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10~豊喰弥太郎と赤い靴~

妖怪専門とよばみ探偵事務所10~豊喰弥太郎と赤い靴~


 昼時。

 目の前には赤い靴。

 とよばみ探偵事務所は妖怪絡みの事案を取り扱っているので、この、目の前の机にちょこんと置いてある真っ赤な靴は、普通の靴ではなかった。

 ――のだが、ジョバンニに検分してもらったところ、一目見るなり「またハズレか!」とジョバンニが声を上げて盛大なため息をついたので、さすがの弥太郎も驚いて、茶菓子を取り分けていた手を止めて、尋ねずにはいられなかった。

「どうしたんですか?」

 弥太郎が尋ねると、ジョバンニははたと気付いたように顔を上げ、ごほんと咳払いをした。

「失礼」

 探偵事務所と言いつつも、ジョバンニは弥太郎の客としてではなく、友人としてここに来ていた。

 なにしろ最近、依頼客からこの靴を「預かってほしい」という依頼を受けたところ霊障に悩まれる羽目になったのだが、たまたま別件で訪ねてきたジョバンニにそれがばれてしまい、根掘り葉掘り聞かれるはめになったという経緯がある。

 もちろん弥太郎は依頼人の秘密は守る主義なので詳細は話していないのだが、――どうやら「靴」のほうも「ジョバンニのことを気に入った」ようで、霊障がよりいっそうひどくなり……隠し通すことはできなかったのだ。

 この靴には幽霊がとり憑いているらしい。

 幽霊ならば幽霊らしく、せめて昼間くらいはおとなしくしておいてほしいものだが、まあ仕方ない。この靴のサイズは二十センチ――この靴の主ははしゃぎたい盛りの子供なのである。

 ジョバンニは言う。

「いえ。赤い靴だというから、わたしが別件で探している靴かと――少し期待したのですが、どうやら別物のようだったので」

「まあこの靴は、幽霊が取り憑いていることを除けばごく普通の靴ですからね。ジョバンニはどんな靴を探しているんですか?」

「履くと脱げなくなって、足が勝手に踊り出す靴です」

 なかなか物騒な靴だ。

 ……いや、しかし聞いたことがある。

 童話で、「教会に赤い木靴を履いて行ったら天罰を受けて、足が踊るのをやめてくれなくなったので、木こりに両足を切断してもらったらやっと許された」という話があったはずだ。

 さすがに理不尽すぎないか? と思ったので、知り合いの猫又に聞いてみたら、「あら。童話って、史実や社会風刺が元ネタなことが多いから、『赤い靴』もどうせ、『贅沢しておしゃれしてたら栄養失調で脚気になって、変な病気と勘違いされて足を切り落とされた』って話なんじゃない?」と言うので、妙に納得したことがある。

 脚気――かっけは、第二次大戦中に日本兵も悩まされた病気だ。

 足がふらつくために真っ直ぐ歩けなくなるという症状。その様子は、見ようによっては踊っているようにも見えそうだ。

「例によって、その『赤い靴』は日本にあるかもしれない――ということですか?」

 弥太郎は訊ねた。

 ついでに、「脚気はビタミン不足が原因で発症する病気で、膝蓋腱反射を利用して見分けることができるのよ」という猫又から聞いた無駄知識もふと思い出す。

 第二次大戦の時代には精米技術が未熟だったため、精米するときに米ぬかと一緒にビタミンをごっそり捨てていたので云々。

 ちなみに膝蓋腱反射は、膝蓋――いわゆる「膝の皿」――を小槌等で軽く叩いてやると、不随意で……自分の意思とは関係なく足が跳ね上がる反射運動のことだ。

 ――という知識もすべて猫又から教わったものである。

 人間よりも妖怪のほうが科学に詳しいというのは如何なものだろうかと思わなくもない。

「うーむ、……いや、日本にそんな物騒な靴はなかったはずですから、元からそれほど期待はしていなかったんだが……弥太郎のもとにあるものならばもしかしたら、と、思ったわけです」

 日本で有名な「赤い靴」といえば、外国に連れて行かれた赤い靴の女の子が、青い目の外国人になってしまって日本に帰れなくなってしまった――という歌が、かろうじて弥太郎も知っている話であるが。

 ただし、その歌は史実をもとにしているものの、実際には赤い靴の女の子は外国に行く前に病死しただのどうだのと言われていてわけの分からないことになっているし、そもそも「赤い靴を履いてた」かどうかすら怪しいので……まああまり関係なさそうだなあとも思う。

 ジョバンニは言う。

「しかし、わたしが探している『赤い靴』は三足あるので、せめてどれかひとつは見つけ出したいところです」

「えっ。そんな物騒な靴が三足も存在するんですか?」

「はい。……あ、いや、三足のうち一足はそもそも履けないので、大丈夫です。それに、残りの二足のうち一足は普通の靴ではなく鉄製の靴なので、まあまず間違って履かれることはないと思いますし」

 鉄製の赤い靴とはまた物々しい。

 どこの戦闘部族の靴なのだろうと思いきや、ジョバンニは続けて「白雪姫に出てくる赤い靴です」と言うので、弥太郎はそんな馬鹿なと思った。

 いや、まあ白雪姫といえば、実母に命を狙われたり猟師をたぶらかしたり毒りんごを盛られたり死体に一目惚れした王子に求婚されたりと波乱万丈な話でもあるから、もしかしたら日本には伝わっていない話があるのかもしれない。

「そんな靴を履いてよく無事でしたね。白雪姫って、悪運が強いんですね」

「ん? 赤い靴を履かされたのは白雪姫の母親のほうですよ。王子との結婚式のときに、真っ赤に焼けた鉄の靴を履かせたので、母親は狂ったように踊って死んだそうです。――まあ、直接手を下したのは小人たちですけどね」

 白雪姫の母親は魔女本人でもあったそうだから、「あの親にしてこの子あり」ということか。

「……じゃあ、『履けない』ほうの靴は?」

「ガラスの靴ですよ。舞踏会で踊るための靴だが……かかとを切り落とさないと履けませんし、踊っているうちに足がひどい状態になるので、一度履くと足を切り落とさないと脱げません」

「ああー……」

 弥太郎は納得した。

 ジョバンニはごほんと咳払いをして言う。

「いいですか、弥太郎。女という生き物は人間だろうが妖怪だろうがとにかく厄介な生き物なので、充分に気を付けなさい」

「知っています。……気を付けますよ」

 がしゃん、と棚の上の時計が落ちた。

 霊障。

 弥太郎はため息をついた。


 ***


「――で?」

 ジョバンニが帰ったあと、弥太郎は机の向かい側に切り分けた菓子を置いた。

 誰もいないはずの向かい側からにゅうっと白い腕が伸びて、菓子が宙に消えた。

「で、ってなにが?」

 例の幽霊だ。

 ジョバンニが来ていたときには霊障が酷くてじっくり見ることができなかったのだが、今はおおむね落ち着いているので、その幽霊の姿を見ることができた。

 入学式だかに発表会だかに着ていくようなおしゃれなスーツの女児だ。

 ぱっちりと開いたアーモンド型の両目は平成生まれの顔つきなような気がする。

「きみは自分の名前とか、どうしてここにいるかとか、そういうのは分かる?」

「ううん。死んでから自分の名前は思い出せないよ。なんでここにいるかって……それは、おじさんがわたしの心残りを叶えてくれるためにいるんじゃあないの? てっきり、メリーさんとそういう約束をしたんだと思ってたんだけど」

 どうやら自分が幽霊であることは自覚しているらしい。

「残念だけど、依頼人からはそのような依頼は受けなかったんだ。きみを成仏させてしまったら、万が一依頼人から苦情が来た場合に『原状復帰』することができないから……まずは依頼人と話をつけないといけないな」

「げんじょーふっきって何?」

「預かり物や借り物は元の状態に戻して返さなくてはいけないという法律用語だ」

 弥太郎は依頼人――メリーさんへの電話のかけ方を調べながらそう言った。

「もしもし、とよばみ探偵事務所の豊喰と申します。メリー様の携帯電話でよろしいですか。――えっ? 気持ち悪いから様付けするなって? すいません」

 メリーさんは最近知り合って弥太郎の常連客となった妖怪だ。

「それで、例の赤い靴の件なんですけど、――まあ知っているとは思いますけど、この靴、幽霊が取り憑いていますよね? その幽霊はどうしたらいいですか?」

 弥太郎が訊ねると、メリーさんは一瞬沈黙した後、『ちょっと待ってね』と言って電話を切った。

 あれ?

 と首を傾げると、数瞬後、電話がかかってきた。

「もしもし、とよばみ探偵事務所です」

『わたし、メリー。今あなたの後ろにいるの』

 ぱっと振り向くと、背後にメリーさんが立っていた。

 どうやら自分の能力を使ったらしい。

 そしてなにやら、両手を広げた歓迎のポーズ。

「この電話を待ってたわ!」

 いったい何を待っていたのかと、きょとんとして弥太郎がメリーさんに目で問うと、メリーさんは「ふっふっふ」と意味ありげに笑みを浮かべた。

「曰く付きの預かりものと、謎の幽霊――と来れば、探偵って勝手に首突っ込んで来てくれるものじゃない? ふっふっふ、計画通りってやつね」

 赤い靴の少女は言う。

「じゃあ、やっぱりメリーさんはわたしを成仏させるためにおじさんに預けたってことでいいの?」

「その通り。なんでも聞いてよ。事情聴取なんて初めて!」

 事情聴取を行うのは探偵ではなく警察だと思うが。

 まあしかし、事情が分からないことには話にならないので、とにかくメリーさんに話を聞いてみようかとも思う。

「そもそもメリーさんはどういう経緯でこの靴を入手したんですか? この子とはお知り合いだったんですか?」

「ああ、それね? この子は知り合いでもなんでもないんだけど、わたしの知り合いが棲んでるアパートで悪霊になりかけてて迷惑だったから、弥太郎さんにどうにかしてもらおうと思ってたまたま手に入れた靴に取り憑かせてみたら、どうやら悪霊にならずに済んだみたいなんだけど、とにかく、心残りがあって成仏できないことに変わりはないから、やっぱり弥太郎さんにどうにかしてもらおうと思ってここに連れてきたってわけだから、別に知り合いってわけでは――」

 ぺらぺらと喋るメリーさん。

 弥太郎は情報を整理しようと目まぐるしく頭を回転させるが、それにしても、プリーズ・スピーク・モア・スロウリー! と言いたいところだ。おかしい。日本語で話しているはずなのに――これが「女の子」の本気ということか。

「――で、結局どうしてほしいかというと、この靴を……いえ、この子を外国に連れて行ってほしいのよ。悪霊になりかけていたこの子がどうして赤い靴に取り憑くことで悪霊にならずに済んだかって言ったら、たぶん、この子の一番の望みが外国に行くことだからだと思うの」

 なるほど、道理でジョバンニが事務所に来た途端に霊障がひどくなったわけだ。

「あの……最初からそう依頼してくれれば、余計な手間がかからずに済んだんですが」

 せっかくジョバンニが来ていたのだから、そのときにさっさと頼んでいれば、大惨事にならずに済んだと思うのだ。

 なにしろこの幽霊が張り切って霊障を起こしたおかげで、部屋の中は泥棒に引っ掻き回されたみたいにめちゃくちゃになってしまっているのだから。

 恨みがましく見つめる弥太郎にメリーさんは「あら、だって推理するのが探偵の仕事じゃない」と飄々とした表情で言う。

 そういうわりにさっさとネタばらししてしまっているのも、女の子の特徴の一つなのだろうか?

 弥太郎はため息をついた。

「……わかりました。明日ジョバンニに頼んでみるので、今日はもうお帰りください」

「えええー。せっかく来たんだから、もうちょっと話させてよーぉ」

 メリーさんが抗議の声を上げる。

「話のついでに部屋の片付けも手伝ってくれるって言うんでしたら歓迎するんですけど……」

 弥太郎がそう言うや否や、メリーさんは自分の携帯電話を取り出してどこぞに電話をかけ、「もしもし、わたし、メリー。今あなたの後ろにいるの!」と言って、ふっと消えた。

 やれやれだ。

「わたし、手伝う?」

 幽霊がふわふわと物を浮かせて言った。

 なかなか便利な能力だ。

 しかし、このぐらいの年齢の子供に「片付け」という概念が存在するのだろうか、と不安に思わなくもないが――。

「……お願いしようかな」

 弥太郎はためらいつつ、決心して、言った。


 ***


 翌日、ジョバンニに電話をしたところ、ジョバンニは再び弥太郎の事務所にやって来た。

「おや? 部屋の模様替えでもしたのか?」

 ジョバンニは首を傾げてそう言った。

 ……幽霊に手伝ってもらったところ、棚や机の位置ががらりと変わってしまったのである。

 弥太郎は「まあ、そんなところです」と苦笑しつつ赤い靴にちらりと目をやった。

 ジョバンニもつられて靴を見やる。

 今日は、幽霊はおとなしい。靴の隣にちょこんと座って足をぶらぶらさせているところだった。

「そういえば、ジョバンニは幽霊が見えるんですね」

 魔術とかいうものを使う者の中には「魔物とか悪魔とかは見えても幽霊は見えない」という者もいるようだが、ジョバンニは違うらしい。

「仕事柄、見えたほうが便利なので特訓しました。まあ、はっきりと見えたり聞こえたりするわけではないんだが――、おや? 窓の外に猫がいるな」

 弥太郎は窓の外に目をやる。

 雄の黒猫だ。弥太郎の知り合いの猫又であり、例のやたらと博識な猫又の知り合いの猫又でもある。

 ジョバンニは妖怪嫌いなので、ジョバンニが弥太郎の事務所に来ているときには、妖怪が寄り付かないのが慣例となっていたが……どうしたのだろう? 緊急の用事だろうか。

 弥太郎が事情を聞こうと思って窓を開けると、猫又はするりと部屋に入ってきて、我が物顔でソファーの上に陣取り、丸くなった。

 え、と思ったが、弥太郎が目で問いかけても猫又は素知らぬ振りであくびをしている。

「弥太郎のほうこそ、妖怪が見えたり幽霊が見えたりするのは天性のものなんですよね? そのわりにはわたしとは全然勝手が違うようだ。妖怪と仲が良いようだし……いったいどのような生活をしていたのですかな?」

 どうやらジョバンニは猫又を普通の猫と勘違いしているらしく、気にせず話を続けた。

 弥太郎は口ごもる。

「いや、ええっと……」

 なんと説明したものやら。

 弥太郎にとって妖怪の世界というものは幼い頃から弥太郎の生活の一部だったが――、話せば長い長い話になるし、そうたいして面白い話でもないので、なんとも言いがたいのだ。

 そもそも。

 ――実は、生まれたときから妖怪が見えていたわけではない……なんて、説明しようにも面倒くさすぎるからなあ。

 と弥太郎はぼんやりと思った。

 それを説明するには、弥太郎の生い立ちから話さなければならないが――。

「……なんだ。おじさん、そんなすごく重要なこと話してなかったの?」

 ふと幽霊が口を挟んできた。

 ん? とジョバンニが首を傾げて幽霊のほうに顔を向ける。

「重要なこと? なにか隠し事でもあるのですかな?」

「あるよ」

 楽しそうに幽霊が頷いた。

 猫又が顔を上げてぴくりと耳を立てる。

 幽霊は言った。

「あのね、おじさん、本当は妖怪――」

 しかし、言い終わる前に突然、口を塞がれたかのように「むぐぐっ」と奇声を発して――。

 ふっと幽霊は姿を消した。

 いったいどうしたのかと思いきや、ソファーに座っていた猫又がなにやらみみずがのたうち回ったかのような文字が書かれているお札のようなものを赤い靴に貼り付けて、ゆらゆらとしっぽを揺らしていた。

「ったくもう、や~っぱり余計な輕口叩いてきやがったな」

「あの……ええっと?」

 猫又は「ああもう!」と弥太郎の肩に飛び乗って言う。

「ここ数日、『女の子』どもがなにやら弥太郎にちょっかいかけて来てるもんだから、おれはそこの外国人から脅されて、厄介事が起きないように見張れって言われてたんだよ」

「脅されたとは失礼な。『依頼された』と言いたまえ」

「あんたの国では依頼するのと脅すのはおんなじ意味なのか?」

 猫又は首を傾げながらそう言い、それを聞いたジョバンニはやれやれと首を振った。

 一方、赤い靴はお札を貼られて激しく暴れている。

 どうやら問答無用で祓われてしまったわけではないことにひとまず安心したものの、これからどうしたものかと弥太郎は思った。

 弥太郎が考えていると、ふと、部屋の窓をこんこん、と叩く音がした。

 目をやるとなぜかメリーさんが立っていた。

 携帯で連絡してきたわけでもないのにどうやってここに来たのだろうと思いきや、メリーさんの後ろから、ぬうっとサバトラの雌猫――例の博識な猫又が姿を現した。

 この猫又に連れて来てもらったらしい。

「ああ、やっぱりその子、なんかやらかしたのね」

 いまだに暴れている赤い靴を見るなり、メリーさんはため息をついて、「いったいなにがあったの?」と一同を見回した。

「それがさあ」

 ごにょごにょと黒い猫又がメリーさんに耳打ちする。

「ああ」とメリーさんは納得した表情で頷いた。

 弥太郎はため息をつく。

「今、この幽霊がなんて言ってるかわかるかい? せっかくジョバンニに海外に連れて行ってもらったたにも関わらず『成仏したくない』なんて言い出されでもしたら、すごく困るんだけど……」

「さすがにこんな強力なお札を貼られてちゃわかんないけど、まあ中身はお子ちゃまなんだから、すぐ機嫌直すんじゃねえの?」

「そうだといいけど」と弥太郎は肩をすくめた。

 猫又は弥太郎の肩から降りて、暴れる赤い靴を前足でぎゅむっと押さえつける。

「それにしても、どうやってこのガキは弥太郎の秘密を知ったんだ? おれなんか、ついこないだ一反木綿に聞くまで知らなかった秘密なのに」

「うーん……、なにやら気に入るところがあったんじゃない? 人間にとって妖怪の世界は異国のようなものだから、そこに馴染んでいる弥太郎さんに憧れたのかも。この子は外国に行きたいわけだから、ちょっと似てるじゃない?」

「ええーいまいちよく分かんない」

 やいのやいの議論する二匹と一体の妖怪たちに苦笑しつつ、弥太郎はジョバンニが難しい顔をして押し黙っているのを横目にちらりと見た。


 メリーさんたちが帰ったあと、猫又は赤い靴をジョバンニに押しつけて言った。

「ほら、あんたもさっさとこいつを持って、帰れ。こんな厄介な事件は久々だよ、まったく」

 それは色々とこっちのセリフじゃないか? と弥太郎は思ったが、まあ黙っておくことにする。

 ジョバンニは言う。

「それはこっちのセリフだ。わたしは弥太郎に聞きたいことがあるからな。気を利かして帰るべきじゃないか」

「だったらなおさら駄目だね。どうせ、さっき赤い靴のくそガキが言いかけたことが気になってるんだろ? 駄目駄目、あんた、弥太郎にとんでもないこと聞きそうだもん。『弥太郎は実は妖怪なんですか?』とか」

 弥太郎はぎょっとしてジョバンニを見た。

 ジョバンニのほうはと言えば――こちらもぎょっとした顔で猫又を見ていた。

 猫又はため息をついた。

「言っとくけど、弥太郎の前でこの話をするのはタブーだからな。あれだ、あれ。『パンドラの箱』ってやつ。もしそんなこと聞き出そうってんなら、おれはあんたの家を末代まで祟ってやるからな」

 ジョバンニはぎょっとした顔のまま、今度は弥太郎に目を向ける。

 ――いやいや、さすがにそこまで大袈裟な話ではないのだが。

「というか、ジョバンニには話しておいたほうがいいと思うんだよなあ」

「ええっ? あんな利にも益にもならないような弥太郎の昔話を?」

「そう」

 弥太郎は頷いて、ジョバンニのほうに向き直った。

「いつか、機会があれば聞いてくれますか。……長くてつまらない話なんですけど」

 ジョバンニは戸惑った表情で、頷いた。

 猫又はちぇっと舌打ちして「まったくもう、人間ってやつは面倒くさくてしょうがねえな」とぶつぶつとぼやきながらそっぽを向いた。

 ジョバンニは立ち上がる。

「……今日のところは帰ります。約束ですよ。聞かせてください、いつか。その……弥太郎の昔話」

「はい」

 弥太郎もジョバンニを玄関先まで見送るために立ち上がった。

 玄関先で、ジョバンニに言う。

「それじゃあ、また。……あ、ジョバンニ、その赤い靴のこと、よろしく頼みます」

「はい。大丈夫、ちゃんとわたしの国に連れて行きますよ」

 外の国に憧れを抱いている幽霊。――妖怪の世界とかかわりのある弥太郎に親しみを抱いている女の子。

 ――ああ、猫又の言う通り、たしかにあの幽霊と自分は似ているようだ。と弥太郎は思う。

 妖怪。異形の世界。

 行けるのならば行ってみたいものだ――と、弥太郎は、常に思っている。

 たぶん、切に願っている。

「連れていけるものなら、連れて行くんだけどねえ」

 ふと、どこかで声がした。

 はっとして振り返ると、そこには――。

 ……いや、人影はなく、いつも通りの事務所があるだけだった。

 十二時のチャイムが鳴った。

 最近設置された、市の有線放送のスピーカーから流れてくるチャイムだ。

 すっかり昼時だ。

 きらりと事務所の看板が光を返していて、――弥太郎には、眩しさで看板の文字が読めなかった。


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