01話 宇宙大戦勃発●
帝国歴23,029年5月1日。
俺が刺身にタンポポを乗せ始めてから、かれこれ8年以上の歳月が過ぎた。
その間に俺のあだ名はすっかり「タンポポ」で定着してしまった。タンポポの後にその時の階級が付いて、タンポポ少尉、タンポポ中尉などと呼ばれていたわけである。
もちろん俺は、刺身にタンポポを乗せる仕事だけをしていた訳ではない。
あの日以来、どうやら気難しいと評判の新谷少将に気に入られてしまったようで、他の連中が全力で避けたがる司令官の配膳から細かな雑用に至るまで大半が俺の担当になってしまったのだ。
まあ主計科士官として艦の物品管理もしていたし、いくら海産物が豊富な惑星に駐留しているとは言っても、さすがに朝食の焼き魚にまでタンポポは乗せない。そもそも刺身が出ない日だってある。
よってタンポポ主計尉官が刺身にタンポポを乗せるのは、せいぜい週に2~3回程度であった。
だが子爵家出身の少将閣下に気に入られた結果、俺の出世は呆れるほど早かった。
21歳で主計少尉候補生として任官した俺は、22歳で少尉、23歳で中尉、26歳で大尉へと瞬く間に上がり、昨年9月には28歳で少佐への推薦を受けた。ちなみに経理学校出身者の佐官への平均昇進年齢は41歳である。
俺は20代で佐官に昇進する事で帝国優秀軍人の枠に組み込まれたらしく、半年間の佐官研修の後に29歳で加齢停止など様々な生体調整を受け、ついに少佐へと昇進した。そして23,029年4月1日付けで旗艦ソフィーアへ再配属されたのである。
だが主計科は物資管理が主任務であって、出世しても戦艦は動かさない。動かすのは物資で、主計少佐である俺はいつも通りコーヒーを運び、それに対して新谷少将はいつも通り俺に問い掛けてきた。
「丹保少佐、君は今回の戦争をどう思うかね」
今回の戦争とは、もちろん銀河連合に対する戦争の事である。
ボイド帝国は支配領域が数百万光年。13個の銀河と1兆3800億人を支配する専制主義国家である。
そして銀河連合は支配領域2.3万光年。銀河の1/5ほどと670億人とで構成される多国家の連合体である。
彼らとは別種であり、同種でもある。
最新の説では、我々が到達不可能な彼方に我々より高度な文明が存在するとされている。
そしてその高度文明が、彼らですら到達できない遠い世界へ自分たちの遺伝子を色付けしてばら撒いた結果、複数の惑星に複数の文明が誕生した。と考えられている。
おかげで銀河連合の連中とは多少似通ってはいるが、それでも猿と馬、あるいは鹿ほどに異なる種族だ。ボイド帝国は彼ら銀河連合の事を、通称・馬鹿連合と呼んでいる。
そんな彼らとの間に紛争が発生した。
紛争は、ボイド帝国の悪井八駄侯爵が、銀河連合の辺境領域で銀河連合に捕らえられた事に端を発する。
銀河連合は、悪井侯爵が銀河連合人に対して密猟をしたと主張している。
悪井侯爵が辺境領域を跳ぶ民間船に対して狩りをしていた所を、たまたま辺境領域で合同軍事演習を行っていた銀河連合艦隊が駆け付けて集中攻撃し捕らえたのだと言う話だ。捕らわれの身である侯爵は何も主張できない。
また、それとは別に侯爵の船は銀河連合に接収されてその技術を調べられ始めた。その為、彼ら銀河連合がボイド帝国の先進技術を奪おうとしたのではないかとの疑いもある。
「小官は、相手の言い分だけを鵜呑みにする訳にはいかないのではないかと愚考致します。捕らわれの悪井閣下を解放して事情をお聞きしなければ、公平ではないでしょう」
「そうだな」
俺の考えに対して、新谷少将は頷いた。
なおボイド帝国の決定はもう少し過激で「帝国貴族を襲った野蛮人どもを断固許すべからず」である。
いずれにしても第三艦隊は4月11日に出撃を命じられ、16,600隻にも及ぶ大艦隊が馬鹿連合へ向かって発進したのである。今は遠征の途上で、出撃してから20日の時間が過ぎ去り、暦では5月に入っていた。
もっとも先方との技術力には大きな差があり、移動に時間がかかるだけで戦闘自体はすぐに終わるだろうと目されている。
「では閣下、小官は夕食の準備をして参ります」
「うむ、今日は刺身であったかね」
「はっ、主星を飛び立った為に魚の納品が止まっており、本日は最後の刺身であります。明日以降は通常の軍用食へと変わる予定であります」
「そうか、早く終戦しなければな」
「はっ、それでは小官はタンポポ畑へ参ります」
俺は新谷少将に一礼すると司令官室から退室し、旗艦の広い空間に設けられた食用タンポポ畑へと向かった。
従来の戦艦は全長12km級であるが、最新鋭の機動戦艦は全長8km級とかつての三分の二の大きさでより高度な機能を有している。
旗艦は全長8kmの新型艦がベースで、艦隊統括のための通信機能・本部機能・生活機能などが拡充されている。加えて通常艦には存在しない全長1.5kmの中枢部があり、これは高性能駆逐艦のようなユニットとして脱出用に分離させる事も出来る。
低下した戦闘機能は外郭ユニットを取り付けて補っており、結局旗艦は全長16kmと大型化してしまった。それでも母艦や大型工作艦よりは小さい。
この予算を無視した旗艦中枢部の一画に、俺は立派な食用タンポポ畑を造った。
最初は万能物質を使って食用タンポポを生成していたのだが、万能物質はとても希少な資源なのでいっそ畑を造った方が良いと言う結論に至り、第三艦隊の旗艦ソフィーアはタンポポ畑を内包する事となった。
そして俺がいつも通りにタンポポ畑へと足を踏み入れたところで、突然艦内に戦闘開始を告げる警報が鳴り響き始めた。
『旗艦ソフィーアより通達。総員、直ちに戦闘態勢へ移行せよ。繰り返す、現在交戦中。総員、直ちに戦闘態勢へ移行せよ』
ソフィーアが故障でもしたのかと俺が思っていた頃、新谷司令官は艦橋へ緊急転送されていた。
艦橋では多数の立体映像が警戒音と警戒色を放ちながら緊急事態を告げてきた。
「右翼艦隊のうち3,624隻との通信途絶。空間歪曲で撃ち込まれたと思われる空間崩壊弾が、右翼艦隊の中心部で超新星爆発を起こした模様」
「空間歪曲妨害衛星を展開しろ」
「はっ、ワープ妨害衛星を展開します」
新谷司令が命じる間にも指揮官たちから様々な命令が飛び交い続けていた。
機関長は機関を戦闘出力に引き上げ、砲術長は全砲門のエネルギー回路を接続して砲撃体制を整えた。通信長は通信中継機をばら撒き、飛行長は全戦闘艇に発進準備を指示して偵察艇を先行発進させた。
もちろん彼らの部下達は、上官の命令を実行すべく右へ左へと駆け回っているのだが、彼らの表情には一様に未だ信じられないと言う驚愕があった。
いかに奇襲攻撃を行ったとはいえ、先進文明であるボイド帝国の索敵網と自動迎撃を掻い潜って空間崩壊弾をワープアウトさせ、帝国艦隊の中心部で起爆して超新星爆発を起こすなど、馬鹿連合の技術では絶対に不可能だ。
一体何が起こったと言うのか、だがその答えはすぐに出た。
「閣下、前方宙域に大規模な揺らぎが発生しました」
「妨害衛星はまだ起動していないのか」
「妨害衛星正常作動中。揺らぎの原因は空間歪曲ではありません。亜空間跳躍です」
亜空間跳躍は、空間歪曲よりも遥かに進んだ最先端技術だ。
ボイド帝国ですら旗艦・機動戦艦・高速巡洋艦などの最新鋭艦にしか実装していない。
第三艦隊が置かれた状況は、既に帝国の想定外であった。
「前方宙域に艦隊のジャンプアウトを確認。艦隊を緊急照合開始」
「どこの国だ」
「艦隊所属特定、飴猫合衆国!」
「なんだとっ!?」
飴猫合衆国。
通称USAと呼ばれる彼の国は、ボイド帝国のおよそ2倍の人口と10倍以上の領域を抱え、技術力も第八段階へと進んだ最先進国家の一つである。
彼の国は近年も正義の名の元に他国へ攻め込み、その国の治安を崩壊させ、戦略資源である星油の原油を奪い、結局主張していた大量破壊兵器は無かったのに知らんぷりという実に猫的な面白国家である。
第三艦隊司令部の面々は相手があのUSAであると聞いて冷や汗を流し始めた。
脳みそにキャンディーが沢山詰まっている夢の国の彼らに理屈は通用しない。気まぐれな彼らは、思い込んだら感情ありきで突撃するのだ。
「通信波を傍受しました。映像出ます」
『yes we nyan! yes we nyan!』
彼らは、「我々は猫である」と繰り返していた。
これは第444代大統領である黒猫のオババが大統領就任時に国民へ向けて言った言葉で、個々の自己主張が強い飴猫族共通のアイデンティティーを強調することで、国民同士の連帯感と戦意高揚とを図る目的がある。
ボイド帝国第三艦隊の目前にジャンプアウトしてきた飴猫軍は奮い立ち、一斉砲撃を開始した。
「敵艦隊が砲撃を開始しました。前衛艦隊に砲撃が集中します」
「囮の誘導弾を撃て、全艦応戦開始」
「各艦、囮誘導弾を発射せよ。全艦、全砲門開け。応戦開始しろ!」
飴猫艦隊から放たれた光速の歪曲レーザー砲、重加速質量弾、追尾ミサイルが帝国軍の誘導弾によって次々と対消滅し、あるいは逸れていく。
飴猫軍と言えど、全ての艦艇にジャンプ機能を備えているわけではない。彼らの攻撃は苛烈を極めたが、艦艇数で有利なボイド帝国側に大きな損害は出なかった。
だが飴猫合衆国は、広大な領域と膨大な資源に基づく強大な軍隊を要しており、すかさず次の手を打ってきた。
再びボイド帝国艦隊の前方に揺らぎが生じ、今度は戦艦や巡洋艦よりも遥かに巨大な物体がジャンプアウトして来る。
「飴猫軍の宇宙母艦が多数出現しました。短距離戦闘艇が次々と飛び出してきます」
「こちらも短距離戦闘艇と空間制圧機を全艇緊急発進させろ。自動迎撃衛星射出、制宙権を奪われるな」
旗艦艦橋に空間異常を告げるアラームと司令部の怒声とが鳴り響き、旗艦のぶ厚い外壁の外側では両軍の軍艦と戦闘艇との爆発による鮮やかな閃光の花が咲き乱れ始めた。