9~メリーからの電話~
妖怪専門とよばみ探偵事務所9~メリーからの電話~
その電話がかかってきたのはある夜のことだった。
『わたし、メリー。今、悩みがあるの』
どうやら怪奇電話のようだが、電話の主はこちらに害意があるわけではないようなので、弥太郎はひとまず話を聞いてみることにする。
「ご依頼ですか? どうなさいましたか?」
『あ、ちょっと待って。かけ直すから』
ぷつんと電話が切れる。
弥太郎が訝しげに思っていると、数秒後にまた、電話。
「もしもし、とよばみ探偵事務所です」
『わたし、メリー。今、あなたの後ろにいるの』
電話の声とともに背後から声が聞こえた。
なるほど、自分の能力を使ったらしい。「メリーさんの電話」といえば、電話がかかってくるごとにメリーさんが近付いてくるという電話だ。どうやらこのメリーさんは電話で告げた場所に瞬間移動できるらしい。
メリーさんは言う。
「わたしの友達の市松人形さんが、最近、悪い人に捕まったんだけど、とよばみ探偵事務所の弥太郎さんは山の神様よりも強い探偵だって噂を聞いたから、依頼に来たの」
「ああー……」
いったいどこから出た噂なのだろう?
以前、山の神と関わりがある依頼に出くわしたことに間違いはないのだが、噂にはだいぶ尾ひれがついているようだ。
弥太郎が訂正しようかと迷っているところへ、メリーさんは口を挟んできた。
「あの……ところで、ここ、どこ?」
困惑した声だ。
弥太郎はゆっくりと振り向いた。
声は間近から聞こえるものの、部屋の中には弥太郎以外には誰もいない。
――まあ、そりゃあそうだよなあ。と弥太郎は申し訳なく思う。
背後は壁だった。
うっかり壁と壁の間に瞬間移動してしまったメリーさんを救出したあと、詳しい話を聞くことにする。
メリーさんによると、友人だという市松人形は人間に捕まっているらしい。
祓い師か?
と思いきや、どうやらそうではなく、聞いたことのない企業らしかった。インターネットで調べたところ、かつらを製造している会社であるらしい。
「夜な夜な髪が伸びるものだから、それをかつらの材料にされてるみたいなの。これで『当社のかつらは人毛百パーセント』なんて宣伝してるんだもの、とんだ詐欺師よね」
妖怪の髪のかつら?
まったくもって不気味だが、他人の着けるものなど知ったこっちゃないということだろうか? 世の中にはひどい人間もいるものだ。
メリーさんは上目遣いに弥太郎を見上げて言う。
「なんとか助けてくれないかしら?」
「……確約はできませんが、やってみましょう」
弥太郎は慎重に頷いた。
安請け合いはしない主義だ。
妖怪相手となると、万が一仕事に失敗したときには、たとえそれが弥太郎に非がないものだとしても、「助けてくれるって約束したじゃない」などと逆恨みされることが往々にしてあるのが難点なのだ。
――まあ、これが人間相手になると「あたしがわざわざ頼みにきてあげたのに『できない』ってどういうことなのよ」などと怒りだす客もいるから、妖怪相手のほうがまだましなような気がしないでもないが……。
いやいや、とにかく今はメリーさんの件だ。
弥太郎は言う。
「とりあえず、その会社を調べてみますから、今日はお帰りください」
「ええ、わかった。――ところで弥太郎さんは、東京にお友達とかいる?」
「いるにはいるんですが……どうしてですか?」
「東京まで送ってもらおうかと思って」
メリーさんはこつんと自分の携帯電話を叩く。
なるほど、と弥太郎は思ったが、残念ながらその手は使えないだろうな、と思う。
何故ならその友人は携帯など持っておらず、人離れした生活を送っていて――いやむしろ、人ですらない。
「あの。それって狼煙でも大丈夫です?」
「へっ?」
メリーさんがきょとんとした顔になった。
***
次の日の夜になって弥太郎は例の会社に忍び込んだ。
少しは手こずるかと思ったが、会社に忍び込むのは簡単だった。
目に見えて髪の毛が伸びるような人形は力が強い。――そんな市松人形を一ヶ所に縛り付けているせいで、ここら辺りの霊が引き寄せられて、会社の中に霊道が開いているのだ。
この付近の霊道に詳しい鬼に聞いてみると、「そういえば最近、近くに新しい道ができたようだ」と言うので、調べてみたらどんぴしゃりだったわけで。
みみずがのたうち回ったような字のお札をべたべたと貼られた人形に弥太郎は話しかける。
「もしもし、無事ですか? メリーさんのご友人の市松人形さんですよね」
「これで無事に見えるなら、まあ無事なのでしょうけど。……とりあえず、助けに来たのならばこの忌々しい札を剥がしてくださいまし」
減らず口を叩く程度の元気はあるらしい。
弥太郎はお札を剥がす。
妙なことに、お札の文字はどう見ても日本語には見えなかった。ものすごく達筆で読めない――というわけではなく、書いてあるのがどうも英語かなにかのようなのだ。
しかしまあ、見て呉れはともかく効き目は確かなようなので、あとで処分するために、畳んでポケットに入れておくことにした。
製造されたかつらも処分しておきたいところだが、あまりもたもたしていると警備会社の者が駆けつけるような気がする。「最近の警備のセンサーは非常に繊細なので、壁のポスターが剥がれ落ちただけで反応するらしい」――というのが友人の石名坂から聞いた噂だ。
「……いや、でもやっぱり一つくらいは持って帰りたいなあ」
「あら、お探しの物はあれではなくて?」
市松人形が指差した先には、確かにかつらが置いてあった。
若者が着けるファッション用のかつらだろうか? 長い三つ編みが両サイドに下がった、可愛らしいかつらだった。今流行りのエクステとは違って、きちんと前髪から後ろ髪まであるから、エクステではなくかつらだろう。
弥太郎がかつらを手にとってみると、一瞬、ちくっと針の刺すような感覚があった。
ワイヤーが飛び出ているらしい。
なるほど、不良品だから遊び心で三つ編みにされているらしいな。――と弥太郎は納得した。
まあそれはともかく、用事は済んだ。
「さあ、脱出しましょう」
弥太郎は市松人形を抱え上げて、霊道へと飛び込んだ。
***
市松人形を助けてから数日後の夜のことである。
どうも頭が痛いというか全身がむずむずするというか、風邪だろうか? と弥太郎は思いつつ、生姜茶を淹れようと用意しているところへ、その電話はかかってきた。
『わたし、メリー。弥太郎さんに相談があるの』
例のメリーさんからの電話だった。
助けたあとの報酬はとうにもらっていたので、また新たな依頼だろうか? と弥太郎は思ったのだが――。
『こないだの悪徳企業のことだけど、調べてみたら、どうもかつら作りは表向きみたいで、裏では魔術の研究とかなんかやってたみたいなのよね』
「……はい?」
魔術?
『かつらに細工をして売り捌きつつ人体実験をする予定らしいの。社長はラプンツェルを作るつもりみたい』
「ラプンツェルって、童話のラプンツェルですか? そこの社長は変態ですか?」
童話好きの友人に触発されて、弥太郎も最近よく童話を読むのだが――。
あいにくながら、ラプンツェルは、やたらと破廉恥な内容だったという印象しかない。
……いや。
思い出した。
市松人形と関係あるとすれば「髪長姫」の部分だ。
塔の上からラプンツェルが髪の毛を垂らして、その髪の毛を伝って魔女が塔に登るのだ。
『変態かどうかは知らないけど、最終的には戦場で役立つ生物兵器を作るっていうのがコンセプトみたいだから、……いや、やっぱりわりと変態なんじゃないかしらん。ちなみに、魔術とやらが仕込んであるかつらには、不良品みたいなワイヤーが飛び出てるらしくて、そのワイヤーから術を流し込むみたい』
どうも身に覚えがあるような特徴なような気がしてならない。
「もしかして、それって……」
『そうなの。そのかつらはまだ試作段階で、商品用とは違って三つ編みにしてあるらしいから、もしかして弥太郎さんが持って帰ったんじゃないかと思って……そのかつら、処分しておいてくれない? ってお願いのために電話してるわけだけど』
――髪長姫を作りたいということは、かつらを装着していたら髪の毛が伸びるということだろうか?
ここ数日全身がむずむずするのは、もしかしたらワイヤーが指に刺さってしまったせいかもしれない。頭皮ではなく指に刺さったので、髪の毛ではなく全身の毛が伸びてくる可能性がある。
弥太郎は自分がマルチーズのような長毛種になったところを想像して、――なんだ案外楽しそうだ。と思ったが、マルチーズ姿で人前に出るのは少々無理がありすぎる気がするので、早急にどうにか手を打たなくてはいけないな、と思った。
かつらの元になっているのが市松人形の髪の毛なのだから、おそらく人形供養と同じ方法で処理すればいいだろう。
「わかりました。処分しておくので、ご安心ください」
『ありがとう。……けど、ただでお願いを聞いてもらうのはルール違反だから、もう一つ情報をあげる。――さっき言った通り、例の社長は変態なんだけど、さらに悪いことに、どうも弥太郎さんのことを逆恨みしているみたいだから、気をつけてね』
「ええっ? 見つかるようなへまはしなかったはずですが……まさか、かつらかお札に、追跡できるような魔法が――?」
『……弥太郎さん、人間のくせに、科学技術舐めてない? 監視カメラにばっちり顔が映ってたってオチなだけなんだけど?』
「うわあ……」
『幸い、弥太郎さんが霊道から会社に忍び込んだのをなにかの魔術だと勘違いしてるみたいで、どこかの魔術師が喧嘩売ってきてるんだと思ってるみたいだから、素性がばれるのは少しかかるかもしれないけどね』
考える時間があるのはいいことだ。
相手が魔術うんぬんと関係ある人物ならば、そういった方面に詳しい友人がいるので、もしかしたら力になってくれるかもしれない。
『……それにしても、勝手にひとの友人を誘拐した挙げ句逆恨みするなんて、やっぱり人間って不可解よね』
まあ「妖怪は人間ではないので好きに扱っていいに決まってるだろう?」とか「俺が拾った物は俺の物だ」とか、わりと理不尽な要求を平気で突き付けてくるのが人間というやつの特徴だ。
そしてこんなとき、人間ならば「お前は人間と妖怪、どっちの味方なんだ」などとわけのわからないことを聞いてくることもあり、――そういう面倒くさいことを訊いてくるから人間って嫌なんだよな。と思ったりもする。
しかし、弥太郎が以前、祓い師にそれを訊かれたときには、なぜだか思わず「あなたって友達少なそうですね」と答えてしまい、ひどい目に遭ったので、そんな不可解な言動をとる自分もやはり人間の仲間なのだろう、としみじみと思う。
メリーさんは言う。
『もし助けが必要なときには、呼んでくれれば助けに行くから、電話してね。――弥太郎さんとは長い付き合いになるから』
「なにやら確信めいた言い回しですね」
『当然じゃない。わたし、明日も弥太郎さんに電話する予定なんだもの。――市松人形さんは「携帯なんて野蛮なものはいりません」とか言うから、こうやって気軽に電話できるのは弥太郎さんが初めてなのよね』
……「女の子」とかいう生き物は人間の中でも特に厄介な生き物だというのを友人の石名坂から聞いたことがあるのだが、どうやらそれは妖怪にも当てはまるらしい。
敵に回してはいけない相手だ。
「お手柔らかに頼みます」
弥太郎はため息をつきつつそう言った。 気休めに、「しかしまあ女の子というのは総じて長電話が好きだという噂があるから、この機会に苦手なブラックコーヒーも克服できるかもしれない」、と思っておくことにして――。
……いや、まったくもって気休めにならないな。と思い直す。
『じゃあ、また明日』
メリーさんの弾んだ声を聞いて、太郎は諦めた。
まあ仕方ないか。
苦笑しつつ、弥太郎は電話が切れたのを確認して、受話器を置いた。