08話 春の天変地異●
戦場に大きく広がった両軍の陣形は、ガイカーイ王国の迂回部隊の出現によって急速に形を変えて移動を始めた。
多数の敵に前後を塞がれた形のウチウーミ王国側は輸送隊を護衛しつつ、密集隊形になって東の小山へと後退を始めた。
一方ガイカーイ王国は、南北から西に部隊を回して半包囲体勢になるとそのまま東進し、ウチウーミ王国の陣形の外側を削りながら追尾を始めた。
追われる側のウチウーミ王国指揮官のギール将軍は、小山に登って地形の利を活かした防戦を行い、敵に相応の損害を与えて痛み分けに持ち込み、隙を見て撤退するという咄嗟の構想があった。
だがガイカーイ王国からすれば600対400という数の利に加え、前後の挟撃を成功させ、敵輸送隊を飲み込んで半包囲体勢で追いかけていると言う圧倒的有利な状況であって、ここからは敵を一気に殲滅する以外にありえなかった。
「全騎、半包囲体勢を維持しつつ追撃速度を上げろ。敵を飲み込めい」
「はっ。突撃信号を打ち上げろ。全騎、最大戦速で突撃だっ!」
「「おおおおっ!!」」
モネ将軍の命令に呼応して、ガイカーイ王国軍の全軍突撃が開始された。
日ごろの訓練によって前進速度は見事に揃い、バトルアックスと盾が描かれたガイカーイ王国旗が整然とウチウーミ王国軍へと迫っていく。
一方、ウチウーミ王国側は防戦しつつも次々と数を減らしていった。そもそも、敵に背を向けて逃げてはあまりに不利であるし、敵に向き合いながら逃げては追いつかれるのも必然である。
だがギール将軍には、一部の騎士を切り捨てる形で囮にして、その他の騎士を一気に後退させて後方で陣形を立て直すような劇的な事は出来なかった。なぜなら彼らは、全て自分の揮下である。
ウチウーミ王国のギール将軍は状況を打開できないかと考え。小山に大きな穴が空いているのを見つけた。
「あ、あれはっ!?」
「ギール将軍、どうなさいましたか」
「あれを見ろ。小山に巨大な穴が空いている。あれほど大きな穴は竜以外に使わないぞ」
ギール将軍の言葉に小山を振り返った副官の目には、確かに山の内部へと続く大きな穴がぽっかりと空いていた。
自然にできたような穴では無い。かと言って、このような僻地に人が穴を掘る理由もない。
すなわち竜の穴の可能性が極めて大であった。
ドワーフの様な連中なら入口を石造りにして見事に掘り上げるであろうし、ゴブリンの様な連中ならあれほど大きな穴は空けない。
「まさかっ、本当に竜が!?」
「よし、貢物の輸送隊と竜の巫女をあの洞穴に移動させろ。この上は仕方が無い。竜と契約してしまうんだ」
「しかし竜である可能性は大なれど、まだ竜が4角以上と決まった訳ではありません。下位であれば人語を介さず、餌でも来たのかと巫女が食われてしまいますぞ」
「このままこの場に貢物と巫女を置いておいても、ガイカーイ軍に奪われるだけだろう。早くやるんだ」
「……了解しました。緊急伝達、貢物と竜の巫女を小山の穴へ移動させろ。各騎士は敵を阻止するんだ」
両軍の騎士同士が各々の武器を激しく打ち合う中、ウチウーミ王国の輸送隊が小山の穴へと向かって移動を開始した。
だが、その動きはガイカーイ王国に即座に察知された。なにせ彼我の距離は至近であり、目視によって互いの行動は筒抜けである。そしてガイカーイ王国は阻止しようとモネ将軍自らが部下と共に謎の穴へと向かった。
互いの手は見え尽くしているのだが、ウチウーミ王国の問題は相手の伸ばした手を振り払うだけの戦力が無い事であった。もし最初から2倍の戦力を投入していたならば、避けられた事態である。
追い詰められたギール将軍は、ついに戦力不足を作戦ではなく精神論で打開しようと図った。すなわち、自ら敵を阻止しようとしたのである。
「くっ、行かせんぞおっ!」
「将軍、前に立たれては危険です。敵はガイカーイ王国のソレナリカ・モネ将軍ですぞ」
「なんのっ。こちらとて、ウチウーミ王国にその人ありと言われるヨワス・ギールだ!」
「将軍閣下、どうかお止め下さい。ラザンド隊、レザリムス隊、敵将を阻止するんだ」
「「了解」」
「は、離せっ」
「ああっ、ギール将軍が逃げたっ」
「追え、将軍を敵将の前に出してはあまりに危険だ」
「キキカンタ・リナーイ王陛下も、よりにもよってヨワス・ギール将軍を前線に出さなくても良いものを……」
副官の遠慮しながら取り押さえる腕を振り払い、名馬に跨ったギール将軍は自らも洞窟の中へと突き進んで行った。
それを複数の騎士達が追い掛ける。
両軍は小山の穴付近へ引っ張られるように移動して行き、ついに陣形が崩れて乱戦へと突入した。
だが洞穴の内部では、既にモネ将軍と配下の騎士によって輸送隊の御者や運び手が次々と斬り伏せられ、内部へと逃げた巫女も10人中5人が殺されるに至った。
「ははははっ、悪足掻きを!」
モネ将軍のバトルアックスの刃身が、6人目の巫女の背中に勢い良く叩き付けられる。
無力な巫女相手に対しては威力が大きすぎるその一撃は、巫女の背中から背骨を叩き折り、臓器を貫きながら身体を地面へと叩き付けた。
巫女は悲鳴を挙げる間もなく絶命する。
「ふんぬ」
バトルアックスが素早く振り抜かれ、振り払われた血が洞窟内に飛び散った。
「はっはっは」
戦場において、強い事は全てである。御託を並べて敵の武器が防げるわけではないのだ。そしてモネ将軍は、敵味方を合わせてもこの戦場では圧倒的強者であった。
だが、強さとは攻撃力だけを言うのではない。賢さや逃げ足の速さも生物が生き延びるために研ぎ澄ました強さの一つだ。
10人の巫女の内2人は進むしか無いと割り切って最初から後ろには目もくれずに突出して走り続け、ついに最初に洞窟の奥へと至った。
「ミコナ、どうしよう、どうしよう。行き止まり。竜は居ないみたい。最初から住んでいないのかも」
「マイ、こうなったらガイカーイ王国に降伏する?」
「無理、絶対無理。普通の人と違って、竜の巫女として修行を積んだ私たちは一人でも竜を味方に付ける可能性があるから、敵国出身の巫女なんて絶対に生かしてもらえないよ」
「……そうね。思い返せば16年、とても短い人生だったわ。6歳で巫女院に入れられ、10年間ひたすら修業を積まされて、竜に仕えればマナを分け与えられて寿命が延びるから良いかと割り切った所で人生が終了するなんて。お父さん、お母さん、わたしを売ったお金で幸せに暮らしていますか?どうか破産……いいえ、どうか破滅してください」
「あたしなんて、まだ15歳だよ。しかも5歳の時には巫女院だったよ。来世は幸せになれるのかな。神様、来世でも人間に生まれたいです。あ、今世も人間に生まれたから幸せだったのかな」
人の生であったと言う人生最低限の喜びを見出していたマイは、ふと洞窟の奥で変な物を発見した。
「……あれ?」
「どうかしたの?」
マイの様子がおかしい事に気付いたミコナが問い質すと、マイは無言で洞窟の奥の壁に指を指し示した。
『御用の方はインターホンを押して下さい』
それはかつて、ユーリ大佐が旗艦ソフィーアの外壁を爪とぎ板にした時に「とりあえずインターホンでも設置すれば、攻撃がチャイムを鳴らす行為に変わるんじゃないか?」という艦長の思い付きで設置されたまま放置されていた呼び鈴であった。
艦長の血液型はO型である。
そしてソフィーアが自分でしまうはずもなかった。
「えいっ」
『御用の方は……』という文字は、丹保やユーリが以前暮らしていた前宇宙の標準語で書かれていた。
だが、死に瀕した人間は藁にも縋るのである。押さなくて死ぬなら、押すしかない。マイは一瞬もためらわずに即座に押した。
ピンポーン ピンポーン
「マイ、今あなたがそれを押した理由を説明してもらえる?」
「そんな事言われても分からないけど、良く分からない文字だったから、古代遺跡で押せば不思議な事が起きて、億が一の可能性であたしたちも助かるかなって。ほら、変な音がしてるし」
「確かに、聞いた事の無い音だけど」
『はーい、どなたですかーって、状況はなんとなく分かっているけどな。ソフィーア、転送してくれ』
『命令受諾。丹保艦長を艦外に転送します』
「わああっ、遺跡がしゃべった!?」
「ごめんね、何も考えずに押したマイを馬鹿だと思ったわ。今も思っているけれど、でも私は間違っていないと思うの」
「もう、そんな事を言っている暇ないよ。誰だか何だか分からないけど何でも良いので助けて下さい。あたしは報酬を払えないけど、善意とかボランティア精神で何とかお願いします。ダメかな?」
「うん、この子は馬鹿ね」
ミコナがそう言い切った時、二人の男が前後に出現した。
『転送完了』
「善意やボランティア精神は現状で持ち合わせが無いが、コンタクトを取るつもりではいたからなぁ」
「はっはっは、ここが最奥か。竜は居ないようだな!」
暫し沈黙の時が流れる。
そしてバトルアックスを構えた男が沈黙を打ち破った。
「貴公は竜か!?」
「いや、俺は竜じゃない」
「うむ。見慣れぬ格好をしていたから万が一と思ったが、角が生えておらぬ。ならばウチウーミの手の者だな。死ねい」
「…………まあ、最初に接触して来たウチウーミ側で良いか」
どうやら俺がこれから向かう先が、なし崩し的に決まったようだった。
それと服装に関しては、目立たないように理奈に光学迷彩を掛けてもらうか、あるいはソフィーアにマナで服を生成してもらわなければならないようだ。
そんな事を考えている間にバトルアックスが掛け声とともに振り抜かれ、俺の身体を二つに裂かんと瞬く間に迫った。
そして次の瞬間、理奈が展開した力場フィールドに弾かれる。
「ほう、防御魔法か。貴様は物理防御魔法が使える術師だな。それとも先に魔法を掛けてもらっていたか」
弾かれた直後の素早い武器の引き戻しと、小揺るぎもしない体勢。余裕の笑みを浮かべた表情とこれまた冷静な声。
俺も平然と見詰め返したが、攻撃を受けた理奈は表情を硬くした。そして、15年前の装着以来はじめて俺に警告を行った。
『警告、防御力場展開中。想定負荷を大幅に超過。SSC理奈は、転送による即時避難を提言します』
「どのくらいの負荷だ」
理奈の声や姿は相手に届いていない。
装着者以外にも声姿を届けようと思えば届けられるが、現状で敵に届ける必要はもちろん無い。そして巫女2人は完全においてけぼりである。
『力場フィールド維持出力4%。瞬間最大出力9.3%。小口径の単式光線銃に対する防御に匹敵する負荷です』
「そんな馬鹿な……もう少し計測を続ける」
『SSC理奈よりソフィーアへ。念の為に転送準備と治療ユニットの起動をお願いします』
『ソフィーアより艦長専用SSC理奈へ。依頼受諾』
理奈の声が周囲に届かず、見た目上では俺が一人でブツブツと呪文の詠唱を行っている間にも相手は様々な攻撃を続けていた。
特に、光を纏った攻撃は理奈の計測数値を大きく上げる。0.1%を越える時点で人間が出せる数値では無い。別宇宙で法則が違い、さらに高重力惑星に適応した相手の攻撃が重い事は理解できるが、ここまで規格外だとは予想の外であった。
それと同時に、こんな惑星で1ヵ月も艦のサポート無しで生き延びたユーリの淡雪猫族としての能力も呆れる。適応調整を受けた現在、どれだけおかしな能力になっているのであろうか。
だが、今は眼前の敵である。
『通常攻撃時、最大6.2%。マナ使用と推察される特殊攻撃時、最大10.4%。想定を大幅に超過。SSC理奈は、現状では貴方が死亡する可能性を排除できません。即時避難を再提言します』
「おい、金髪の戦士」
「なんだっ、黒髪の術師」
「貴様の全力はこの程度か?」
「はっ、どんな攻撃だろうと防御魔法は防ぐだろうが。だが、そろそろマナも尽きるのではないか!?」
挑発して相手の最大攻撃力を測ろうとしたら、謎の言葉を返された。
俺はマナとか魔法とかを使っている訳では無く、セカンドシステムと言う彼らから見れば果てしない未来科学的な物を使っているのだ。まあ俺が造り方を知っている訳ではないけれど、少なくともこれは魔法では無い。
大体マナが尽きるとはどういう意味だろう。MPが尽きるとかそういう事だろうか。だが、マナは世界に満ちているはずではないのか。
そう言えば、マナは生物にも備わっていたのであっただろうか。
「基礎知識が違って会話にならん。確かに情報収集は必要だな。ソフィーア、俺の適応調整による力はどの程度だ。こいつとの対比で教えてくれ」
『30%前後です』
「なら絶対に勝てん。理奈、こいつを洞窟から叩き出せるか?」
『SSは、装着者の緊急保護を除いて対人攻撃は行わないよ。現状でも例外適応はギリギリ可能だけど、多用するとランクがDに落ちちゃう』
「分かった。ユーリ、飴猫族って強いよな。しかもお前は、その中でも3指に入る淡雪猫族」
『I am house cat』
「…………」
理奈のランクがDに落ちると、使える機能もCの現状より落ちる。
それにランクDだと、そこから止むにやまれぬ事情でSSの倫理観に反する行動を取ってランクがEに落ちた場合、理奈が独立思考すらしなくなる。保険の意味でも無理はさせられない。
そしてユーリは、家猫契約を締結済みだ。飴猫族が契約に煩いのは宇宙の常識で、これはもうどうしようもない。
俺は、最も頼みたくない相手に依頼する事にした。依頼の順は、信頼の順である。
「ソフィーア、こいつを洞窟から叩き出してくれ。そっとだぞ?」
『命令受諾。風圧で叩き出します。作戦実施の為に艦長を艦内へ転送します』
「そこの二人も艦内へ転送してくれ。彼らの技術を越えた備品を撤去した空間を物理遮断し、避難場所として提供する。無人の未使用区画でも構わない。すぐに出てもらうけどな」
『命令受諾。丹保艦長と他二名を艦内に転送完了。続いて風圧を発生させます』
ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオォォォオオォンッ。
俺と巫女2人の退避後、ソフィーアが『そっと』発生させた風は洞窟内の全ての存在を薙ぎ払った。
勇ましい戦いの雄叫びが爆音で残らず吹き飛び、地響きが戦場を揺らして騎乗していた騎士を片っ端から叩き落とす。羽を休めていた小鳥たちが一斉に飛び立ち、たむろしていた魔物たちが悲鳴を上げながら平原へと駆け出した。
大地が鳴動し、両軍が目標にしていた洞窟内は落石地獄と化す。司令官不在の両軍は、天変地異に恐れおののきながら慌てて小山から逃げ出した。
状況の把握、司令官の救出、負傷者の手当、混迷を極める戦場にて両軍が為すべき事は多岐に渡った。もはや戦争どころでは無い。両軍の戦線は共に崩壊している。
防御魔法を二重に掛けられていたモネ将軍は、全身打撲で転がっている所を友軍に発見されて無事回収された。
落馬してひっくり返ったギール将軍は、防御魔法のおかげで傷一つなかった。
一旦止まった戦闘は、作戦目的である竜の確認が済んだガイカーイ王国の撤退によりそのまま再開される事無く終息へと至った。
なぜなら落石で洞窟が埋まって竜の居住が不可能となり、もはやこの場に留まる意味自体が無くなったからだ。
ソフィーアが行ったにしては、実に穏やかな結末であった。