07話 春の嵐
ユーリが我が家の家猫になってから2週間が過ぎた。現在は9月15日である。
ところで、ボイド帝国の首都星と惑星ベータの暦とは一致していない。そもそも彼らは暦も国家も言語もバラバラである。
俺は適応調整と睡眠学習によって、この星の周辺国の人たちとの意思疎通が可能になった。つまり俺の方が彼らに合わせた形で、この星に居る限りは彼らが基準になる。
生体調整によって年齢が29歳で停止している俺にとっては、1年も3年も大して変わらない。彼らが1年を3年と称すなら、そう言う事にしておけば良い。
実は9月15日と言うのも、ボイド帝国の暦とは若干ずれ始めている。惑星を出る事になればズレは元に戻すが、当面その必要はなさそうであった。
ユーリも旗艦ソフィーアの生体ユニットで治療と並行してそれらの調整を行い、惑星ベータのノミに対する耐性と言語を身に付けるに至った。
「もう殆ど治ったな。ほら、薬塗ってやるから服を脱げ」
「……なんで生体ユニットで並行治療できないのよ。第七段階の技術力って低過ぎるんじゃないの」
『ソフィーアより。当艦はボイド帝国軍艦です。正規登録された乗組員以外は、応急処置後に病院艦もしくは後方惑星へ搬送する事になっています。飴猫人のノミ治療は想定されていません』
「と言う事だ。今後、積載物資と万能物質を用いてデータベースにある飴猫人用の生体ユニットを造る予定にはしている。いずれ治療出来るようになるから、今は脱げ』
「自分で塗るからいらない。薬だけちょうだい」
「おまえは自分でちゃんと塗らないだろうが」
「私は女の子なのよ」
「自分の年齢を言ってみろ」
ユーリ大佐は、戦闘艇のトップエースとして飴猫軍自体が広報に用いていた為に他国にまで知られる有名人である。
14歳の時に入学条件を満たして3年課程の飛行学校へ入学し、17歳で主席卒業すると同時に技能軍曹として宇宙軍戦闘部隊に配属された。
18歳で曹長の下から上まで駆け上がり、その後は1年間士官養成所へ通って、20歳の時に少尉となった。
21歳で2階級上がって大尉になり、22歳の時には佐官へ上がって少佐となっている。生体調整で年齢が止まったのも22歳の時だ。
階級が上がる程に昇進し難くなるのはどこの組織でも同じだが、ユーリは華々しい戦果によって22歳の停止から5年で大佐にまで昇進している。
年齢が停止しているので永遠の22歳と認めるにしても、20代で女の子とは如何なものであろうか。女の子と自己主張出来るのは、10代までのような気がしなくもない。
「私は、29歳のあなたより実年齢も停止年齢も年下よ」
「それで単独撃沈記録が4000以上とは、飴猫軍は宇宙各銀河群で戦争し過ぎだな。まあ相手国の機体性能が飴猫軍より低いという側面もあるだろうが」
「私は同じ条件なら絶対に負けないけど」
俺といくらかの言葉を交わしたユーリはようやく上着を脱ぎ、湿疹が出た肌を俺に晒した。俺はわずかに残った背中の炎症にステロイド軟膏をペタペタと塗ってやる。
ユーリは治療しないといけないくせに、なかなか素直に服を脱がない。こういうものは恥ずかしいと思うから余計に恥ずかしくなるのだ。一緒に風呂まで入っておきながら、何を今更という気がしないでもない。
未知の惑星の新発見のノミのせいで飴猫人の高耐性の肌にアレルギー反応と炎症が出たので、効果のある強い薬を塗らなければならない。患部は皮膚なので、飲み薬ではなく塗り薬が効果的だが、背中に関しては自分でうまく塗れない。現状で塗れるのは俺だけである。じゃあ服を脱いで俺に見せなさいとなる訳だ。
「おっと、手が滑った」
「ひゃあぁっ!?」
偶然にも手がすべり、ユーリの脇へと潜り込んでしまった。
医科に属さない俺は軟膏など塗ったことが無いので、どうしても手が滑ってしまう。軟膏なら仕方が無い。いや、実に自然な出来事である。
「もう、やだぁ」
「ほら動くなって。すぐ済むから」
俺は身悶えするユーリを押さえつけ、飼い猫に主人自ら薬を塗ってやった。
ソフィーアの「スプレーによる噴霧で充分ではありませんか?」という疑惑の眼差しに関しては無視しておく。
『艦長』
「なんだソフィーア、治療方針に付いては良く話し合っただろう。軟膏を塗るのが一番良いんだ」
『そうではありません。本艦を目的地として接近してくる集団を確認しています』
人里離れた道無き雪原地帯に近寄る奴はいなかった。
だが雪が融けた以上、突然出現した山を怪しんで調査隊を送るのは自然なことだろう。敵艦隊の索敵に対する偽装にはなっても、地上人への偽装としては不足であったようだ。立ち入られるのは時間の問題である。
山に偽装するのではなく、惑星に大穴を空けてでも地中深くに潜るべきであっただろうか。
だが、本来は有人惑星に着陸した時点で惑星住民に観測されていない可能性など皆無であり、艦で地中に潜るまでは思い至らなかった。
「まあ良い。本艦の修復状況はどうだ」
『修復進捗率43%。ユーリ大佐の操縦するワイルドキャットと交戦した場合、勝率は0.66~0.69です』
「私の単独撃沈記録の内訳には、第七段階国家の大型宇宙戦艦もあるわよ」
大家さんと家猫との相性は、現在最悪である。
この艦(家)は住民以外のお泊りには大家さんへの届け出が必要で、おまけにペットを飼うのは禁止なのだ。艦長権限で許してもらっているが、大家さんの機嫌が良い道理が無い。かと言って飼い猫から見れば、そんなことは知った事では無い。
付け加えるなら、ユーリ大佐の愛機であるワイルドキャットが旗艦ソフィーアの頭上に乗っている事も機嫌が悪い一因だ。
もし現状で俺が死んだら、まずソフィーアがユーリ大佐を艦から叩き出して一切の交渉を拒否し、次いでユーリ大佐が戦闘艇でソフィーアに攻撃を仕掛け、砲戦の後にこの惑星は火星へと変わるだろう。火星とは、文字通り火の星という意味である。
なにせ、十を超える銀河を支配する帝国軍の艦隊旗艦中枢ユニットと、百を超える銀河を支配する合衆国の最新型戦闘艇との戦闘である。しかも両者の戦闘力は一方的ではなく、戦闘行為は長引きそうだ。となれば、戦闘後に惑星ベータ自体が残っているかどうかすら怪しい。
「ええい、ソフィーアもユーリも止めんかい。とりあえず様子を見よう」
「どうするの?」
「どうするもこうするも、艦が修理できても帰れないからな。極めて特異だけど、ボイド帝国には漂流状態になって生還が叶わなかった例がいくつかある。飴猫合衆国にもあるか?」
「あるわよ」
「その場合、帝国では技術や機密漏洩の阻止、航行記録の保持が求められる。最長50年は技術や機密が漏れないように取り計らい、航行記録はコピーして複数の恒星系に分散させる」
「ふーん」
「それ以外は乗員の裁量に委ねられる。死者への選別だな。帝国の司法権が届かないのでどうしようもないという側面もある。と言う事で、俺はこの惑星で交流を図るため、彼らを少し観察してみる事にする」
「あっそ」
薬を塗っていた時の猫みたいな声とは打って変わって、実にそっけない返事だった。
ノミに肌を荒らされて以来、家猫ユーリはお外が大嫌いなのである。要するに、外で起こる出来事には興味など一切ありませんというスタンスだ。
飴猫人っぽく自然環境の保護を訴えられても困るし、まあ仕方が無い。
「ソフィーア、接近する集団の映像を出せ」
『命令受諾。映像を出します』
―――北から400騎で南下していたウチウーミ王国は、南から北上してきたガイカーイ王国と小山付近で遭遇した。
両国は近年極めて険悪であり、隊同士の小競り合いも幾度か発生している。
両軍共に400騎ほどであり、加えて相手の目的など分かり切っていたために互いに譲らず、直進してそのまま交戦状態へと突入した。
だが、それはガイカーイ王国のモネ将軍が用意した罠であった。
モネ将軍は先行偵察によって敵戦力を把握すると、揮下を敵に応戦する400騎の本隊と、迂回挟撃する200騎の別働隊とに分けた。
そして本隊で交戦する一方で、別働隊にはウチウーミ側が後方待機させた食料などの輸送隊や竜の巫女、貢物などを次々と襲わせたのだ。
「ギール将軍、後方待機させた輸送隊のさらに後ろから、敵200騎ほどが突如出現しました。わが軍に対し、迂回挟撃を図らんとしていたようです」
「くっ、直ちに輸送隊を本隊へ合流させるんだ。平地で戦力差1.5倍はあまりに不利だ。輸送隊と合流し、防戦しながら小山へと後退。地形の利を生かして対抗する」
「はっ。魔導師、集結信号弾を撃て。進路南東の小山。突出する敵を倒しつつ、密集隊形で後退」
命令から程なく、ウチウーミ王国軍の頭上へ魔法が打ち上げられた。
白い軌跡を残しながら200メートルほどの高みに達した魔法は、上がりきると同時に耳を劈くような轟音と共に爆ぜ飛んで、マナで上空に濃い緑色の輝きを放って消え失せた。
「モネ将軍、敵の集結信号を確認しました」
「集結に遅れる敵を各個撃破。その後に半包囲体制で追撃。別働隊には敵の退路を塞がせつつ、敵への包囲網に加わらせろ」
「はっ!」
両軍は交戦しながら陣形を変え、次第に小山へと近づいて行った―――
『このような状況です』
「ほほぉ」
ようするにこの二国の仲は、ソフィーアとユーリ以上に悪いわけだ。そしてこの周囲で遭遇して争い始めた。
俺は軍人であって、戦争に関してとやかく言う立場には無い。ボイド帝国万歳、ボイド帝国よ永遠なれ。それだけである。
「正義はどっち?」
ユーリが実に飴猫人らしい事を言い出した。
『ウチウーミ王国の主観ではウチウーミ王国が、ガイカーイ王国の主観ではガイカーイ王国が正義です』
仮に2匹の生き物と1つの餌があったとする。どちらの生物にとっても、相手を排して自分が餌を獲得することは生物として正しい行動である。
それは人だって例外ではない。
自分が獲得した上で相手を支配下に治めて分け与えるのと、互いに武器を持って半分ずつ分け合うのとでは意味合いがまるで違う。前者は餌の安定確保と自身の安全とが保たれているが、後者はいつ餌を失い、あるいは相手に寝首をかかれるか分かったものではない。
相手の力が自分を上回った後にまで同等の権利と安寧が保たれると確信するに足る根拠があるのならば、ぜひ史実上での実例を提示してもらいたいものである。
という訳で俺は彼らの生存本能という行動原理に基づく行為を当然だと肯定こそすれ、非難するいわれは全く無い。
俺にとって重要なことは、当艦の燃料である星油の存在を彼らが認識しておらず、艦体修復資材に用いる万能物質が惑星上に満ちていると言う事だ。
「先に辿り着いた方と交渉するかな」
『命令受諾』
俺とソフィーアは、不満そうなユーリを放置してそう結論付けた。