『直進メイド』
『直進メイド』
未だに砂煙りが舞う中、ネロはトラの拘束を解かずに自分がマクスウェルから依頼を受けた何でも屋であることを説明した。トラは信用していない様子で、不信感を隠すことなくネロを見つめ返す。
マクスウェルはトラを拘束し続けるネロに疑問を覚えながらも、成り行きを見守っていた。
戦闘状態ではなくなったもののトラはネロを敵視したままであり、王子から協力者だと言われたにもかかわらずその言葉さえネロに言わされているのではないかと疑っていた。
互いににらみ合ったまま、時間だけが過ぎていく。あれほど舞い上がっていた砂もすでに収まり、騒ぎを聞きつけた村人が徐々に集まってきた。
視界が晴れるにつれ戦闘の激しさを物語るようにいくつもの爪痕が露わになる。綺麗に整地されていた地面にはいくつもの大穴が開き、付近の家屋には壁に大穴が開いているところも見られた。
この状況はまずいと感じたのか、ネロは仕方なく拘束を解くとトラに提案を持ちかけた。
「このままじゃちっとやばい、宿で詳しいことを話すからついてきてくれ」
拘束を解かれるとトラは一目散に宿へ向かって走り出したが、あらかじめ予想していたネロは腕をつかみ制止する。
「宿へ向かうのではないのですか?」
どこまでも愚直に突き進むトラに、ネロは呆れたようにため息をついた。止められたにもかかわらず宿へ向かおうとするトラの手を強引っ張り、ネロは宿とは反対方向に逃げ出す。一部とはいえ、村を壊した2人が簡単に見逃してもらえるはずもなく、逃亡を図る2人に気付いた村人たちも続けざまに駆け出した。
追っ手を撒くために何かしているのか、ネロが足を踏み出すたびに砂が舞い上がり村人たちから2人を隠す。トラはその様子を見て得心したようにうなずいた。
「なるほど、いったん宿とは反対に逃げてうまく目をごまかすつもりですね」
一応考える頭はあるようで、トラはネロの狙いに気付いたようだ。ネロも肩越しに頷いて見せると、トラの言葉を肯定する。
「そういうことだ。少し大回りになるが、そのほうが面倒事にならないで済む」
ネロは砂煙に紛れながら急に脇道へ入ると、すぐさまトラを物陰に押し込み自らもその狭い空間に入る。巻き上がり続ける砂煙はネロが曲がってからも直進し続け、2人を追っていた村人たちは砂煙につられて走り去っていく。
脇道からそっと表通りを伺い、村人が通り過ぎたことを確認ネロは安堵したようにため息を吐いた。
「どうやら、うまくまいたようだな」
「何やらご機嫌なようだが、よくも村の中で大立ち回りしてくれたねえ」
村人たちから逃げ切れたと思っていたネロに、脇道の奥からゆっくりとした口調で声がかかる。
まだ見つかっただけなのに逃げるそぶりも見せずにネロはがっくりと肩を落とした。見つかっただけでネロが逃走をあきらめたからだろうか、トラは恐る恐る脇道の奥へと視線を向ける。だが、そこには頭巾と前掛を付けた恰幅のいい主婦が立っているだけで、逃走をあきらめなければならない相手には見えない。
トラはすぐさま立ち上がるとネロの腕を取って脇道を出ようとしたが、再びネロに止められた。
「いや、無駄だ」
「なぜそう言い切れるのでしょう?」
「この人は俺らが泊まってる宿の女将さんだ」
ネロの答えを聞いて観念したのか、トラは掴んだ腕を離した。逃げる気をなくした2人のもとに女将さんが近づき、大きな手でネロの肩を叩いた。
「あのくらいの破損ならあんたの魔法ですぐ直せるだろう? みんなには黙っといてあげるからちゃっちゃとおやり」
女将の有無を言わさぬ言葉に、ネロは力なく了承を告げるとトラを連れ立って戦闘跡へと戻った。先ほど逃げながら直していたのか、いくつも穿たれていた大穴がわずかな窪み程度になっている。それを見たトラが感心したようにネロを褒めた。
「ずいぶんと器用なのですね。先ほどの砂塵もさることながら、走りながらここまで修復できる者はそういないと思います」
トラから褒められ、ネロは驚いたように声を上げるとすぐさま距離をとった。
「どうかされましたか?」
「いやいやいや、ついさっきまで殺しに来てたやつから賛辞を貰うとか。恐怖以外感じないだろ」
焦ったように早口で告げられたネロの言葉に思うことでもあったのか、トラは少し考えるように黙った。ネロはトラの様子を伺いつつ袋の中から苗木が植えられた鉢植えを取り出すと、破損した木造家屋の前に立ってそっとその幹に手を添えた。すると、苗木が蔦のようにするすると伸びていき、破損した壁に飲み込まれたかのように癒合する。そして苗木が伸びるにつれて壁に開いていた大穴が塞がっていく。
しばらくすると、破損していた壁は多少の違和感が残るものの、きれいに直された。修復が終わったところで癒合していた苗木はほどけるように壁から離れ、取り出された時と同じくらいの大きさに戻る。
ネロが壁を直している間にトラは整地をしていたのか、壁を直し終えたネロが辺りを見回すと獣道のようにでこぼこしていた地面が平らにならされていた。
「どうやら終わったようですね」
「あ、ああ。どうやら信用してもらえてるみたいだが、どうゆう心境の変化だ?」
先ほどとは打って変わって気心の知れた仲間のように接してくるトラに、ネロは戸惑っているようだ。
「先ほど兄様から協力者のがいると聞かされたのを思い出しまして。先ほどはたいへん失礼なことをいたしました」
言葉と共にしっかりと腰を折って謝罪をするトラを見て、疲れたようにため息をついたネロは何もかもを諦めたように投げやりに謝罪を受け入れると、トラを連れて宿に戻った。
受付で寝床の追加をお願いしつつ女将に修繕が終わったことを告げてから部屋に入ると、待ち構えていたマクスウェルがトラに飛びついた。
「トラ、無事でよかった」
「王子こそ、ご無事で何よりです」
言葉こそ主従関係にあるせいで硬いものになっているが、その様子は生き別れた兄妹が再会したようにも見えた。
「あのー、感動の再会してるとこ悪いんだけど。いろいろ聞きたいこともあるしいったん落ち着かないか?」
どこか居心地の悪そうなネロの声に2人はゆっくりと離れる。マクスウェルは目じりを濡らしながら肯定を返すと、ゆっくりとした足取りで壁に立てかけられた折り畳み式の椅子とテーブルのもとに向かった。トラは主にそんなことをさせるわけにはいかないと思ったのか、すぐさまマクスウェルを追い越すとやんわりとネロの手伝いを断り、一人でテーブルと2人分の椅子を組み立てた。
使用人としての誇りなのだろうか、ネロに王子の向かいにある椅子を勧めるとトラはマクスウェルの後方に控えた。
「でだ、とりあえずそこに突っ立ってないであんたも席につけ。1人だけ立ってられると落ち着かねえ」
ネロはトラの行動が気に入らなかったのか、少し苛立ったように口調を強めた。
「ですが……」
それでも椅子すら出そうとしないトラに怒気を強めたネロは乱暴に立ち上がると手早く椅子を組み立て、マクスウェルの横に置く。
「いいから、座ってくれ」
トラからしてみればいつも通りに使用人として失礼のないようにしたはずなのに怒りを向けられたのだからたまったものではない。理由がわからないものの、怒りの収め方を提示されたトラは戸惑ったように椅子とマクスウェルを交互に見る。
「トラ、座ってください」
マクスウェルからも勧められようやくトラは席に着いた。トラが座るとネロが疲れたようにトラに問いかけた。
「なあ、どうして俺があんたに座るよう言ったか分かるか?」
ネロの質問の意図が読めないのか、トラは困惑したように首を横に振った。
「いいえ、分かりません。私はいつも通り使用人として立っているべきだと思ったのですが」
「ネロ、僕が答えてもいいでしょうか?」
困っているトラに助け船を出したいのか、マクスウェルはネロに許可を求めた。
「ああ、いいぞ」
ネロから言ったところでトラはすぐに従わない。そのために自分で気づかせようとしていたネロだが、主であるマクスウェが納得すればトラも従わざるおえないと思ったようで少し考えてからマクスウェルが答えることを許した。
「では、おそらくですが僕の身分をなるべく隠したいからではないかと思います。村に入る前、僕が嵌った土の椅子もわざとああなるように仕向けたんですよね?」
トラは土の椅子と聞いて何の事だかわからなかったのか怪訝な表情でネロを見つめる。ネロはマクスウェルの回答と質問を聞いて嬉しそうに口角を上げるとうなずきながら肯定の言葉を返した。
「そうだ。こんな辺境には似つかわしくない立派な軽鎧を少しでもごまかせたらと思ってな。それにしてもよくそこまで気が付いたな」
ネロに褒められたのがうれしかったのか、マクスウェルはにっこりと微笑む。
「先ほどの戦闘を見て、これほど土をうまく操れる人があんな失敗をするものだろうかって疑問に思ってたんですよ」
感心したように何度もうなずくネロと楽しそうに笑うマクスウェルに意を決したようにトラが質問をする。
「あの、先ほどから話に出ている土の椅子とは何なのでしょうか? 王子様の言葉を聞く限りあまりいいものとは思えないのですが」
和やかな雰囲気もあり油断していたのか、トラの質問に素直に答え始めたマクスウェルをネロは止められなかった。
王子のためなら自らのが傷つくことをいとわないほど忠誠心の強いトラが村に入る前にあったことを知るとどうなるか、想像するまでもないだろう。
にこやかに説明するマクスウェルとは裏腹に、トラの顔は徐々に怒りに染まっていく。説明を聞き終えると、トラは静かに立ち上がった。
「なるほど、そんなことがあったのですね」
つられるようにネロも立ち上がり、顔をひきつらせながらなだめるように補足を付け加える。
「その、あれだ。罠に嵌めるみたいにしたのはそうしないと自然な汚れに見えないからでな、決して邪な感情があったわけじゃないんだ」
ネロの必死な弁解に、トラは笑顔で剣の柄に手をかけながら答える。
「峰打ちで勘弁してあげます」
どうにか許してもらえないかと希望を持っていたネロの顔に絶望が浮かんだ直後、辺境にある村の宿に悲痛な叫び声が響き渡った。