求めたもの
ベルトランが降り立ったのは、最初に調べた井戸の小屋の前だった。
絨毯から降りた彼は迷いなく井戸の傍まで近づくと杖を振るった。
「エラヌクラク!」
ゴルネサーが追いつくよりも早く井戸の底へ飛び降りたベルトランは、明かりを灯すとはやる気持ちを抑えながら浄化の魔法陣を描く。
「ここはもう調べたでしょ?」
「いや、調べてない。俺がしたのは聖霊に呼びかけただけだ。水脈自体の探査はしてない。…………オイェコサージュ」
井戸の中に白い光が満ちる。
ベルトランは探査の魔法陣を描き始めた。
「俺が昔砂漠を行軍した時、教えてもらったんだ。砂漠で枯れた川からも水を得ることができるって」
「どうやって?」
ゴルネサーは首をひねった。
「枯れた川の端の方にある少しへこんだところを掘り返すんだ。腕一本分くらい掘ると、湿った土が出てくるんだ」
魔法陣を描き上げたベルトランは、ほっと息をついた。ごくりと息を飲み、杖を魔法陣に突き立てる。
「オイェアトカラヌラ、水よ」
ベルトランの頭上から砂が降ってきた。ゴルネサーが井戸の縁から身を乗り出したのだ。
魔法陣がうっすらと光を放つ。
ほのかに明滅した魔法陣から、やがて青い光の玉が一つ二つと浮かび上がってきた。
シャボン玉のように飛んでは消える光の玉は、少しずつ数を増やしてベルトランの回りを舞い踊る。青い光が井戸の底を照らした。
その光景に、ベルトランは魂が抜かれたように魅入っていた。ゴルネサーもまた、眼下に広がる幻想的な光景に目を奪われていた。
「…………だ」
「え?」
ベルトランの小さな呟きを、ゴルネサーが聞き返した。
ベルトランは興奮を隠しきれずに言う。
「成功だ! やっぱり、この井戸の底に水脈があるんだ!」
言下に杖を浮かすと、彼は呪文を唱えた。
「空気よ、エラゴティリアムタ、エモキテューキセガー!」
目に見えぬ空気が彼の杖の先に集まり、圧縮されてゆく。
ベルトランは井戸の中心に、激しく杖を突き立てた。
途端に激しい衝撃が地面を揺らす。ベルトランの杖の先に集まった空気の杭は地面に大きな穴をあけ、そのまま地中深くへと突き刺さった。
そして、地面を叩くような音がしたかと思うと、その穴の中から水が噴き出してきた。
「見ろ、お嬢さん!」
ベルトランが興奮した声音でゴルネサーを見上げた。彼が動いたことで、ばしゃりと水音が響いた。
「……信じられない」
ゴルネサーは口元を押さえながら、目を潤ませた。彼女がティアディアラの地で湧水を目にするのは、実に二十年ぶりだった。
「やっぱり水はあったんだ! 水があれば、明日からでも植物を育てることができる!」
ベルトランはあふれ出てくる水を手で掬い上げながら声を震わせた。
彼とて水が必ず見つかると確信していたわけではない。ゴルネサーには自信たっぷりに言い切ったものの、最悪の可能性も考えていた。
初めてのことだ。今まで誰も成功したことのない仕事に、不安を抱かないわけがなかった。
しかし水脈が見つかったことで、彼の目標に大幅に近付いた。
ベルトランはその喜びに体を震わせたのだった。
ゴルネサーもまた、奇跡のような光景に胸を打ち震わせていた。が、井戸の底の明かりが消えたことに気付き、井戸の底に向かって声を掛けた。
「ねえ、ちょっと」
しかし返事はない。
「ちょっと、返事しなさいよ!」
再度ゴルネサーが声を掛けるが、ベルトランの返事はない。
「…………まさか」
ゴルネサーの胸に、不吉な予感がよぎった。
肌寒さにベルトランは目を覚ました。身を起すと、彼に掛けられていた毛布がずり落ちる。すっかり辺りが薄暗くなっているために判別がつきづらいが、どうやら彼の拠点で寝ていたようである。部屋の隅に置いてあった木製のベッドの上に寝かされていたようだ。
状況が飲み込めないベルトランが自身の記憶を辿っていると、彼の傍らで動く気配があった。
思わず杖に手を伸ばそうとしたベルトランだったが、その手は空を切った。いつもの場所に杖がなかったのだ。
「……ねえ、命の恩人であるわたしに対して攻撃でもするつもり?」
ゴルネサーが目をこすりながら言う。
「すまない……だが、俺は一体?」
ベルトランが戸惑っていると、ゴルネサーがやれやれとため息をついた。
「毒素に汚染された水に浸かってたせいで倒れたのよ。馬鹿じゃないの?」
「…………そうか。悪かった」
いい年をしてはしゃいでしまった自分が恥ずかしく、ベルトランは左手で顔を覆った。
「しかし、お嬢さんが助けてくれたのか?」
「そうよ。もっと感謝しなさいよね」
「ありがとう。しかし……」
ベルトランは不思議そうな顔で尋ねた。
「お嬢さんがどうやって俺を井戸の底から引き揚げてくれたんだ?」
ベルトランは太ってはいないが、成人男性としては平均よりやや大柄な体型である。井戸の底から引き揚げるのには大の大人でも苦労しそうなものだ。
ゴルネサーは有無を言わせぬ笑顔でにこりと笑う。
「乙女の秘密よ」
「…………そうか」
「そうよ。多少体にあざやこぶができていようと、ひもの跡がついていようとわたしに感謝するのが筋ってもんでしょう」
「……そうだな」
ベルトランは体調が悪いこともあり、早々に追及を諦めることにした。ゆっくりと寝台に横たわる
「明日ははしゃぎすぎないでね」
そう言ったゴルネサーはくすくすと笑うと、夜の闇に溶けるように部屋を出て行った。
それを見送ったベルトランは、ふと新たな疑問に首をひねった。
ゴルネサーはどこで寝ているのだろうか、と。