおつもりです?」

「なに、伝説上の家康方式を、採用するだけです。ボールは、火縄銃より飛距離がありますけど」

 謹厳な顔に汗を浮かべる舞に、雪菜は、帰宅戦開始以降、初めてとなる、心からの笑みを浴びせた。

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