【4】アレからのこれから
* * *
「おい、秋野」
「ん?あぁ、高野くんか」
本来なら、今日は部活のない曜日だった。
でも昨日の今日で、眼鏡先輩をはじめとするいつもの中心的メンツが揃わないことはないだろうし、今回の重要参考人であろう秋野がそこに呼び出されないわけもないだろう、と考えたのは正解だったらしい。部室の目の前まできたところで、中から出てきた秋野本人に出くわした。帰るところだというので、一緒に昇降口まで行くことにする。
「高野くんも昨日のこと聞きに来たの?」
「興味ない」
「そっか。今回の計画に一番消極的だったのは高野くんだもんね」
秋野があはは、と屈託なく笑う。いろいろと思い違いをしていることには気付いたものの、敢えて否定はしなかった。
あほらしい計画だと思った。部長の想いも、秋野が何も気づいていないようなのも、それを面白がっている外野の意図にも気付いていた。その上で、何を馬鹿なことを、と思っていたのは事実だ。
しかし、それなのに、結局現場に行って一部始終を見守ってしまった自分が一番の大馬鹿野郎だと思っている。まさか、いてもたってもいられなかったなんて。
思い返しているとふと気付いたように「あ」と声を上げるから何かと思えば、秋野は「そういえば昨日ありがとう」と笑った。何を指しているのかすぐ察して、ふいと顔をそらす。
「別にあんなの何でもない」
「そんなことないよ。一応私もか弱い女子だしさ」
「一応、ねぇ」
「事実でしょ?なんだかんだ、一番私のこと心配してくれたのも高野くんだよね。夜道に女の子ひとりが危ないなんて常識なのにさ、他の人は迎えになんか来てくれなかったもん」
「俺はあんたを迎えに行ったわけじゃないからな」
「うそつけ。あんな場所、あんな時間に普通の高校生はうろつきませんー。最初は幽霊でも出たかと思ってものすごくびっくりしたけど」
横でまた笑っているのを、空気で俺は感じ取った。
昨日、というかもはや今日になった、深夜すぎ。やっと家から出てきた秋野は、一人だった。
決行前は良かったのだ。眼鏡先輩を含めた部員たちが居場所争いに精を出すほどわらわらしていて、危険がないことは百も承知だったのだから。闇に潜む存在に気付いた気の毒な通行人がぎょっとしていたから、多分少しでも気にすれば、多くの目が秋野を見張っていることなんてすぐわかったはずだ。そんなところで犯罪も何も起きるわけがない。
舞台が家の中にうつった後、一人また一人と、ギャラリーは減っていった。見て楽しむものがないのだから当然といえば当然だ。そして結局最後まで居残ったのは、俺だけだった。
秋野が見えない場所に入ってしまうことは、ギャラリーからしたら予想以上の結果だったろうが、俺にとっても思いっきり想定外なのは間違いなかった。でも、まさか家族もいるだろう部長の自宅に泊まるわけもない。ならば帰りはどうするつもりなのか、と俺は持ち主から離れた場所にある赤い自転車に目をやったのだった。
送るとか、そんな体の良いことを考えたわけじゃなかった。迎えに行くなんてとんでもない。自分の自転車を秋野のそれに並べて、項垂れていたことを思い出す。そして確認するように「もしかして高野くん?」と俺に声をかけてきた秋野が、いつから待ってたのかとか、そんなことを続けて聞いてこなかったことが、今となってはなんだかありがたい。
秋野には死んでも言えないが、本当はただ、ずっと帰れなかっただけだ。自分が嫌になる。
「そういえば部長がね」
「……あ?」
「高野くんのことを部長って呼べって言ってたんだ。俺はもう部長じゃねぇんだからって」
「余計なお世話だろ」
「そう思うよねぇ。でも確かにそうなんだよね。これから後輩とかが入ってきたらどうしよう。やっぱり今から癖つけとかないといけないかな。試しに呼んでみていい?」
「訊くことでもないだろ」
「あそっか。では、コホン。部長。高野部長、部長。高野部長、高野ぶちょ」
「うるさい」
「うあ、ごめんなさい」
確かに駄目だとは言わなかったが、さすがに連呼はうるさい。ただでさえもやもやするのに。
秋野の呼ぶ“高野部長”という響きには違和感がある。それが言ってる本人の不慣れからくるたどたどしさのせいなのか、聞いてる俺のいまだ呼ばれ慣れないむずがゆさのせいなのか、もしくはその両方のせいなのかはわからない。
「別にいいだろ、今のままでも」
「いい、のかな」
「無理に変えることないと思うけど。部長も余計なこと言わなくていいっつーんだ」
部長の指示で、秋野が俺を部長と呼ぶとか。まったく、余計にもほどがある。
しかし秋野は、俺の不機嫌そうな声に、何かに気付いた顔をする。
「あれ、高野部長も部長のこと部長って呼ぶんだ。部長なのに」
「え」
「でもそうだよね。私たちの部長は部長だもん。高野くんは高野くんだしね」
「……そうだな」
結局、“部長”はあの人なのだ。一つ年上なだけだが、圧倒的にリーダーだった。きっとそういう器の人だった。だからこそ秋野にとっても、自覚なんて今までなかったけど俺にとっても、いまだ“部長”なんだろう。あの眼鏡と同列に先輩、と気軽に呼ぶことなんてできない。あぁもう、ものすごく複雑だ。俺はまだ“高野くん”だというのに。
そうこうしている内に昇降口に着く。秋野とは別のクラスだから、分かれて革靴に履き替える。
玄関のドアに出ると、秋野は昨日も使っていた大きめのマフラーを巻いているところだった。
「はー、寒くなってきたね」
「そうだな。今年は風邪ひくなよ」
「う、よく覚えてるね……。でも今年は予防策として、首という首を守っていこうと思います!というわけで、手始めにストールを使ってみた」
「ストール?」
「これこれ。マフラーより大きいんだー。もふもふでふわふわですごく暖かいの!去年部長にもらったんだけど、重宝するのなんのって」
秋野が端を引っ張って、俺に広げて見せた。
そのストールとやらは、確かに暖かそうで、肌触りもよさそうだった。明るい温かみのある色は秋野に似合っている。俺はそれが、なんとなく面白くなかった。
「秋野。誕生日すぐだよな」
「そうだよー。よく知ってたね!」
「?!……眼鏡が、言ってた、ような」
「ふーん?なに、高野くんなんかくれるの?」
「そうとは言ってない」
「そうでないとも、言ってない?」
「……」
「黙らないでよ!ほんの冗談だって!」
「知ってる」
秋野が黙った。憮然とした表情だが、不機嫌そうではない。少しほっとする。
外に出て、自転車置き場まで無言で歩く。秋野とは家の方向は一緒だが、今日は寄り道する予定ができたと告げ、校門で別れることにした。
「じゃあまたね、高野くん」
「秋野」
「ん?」
「これ、やる」
コートのポケットに、食いしん坊先輩からもらった飴を見つけたので、秋野に放った。おっとと、と言いながらも、秋野は自転車のハンドルから片手を離して見事にキャッチした。さすが、腐っても運動部のマネだ。
「ありがと!」
「あぁ。またな」
手を振った後姿を見送り、俺は繁華街へ向かう。母の日のプレゼント以外に女性ものは探したことがないが、なんとかするしかない。
秋野は、話していて居心地がいい。ぶっきらぼうで怖いと言われているらしい俺がそう思える相手は、あいつだけだった。だから、尊敬している相手だろうがなんだろうが、劣るわけにはいかない。負けるわけにはいかないのだ。
振り向かないまま、俺は「さていくか」と小さくつぶやいた。
* * *
高野くんは、タカノくんではなく、コウヤくんです。念のため。
当初はここで完結+オマケでしたが、着地地点まで、いけるところまでは追って行こうと思います。
今後ともお付き合いいただければとても幸せです。