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5~音楽室のベートーベン~

妖怪専門とよばみ探偵事務所5~音楽室のベートーベン~


「――で、そのとき、うっかり教頭に見つかっちゃってさあ」

 猫である。

「ああーあの教頭ねー。あの人間、実はヅラなのに、あたしたちを見かけると物凄い勢いで追いかけてくるから、色んな意味ではらはらするわよねえー」

 これも猫である。

 部屋の主である弥太郎を放っておきながら喋っている二匹の猫を、弥太郎は見咎める気にはならなかった。

 何故ならば、どう考えてもありえないからだ。

 目の前で猫が喋っていることなど。

 ――頭がぼうっとする。

 どうやら風邪らしい。

「ちょっとちょっと、弥太郎さん、大丈夫なの?」

 猫が心配そうに弥太郎の顔を覗いてくる。

 弥太郎は言う。

「まあ、なんとか」

「でもこのペースだと酒が足りなくなるんじゃあないかしらん」

「……そっち?」

 きょとんと目をしばたいた。

 これだ。

 ――何がありえないかって、部屋の主が風邪で寝込んでいるっていうのに、勝手に上がり込んで宴会騒ぎなんかして……、挙げ句の果てには病人じゃなくて自分たちの酒のことを心配するんだものなあ。

 弥太郎はそっと溜め息をついた。

 猫が喋ること自体は気にならない。

 なにしろ相手は普通の猫ではなく猫又で、弥太郎とは顔見知りであるから。

 問題は、正月――といってもすでに月末だが――なのをいいことに、弥太郎の部屋に押し掛けて、弥太郎の病状を気にする素振りもなく開口一番「酒の用意はまだかしらん?」ときたことだ。

 まったくもってありえない。

 普段は気の利かない友人である石名坂松平ですら弥太郎に気を遣ってコーヒー一杯飲んだだけでそそくさと退散したというのに……妖怪はやはり感覚が違うのだろうか?

 呆れて文句の一つも出ないのである。

 先ほどから猫又たちは世間話に花を咲かせているが、弥太郎は熱がひどいのであまり聞くことができない。……が猫又たちはそんなことにはお構いなく、弥太郎を放置してくっちゃべっている始末だ。

 正直、おとなしく寝かせてくれ、と思う。

「……てわけだからさあ、出直して夜中に忍び込んでみたんだけど」

 そもそも正月休みが明けてから連日「帰省ラッシュに捕まった」首なしライダーや「部屋の主がテレビで除夜の鐘を観ていたせいでうっかり成仏しかけた」自縛霊の愚痴を聞いたり、「寒さで凍死しかけた」人面犬を動物病院に連れていったり「参拝客が散らかしたごみをどうにかしてくれ」と狐に頼まれて廃れた神社を掃除したり……と、その他諸々東奔西走させられて、この日やっと仕事から解放されたと思ったのに、どうして猫又が押し掛けて来たのかというと――弥太郎の知り合いの鼠がいらぬことを触れ回ったせいだ。

「……マジで、教室間違えたんじゃないかって感じでさあ」

 こないだのクリスマスに、世話になっている礼に、鼠のためにシャンパンとチキンを用意してやったのだが、鼠はそれを知り合いの妖怪に片っ端から自慢して回ったらしい。

「思わずここに連れてきちゃったわけだよ。そのベートーベンを」

 おかげで猫又(クロ、オス)が「正月祝いだ」とかなんとか言って、普段はこの辺りでは見かけない猫又(サバトラ、メス)と一緒にここに居座っているわけだ。

 しかもおまけに、ベートーベンまで連れて来るとはいったいどういうことだ。

「……ベっ」

 ベ、ベートーベンだって?

 弥太郎はそこで初めてまともに猫又の話を聞く気になった。

 五番『運命』、「ダダダダーン」の旋律で有名なあの音楽家。ベートーベン。

「まさか本人の……幽霊……?」

「いや。まあ幽霊ではないけど。でも、『自分の名はベートーベンだ』って言ってたし」

 猫又は自分の荷物から器用になにかの紙を取り出して、ぺらりと机の上に広げた。

 すると。

「ふう」

 紙の中から声がした。

「――まったく、狭かったな」

 ベートーベンの絵。

 いや、絵というよりはプリントだ。絵の具で塗ったものではなく、印刷機で印刷されたもの。

 たいていの小学校の音楽室に飾ってあるベートーベンの肖像画の、それ。

 弥太郎は納得いった。

「そうか。七不思議か」

 見つめていると肖像画の目が動いたり喋ったり、誰もいない音楽室からピアノの音が――とかいうアレだ。

 あいにく弥太郎が通っていた学校にはそういったベートーベンはいなかったものだから、そんな存在のことはすっかりと失念していた。

「ええっと……それで、どうして連れて来たんだって? というかベートーベン――さん……? は、こんなところに連れて来られてしまって大丈夫なんですか?」

「構わん。仕事は休みだからな」

「仕事?」

「教室でじっとしている仕事だ。今日は休日だからな。それに、わたしは今悩みがあるのだが……あの場所――学校では、まともな相談相手がいないのだ」

「ああ、そうですね」

 弥太郎は頷いた。

 学校に棲み憑く妖怪は話の通じないものも多い。

 人をトイレや池や鏡の中に引きずり込んだりする妖怪やら幽霊やら、呼び出されっぱなしになったこっくりさんやら……なかなか物騒な妖怪もいる。

 弥太郎は走る人体模型から「自分の代わりにスポーツシューズを買って来てほしい」という依頼を受けたことがあるが、人体模型は見た目がなまじリアルなため、そんじょそこらの鬼よりもよほどグロテスクで、怖い。

 話し相手としては不向きだろう。

 弥太郎は言う。

「……それで、悩みというのはなんです? せっかくお越しいただいたんだし、愚痴くらいなら聞いて差し上げられますけど」

 ベートーベンはややためらってから、口を開いた。

「悩みというのは――」

 言う。

「……わたしは一体何者なのだろう? という悩みなのだ」

「はい?」

 思わず聞き返してしまった。

 目の前の人物は、どう見たってベートーベンだ。猫又いわく、彼は「ベートーベンだ」と名乗ったそうだからきちんと自覚もあるようだが……?

「実は先日、興味深い本を勧められたのだ」

 ベートーベンはがさごそと横のほうからなにか――弥太郎から見ると画面外である――を漁って取り出し、すっと差し出してきた。

 にゅう、と紙の中から本が現れる。

「――『クローン人間の人権とアイデンティティ』?」

 およそ音楽家にはそぐわない本だ。

「だから、教室間違えたんじゃないかと思ったって言っただろ? このベートーベン、『わたしは果たして本当にベートーベンなのだろうか?』なんて言っててさあ。心理学者か? ってーの」

 猫又はそう言った。

 ベートーベンは言う。

「しかし実際、わたしはオリジナルのベートーベンとはまったくの別物だ。わたしの記憶というのは、人々から一般的に認識されているベートーベン像に基づくものであり――例えば、『ベートーベンは毒殺されたのか、それとも病死なのか?』の真相は、分からない。わたしは紛い物に過ぎないからな」

 そういえばベートーベンは亜鉛中毒で失明していたのだったな、と弥太郎は思い出す。

 ベートーベンが亜鉛中毒になったのは、当時のワインに亜鉛が入っていたせいだが、……いくらベートーベンがワイン好きだったとはいえ検出された亜鉛の量が多すぎるため、故意に盛られたのではないか? うんぬん……という説もある。

「曲を奏でるのに作者の気持ちが分からないのは致命的だ。わたしはベートーベンだが……『一般的なベートーベン』であり、『オリジナルのベートーベン』の気持ちがわたしのそれと同じかどうかに自信がなくなってしまった」

 なるほど『クローン人間の人権とアイデンティティ』とやらを読みたくなる気にもなるわけだ。

 クローン人間特有の悩みと言ったら、「俺はあいつとは別の人間だ」とか「たまに私を見る目が別の誰かを見つめているみたい」だとか、――この「ベートーベン」とは真逆の悩みであるような気もするが。

「ふん?」と猫又(メス)が首を傾げる。

「同じ人間になんて、なれっこないじゃない。同じ人間を創るには同一の時間と同一の空間を占有させる必要があるんだもの。……例えば一卵性の双子はクローンの一種だけどちゃんと別個のアイデンティティを持ってるでしょ」

「え、双子ってクローンなの?」

 猫又は弥太郎に呆れた顔を向けた。

「やーねえ、当たり前じゃない。遺伝子が同一なんだから。人間のくせにそんなことも知らないの?」

 ……妖怪のくせに科学に詳しい猫又もどうかと思うが……。

 ベートーベンは頭を抱えた。

「そんな、同じ人間にはなれないというなら、わたしはどうやって『ベートーベン』をやればいいんだ?」

 うーんと弥太郎も考え込む。

 考え込んでいる弥太郎の横で、猫又は机の上の料理をひょいひょいぱくぱく。

 ……どうやらベートーベンにはすっかり興味を失くしてしまったらしい。

 自由だなあ。――と弥太郎は呆れる。

「そういえば、その本は誰に勧められた本なんですか?」

 しばらく考えてみたが、どうにも言葉が思いつかないので弥太郎は代わりにそう聞いてみた。

 弥太郎の言葉にベートーベンは首を振る。

「それが……分からないのだ」

「分からない?」

「この本は、わたしが夜中にピアノを弾いているときに何者かが置いていった本なのだ。戸をがらりと開けて、ひょいと教室の入り口に置いていったもので、……顔は見ていない」

 ベートーベンはそう言った。

 しかし弥太郎は、その本の主が妖怪であることが分かった。

 夜だということは学校の児童ではないし、警備員にしても職務を遂行せずにそっと本を置いていくようなことはしないはずだ。

 そして『クローン人間の人権とアイデンティティ』などという本を音楽家なんかに勧めてくるということは、おそらく、本の主はこの「ベートーベン」と同じ境遇にある者で――。

「なあ」

 ふと猫又がベートーベンに話しかける。

「もしかしてあんた、悩む必要ないんじゃないか? だってあんたのアイデンティティ……? とやらは、人が『これぞベートーベンだ』って想像するベートーベンに基づいてるんだろう? だったら、人から見たらあんたのほうがオリジナルのベートーベンよりもベートーベンらしいベートーベンってことになるじゃんか」

 はたと気が付いたようにベートーベンが猫又を見つめた。

 言われてみればその通りだ。

「し、しかし……」

 ベートーベンは戸惑ったような声で言ったが、言いたいことが思いつかないらしく、ごにょごょと言葉を濁した。

 弥太郎は言う。

「この本の主に相談してみたらどうですか、ベートーベンさん。その人はたぶん学校にいます」

「学校に?」

 きっと、同じ境遇にいるベートーベンと語り合いたいから本を置いたのだ。

「はい。本の主は二宮金治郎だと思います」

 最近は撤去されがちだが、小学校の門の辺りにはたいてい、薪を背負って本を広げて歩く格好をしている二宮金次郎の銅像があるものだ。七不思議の一つとしても有名である。

 なるほど、と猫又も納得。

 ベートーベンはしばらく考えてから、眉を寄せたベートーベンらしい表情で「分かった」と頷いた。

 猫又はそれを見届けてからベートーベンの絵をくるくると器用に丸めて、荷物の中に仕舞った。

 きっとこのひとは大丈夫だ。と弥太郎は思う。

 なにしろベートーベンだ。

 なんだかんだ言っても天才なのだから。

「あ」

 ――ふと猫又は言う。

「そうだ、弥太郎にお土産があるよ」

「土産?」

 猫又はがさごそと荷物の中から林檎を取り出してぽんと弥太郎に差し出した。

「風邪にはやっぱりこれじゃん」

 そう言えば自分は風邪を引いているのだった。――と弥太郎は思い出す。

 ――なんだ。単に正月祝いで押し掛けたわけじゃなくて見舞いも兼ねてたのか。

 弥太郎は猫又を少し見直した。

「じゃーな」と二匹が連れ立ってすたりと窓から出ていく。

 机の上は二匹が宴会をしたままに散らかしてあるのには閉口だが……。

 片付けたは明日だな――と弥太郎は思う。

 どうも熱も上がってきた気がする。

 知恵熱だろうか?

 猫又からもらった林檎がひんやりと気持ち良かった。

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