【1】決行までのカウントダウン
私はここにいていいんだろうか。
風を避けるように腕を組んだまま、さっきから何度も何度も、自問していた。そのたびにすぐに大丈夫、と言い聞かせているのだけど。
時は秋。暑さはとうに身をひそめて、朝晩は涼しいというより寒くなってきた。私は今日、ちょうどいいとばかりにストールを解禁してしまった。昨年の誕生日にもらったそれは、肌触りが極上でうっとりしてしまう。
秋物のジャケットの袖をまくって腕時計に目をやれば、俗にいうテッペンまではまだしばし、というところだった。計画実行まではもう少しか。なんにせよ間違いなく、女子高生が1人でフラフラしていてはいけない時間帯である。
そして月の光の下、知り合いの家とはいえ、閑静な住宅街の1つの門扉付近をうろうろしているのが、何を隠そうこの私、秋野楓だった。
夜道に若い乙女ひとりと、危ないことは承知だった。
突っ立っている姿は不審者さながらに、怪しいことも承知だった。
普通ならばこんな危険で怪しい選択肢には即刻NOを突き付けているだろう。その証拠に、OKを出した猛者はどうやら私だけのようだった。
この猛者も、これらの条件を前に躊躇はだいぶしたのだけれど。でもそうしなければ、今夜の任務は達成できないのだった。
『秋野にしかできない、大事な役目だ』
『そうそう。絶対あいつ喜ぶよ!』
『本当ならお手伝いしたいんですけど、どうしても駄目だって先輩が』
『行かなくてよかったってお前は俺に感謝する日が来るぜ』
『がんばってね。影ながら応援してるし』
今年のミッションと共にとろけるプリンを差し出した、部活の先輩や同輩たちの声が蘇る。
本当に私でいいのか、とプリンに舌鼓を打ちながら私は思った。
というか、私だけでいいのか、とも思う。主には防犯的な意味で。だってか弱い乙女ですし。
でもみんなの意見はどうやらおおむね一致しているようだった。
『あんたがそんなことやる必要ないと思うけど』
ただひとり、眉間のしわを深くして反対した友人を思い出して頬が緩む。
責任感のある彼は、私がほいほい担がれているとでも思ったんだろう。もしくは餌につられたとか。実際的外れではないのが悲しいが、だがしかし。今回はそれだけではないのだ。
だから、私がやりたいからやるんだよ、と自信満々に言い放った。それを聞いた彼は呆れたように『勝手にしろ』と言い捨てて、ぷいと横を向いてしまった。
それでも帰り際、わざわざ『夜道に気をつけろ』と捨て台詞のような言葉を残すから、私は思わず吹いてしまった。心配されているのは長年の付き合いからわかった。でもその表情、心配と違うよ!私が気を付けるとしたら、背後にいるのは彼で間違いない。お願いだから刺すのだけはやめてくれ。
もう一度時間を確認する。まだあと五分あった。
普通ならばこんな時間でなくてもいいはずだった。でも今回の一風変わった真夜中決行は、なるべくしてそう決めた。サプライズには違いないけど、それはオマケ程度のことだ。
夜遅くに家を抜け出すのにも、実は苦労している。家の内部、妹を味方に得るためには、高値のアイス一つを要したからだ。しかしこれはまだ良心的な方で、そうでなければ、笑顔で季節のタルトを交換条件に出してくる親友を頼ることになっていただろう。私ですら、大好物にもかかわらず年に何度も食べないというのに。それに比べればアイスなんてかわいいものではある。が、まったく、どいつもこいつも足元みやがってと呟くのくらいは許していただきたい。
それはそれとして。
刻一刻とその時は迫る。緊張とわくわくが、時間に比例して増していく。
迷惑ではないだろうかとか、私にしては珍しい気遣いも心の隅でしている。彼は普段から生徒会長として、部活のトップに立つものとして、学園のアイドルとして、人に囲まれていることは一般人よりも圧倒的に多い。それに加えて、今日はいつも以上に多くの人に囲まれて、特別忙しい日を過ごしたはずだからだ。そしてその結果、時間を追うごとに眉間のしわが深くなっていったという報告を受けているが、怖すぎるのでそれは聞かなかったことにした。
そんな一日の最後に私に突撃される、その心境やいかに。嫌な想像はしたくないが、私ごとき凡人の想像におさまるような男ではないのも確かなので、とっくの昔に考えるのはやめた。
そもそも、私たちは夜中に会うような仲ではない。
それでもここにいて大丈夫と思えるのは、背中を押してくれた人たちのおかげだ。つまりうまくいかなかった場合は、無責任に唆した人たちのせいということだ。
実行前に共謀者という言い分を確保している、私のこの臨機応変なリスク対処能力を誰か褒めるべきだと思う。
そんな私の臨機応変さが発揮されたため、実はミッションの実行は、当初の予定より一日遅くなっている。独断と偏見に基づいた決定だったため、当然誰にも報告・連絡・相談はしなかったが。
今朝みんなに会って首尾を聞かれ、私が「もちろんやりませんでしたよ」とない胸を張れば、彼らは何が何だかわからないという間抜け面をそろえた。そして口々になぜかと問い詰めるので、私はまぁまぁと余裕をもって手のひらを見せた。
『私、今日の夜に行くことにしたんです』
はじめの提案に私が勝手に加えたアレンジを、彼らは意味が分からないときょとん顔で受け止めた。でもその理由を話せば納得がいったようで、最終的には大賛成してくれた。さすがは私の企画力とプレゼン力である。
最初の計画より面白いことになりそうだ、と楽しげに笑った伊達眼鏡先輩を思い出す。何を隠そう、彼が言いだしっぺだった。伊達眼鏡は、へらへら笑いながらではあるが、ことのほか熱心に口を出していた。その多くは所詮他人事と言わんばかりの無茶なものばかりだったが、いくつかは採用された。あまりの熱の入りようにその理由を問えば『俺、この部活の参謀だし』と答えたが、それを聞いた私は、嘘は眼鏡だけにしておけよと顔面に一発食らわせたい衝動に駆られた。
私が暴力的なのではない。うちの部活は風通しがいいのだ。そして団結力もある。もちろん、それが発揮されるのは、部の勝利のためよりも「伊達眼鏡根絶」というスローガンに基づくことが圧倒的に多かった。
思い出しイライラをしながらもう一度時間を確認すると、零時まであと十分。計画実行の時だった。ひとまずあの眼鏡のことは忘れることにする。次に思い出すのは、計画が失敗し、自称参謀を吊し上げる算段を始めた時だろう。
私は深呼吸してポケットから携帯を取り出すと、電話帳から彼の携帯電話の番号を呼び出した。しかし往生際悪く、ボタンの上を親指が素通りする。ため息をついた。でも。
去年も実は結構緊張したけど、どうやら成功したし。今回もみんなのお墨付きだし。きっと大丈夫。大丈夫。あーもうなんだか変なテンションになってきた!
一瞬、つながらなかったらという不安も過ぎったが、気付かなかったふりをしてやりすごし、鼻息荒く通話ボタンを押した。
ええい、ままよ!
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