『2人旅』
『二人旅』
太陽が空高く昇りお昼時に差し掛かる頃、木々が生い茂る森の中を二人の男が歩いていた。片方は大きめの袋を持ち、長衣を着ていて、男にしては少し小柄である。もう片方は薄汚れた黒い布の塊を小脇に抱え、軽鎧に身を包み、隣の長衣の男と比べると頭一つ分は背が高い。2人並んで歩いているが、その表情は正反対のものであった。小柄な男ことネロは荷物を揺らしながら鼻歌交じりに歩き、軽鎧を纏ったマクスウェルは諦めたように力なく歩いている。
不思議なほど上機嫌なネロに、マクスウェルは足を止めてうんざりしたように声をかけた。
「ネロさん、なんで急に旅立つことにしたんですか?」
ネロは振り返ってマクスウェルと視線を合わせ、口角を上げながらその質問に答えた。
「そりゃ、追っ手から上手く逃げるためさ。今日中には無理だけど、明日のお昼までに村まで行ければ、次の日の朝には街に向けて出発できる」
マクスウェルは不満があるのか得意げに話すネロから目をそらしたが、ネロは構うことなく言葉を続ける。
「例えば、明日の朝村に向かったとしよう。そうすると夕方に村につき、次の日に準備を整えて、さらに一泊してから街に向かうことになるだろう」
そっぽを向いていても一応聞いているのか、ネロの言葉にマクスウェルは数度うなずく。
「でも、それじゃ遅い」
「なんで遅いんですか?」
ネロの説明を待たずに不機嫌なマクスウェルは質問を投げかける。ネロは勿体つけるように間を開けると、端整な顔にいやらしい微笑みを浮かべながら口を開いた。
「簡単な話だ。一日あれば、兵士たちがここら辺まで捜索に来れちまうんだよ。そして、これから行く村にもすぐたどり着くだろうさ」
まるで預言者のように宣言するネロにマクスウェルは首をかしげながら疑問を口にした。
「どうしてそう断言できるんですか?」
マクスウェルの投げやりな質問に肩をすくめると、ネロは大げさな身振り手振りを加えながら理由を語りだした。
「そうだな、説明するにはまず、ここの治安維持を行っているのは誰だ? という質問から始めようか。わかるかい、王子様?」
小ばかにするようなネロの出題にマクスウェルは少し悩んだあと、むくれながら答えを口にした。
「父上、でしょうか?」
ネロは予想していたかのようにすぐさま答えを否定すると正解を告げた。
「違うんだなーこれが。この森を境にして王領と公爵領は分けられている。つまりだ、ここの治安維持を行っているのは公爵様ってわけだ」
マクスウェルは厭味ったらしく説明するネロにこれ以上馬鹿にされたくなかったのか、少し考えてから自分なりの結論を口にした。
「なるほど。つまり、父上から公爵を通して公爵軍に命令が下されるので一日かかる、というわけですね」
ネロは確認するように見つめてきたマクスウェルに微笑んで返す。
「そういうこと。そんでもって命令が通ってしまえば領境に近い村には兵士が来るってことだ」
ネロの説明に納得したのか、マクスウェルは一息つくと再びしっかりと前を向いて歩き始めた。だが、きちんと休めていないせいかその表情からはかなり疲れていることが見て取れる。ネロは王子が倒れないよう適度に休憩を挟みつつ、ゆっくりとした足取りで歩を進めた。
太陽が地平線に沈み始める頃、2人は川縁に到着していた。朝からのほとんど歩き詰めだったためだろう、マクスウェルは疲れ切った様子で手ごろな岩に座り込んでいる。森を歩きなれているネロにとってつらいことではなかったのか、疲れた様子もなく楽しげに夜営の準備を始めた。
体力は底をついていてもネロが何をするかが気になるようで、マクスウェルは気だるげな表情をうかべつつネロのことをぼんやりと眺めている。何かを見極めるようにして辺りを見回していたネロは石の少ない地べたに座って両手を当てると、深く息を吸ってから気合を入れるように鼻を鳴らした。そして、ネロが手を当てているところから波紋のように光が地面をつたい、土が蠢いてで平にならされていく。
「こんなもんかな」
ネロは5人が手足を広げて寝ころがれるほどの広さが整地できたところで両手を離した。布巾で手を拭い、袋の中から小さな家の模型を取りだして地面に置くと、整地した場所から少し後ずさり指を鳴らす。すると、先ほどまで小さかった模型が徐々に大きくなり、人が住めるほどの大きさになった。
よほど衝撃だったのか、マクスウェルは先ほどまでの疲れが吹っ飛んだかのように勢いよく立ち上がり、何か言いたそうに口を開くが言葉が出てこない。ネロは陸に上げられた魚のように口を開閉しているマクスウェルに向き直ると、不敵な微笑みを浮かべながら親指で家を指し示しつつ声をかけた。
「とりあえず野営の準備も出来たし、今日はもう休もうや」
勝ち誇ったようなネロに向かって、どうにか驚きから復帰したマクスウェルは質問を投げかけた。
「これも魔法具なんですよね、いったい何の魔法がこめられているんですか?」
ネロは三日月のように開いた口の前に人差し指を立てると、マクスウェルに意地悪な答えを返す。
「それは内緒」
「教えてくれたっていいじゃないですか」
マクスウェルはネロの返事をきいて口を尖らせると駄々をこねる子供のように要求を繰り返した。ネロは食い下がってきたマクスウェルに、おちょくるような仕草をしながらまた否定の言葉で返した。
「だーめ。コイツに使ってる魔法はそうそう他人に教えていいものじゃないんだ」
その言葉で諦めることにしたのか、マクスウェルは口を尖らせながらも家に向かって歩き始めたネロに無言でついて行く。
ネロが扉の前で何かをつぶやくと金属が擦れたような音がなり、屋敷と同じように扉が壁に引き込まれた。開いた先には、簡単な調理場と3台の二段ベッドがあり、壁には折りたたみ式のテーブルと椅子が立てかけられているのが見える。屋敷と同じように部屋の中には窓がなく、代わりに光る窪みが天井に空いていた。
ネロは家に入るとすぐにかまどの前に立ち、火を起こして調理台の上に食材を並べると、手際よく夕飯を作り出した。マクスウェルは物珍しそうに折りたたみ式のテーブルと椅子を眺めたあと、見ているだけでは我慢できなかったのか、試行錯誤しながら組み立て始めた。
しばらくして、すべての椅子とテーブルを組み立て終わり、机に突っ伏していたマクスウェルの前にスープの入った器と屋敷で食べた固いパンが差し出された。
「とっとと食って、早く寝とけ。明日はかなり早めに出るぞ」
ネロの言葉に疑問を覚えたのか、マクスウェルはパンをスープに浸しながら質問を返した。
「見張りなどはしなくてもいいんですか?」
ネロは軽く頷いて返すと、自慢げに説明を始めた。
「この家は屋敷とは比べ物にならないが、結構強力な魔法障壁が展開してあるからな、それこそ一流の魔法使いが全力で攻撃してきたりしなければ何とかなるさ」
マクスウェルはネロの言葉に感嘆の声を上げると、ふやけたパンにかじりついた。
「だから安心して寝れるってわけだ。しっかりと休憩が取れるってのは重要なことだからな。特に、俺みたいに一人旅が多いとなおさらだ」
ネロはそう言って締めくくると、スープに浸していたパンを口に入れた。
まだ慣れていないのか、先に食べ始めたマクスウェルよりも早くネロが食べ終わり、ネロは余った時間で無駄に並べられた椅子を片付け始めた。
ようやく食べ終えたマクスウェルにネロは布巾を投げつけると、もう一枚取り出して簡単に器とテーブルを拭いて食器と一緒に袋へ放りこむ。
夕飯の後片付けを終えた2人は別々のベッドに横なると、明日の予定を確認し始めた。
「明日は遅くともお昼過ぎには村につく、そしたら宿をとって俺1人で買い出しに行く予定だが、なにか問題はあるか?」
マクスウェルは村での買物に興味があったのか残念そうな顔で不満を口にした。
「やっぱり、僕は一緒に行かないほうがいいですよね」
ネロは小さく頷くと、慰めるように言葉を返した。
「そうだな、またいつか来れるようになったらくればいいさ」
マクスウェルが小さく頷いたのを確認しつつ、ネロは言葉を続けた。
「予定の確認も済んだしもう寝よう、明かり消すぞ」
マクスウェルの返事を待つことなくネロが指を鳴らすと、部屋を照らしていた窪みからの光が消えて完全な暗闇に包まれる。
いきなり暗くなったせいか、マクスウェルは小さく悲鳴を上げたが、しばらくすると規則正しい寝息が聞こえてきた。
翌日、マクスウェルは強烈な光によって起こされた。どうやら目覚まし代わりに部屋に光を灯したようだ。目をこすりながら体を起こすマクスウェルに、すぐそばに立っていたネロが水の入った桶を差し出している。
「おはようさん、こいつで顔洗ってしたくしな」
「はい、おはようございます」
まだ寝たりないのか、マクスウェルは大きな欠伸をしながらそれらを受け取ると、緩慢な動作で顔を洗い始めた。
「ここから先は屋敷にあった魔除けの鐘の効果範囲外だ。気を抜てられるとこっちも守りにくいからな、きっちり目を覚ましといてくれよ」
ネロの言葉に驚いたのか、マクスウェルは水を振りまくように勢いよく顔を上げるとおずおずと聞き返した。
「あの、屋敷に魔除けの鐘があるってことでしょうか……?」
「そうだが、言ってなかったか?」
濡れた床をふくための布巾を取り出しながら平然と返すネロに、マクスウェルは肩を落としてうなだれた。
「聞いてませんよ。そもそも5年前に開発されたばかりで王都ですら完全に覆いきれていないのに、こんな辺境の森にあるなんてもったいない」
マクスウェルの言いぐさが気に入らなかったのか、ネロは袋から新しい布巾を取り出して投げつけた。
「そんなことはどうでもいいからちゃっちゃとしたくしろ」
情けない声を出しつつもマクスウェルは布巾を落とさずに受け止めると、あわてて顔を拭いた。ネロは困ったように桶と布巾を交互に見ているマクスウェルからそれらを受け取り、少しやさしい声で朝食の用意ができていることを告げる。
「テーブルの上に昨日のスープとパンが置いてある、俺は水捨ててくるから先に食ってろ」
「はい、わかりました」
顔を洗ったことで目が覚めたのか、マクスウェルは歯切れよく返事をしてしっかりと立ち上がる。
その後、朝食を取り終えた2人は上り始めた朝日を浴びながら、再び村に向かって歩き出した。