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05話 淡雪猫のユーリ(後篇)●

『ソフィーアより。艦長の行動意図が不明です』


 慌てて艦内に逃げ込んだ俺の行動をソフィーアが問い質してきた。


「飴猫族は、強気で権利主張・分厚い契約書・即時裁判という実に恐ろしい種族なんだ。あいつらの義務教育には、討論や模擬裁判が伝統的に組み込まれている。関わると個人なら身ぐるみを剥がされるし、国家なら経済支配されてしまう。さっきは不覚にも気迫に飲まれてしまったが、奴らは相手にしないのが一番だ」

『全ての文書意図を解読し、当方の条件と照らし合わせて妥協点を模索する事で、回避可能と推察されます』

「それには膨大な時間がかかる上に、相手はこちらを焦らせようと急かしてくる。相手が根を上げれば勝ちと思っていて、トラブル発生時には契約書に明記してあると言う。しかも自分の都合が悪ければ文面の独自解釈を行い、あるいは戦争を仕掛けてくる。奴らは宇宙マフィアだ。あの猫は居ないものとして無視しておこう」

『その飴猫族のユーリ大佐が、当艦の外壁を叩いています。艦長の行動に起因するものと推察されます』

「……とりあえず映像を出してくれ」

「命令受諾。映像を出します」


 ソフィーアが投影した映像には、淡雪猫のユーリが旗艦ソフィーアの外壁をガンガン叩いている光景が映っていた。飴猫族特有の高速猫パンチである。

 生体調整を受けていないのに、高重力と大気密度の薄い惑星でよくやるものである。どうやら淡雪猫は、個体としてもかなり強いらしい。


「ちょっと!丹保少佐、出てきなさい!うにゃああっ!」

『…………先程と口調が変わっています』

「どうせ猫の皮でも被っていたんだろう。俺のおふくろも通信機の前では人格が変わるぞ」

『状況に変化。ユーリ大佐が外壁に爪を立てて引っ掻き始めました』

「ソフィーア、艦が損傷する可能性はあるか」

『自己修復を越える可能性はありません。ですが当艦の防衛機能の警告アラームは停止できません。人間に例えるならば、ガラス板に爪を立てて引っ掻かれる、あるいは黒板にチョークを擦り合わせるような状態が持続しています。対処して下さい』

「とりあえずインターホンでも設置すれば、攻撃がチャイムを鳴らす行為に変わるんじゃないか?」

『命令受諾。インターホンを設置しました』


 ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン

 ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン


「……分かった。俺の声をユーリ大佐に届けてくれ」

『命令受諾。丹保艦長の音声を艦外に流します』


 とは言っても、ユーリ大佐と語る事なんて無いのだが。


「あー、マイクテスト、マイクテスト。ユーリ大佐、聞こえているか」

『聞こえているわよ。姿は見えないけど』

「停戦合意文書の量を拝見した。誠に遺憾だが、当方にこれを精査し擦り合わせる事務機能は無い。差し当たって当艦に砲撃が行われない限り、こちらも貴艇に対して砲撃しない。それで充分だろう」

『貴方は司令部付の主計少佐でしょう、艦隊中枢の上級事務員よね、書類仕事は出来るわよね、仕事しなさいよ』

「ああ、ワイルドキャットの攻撃の後遺症でめまいが……」

『ちょっと、丹保少佐!』

「本艦は、ただいま乗組員が不在にしております。御用の方は発信音の後にメッセージをどうぞ」

『うにゃああっ!!』


 旗艦の外壁が、猫用の爪研ぎ板と化した。

 通信映像の先からバリバリバリと嫌な音が響き、ソフィーアが俺を向いて何とかして下さいと目で訴えてくる。


「じゃあこうしよう。合意文書は3行で『飴猫軍とボイド帝国軍は停戦します』『お互いに攻撃しません』『どちらかの攻撃があれば停戦条約は破棄されます』というのはどうだ」

『そんなの小学生だって書かないわよっ。いいから、さっきの契約書類に目を通して』

「うちは、新聞は取っていません」

『だから技術レベルが第七段階の未開文明人はダメなのよっ!早く開国しなさい!黒船戦艦の衛星破壊砲で撃つわよ!』


 ガンッ。

 高性能な立体映像に、猫キックの残像が発生して見えた。

 ちなみにボイド帝国の開国は1万年以上昔に為されている。1銀河群の狭い宙域で過ごしていた俺たちボイド帝国に、飴猫の黒船が来航して開国を迫ったのだ。

 この猫達とは、あの時からもう1万年以上の付き合いになる。流石に対処法も身に付こうという物だ。


「UHKは見ていませーん」

『宇宙放送協会は、見てなくても受信料を取るの!』

「くそっ、なんてヤクザな連中だ」


 ちなみに国会の予算委員会でもUHKの予算が組まれているので、受信料の取り立ては税金の二重取りである。

 経理学校の学生時代、アパートに集金に来たお兄さんにその点を問い質したら分からないと逃げ帰られた。

 それから2ヵ月ほど経って別のお兄さんが来たので、もう一度税金からの支払いと集金との二重取りに付いて聞いたらまた有耶無耶にして逃げ帰られた。

 3回目のお兄さんには説明を求めた上で名刺をくれと言ったら、以降UHKは2度とうちに来なくなった。契約を持ち込むならせめて契約内容について勉強しておけ。というか、知らないと言って逃げるな。


「ええい、契約しないから諦めろ。別にこちらから攻撃しないから良いじゃないか。実質的な停戦は既に成立している」

「それじゃダメなの!良いからお願い、契約してよ」

「何故だ?」

「それはっ、契約しないと信用できないし…………」


 俺はユーリ大佐と会話を続ける中で、ユーリ大佐が求める事は何であろうかと考えていた。そして、語尾が弱くなったユーリ大佐の口調でついに確信に至った。

 まず前提として、彼女が搭乗していた短距離戦闘艇は攻撃特化型だ。

 武装以外の積載物資は最低限。生体機能調整も無く、操縦席では寝るくらいしか出来ない。些細な稼働にも燃料を消費し、肝心の給油は母艦が無ければ不可能である。

 本来は救難信号さえ出せば救助が来るのだが、別宇宙に飛ばされた我々は救難信号を飛ばせないし、先方が膨大な宇宙数から現宇宙に偶然辿り着く可能性も殆ど無いに等しい。

 何百億年後に俺たちが化石で見つかる可能性よりも、この恒星系がブラックホール化して飲みこまれる方が早そうだ。

 だが差し当たってユーリ大佐は、近々燃料が尽きて動かなくなったワイルドキャットの横に立ち尽くす事になる。

 彼女のワイルドキャットは先の戦闘で帝国艦を多数撃沈する代わりにエネルギーを消費し、超空間内でも船艇を保つために消費し、現状に至るまでは当艦にしがみ付く為に消費し、現在のエネルギー残存量は0に近いはずだ。


「ユーリ大佐」

『な、何よ』

「俺は主計科の少佐で、貴官と貴艇の積載物資や状態くらい理解している。そして合意文書に応じず、現状のまま何年でも旗艦内に引きこもる予定だ。貴官は非常食が尽き、やがてこの惑星で食糧を求める事になるだろう」

『……自棄になって、貴方に攻撃するかもしれないわよ』

「旗艦ソフィーアを破壊できても、貴艇の尽きかけた燃料は0になる。そして貴官は、未知の惑星での安全と、前宇宙の文明の恩恵を受けられる唯一の可能性を失う。俺ならそんな馬鹿な真似はしない」

『分からないわよ』

「分かる。もう面倒だから交渉は止めないか。妥協できるラインを提示するから、応じる気になったら教えてくれ」

『…………言ってみて』


 俺はユーリ大佐にデータを送った。






 家 猫 契 約 書



 飼主 丹保 保男 (以下、「甲」と称す。)と、飼猫 ユーリ・スノーヴァニッシュ (以下、「乙」と称す。)は、国際宇宙民事法に基づき、お互いの自由意思によって国籍を越えた本契約を締結する。


 第1条 (総則)

 甲は乙に対して衣食住と健康で文化的な生活環境を保証し、乙は甲が家主である事を認め方針に従う。


 第2条 (住居)

 甲管理下の居住スペースとする。なお、契約締結時には旗艦ソフィーアの居住エリア内とする。


 第3条 (衣食住)

 甲は乙に対し、衣食住に必要な物資と環境を提供する。ただし、調理と後片付けに関しては乙が行うものとする。


 第4条 (健康)

 甲は乙に対し、健康を提供する。乙の怪我や病気には充分に留意し、必要に応じて治療・生命維持装置の使用などを行う。また精神面にも配慮を行い、時々は遊んであげる。


 第5条 (文化)

 甲は乙に対し、文明の恩恵を享受できるように取り計らう。具体的には知的好奇心を満たす書物、あるいは娯楽映像や遊戯などの提供を必要に応じて行う。


 第6条 (お小遣い)

 甲は乙に対し、毎月1万ボイドルのお小遣いを渡すものとする。乙はお小遣いの範囲内で、旗艦ソフィーア内の販売カタログから物資を自由に個人購入する事が出来る。


 第7条 (契約の終了)

 以下の場合は契約終了となる。

 ①甲乙いずれかの申し出があった場合。

 ②甲が本契約第2条から第6条に反した場合。

 ③乙が本契約第1条の甲方針に従わなかった場合。

 ただし、双方が認めた行為に関しては違反の例外とする。


 ボイド帝国歴23,029年8月1日


 飼い主(甲)  丹保 保男  ㊞


 飴猫合衆国歴15,429年8月1日


 飼い猫(乙) ユーリ・スノーヴァニッシュ  ㊞





『…………これって、家猫契約書じゃない!?』


 そう、自己主張が強い飴猫用の対特別契約書である。萌え化が流行ったボイド帝国で有志が全種族分を作成したのだ。

 作った当人は冗談だったのだろうが、種族特性を理解した上で作った契約書はウケが良く、データが宇宙中に広まって当の飴猫合衆国でもニュースで取り上げられていた。

 一見すると俺の義務ばかり書いてあるようにみえるが、俺が行う範囲を明確化した上で、後は全て言う事を聞けと言う実に素晴らしい契約書である。

 例えば、飼い主が飼い猫にメイド服を着せる事すら可能なのだ。


「これなら受け入れ可能だ」

『私が受け入れ不可能よ!』


 1万ボイドルのお小遣いまで提案されておきながら、実に贅沢な猫である。

 俺なんて中高一貫して月5,000ボイドルのお小遣いだったのだ。しかも、親に強制的に預けさせられていたお年玉はどこかに消えたというおまけ付きである。

 もしかして、俺のお小遣いの出所はお年玉だったのではなかろうか。

 というかふざけんな親、中高6年間のお小遣いの額よりも18年間のお年玉の額の方が明らかに多いだろうが。「預かっておくね」と主張していた俺の金を一体どこにやった。


「じゃあ気が向いたら連絡してくれ」

『覚えてなさいよっ!』


 まったく、何を覚えていろと言うのだろうか。

 と言う事で、俺は数日後にはユーリ大佐の事をすっかり忘れたのであった。











 それから1ヵ月が過ぎて、9月1日となった。

 俺は艦外へ出るような事はせず、艦の自己修復と万能物質の調達・変換の進捗状況を確認しながらダラダラと時間を潰していた。


『革命です』

「ああっ、俺の手札があっ」

『場に出たカードを全部覚えれば良いのに』

「人間には無理だって。くそっ、ここから巻き返すには……」


 ピンポーン


「ん、お客さんか。ソフィーア、艦外映像を出してくれ」

『命令受諾。艦外映像を投影します』


 とは言っても、旗艦ソフィーアへ訪ねてくる人物の心当たりはユーリ大佐しか居ない。

 漂流開始から4ヵ月が経過してどう考えても非常食は尽きているはずだ。燃料を節約していたであろう短距離戦闘艇の起動も、この1ヵ月間に14回しか確認していない。

 生体調整すら受けていないユーリ大佐は、この適応できていない惑星ベータで食糧や水の調達に相当苦労していたはずだ。

 少なくとも立体映像に映るユーリ大佐の姿はボロボロであった。


「はーい、丹保でーす」

『……貴方の家猫になります。飼って下さい』


 最初から要求を受け入れて相手に舐められるのと、意地を張って心が折れるのとでは一体どちらが良いのだろう。

 まあ俺も、ここで意地悪をする気は無い。


「条件は1ヵ月前の通りだ。それで良いか」

『受け入れます』

「分かった。ソフィーア、ユーリ大佐を艦内に転送してくれ」

『命令受諾。艦内へ転送します。安全プログラムに基づき、居住ブロックとその他のエリアを物理遮断します。隔壁閉鎖。気圧調整開始』

「…………へっ!?」

『警告。ユーリ大佐の身体に、多数のノミの存在を確認しました。同室内の丹保少佐の身体機能にも影響が出る恐れがあります』

「事前に警告しろおおっ」

『以前艦長が設定した、生命に危機が生じる場合には該当しません』


 ソフィーアは、「この人は一体何を言っているのだろう」と言った風の顔で平然と反論した。

 どうやら設定が足りなかったようだ。引き籠って危機とは無縁だったからすっかり忘れていたが、ソフィーアは一つ一つ調整しないと艦長に言われたとおりに実行してしまう。


「くそっ、ユーリ大佐、ノミ落としてこいよ」

「だって、取れないんだもん」

「わざとだろう。俺に対するささやかな報復だろう。痒い、痒いっ」

「そうじゃないもん。痒くて辛くて耐えられないから家猫契約を受け入れたんだもん。早くノミ取り薬を掛けてよっ。あとは痛み止めと、痒み止めと、皮膚組織保護クリームと、肌質回復剤と……」


 状況の改善に安心したのか、ユーリ大佐は家猫契約に基づく保護を要求してきた。


「やかましい。その前に風呂じゃ」

「えっ、やだやだやだ、お風呂は絶対に嫌!」

「こら、爪を立てるな。理奈、ユーリ大佐の万能端末を阻害しろ」

『了解。SSD以上は、飴猫合衆国の万能端末になんて負けないよー』

「嫌、嫌、お風呂に入るなんて野蛮人だから、私は無水シャワーで良いからっ」

「くそっ、抵抗するな。素直に服を脱げ。こうなったら、お前を抱えて俺も一緒に風呂に入る」

「嫌、助けて、ママーッ」

「ノミを取って欲しいんだろ。俺も痒い。家猫を風呂に入れるのは飼い主の義務で、お前はうちの猫だ」

「にゃー、にゃー、にゃー」

「安心しろ、ぬるま湯と石鹸で全身隅々まで洗ってやる。段々気持ち良くなってくるはずだ。ふふふ」


 こうして淡雪猫のユーリは、俺の家猫になったのであった。

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