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【2】お待ちかねのソレ、来たる?

    *    *    *




目の前のスマートフォンが鳴ったのは、時計の針が真上で重なるほんの少し前のことだった。俺のいらつきも絶頂を迎えるほんの少し前だったということは伏せておきたい。といっても、朝から途切れることのなかった人波も、時間が経つごとに目の前で長居する連中は減っていったので、おそらくイライラは分かりやすく漏れ出ていたのだろうが。

ディスプレイに浮かんだ名前を見て、やっときたか、と安堵が浮かんだ自分に一瞬戸惑う。なんだ、これじゃあまるで、待っていたようではないか。そしてそれを打ち消そうとした俺は思わず、そのまま出てしまった。1コールも鳴りきらない内に。

我ながら早すぎる。もう少し我慢しろよ俺。これじゃ待っていたどころか、それを相手に知らしめているようなものだ。いや違う、断じて違うが。スマートフォンを前に瞑想していただけだ、そうだそういうことにしよう。


「……なんだ」

『あ、もしもし部長?こんばんは!今暇ですか?』


落ち着き払ってどっしり応対してやったというのに、電話の向こうはテンションが高いようで、早口でまくしたてられる。というかまず名乗れよ。常識だろう。そう言うと『部長も名乗ってないじゃないですか』だと。

一緒にするな、掛けてきた方が名乗ってから返すのが普通だろう。セールスの電話だったらどうするんだ。名乗ったら負けだぞ。あーはいはいじゃねぇ。人の話を聞け。


『聞いてますって。まぁ今はそんなことはどうでもいいんですよ。部長今暇ですよね?外出てきてください』

「あん?外?」

『はい。絶賛出待ちナウなんで』


思わず、玄関や道路に面する窓のカーテンを力任せに開けて暗闇に目を凝らした。

漏れる明りで気付いたのか、門の外から街灯に照らされた人影がこっちに向かって手を振った。耳元からは『おーいやっほー』という声がする。そこは山頂ではない、うちの前だ。近所迷惑はやめろ。


「一体何してんだ」

『だから、出待ちですって。ちょっと寒いんで早くしてください』

「いきなり来てなんだ」

『いいからいいから。早く早く!さっさと出てこないと歌いますよ』

「はぁ?」

『何にしようかな。あ、校歌でいっか』

「本気でやめろ」

『なら早くしてください。ちゃーらちゃっちゃっちゃっ』

「お、おいこら!待て!」


聞きなれたメロディーを前奏から口ずさみ始めた楓を止めようとするが、聞き入れるつもりはないらしいことを盛り上がっていく旋律で知る。

仕方がない。俺はぶちりと切ったスマフォを片手に上着を引っ掴むと、部でも滅多に見せないようなスピードで玄関に向かった。寝静まった家でできるだけ音を立てないように配慮したら、変なところがつりそうになって思わず舌打ちが出たのは秘密である。

玄関に揃えてあったスニーカーをつっかけて門扉に出ると、見覚えのある布で首回りをもこもこさせた楓が顔をあげた。小動物のような仕草に、一瞬目が奪われる。


「わー部長すごい!速い!さすが!よっ、我が部のエース!」

「こんな、夜中に、なんだと、言っている、んだが」


ぱちぱちと乾いた拍手を送る楓を見下ろす。俺は速い・安い・旨いと三拍子そろった蕎麦の出前か。あぁくそ、息が切れる。こいつにかかわると大体そうだ。自分のペースを保つことができない。屈辱だ。

そして案の定、楓はマイペースを貫き、人の話を聞いてはいなかった。呑気に腕時計なんて見て「わーよかった、まだ全然間に合ってるー」と笑ってやがる。と思ったらふと神妙そうな顔をするので、言おうと思った文句は引っ込んでしまった。


「部長」

「あぁ?」

「去年の今日のこと、覚えてます?」


何を言うかと思えば、それか。去年の今日。俺はきっと忘れもしないだろう。

あれはSHRの後だった。席を立とうとした瞬間に、まっくらになった視界。訳も分からない間にひきずるように連れられて行った先は、部室。そしてぱっと視界が開けたが早いか、いくつもの大きな音が俺を襲った。

俺は部員たちの笑顔と、クラッカーから飛び出したテープに囲まれていた。そして彼らの背後にあるホワイトボードを見て、俺は驚いた。愕然としたといってもいい。

そこには、カラフルな星やら何やらのイラストに囲まれた【ハッピーバースデー★部長】の文字が踊っていたからだ。部長っておい。なぜ役職名だ。そこは苗字ないし名前でいいだろう。

あれは、俺の短い人生においても、なかなか衝撃的な出来事だった。そして俺は、拉致されていく途中、階段を上るときに打った脛の痛さも忘れていない。だから、皮肉気に片方の口角を上げてみせた。


「お前たちが俺を拉致監禁したことだよな」

「それ悪しざまに言いすぎですよね」

「間違ってはない」

「確かに間違ってはいませんけど……」


宴はたけなわすぎて、終わることを知らなかった。その結果、部室、カラオケ、一人暮らしの部員の家と場所を移しながらも続き、『主役は絶対帰さないからな!』と酔っぱらいのごとくしつこくまとわりついてくる伊達眼鏡のおかげで、初めての朝帰りをする羽目になった。

他のヤツらには言えなかったが、朝になって自宅のドアを開けた息子に対して、父は「また一つ大きくなったな」と何やら満足げな顔をし、母は「成長したのは身長だけよ!誘拐されたのかと思ったじゃないの!」と赤くなって怒った。ケーキまで用意して待っていたのに、この不良息子!ということらしい。『拉致監禁』はその母親から出た単語である。


「今年はどうなるのかとは、思っていた。去年は良くも悪くも強烈だったからな」

「え、部長もしかしてちょっと待ってました?」

「アホか。調子に乗るな」

「なーんだ。折角きたのに」

「今年はずいぶん静かだな。こんな時間なのに、まさか楓だけか?」

「えぇ、まぁ。部長のお気に召しませんでしたか」

「別に。大勢で来られても困るのは確かだし。ところでお前は、いつになったら俺のことを部長と呼ばなくなるんだ?」


引き継ぎの関係で俺達の代も残っているとはいえ、新体制も外枠だけはできている。

1つ下の楓たちの学年から、部長だって選んだ。それなのにこいつだけは、いつまでも俺を部長と呼ぶ。悪い気はしないが、これでは新部長が可哀相じゃないか、とは思っていた。

でも楓はわざとらしく視線を逸らす。


「まぁ、そのうち?かな?」

「新部長のことを部長と呼んでやれよ」

「いやーそんなこと急に言われましても」

「急じゃないだろう」

「う。うーん。まぁいつかね。ですよ多分。あ、やっぱ無理かな、どうかなえへへ」


いきなり何故か歯切れが悪いぞ。一体なんなんだ。

そしてまた時計に目を落とす。現実逃避か。と思いきや、そろそろいいかな、というつぶやきが聞こえ、どうやら何かのタイミングを見計らっているらしい。何をするつもりなんだ、こいつは。

でもそれを聞こうとする前に、楓は何故か、猫背気味になった。もともと女子の中でも大きくない方だから、視界からいなくなるかと思った。上体が低めで、片足を後ろにずらしている。多分楓の戦闘体制。なんだ、嫌な予感がするんだが。すると。


「部長、怒らないでくださいね!」


南無三!と叫ぶや否や、予想通り、楓が突進してきた。

助走のために距離をとったわけでもなく、ごくごく近距離からのタックルに、分かっていても回避が遅れた。腰に抱きつくような恰好の楓に押し倒され、思いっきりしりもちをつく。いてぇ、尾てい骨をしこたま打ったぞ今。

それでも楓は離れる様子もなく。


「部長、お誕生日おめでとうございます!」

「?!」

「あと私の部長は部長だけなので部長のことを部長と呼ぶのは譲れないですごめんなさい!」

「はあ?!」


みぞおちのあたりに顔を埋めたまま、楓が叫んだ。その言葉は、楓のもこもこ、去年俺があげたストールと自分の上着に打ち付けられて、かすかな振動に変わる。じわりじわりと、その意味が染みてくる。

私の部長は、俺だけ、とか。

そして理解するにつれ、楓を意識せざるを得なくなった。俺はふと、気付いてしまったのだ。

楓に、押し倒されている。

心臓が早鐘を打ち出す。息が苦しい。さっきのダッシュの比ではない。何のために毎日のようにトレーニングしているのかわからないなくそ!

しかしその動揺を楓に感づかれるなど、最もあってはならないことだと、混乱中にしてはまともな意見が出た。

おーおーおー、静まれ心臓!落ち着け俺!こんなのジョンだ、可愛い愛犬のジョン、ほーらおもちゃを投げてやるからとってこい!

……だめだ。投げるはずのおもちゃの代わりに手の中にあるこれは、楓だった。秋野楓。部活の後輩。俺のことを今でも部長と呼ぶ唯一。俺のペースを引っ掻き回す厄介な相手。そして、今日一日、待っていたもの。

なんだか心なしかいい匂いがする気がする。だめだ、完敗だった。


もはや呆然としながら、この時間に呼び出しておいてなんだそれは、と思った言葉は、どうやら声になっていたようだ。

楓がしがみついたまま、顔を上げる。なし崩し的にそれは上目使いとなった。


「だって部長、」



たくさんの人に祝われるあなたを、今日の最後に祝う人になりたかったんです。



のどが鳴った。

そして俺は、立ち上がって楓の手を引いたのだった。




  *  *  *



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