切られたトカゲの尻尾
ティアディアラ封鎖の理由を偽っていたミルージュだが、そう何年もの間嘘を通せるものではない。
真実を白日のもとにさらしたのは、誰であろう商人たちだった。
以前は交通の要所としても使われていたティアディアラを封鎖されては商売に支障をきたす。異教徒を皆殺しにしたのだから呪いもあろうと理解と待ちの姿勢を見せたのは最初の数年だけ。いつまで経っても呪いの解除をしないミルージュに商人たちは業を煮やした。そもそも商人たちにとって宗教の違いなどたいした問題ではない。彼らにとって相手が客となるかどうか、自分に利益をもたらすかどうかが問題だ。
嘆願書を出そうとも、商人たちで圧力を掛けようとも、ティアディアラの封鎖は解除されない。何か理由があるのかと商人たちが各地で情報を集めた結果、異教徒の呪いであるはずの砂漠化がティアディアラの結界の外にまで広まっていることが分かった。
結界の外に広まるそれは本当に呪いなのか? どうしてミルージュは対処しないのか? ――そもそも本当に呪いなど存在するのか?
根気強い調査は権力者からの圧力をくぐりぬけ、真実へと到達するにいたった。
すなわち、ティアディアラが封鎖されているのは沈黙の灰の毒素が原因である、と。
沈黙の灰がもたらした破滅を知れば、周辺諸国はもとより国民からの非難も湧き出てきた。
すでにティアディアラの民が滅んでいるとはいえ、誰かが責任を取る必要があった。
事件が起こったのは二十年前だ。当時の国王は健在だった。しかし健在だったゆえに彼は責任をかぶるのをよしとしなかった。罪が罪だけに、償うのであれば死かそれ以上に辛い目に遭わねばならないからだ。
だから国王を筆頭に、まだ生きていた国の上層部は自身より下の人間に責任を押し付けた。
それが件の事件の実行犯である魔法使いたちだった。当時作戦に参加した魔法使いは年齢的には引退もほど近いものが大半だった。トカゲのしっぽ切りには最適だったというわけだ。
「ティアディアラの侵攻は大規模な作戦だった。参加したのはほとんどがベテランの魔法使いたちで、俺みたいな例外を除けばほとんどが当時四十代。歳がいってりゃ五十代もいた。今は若い世代も十分育ってきていたから、ミルージュとしちゃ邪魔なこうるさい老人どもが居なくなって万々歳。一石二鳥ってわけだ」
ベルトランは窓の外に向かって細く紫煙を吐きだした。
ゴルネサーは眉をしかめると、嫌悪感を露わに言う。
「ティアディアラはいつからゴミ捨て場になったのかしら」
「ゴミ捨て場じゃないさ。……だが、今後は実質魔法使いの流刑地になるかもしれない」
ベルトランは申し訳なさそうに肩を落とした。
「即座に首をはねられるのと、ティアディアラの復活のために働く、どちらがいいかと聞かれたら大抵は後者を選ぶ。体力こそないが魔法使いほどサバイバルに向いてる奴もいないしな」
それこそ腕の立つ魔法使いであれば、いかな極地であろうとも杖さえあれば生活を営むことは可能である。魔力を吸い取られるティアディアラは例外であるが。
ミルージュとしても、ティアディアラのために手を打っていると対外的にアピールできるし、十中八九生きて帰って来ないと分かっているのだから安心して追放できるというわけだ。
「俺たち魔法使いに言い渡されたのは、二十年前の罪を償うためにティアディアラの毒素と取り除いて緑を取り戻してこいということだった。俺は予め準備をしてからここに来れたが、大半の魔法使いは沈黙の灰の研究費に充てるって名目で財産を取り上げられた上に最低限必要な道具だけ渡されてティアディアラのどこかに派遣されている。水も食料も自給自足を言い渡されているが……何日もつことやら」
いくら魔法使いとしての実力はあろうとも、すでに引退間近の老齢の者がほとんどだ。毒素に満ちた砂漠にほとんど着の身着のままで放り出されて幾人生き残れるか。時間が経てば経つほど生存者は減っていくだろうとベルトランは予測していた。
そもそもここに派遣された魔法使いたちは沈黙の灰の毒素の効果を知らない人間もいる。二十年前に異教徒が血を吐いてのたうち回っていた姿だって、見た人間は限られている。
ティアディアラの殲滅が終わった後は、口にするのも禁忌とされていたようなありさまだ。正確な情報が行きわたっているとは考えづらい。
派遣――というよりは追放だが――前のミルージュ側からの説明と言えば、与えられたアイテムと彼らの行動の制限についてのみ。井戸端会議に参加している女房連中のほうがティアディアラの惨状についてはよっぽど詳しいだろう。そして魔法使いというのは得てしてそういう噂話とは隔絶された場所にいる。
「……っていうか、あんたは二十年前のあれに参加してたわけ? あんた歳いくつよ」
「当時で十三だった。今は三十三。君は?」
「女性に歳を聞くのは失礼よ」
さりげなくなされた質問はあっさりと流された。ベルトランは肩をすくめた。
「ま、昔は神童なんて言われてたよ。魔法使いとしての才能開花が早かったんだ。二十歳過ぎればただの人。しごかれて鍛えた技術だけは残ったがな」
「ただの人ならあんな高位の魔法を使いこなしたりしないわ」
「照れるな」
「皮肉よ」
もしかしてこれが彼女なりの愛情表現なんだろうかと考えたベルトランだったが、一瞬後には単に好かれていないだけだと結論付けた。
ゴルネサーは心底馬鹿にしきったように言う。
「じゃあミルージュの連中は、自分の大事な手札まで死地に送り出すような馬鹿揃いってことかしら」
「あー、いや、そういうわけじゃないんだが……」
ベルトランは歯切れ悪く言う。そんな彼をゴルネサーが訝しげに見る。
しばらくいいあぐねていた彼だったが、やがて彼女の視線に負けて白状することにした。別段隠しだてすることでもない。
「俺が希望したんだ」
「は?」
ベルトランは決まり悪そうに煙草をふかす。
「俺は行かなくていいと言われてたんだが、俺が行きたかったから希望してここに来た」
彼は当初ここに派遣される予定ではなかったからこそ財産を取り上げられる前に準備を整えることができた。入念な下調べも、友人からの餞別を受け取ることもできた。
「…………馬鹿じゃないの。なんでわざわざ」
沈黙の後にゴルネサーが呟く。
ベルトランは僅かに苦笑した。
「贖罪したかった。それだけだ」
かつて泣いて詫びながら火の雨を降らせた人が問答無用で死の大地へと送り出され、かつて半ば遊びのように火の雨を降らせたベルトランが、安全な王宮で仕事を続ける。それが彼には許せなかった。
たくさんの人から引き留められた。友人からは研究馬鹿はいつまで経っても子供なんだなと呆れられた。まるで潔癖な思春期の青少年のようだと。
しかし何を言われても決心は揺るがなかった。自身の罪は自分で償う。死の大地に再び命を。それが彼の望みだった。
「他の人たちと協力はできないの?」
ゴルネサーが言う。そこに含まれる感情に僅かな変化を感じ取り、ベルトランは少しだけ救われた気持ちになった。
「残念ながら、俺は単身で来ることを条件にここに入れてもらった」
そう言って、ベルトランは自分の首に巻かれた首輪を指差した。
魔糸と呼ばれる糸で編まれたそれは、強力な呪石がところどころに組みこまれ、決して外れないようになっている。
「この首輪をつけている限り、俺は他の魔法使いと接触できない。基本的に魔法使いは二人組で派遣される。人数が増えると謀反を起こす危険があるから、一定数以上の人数が集まると首輪が共鳴して装備してる人間にダメージを与える仕組みだ。俺の場合は俺以外の魔法使いと接触すると首輪に強烈なオシオキをされるって寸法だ」
「…………なんて悪趣味な」
ゴルネサーが絶句する。ベルトランはうなずいて同意した。
「だが、決まりは決まりだ」
彼は立ち上がった。
「さて、休憩も十分取ったことだし、井戸掘りに行くとするか。|相棒(絨毯)にも防護魔法かけないとな」
そんな彼にゴルネサーは何か言いたげにしていたが、結局何も尋ねないまま彼に続いて立ち上がったのだった。