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不安定な少女

 もしかしたら姿を消しているかもしれないと危惧したが、幸いなことにゴルネサーは井戸のすぐそばにいた。


 小屋の石壁にもたれかかっている彼女は、井戸から出てきたベルトランを無言で見詰めている。


「お嬢さん、君に聞きたいことがある」


 彼の言葉にゴルネサーは体を固くした。警戒をあらわにし、口を固く結んでベルトランを睨んでいる。こんなところで躓いていては、何のためにここに来たのか分からない。彼は内心で肩をすくめると、地面にどっかりと腰をおろし、彼女に話しかけた。


「君はティアディアラの民だと言ったね」


 ゴルネサーは返事をしなかった。ベルトランの意図を読み解こうとひたすら彼を観察している。

 彼もそれを分かった上で問いかけた。


「君は今のティアディアラをどう思う?」

「は……?」


 意表を突かれたらしく、ゴルネサーは訝しげに瞬いた。


「かつてティアディアラは緑豊かな土地だった。人々も大勢住んでいたし、動物もたくさんいた。そうだろう?」


 ゴルネサーの体が震える。褐色の肌に朱が差した。彼女はベルトランに詰め寄った。


「ええ、あなたたちが悪魔のような所業をするまではね!」

「しかし今は違う」

「見て分からない!?」


 ベルトランのもってまわった言い方に、ゴルネサーはイライラとした調子で怒鳴った。


「ああ、分かる」


 飄々とした調子でベルトランは言う。それが気に入らないゴルネサーはますます頭に血を登らせた。

 激情のままにベルトランの胸倉をつかんだゴルネサーだったが、彼女が再び怒鳴り出す前にベルトランが言葉を挟みこんだ。


「君はティアディアラがこのままでいいと思っているか?」

「思うわけないでしょう!」

「俺もそう思うよ。君はこの死の大地を変えたいと思う?」

「当たり前よ!」

「緑豊かな大地に?」

「決まってるでしょう!?」

「なら俺と協力しないか?」

「なんでミルージュの人間なんかと!」

「そうだ、俺はミルージュの人間だ。ミルージュの魔法使いだ。だから」


 ベルトランは懇願するように言った。


「俺に償いをさせてほしい」


 それは彼の嘘偽りない気持ちだった。


 ゴルネサーは固まった。かと思うと、唐突に彼女の体から力が抜けた。それまで彼の胸倉を掴んでいた手がだらりと下がる。


「今更何ができるっていうの」


 ゴルネサーの言葉はどこか自身に向けられたもののように感じられた。


「まだ分からない。しかしやる前に諦めたら何もできない。違うか?」

「ティアディアラは死んだのよ。私以外みんな。みんなよ!」


 泣き叫ぶと、ゴルネサーは小屋を飛び出した。ベルトランは慌てて彼女を追う。


 小屋から出た途端、肌を焼くような熱気が彼を包む。

 ゴルネサーを探してみれば、彼女は壊れた像の前で佇んでいた。

 元は美しい神々をかたどったものであろう石像は今や見る影もない。


 二十年前の被害は大きい。

 そしてそれと同じくらい痛恨だったのは、二十年もの間ティアディアラに救いの手を差し出さなかったことだろう。

 普通の土地に人の手が入らなかったというだけならば問題ない。しかし二十年前に焼き払われ沈黙の灰が撒かれたこの地は、全ての動植物が滅んでしまった。そして地表に撒かれた毒素は徐々に土深くまで潜り、大地を汚染していった。

 生きているものが一つもない土地では、二十年の歳月はただただ残されたものを風化させ、状況を悪化させるものでしかなかったのだ。


「…………この場所は、聖地だったの」


 背を向けたままゴルネサーが語り出す。


 生きるものがひとつとして存在しない空間で、ただ一人黒いアバヤに身を包んだ少女が立っている様子はどこか現実と乖離して見えた。後ろ姿が黒一色の彼女は、まるで彼女自身までもが命を持たない影であるようだ。


「あなたがさっきいた建物は巡礼者の宿だった。ティアディアラは多神教だけど、その中でも一番偉大なる神を祭っている神殿がここのすぐ南にあったから、毎日たくさんの人が来ていたわ。毎日にぎやかで、平和だった」


 ゴルネサーの姿に、幾人もの姿が重なって見えた。今度は人間ではなく、異形の姿をした者たちだった。

 しかしそれも刹那のことで、すぐにその幻は掻き消えた。

 ベルトランは目を凝らし、なんとか彼女の正体を()ようとしたが、彼の目にはやはりゴルネサーは何の魔法アイテムも付けていない、単なる少女にしか視えなかった。


「二十年前にミルージュから攻撃を受け始めたとき、たくさんの人がこの場所に逃げ込んできた。神の御加護を祈って」


 彼女はまるで、見てきたかのように語る。


「家族、恋人、友達、仲間、そういった人たちが手に手を取ってここに来た。でも、ミルージュの降らせた火の雨は命の源の森を枯らして、家を壊した」


 アバヤの裾が揺れる。  


「誰が神に祈っても駄目だった。それでもまだ生きてたから、希望はあった。でも、沈黙の灰が降ってきた」


 沈痛な声に、ベルトランは罪悪感にさいなまれた。

 若かりし頃の彼は、ティアディアラの異教徒たちが自分たちと同じ人間であるということを一向に考えつかなかった。火の雨を降らすのも、沈黙の灰をばらまくのも、全ては単なる敵の排除、害虫の駆除程度にしか考えていなかった。ゲーム感覚ですらあった。

 しかし、歳を重ねるごとに自身のやったことの罪深さに気付かされ、苛まれるようになった。あの時に見た光景の意味を、今さらながらに知るようになったのだ。

 そして今、生命の息吹が感じられない大地を目の当たりにして、過去の自分を殺してやりたくて仕方がなくなっている。


「草木は枯れて、鳥は地に落ちて、魚は水に浮かんだ。虫は姿を消して、人は死に、命の火は消えた」


 低く潰れたような声で呟くと、ゴルネサーは振り返った。生気の消えた真っ黒な目がベルトランに向けられる。


「もしこの地から沈黙の灰の毒素を取り除ければ、貴様ら強欲なミルージュの人間はさぞや喜ぶのであろうなあ? 貴様らにとって邪魔な異教徒はおらぬ。害虫も害獣もおらぬ。町も畑も一から好きなように作れよう。貴様らの好きなようにこの地を作り変えることができるというわけだ」


 ゴルネサーはくつくつと笑う。偏屈な老人を思わせるそれに、ベルトランとは体の芯が冷えるような感覚を覚えた。

 彼の目の前には先ほどまでの感情的な少女はいなかった。


 これは誰だ?

 

 ベルトランは自問するが、答えは出ない。


「そういえば、ティアディアラは貿易の要所としても使い勝手が良い場所だったねえ。死人に口なしと言うし、ミルージュの外道どもに都合のいい事実(・・)やら歴史(・・)を内外に広めれば、我が物顔でこの地を占領できるというところかね。ヒヒヒ、ミルージュの連中の考えそうなことさ」


 今度は不気味な老婆の声だ。

 いささかの恐怖を覚えながらも、彼はしっかりとゴルネサーを()た。

 しかしゴルネサーはゴルネサーだった。何かに魔法で体を支配されているというわけではないらしい。


「ほら、なんとか言ったらどうだい、若造。図星をつかれて言葉もでないのかい」


 老婆のような声でゴルネサーがこちらを睨みつけてくる。鬼気迫るその形相に驚きつつ、ベルトランは釈明した。


「違う。俺は自分の罪を償いたくてここに来た。この死の大地を蘇らせたい。占領だのなんだの物騒なことは考えてない」

「あんたがそうでも、ミルージュはどうだろうねえ?」


 意地悪くゴルネサーが問いかける。

 しかしベルトランは毅然として言い返した。


「そもそも俺たちがティアディアラに来ることになったのは、国がこの地の汚染から生じる弊害の責任転嫁のためだ。彼らは結果に期待してるわけじゃない。責任逃れをする材料にしただけだ」


 それは決して褒められることではない。しかし、彼にとっては千載一遇のチャンスだった。


「沈黙の灰で汚染されたティアディアラを浄化するのは一朝一夕で出来ることじゃない。長い年月が必要だ。人が住めるようになるころまでミルージュという国が存在しているかも定かじゃない。だが、ティアディアラに緑が戻ることは悪いことじゃないだろう? 俺はこの地を汚した毒素を取り除いて、緑を取り戻す。それだけだ」


 この不毛の大地を甦らせることができるなら、それは誰であっても構わないはずだ、と彼は語る。


「――なるほど、それがあなたの考えってわけね」


 唐突にゴルネサーの声が元に戻った。表情も憑きものが落ちたようにすっきりしていて、目にも輝きが戻った。先ほどまでの様子が嘘のようだ。

 いや、嘘のようというよりも、


「……もしかして、俺のこと担いだのか?」


 自失から返ったベルトランが尋ねると、ゴルネサーは涼しげな顔で答えた。


「わたし、別人みたいだったでしょ? お芝居は得意なの」

「…………女優になれるよ」


 ベルトランはがっくりと脱力した。

 ゴルネサーの意図が読めない。てっきり感情的で直情的な性格だと思っていたのだがどうしてなかなか、したたかだ。

 

「ちょっとあんたの真意を確かめたくて揺さぶってみたんだけど、全然反応ないから焦っちゃった」


 ぺろりと舌を出すゴルネサーは、少し大人っぽい感じはするもののいかにも少女らしい雰囲気だった。


「こんなところで立ち話もなんだし、建物の中に入らない? ここ、暑くって」

「あ、ああ」


 あまりの変わり身に呆気に取られながらも、ベルトランはゴルネサーを先導して自分が拠点と定めた部屋へと案内することにした。こちらの手をある程度明かさなければ、ゴルネサーに信用してもらえないと悟ったのだ。彼女はきっと、一筋縄ではいかない。

 未だ疑問が多々あるものの、とりあえずはゴルネサーの軟化した態度に胸をなでおろすベルトランだった。

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