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沈黙の灰

 部屋にたどり着いたころにはゴルネサーも随分落ち着いていた。ベルトランも清浄な空気にほっと息をつく。


「さて、まずは魔法陣が形成出来なかった理由から話そうか」


 色々と問いただしたそうなゴルネサーを制するように、ベルトランは煙草に火をつけながら言う。


「魔法陣は魔力を込めた線を意味ある形にすることで初めて魔法陣となる。これは分かるな?」

「馬鹿にしないで」


 ゴルネサーは口をとがらせた。

 反抗期の娘がいたらこんな感じなんだろうか、とベルトランは少しだけ笑った。馴染みの同僚の顔の愚痴が思い出された。


「さっき魔法陣が崩れた理由は、簡単に言えばラインに込めた魔力がなくなってしまっていたからだ。イオク」


 彼は自分の覚書のノートを取りよせながら説明を続けた。煙草の煙が彼の思考をクリアにする。


「これは俺も他人の研究レポートを読んで知ったんだが、沈黙の灰のばらまく毒素には二種類あるらしい。物理的な毒素と、魔法的な毒素だ」


 ノートの一ページを破り取ると、図を描きながら説明した。



 沈黙の灰の毒素の除去が困難であると言われるには理由がある。

 まず沈黙の灰に含まれる物理的な毒素だが、こちらは毒性が弱い。ただし体内に蓄積し、摂取した毒素が一定量を越えると死に至る可能性があるということで、汚染された場所に居続けるならば定期的に排出しなければならない。症状は意識の混濁、末端の痺れ、めまい、吐き気などが主だと言われている。これが強まると死に至るというわけだ。こちらの毒素は年月を経るとこの効力が弱まるのでさほど問題ではない。また、これ一種類だけならば魔法を使えば土地を汚染している毒素を一か所に集めることが可能で、さらには中和の魔法を使って即座に無害なものに変えることも可能だ。

 しかしそれを許さないのがもう一つの魔法的な毒素だ。

 こちらはコアと呼ばれるものが存在し、それが沈黙の灰を最悪の毒素へと変える。

 このコアは生命力や魔力を取り込み、毒素へと変える効果があるのだ。この生み出された毒素がある程度の時間を経て変質し、先述の物理的な毒素となる。

 だからうっかりこのコアを体内に取り込んでしまった場合、内部から生命力、魔力を奪われてしまい、コアは体内で大量の毒素を吐き散らす。生命がそのまま毒素の塊へと変えられてしまうのだ。しかも物理的な毒素はコアに近ければ近いほど効果を発揮するため、ひとたびコアを体内に取り込んでしまえばあっという間に毒素に侵されてしまうのだ。

 しかもこのコアは一時的に活動を抑えることができても、魔法を使って除去や中和をすることができない。魔法で破壊することができないのだ。現在唯一このコアをどうにか出来るのはマジカルプラントと呼ばれる植物だけだ。このマジカルプラントと呼ばれる植物は沈黙の灰のコアを分解吸収し、自らの養分へと変えてしまうらしい。




「――とまあ、これが俺の記憶と推論から導き出された答えだ」

「さっぱり分かんない」


 ゴルネサーが顔をしかめて言う。ベルトランは首を傾げた。


「どの辺がだ?」


 心底分かっていなさそうな彼の様子に、ゴルネサーの額に青筋が浮かんだ。


「なんで沈黙の灰の毒素が二つあったら魔法陣が形成できないのかの説明がないじゃないの!」

「ああ、それか」


 ベルトランは今の説明で十分だと思ったのだが、彼女にとっては不十分だったらしい。彼は説明を加えた。


「沈黙の灰のコアは、魔力を取りこんで毒素に変える働きがある。つまり、魔法陣を形成するために魔力を込めたラインから魔力を吸収して毒素に変えていたってことだ」


 それほど急速に魔力を取り込むわけではないので、短時間で描いた井戸の底の魔法陣は発動することができた。また、魔法自体が簡単なものだったというのもある。

 逆に先ほどの魔法陣は形成までに時間がかかったので魔力を毒素に変えられてしまった。その上彼が使ったのはかなり高位の魔法。少しの魔力の損失でも形成を失敗する要因となった。


「だから一時的に毒素の働きを抑えるために浄化魔法を使った。で、魔力を取られないうちに魔法陣を描いて発動させたってわけだ。予想が当たってホッとしたよ」


 ベルトランは笑う。ゴルネサーは納得のいかない顔だ。


「毒素がどうだこうだとか、そんな大事なこと分かってるんならなんであんたたちはもっと早くにティアディアラに来なかったの?」


 噛みつくように言うゴルネサーに、彼は肩をすくめてみせた。


「残念ながら、俺がそのレポートを読んだのは何年も前の話だが、今の今までこのことをしっかり検証した人間はいない。俺がやったのも一か八かの賭けだったしな。ティアディアラの周囲にはミルージュの魔法使いが張った結界があるせいでこの二十年立ち入ることはできなかったし、沈黙の灰を研究する人間もいなかった」

「でも研究レポートで読んだって」

「その研究者は処刑されてすでにこの世にいない。そいつの研究室もレポートも、とっくの昔に処分された。だからこの研究を引き継いでる奴もいない」


 ゴルネサーが顔をこわばらせた。

 どう伝えようか考えたベルトランだったが、結局どんな風に言ったところで事実は事実だ。彼はありのままに話すことにした。


「沈黙の灰は最悪の兵器だ。どんな目的であれ、使うべきじゃなかった」

「じゃあなんで使ったのよ!」


 ゴルネサーが叫ぶ。向けられた殺気に、ベルトランは目を伏せた。


「知らなかったからだ。いや、目先のことにとらわれ過ぎていたせいか」


 自嘲するように彼は言う。彼は吸っていた煙草を揉み消すと、新しいものに火をつけた。


「沈黙の灰ってのは、二十年と少し前、異教徒との悪感情が高まった時に開発されたものだ。開発者は沈黙の灰の作り方と効用を記したレポートを残して失踪している。そもそも毒を作ったからといってそいつが解毒剤を作れたかどうかも謎だが」


 当時ベルトランはやっとこさ王宮魔法使いになって修行に励んでいたころである。


「製法が簡易で、大量生産も容易。試作品として残されたもので実験して効果を確かめた。軍部は大喜びしたそうだよ」


 ベルトランは顔をゆがめた。

 その当時すでにミルージュの上層部はティアディアラを拠点に活動する異教徒たちに頭を痛めていた。ティアディアラを焼け野原にする計画はすでに確定していたが、それでも異教徒たちが抵抗することは目に見えていた。また、周辺諸国に対しての見せしめも必要だった。

 そんな彼らにとって沈黙の灰という兵器(・・)はまさに渡りに船だったのだ。


「効果を確かめたならどんなものか分かっていたんじゃないの?」

「ああ、分かっていた。だが、違っていた」


 当時の熱に浮かされたようなミルージュの様子を思い出した彼はため息をついた。自分もその浮かれポンチの中の一人だったことを思うと、さらに頭が痛い。

 視野が狭くなった人間は慎重さが失われ、迂闊になるものだ。


「開発者が残した沈黙の灰はレポート通り、一カ月ほどでコアの効果が失われた。人間は水を二週間飲めなければ死ぬからな。それだけあれば異教徒の殲滅は出来ると上層部は踏んでいた」


 極悪非道としか言いようがない。沈黙の灰での殲滅に踏み切ったミルージュの上層部も、それに従った軍部も、それに諸手を上げて賛成した民も。

 人を愛せ、敵を許せという神の教えは報復合戦の前にはもろくもはかなく崩れ去っていた。


「でも、毒素は消えなかった……?」


 一瞬だけ窓の外を見たゴルネサーは眉をひそめながらベルトランへと視線を戻す。彼はうなずいた。


「ああ。残された通りの製作方法だったんだが、試作の時とは作る人間が違うからか、それとも何か書かれていない別の要素があったのか、そもそも実験の方法が間違っていたのか……ともかく、コアの働きは失われなかった。効力が失われるまでの時間が違うのかもしれないと楽観視した阿呆どもが何も手を打たなかったせいで、この二十年は沈黙の灰に対して効果的な対処法も何も見出すことができなかった。何もしなかったんだから当然だな。ミルージュの連中にとっちゃ、隠しておきたい都合の悪い事実ってわけさ」


 ミルージュの侵攻は周辺諸国からのバッシングを受けるに十分だった。その上さらに自国民からの支持を失うわけにはいかなかったのだ。


「……真実は時の娘よ。隠したところでいつかは露見する」


 ゴルネサーの言うことは正論だ。

 しかしその正論をミルージュの上層部が受け入れるには長い年月がかかった。


「そう。いつかはね。しかし諦めの悪い連中が悪あがきをしたからこの二十年はだましだましやってこれた」

「それが研究者の処刑ってわけ?」

「ご明察」


 ミルージュはティアディアラの惨事に関わることを全て闇に葬った。

 もちろん、沈黙の灰の影響があるからティアディアラは封鎖していたが、それはあくまで死んだ異教徒たちの呪いの影響が残っているから、ということになっていた。ティアディアラ全体を覆う大規模な結界もその呪いが広まるのを防ぐためだと。コアの効果もいずれは消え、そうなれば過去の大罪の証拠は隠滅できる、という実に馬鹿馬鹿しい考えのもとに。

 

「沈黙の灰の研究は禁忌となっていた。バレたら一族郎党処刑も辞さない厳しさでな。ところがどっこい、この二十年秘していた事実が明るみに出て、今や沈黙の灰除去の研究は国を挙げての一大事業だ。表向きはな」

 

 ベルトランは吐き捨てるように言う。


「表向き?」


 ゴルネサーが訝しげに言う。ベルトランは煙草をぎしりと噛んだ。


「ミルージュは国家予算のかなりの割合を沈黙の灰除去の研究に割いている、という事実無根の真っ赤なウソがまかり通ってるのさ」

「じゃあ、口だけってわけ?」


 侮蔑を露わに少女が言えば、彼も忌々しげにうなずいた。


「今ミルージュが発表してる沈黙の灰についての研究成果ってのは、この二十年の間に処刑された研究者たちの運よく破棄されていなかった一部の研究成果だってんだから笑わせる。マジカルプラントも、沈黙の灰の毒素に耐えうる木も、毒素を排出する薬だってそうだ。国家を上げての研究だのなんだの言ってるが、今の研究者たちに与えられてるのは王宮の物置を改造した狭っ苦しい部屋だけだしな」


 今の研究者たちも気の毒だが、それ以上に死んでいった研究者たちのことを思うとやり切れない。

 件の沈黙の灰の毒素レポートは処分されたもののひとつだ。レポートが真実かどうか実証する前に研究者の一族郎党もろとも死刑に処され、残ったものは焼き払われた。今の研究者たちがそこまでたどり着くのはいつのことか。


「っと、お嬢さんにはどうでもいい話だったな。ともかく、沈黙の灰に関しての研究は、最近ようやく表立って始まったばっかりってことだ。進み具合は亀の歩みで望み薄。今はここで試行錯誤していくしかないってことだ」


 ベルトランの言葉に、ゴルネサーは先が思いやられるとでも言うようにため息をつくのだった。

 そしてふと思いついたように口を開く。


「そういえば、あんたって何者なの?」

「ん? 俺はしがない魔法使い……」

「とぼけないで」


 ゴルネサーは彼の言葉を遮って睨みつけた。


「浄化魔法とあんな高度な物質創造の魔法を立て続けに使えるなんて、あんた、そんじゃそこらの魔法使いじゃないでしょう?」

 

 ベルトランは眉を落とすと、咥えた煙草に手をやった。


「俺は単なる魔法使いだ。実力はあると自負してるがな」

「嘘よ。あんたぐらいの実力があるなら、どの国だって手放すわけがない」

「お褒め頂き恐悦至極だな」

「ふざけないで」

「ちょっとした冗談だ」


 ベルトランはおどけて見せるが、ゴルネサーの表情が厳しくなるだけだった。

 やれやれと彼は肩をすくめた。


「これでも一応国のお抱え魔法使いだった」

「でしょうね」


 冷淡にゴルネサーが同意する。警戒心が再び見え隠れしていた。


「そもそも俺が……というか、俺たちがティアディアラに入れたのは理由があってな」


 ベルトランは自国の醜聞をかいつまんで説明することにした。


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