一進一退
さて、休憩を終えた二人は再び水脈探しへと繰り出したのだが、
「これで四十か所目か……」
ベルトランの声に疲労がにじむ。
気分を入れ替えての探索だったが、相変わらず水脈には一向に当たらない。
ベルトランは口を開くのも億劫だったし、ゴルネサーも特に何を言うわけでもない。沈黙が続いた。
四十一か所目も空振り。その次も駄目だった。
ベルトランはふと、ゴルネサーが泣きそうな顔をしていることに気付いた。目に力を込め口を固く結んで泣くのを堪えている。それでもどこか縋るようにベルトランが魔法陣を描く様を見つめていた。
彼は無言で魔法陣を描き続けた。
四十二か所目、四十三か所目、と外れが続き、そしてとうとう最後につけた目印の場所、四十八か所目となった。
疲労困憊のベルトランだったが、なんとか体に鞭打って魔法陣を描く。
そろそろ残りの魔力も少なくなってきていた。魔力は休めば回復するが、それでも万が一のために余力は残しておきたい。ティアディアラでは何が起こるか分からない。前人未到の極地のようなものだ。
最後の一か所、今までにまして気合いを入れた魔法陣を描く。
もはや何回も書き過ぎたせいで、ベルトランは自分が何を描いているのかすら分からなくなってきた。この魔法陣とはこういう形だっただろうかという迷いすら生まれてくる。
それでも手はゆるゆると動き、崩れる前に魔法陣を描き上げた。
「オイェアトカラヌラ、水よ」
祈るような気持ちで呪文を口にしたベルトランだったが、願いもむなしく魔法陣は僅かに光っただけだった。
ここも外れだ。
「やっぱり、もう…………」
ゴルネサーが下唇をかみしめた。
「お嬢さん、結論付けるのは早い、が、一旦戻って休憩しよう」
ベルトランが声を掛けるが、返事はなかった。
部屋に戻ったベルトランは再び机の上に突っ伏した。浄化魔法を使っていたとはいえ、毒素の蔓延した空気にさらされたせいで体力が根こそぎ持っていかれている。魔力切れも加わって、動くのがひどく億劫な状態だ。
ゴルネサーは相変わらず窓に腰を掛けて、外に視線を向けている。ベルトランの場所から見える横顔が今にも泣きそうに見えた。
ベルトランはゆっくりと身を起こすと、煙草に火をつけた。
「……魔法使いだって万能じゃないさ」
紫煙を吐き出しながら、ベルトランは言う。
「赤ん坊を立派な大人に育てるなんてことは、魔法じゃまず無理だ。長い年月を掛けて人の手でやらなきゃな」
ゴルネサーの視線がベルトランへと向けられる。ベルトランは宙に漂う煙をぼんやりと見つめていた。
「人の命が散るのは一瞬だが、一人の人間が生まれてくるまでには一年近くかかる。魔法ではどうしようもない」
そして魔法では人を生き返らせることはできない。
ベルトランは苦々しい気持ちで続けた。
「魔法使いにとって破壊は容易だが、生命のあれこれってのは手が出せない領分だ。だから、時間がかかる。植物が芽吹いて花を咲かせるように、卵から雛が孵ってやがて巣立つように」
ゴルネサーの目に怒りの火が点った。ギリギリと拳を握りしめ、ベルトランを力いっぱい睨みつける。
ベルトランはゴルネサーの方を見ることができなかったが、彼女の心の声が聞こえた気がした。
ならどうして、なぜ取り返しのつかないことをしたの、と。
生き物が死に絶え、地表を焼き払われたティアディアラが本当の意味で元通りになることは決してない。緑が戻ったとしても、それはあくまで新しく生まれ変わったティアディアラなのだ。死んだ人は帰って来ないし、失われたものが全て戻ってくるわけではない。
それはかつてゴルネサーが愛したティアディアラではない。彼女が家族と再びあいまみえることはないのだ。
「時間がかかるんだ。俺は絶対に諦めないから」
決意を込めて、ベルトランが言う。
彼はようやくゴルネサーと視線を合わせた。
「だから、お嬢さんもやっぱり無理だとかもう駄目だとか言うな。絶対俺がやり遂げてみせるから。待っててくれ」
まだ比較的新しいだろう彼のローブは砂で汚れてしまっている。疲れきっているのだろう、顔色は悪く、髪もぼさぼさだ。
しかしそれでもベルトランの言葉には、力があった。
「…………馬鹿みたい」
涙声で呟いたゴルネサーは、それでも否定の言葉を口にしなかった。
ベルトランのタバコがすっかり短くなったころ、今日はもう休もうかと考えていたベルトランはあることを思い出した。
「一度、昼間に作った装置を見に行くか」
日が傾いてきており、随分と涼しくなってきている。日が沈めば肌を刺すほど寒くなることはもちろんだが、視界も悪くなる。魔法で明かりを点すことは可能だが、魔力を無駄遣いすることは避けたい。
水脈は見つからなくとも、例の装置で上手く水が集められるのならば、早々に植物の生育に取り掛かることも可能だ。
「そうね」
珍しくゴルネサーが返事をした。ベルトランはそっと口元を手で覆った。
さて、再び空飛ぶ絨毯で水分集積装置のところまでやってきた二人は、水瓶の中をのぞき見た。
「あまりないわね」
「そうだな……」
ベルトランは頭をかいた。
十個の瓶を取ってそれぞれ覗いてみたが、どれもスプーンですくえるかすくえないかというくらいの少ない量だ。
「まあ、水分がよく集まるのは気温差の激しい日の出と日の入り前後らしいし、こんなもんだろ」
少なくとも少しは集まるということで、ベルトランはほっと胸をなでおろしたのだが、
「……ねえ、これ壊れてるわよ」
ゴルネサーが固まった屋根を叩きながら言う。
「まさか。結構強度があるんだぞ」
「でも冷たくないわ」
その言葉にベルトランは慌てて装置の屋根の部分に触ってみた。ゴルネサーの言う通り、全く冷たくない。それどころか、太陽からの熱を吸収しているのか熱いくらいだ。
その原因にベルトランはすぐに思い当たった。
「沈黙の灰のせいだ」
「浄化したんじゃないの?」
ベルトランは首を振る。
「風が吹いて、沈黙の灰のコア部分が砂と一緒に飛んできたんだ。そいつがこの屋根に刻んだ魔法陣の魔力を全部吸収したんだろう」
「でも屋根が崩れてないわ」
「この屋根はレンガみたいなもんだ。作る時に火の代わりに魔法の力を使って固めたってだけだから魔力がなくても形が崩れたりしない」
そもそも浄化魔法も沈黙の灰の効果を一時的に抑えるものであって、永続的なものではない。なぜこんな当り前のことに気付かなかったのかとベルトランは肩を落とした。
「それじゃあこれは単なる置き物ってことね」
ゴルネサーがため息をつく。ベルトランは情けない顔で笑った。
「今日はもう魔力の残量が厳しい。明日改めて改良するよ」
「…………甲斐性なし」
その罵り文句はちょっと違うんじゃないかと思いつつ、ベルトランは聞こえないふりをして絨毯へと乗り込んだのだった。
「……まあ、砂漠で水を確保するのはもともと難しいしな」
少々言い訳がましく弁解するベルトランに、ゴルネサーは白い目を向けた。
「あら、ティアディアラ以外では簡単に見つかるのかしら?」
「昔は世界中を飛び回ってたからな。サバイバル技術も軍人から教わったもんだ」
「へえ。例えば?」
「そうだな……」
ベルトランは過ぎ去った昔のことを思い出す。他の魔法使いと比べて幼いころから従軍していた彼は、割と軍人たちから可愛がられていた。
二十歳を過ぎてからは城の中で魔術書とにらめっこする日が続いたいたせいで、教わったサバイバル技術は忘却のかなたとなっていた。
「そうだな……」
「……本当に覚えてるの?」
なかなか言わないベルトランにゴルネサーが疑いのまなざしを向ける。
大人の意地を見せようと必死で記憶を掘り返したベルトランは、昔も昔、彼が十代半ばのころの記憶に突き当たった。
「お、覚えてるさ。枯れた川の端っこの方を掘り返、して……」
ベルトランは口を押さえた。
「ちょっと?」
唐突に動きが止まったベルトランをゴルネサーが不審そうに見る。
「お嬢さん、戻る前に寄り道しよう」
「急に何よ」
ゴルネサーが頬を膨らませる。
ベルトランは真剣な顔で言った。
「水脈が見つかるかもしれない」