【7】気持ちのいい朝にも、霹靂は飛んでくる
* * *
「おはよう」
「おはよう!」
爽やかな朝だ。昨晩は宿題を早々にやっつけてすんなり布団に入ったからか、今朝の目覚めは珍しくすっきりで、私は元気に登校していた。我ながら挨拶を返す声も明るい。
自転車を止めて下駄箱まで来ると、上靴に履きかえる。そこで、足元を見る私に声が掛けられた。
「秋野、おはよう」
「あ、おはよう高野くん。よく会うね」
「え、あぁ」
高野くんの目が泳いだ気がした。どうしたんだろう。私はやっと首に巻いたストールを外す。雲一つなく青く澄む空はきれいだけど、その分空気は冷えているので、ストールは今日も大活躍だった。高野くんは私がストールを軽くたたむのを無言で待っていてくれて、私が歩き出すと隣を歩き出した。今は別のクラスだけど、同じ階なので隣に並んで向かう。
「そういえば昨日はアメありがとう。帰り際だったからちゃんとお礼言えなかったけど」
「あれくらい、別に。元々宮井先輩からもらったやつだし」
「なるほど。高野くんとアメってなんか意外だったんだけど、それなら納得」
だって、あの後早速口に入れたそれは、はじける桃のソーダ味だった。高野くんは甘いものが好きなタイプには見えないし、食べるとしてもジャンクなスナックよりも上品な甘さの和菓子、っていうイメージ。アメならのど飴くらいしか持ち歩かなそうだ。それもキシリトールとかはちみつじゃなくて、なんだか渋そうなやつ。でも、そもそも風邪もひかなそうだな。自己管理を徹底してそうだし。
勝手な想像をしていると、高野くんが「そういえば」と話しかけてきた。
「昨日、街で宮井先輩に会った」
「あぁ、高野くん買い物行くって言ってたもんね。探し物は見つかった?」
「うん、まぁ」
「そっか。よかったねー」
「それで、ちょっと時間を作ってほしいんだ」
「ん?時間?」
何がそれでなんだろう。不思議には思ったけど、もう自分の教室の前だった。そこで初めて、今日は日直当番だったことを思い出す。当番だからって朝からやることはあまりないけど、かといってもうあまり余裕がある時間でもない。
「ごめん、ちょっと朝はあんまり時間なさそう」
「あぁ。部活の時の方がこっちも都合がいいんだけど」
「了解。今日はちょっと遅れるかもだけど。またあとでね」
軽く手を振って高野くんと別れ、自分の席に着く。荷物を置いたら、職員室まで行かないと。
慌ただしく席を立とうとすると、爽やかな朝に似つかわしくない低い声が後ろから私を呼んだ。
「かーえーでー」
「わ、おはよう莉子ちゃん」
「おはようじゃない。何で今朝は高野くんと一緒なの」
「えぇ?見てたの?」
「話したいことがあってあんたを待ってたの!なのに声がすると思ったら二人で来たみたいだったから」
面白くないという感情を隠そうともせず、莉子ちゃんが不機嫌な理由を明かした。
私の親友、藍田莉子ちゃんは、高野くんが好きだ。多分。三人で話すときは私と二人のときより少し声が高くなるし、いつもの毒舌が九割方身を潜めるからそうだと思う。本人からはっきり聞いたことはないけど、たまに、こうして何故か高野くんに関する話題に食いついてくるし、ほぼ間違いない。
付き合ってる気配はないし、となるとそんな片思い相手(仮)が親友と朝から仲良く歩いていたら、複雑な心境になることは間違いない。あーあ、恋する乙女は難儀だなぁ。
「下駄箱で会ったついでに一緒に来ただけだよ」
「ほんとにそれだけー?」
「ほんとだって」
「……」
「そんな目で見ないでよ。あとごめん、今日私当日直だから今あんまり時間ないんだ」
「……わかった」
莉子ちゃんは変わらずジト目だったけど、それなら仕方ないと諦めてくれたようだ。早く行って来いと言わんばかりに手を振ってぷいと横を向いた。
その瞬間に、なんとなくあった違和感の正体に気付く。
「莉子ちゃん」
「何よ。さっさと行けば?」
「そのピン、可愛いね。似合ってる」
「!」
驚いたように振り返った莉子ちゃんの顔は、ちょっと赤くなったかと思えば、すぐになぜか拗ねたような表情に変わった。何かを言おうと口を開きかける。
説教話なら長くなりそうだと思った私は、行ってくると言い残すやいなや身を翻した。
*
「失礼しまーす」
「あ、秋野さん。おはよう」
挨拶のあと職員室に入室すると、日直の相方である大内くんが私に気付いてくれた。朝一の役目は日誌を担任のところに受け取りに来ることだったけど、先に来てくれていたようだ。駆け寄ると、大内くんと話していた担任の志井田先生が苦笑する。
「おはよう、秋野。今日も遅刻してくるかと思ったぞ」
「やだな先生。人を遅刻常習犯みたいに」
「秋野さんは部活にもわりと遅刻してくるんですよ」
「ちょ、ちょっと大内くんその話は……」
大内くんが爽やかにバラした。同じ部活にも所属している仲間なので、普段の授業態度から部活動の態度まで大内くんにはもろバレ状態なのだ。しかしくれぐれも担任に下手なことは言わないでいただきたい。
そうして焦る私とにこにこしたままの大内くんを志井田先生は楽しげに見ている。お願いですから先生、本気にとらないで下さいよ!内申に響くと困るので!
「ははは。今日の当番はしっかりやってくれよ」
「大丈夫ですったら!」
「大内もよろしく頼むよ」
「わかりました」
それぞれに渡された出席簿と日誌を受け取る。失礼します、ぺこりと大内くんが礼をしたので、私もそれにしたがって退室し、二人で教室に向かった。
朝礼の開始時間が近づいてきているので、廊下は多少ばたばたしている。そんな朝の喧騒の中を歩いていると、大内くんが思い出したように口を開いた。
「そういえば秋野さん、この前は本当に部長のところへ行ったの?」
「行ったよ。そっか、大内くんは昨日部室に来なかったから話してなかったんだっけ」
「昨日?部室?」
「うん。伊達眼鏡から召集令状が来ちゃってね。あんまりウザいから事後報告に行ったら、割とみんなきてたよ。部長はさすがにいなかったけど。あ、あと高野くんもいなかったな」
「高野は興味なさそうだもんね。なんだ、そんなのがあったなら僕も行けばよかったなぁ」
残念そうに言う大内くんは、計画の段階では話し合いに参加していた。一人で行くと言った私に真っ向から反対したのが高野くんなら、その場の流れと私の反応を読みつつせめて手伝うと言ってくれた心優しい友達が大内くんである。
「一緒に行くのはやめとけって先輩にも言われちゃったから行かなかったんだけど、気になってはいたんだ。ほんとに大丈夫だった?」
「平気平気。心配してくれてありがとう。きっとそんな優しいこと言ってくれるのは大内くんだけだよ」
もう感動で涙がちょちょぎれそうだ。持つべきものは優しい友だね。
そんな私の内心を知らずにも苦笑した大内くんは、今度は好奇心を隠さない様子で私をうながす。
「それで、部長はなんて?」
「うん?」
「だって、秋野さん抱きついたんでしょう?どんな反応したのかなって」
「……えーと、うん、まぁタックルはしたけどね。そういえば部長に尻餅付かせちゃったな」
「えぇっ、秋野さん、それってつまり抱きついて押し倒したってこと?」
「ちょっと大内くん、声が大きい!」
大内くんは男子の中でも飛びぬけて高い身長だけど、その全身を使って驚いている。いきなり飛び跳ねた大柄男子に、すれ違った女子がびくっとしていた。
しかしそれは誤解だ!そんなつもりはこちらもなければ部長もないだろうし、というか光燦々な朝からそんな破廉恥っぽい単語使わないでほしい。廊下にはいよいよ朝礼の時間が迫ってきて、人めっちゃいるから。あ、ちょっとそこの今こっちを振り返った男子、私はそんなビッチじゃありませんよ!
私は大慌てで大内くんの認識相違の改善を図った。
「そ、そんなことないから。断じてないから!」
「えー?」
「えーじゃない!そもそも私そんな情熱的なタイプじゃないっていうか、部長!そうそう部長にもね、ほら、人を選ぶ権利はあるしね!」
そして私にも相手を選ぶ権利はあるはずだ。相手に選ばれる自信となると、あるとも言い切れなくなってくるけれど。
「えー、でもなぁ」
「でもも何もないって!」
「うーん、部長が選んだ結果が秋野さんじゃないの?」
「もー何言ってんの大内くんたら!寝ぼけてるの?やだーもう冗談やめてよーははは」
「別にふざけてないけどな」
そしてこの人の良い、純真で優しくてよく慣れた大型犬のような穏やかさをもつ大内くんは、少し首をかしげながら、その唯一の短所ともいえるド天然ぶりを真顔で発揮したのだった。
「だって、部長は秋野さんのこと好きだよね。みんな知ってるよ」
私は思わず、抱えていた出席簿を落とした。すぱーんと面が廊下を打ついい音が響く。なんてことを言ってしまうのだ大内くん。私の頭の中をすごい速さでぐるぐるといろんなことが巡る。
しかし悪いことというのは大体連なってやってくるもの。なんと、ふと視線を私の後ろにやった大内くんが、「あ、部長」と呟いたのだ。
一瞬で浮かんだその人の顔を打ち消し、私は新部長高野くんであれと願いながら、ゆっくり背後を振り返る。
あぁ。
「……おはようございます、部長」
願った先には、神も仏もいらっしゃらなかったようだ。
しかしその代わりに目の前には、窓から入る朝日を浴びて神々しく佇む、麗しの部長様がいらっしゃる。そしてその表情は、つまり、今のを聞いてしまったがゆえの、あほ面なんですよね、きっと。
* * *
大内くんはオオウチくんではなくオオチくんです、念のため。
話の途中でご本人登場のため部長と呼んでいますが、大内も高野もその他も、面と向かっては部長とは呼びません。あくまで部長を部長と呼ぶのは楓だけ。