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準備万端整えて

 翌朝、ベルトランは日の出よりも早く目を覚ました。昨日の夜は気付かなかったが、彼は何も衣服を身につけていなかった。全身井戸水で濡れていたから脱がしたのだろうとベルトランは冷静に判断した。怪我がないか調べて見たが、多少打ち身が見られる程度だった。

 若い娘には随分なものを見せてしまったと若干自己嫌悪に陥りながらも彼は替えの服を着込む。昨日の服を探してみると、畳んだ状態で部屋の外に置いてあった。毒素がしみこんでいるからだろう。ベルトランは服の処理は後回しにすることにした。

 部屋に戻って煙草を吸いながら毒避けの紗を少し持ち上げると、窓の外の景色を眺めた。

 地平線近くの空はすでに橙と紫に染まっており、砂が空の色を僅かに映していた。頬を撫でる風にはまだ夜の余韻を持つ冷たさがあった。

 ベルトランは窓の外の荘厳な景色に目を奪われながらも、その感動を分かち合う人がいないことを残念に思った。人どころか、この大地には未だ動物すら存在しない。


 ベルトランは紗を下ろすと、荷物の中から携帯食糧を取り出した。携帯食糧は三十食分持ってきた。あまり量が多いと絨毯に乗らないため、これが限界だった。残りは栄養を補給するメディカメントゥムと呼ばれる丸薬で補う予定である。

 テーブルの上に一食分の食料を置くと、ベルトランはそれに張られた幾重もの結界を杖で叩いて解いていく。

 四角い結界に包まれた食料は、ぱっと見た限りでは真っ黒な四角い箱である。


「危険物?」


 階段のところから顔を出したゴルネサーが胡乱げな声で言う。

 ベルトランは一旦手を止めると、彼女の方へと振り返った。


「おはよう、お嬢さん。これは朝食だ。食うか?」

「結構よ」


 相変わらず連れない態度にベルトランは苦笑した。


「食べ物にどうして結界を?」


 昨日と変わらぬ黒のアバヤ姿で現れたゴルネサーは、少々慎重な足取りでテーブルへと近づいてきた。別段ベルトランを意識している様子はない。

 そのことに安堵しつつも、彼女の言葉にベルトランは目を瞬かせた。


「ティアディアラでは保存用の結界は使わないのか?」

「保存用? 結界を?」


 ゴルネサーは訝しげな顔をする。ミルージュではよく使われていた魔法だが、ティアディアラでは馴染みがないようだ。

 といっても、別段不思議なことではない。

 ベルトランのいたミルージュとティアディアラは距離もそれなりに離れているし、間に大きな山脈が間に横たわっているために気候も違う。そのため文化も違えば宗教も違い、魔法に対する考え方も違うのだ。ことミルージュは魔法を積極的に推奨していたし、門外不出の魔法技術をいくつも抱え込んでいた。他国より魔法の利用頻度も高く、用途も多岐にわたるのだ。


 ベルトランは喋るべきかどうか迷ったが、この場所で何を喋ろうとも言いふらす相手もいないのだから、別に構わないだろうと判断した。元々学者肌の彼は専門分野については喋りたがりである。


「結界にも何種類かある。例えば外から来たものを跳ね返す、一方通行にする、生き物だけを通さない、無機物だけを通さない、空気だけを通す、他にも色々ある。その中でもズィーゲル結界と呼ばれる外界と結界内を完全に隔離する結界には特殊な効果がある」


 そう言ってベルトランは杖で結界をまた一つ解除した。


「結界の中に流れる時間を緩める効果だ」

「時間を、緩める?」

「そう」


 ベルトランは一つ頷くと、もうひとつ結界を解いた。この保存用の結界は何重にも結界を施しているため、解除までに時間がかかるのが難点だった。


「ズィーゲル結界は生き物には干渉できないんだが、対象が無機物なら何重にも重ねるとその変容を大幅に遅らせることが分かっている。これはカポイの砂時計実験で実証されたものだ。まだ完全に解明できてはいないが、ズィーゲル結界が光や空気、熱を遮断することによって、外界の時間の流れという干渉をも遮断してしまうんじゃないかという説が濃厚だな。そもそも物質の変容が時間の流れに影響されているというのが五年前にアンマーバッハという魔法使いが発表した論文によると――」

「理論は結構よ。分かりやすく結論だけ言ってちょうだい」


 話が長くなりそうだと察したゴルネサーがうんざりとした調子で言う。ベルトランは申し訳なさそうに肩をすくめて煙草を揉み消した。


「つまり、十重二十重にズィーゲル結界を重ねると、結界の外では何日も経過していても、内部ではほんの数秒の時間しか流れていないという現象が起こるんだ。だから結界の解除ができる魔法使いたちは食糧にズィーゲル結界を施して携帯食糧代わりにするんだ。するとその特質上から――」


 言いながらベルトランは最後の結界を解いた。

 黒い正方形は霧散し、中からは新鮮なサラダとミルク、まだ湯気の立つ鳥肉のクリーム煮、そして柔らかなパンが出てきた。


「いつでもできたての料理が食べられる。食器も魔法で作ったものだから処分も簡単だ」

「魔法使いって…………」


 ゴルネサーは心底呆れた顔でベルトランを見た。


「本当に食べないのか、お嬢さん」

「いらないわ。必要ないもの。さっさと食べたら?」


 ゴルネサーはそう言って昨日のように窓枠に腰を掛けて外を眺め始めた。ベルトランはしばらくその横顔を見ていたが、やがて肩をすくめて食事を開始した。


「綺麗な朝焼けだな」


 パンをちぎりながらベルトランがゴルネサーに声を掛ける。


「ええ。そうかもね」


 ゴルネサーは素っ気なく答えた。


「……前の方が綺麗だったわ」


 風の音にかき消されそうなほど小さな声を拾ってしまったベルトランは、なんとも気まずい思いで食事を続けたのだった。





 さて、十数分後に食事を終えたベルトランは、荷物の中からいくつかの書類を取り出してテーブルの上に広げた。ゴルネサーは近寄ると、それを覗き込む。


「これは何の絵?」

「マジックプラントでの土の浄化の手順を図説してくれたもの、だ」


 魔術書以外の本を読むのが滅法苦手なベルトランのために、植物学者の友人アンネリーゼがフェルディナントと協力して描いてくれたのだ。

 まず最初に苗床にマジカルプラントの種を植えて育てるまでの手順。日照時間や水の量などが分かりやすく書かれている。次に地面に植える際の注意点、全滅防止のための予防策など。マジカルプラント以外にも沈黙の灰で汚染されていても育つインウィクトゥスという木の実の発芽方法もあった。


 ゴルネサーは成長後のマジカルプラントとインウィクトゥスの絵を見て眉をしかめた。


「こんなおどろおどろしい植物でティアディアラを埋め尽くすの? 冗談でしょう?」

「残念ながら。有用なものが美しいとは限らないって典型だな」


 ベルトランは苦笑した。

 絵に描かれているマジカルプラントは葉の細い植物で、ストローを伸ばして繁殖するタイプだった。細い葉はグネグネとうねっている。その傍に描かれたインウィクトゥスは、あちこちに折れ曲りこぶのついた太い枝を伸ばし、そこから葉のついた細い枝をだらりと垂らしている木だ。このインウィクトゥスという植物はどんな過酷な環境でも生える植物と言われている。

 この二つが並ぶと、なんとも陰鬱で不気味な印象になるのだ。アンネリーゼが写実的に書いているのもそれに拍車をかけていた。


「ま、マジカルプラントは沈黙の灰のコアがなくなったら自然に枯れるそうだから、心配することはないだろう」

「それ、沈黙の灰の時もそう考えてたんじゃないの?」


 疑わしげにゴルネサーは言う。ベルトランを睨みつける目つきは鋭い。

 それに対して彼は勤めて明るく答えた。

 

「対沈黙の灰用に開発された植物だし、慎重に実験も重ねて実証済みだ」

「この不気味な木は?」

「他の木を育てるのと入れ替えに薪にすればいい」

「…………まあ、そうね」


 ゴルネサーはいまいち納得していない表情だった。


「別にマジカルプラントがあるなら、この木を育てる必要はないでしょう?」


 インウィクトゥスの絵を指ではじきながらゴルネサーが言う。しかしベルトランは首を振った。


「いや。必要らしい。こっちを見たら分かりやすいだろう」


 彼が示したのは他のよりもさらに簡易にデフォルメされた図だ。マジカルプラントとインウィクトゥスが地中から養分を吸い上げている様子が書かれている。


「マジカルプラントは草だ。だからそれほど地中深くまで根を張らない。しかし傍にインウィクトゥスを植えることで、地中深くから沈黙の灰のコアを吸い上げることができる。それにしっかり土を掴むから山造りにも役立つ」

「山造り?」

「ああ。元の植生に戻すために必要だからな。砂漠だと風が吹いたら地形が変わってしまうだろう?」

「…………つくづく遠大な計画ね」

「なんとかするさ」


 飄々と言ってのけるベルトランを半目で見たゴルネサーだったが、やがて一つため息をついて呟いた。


「今度倒れたら助けないわよ」

「ああ、気をつける」

「嘘臭いわ」

「本当さ」

「どうだか」


 ゴルネサーの手厳しい反応にベルトランは肩を落とした。

 それで一応気が済んだのか、ゴルネサーは他の絵も調べ始めた。


「この絵は何?」

「ん? ああ、これは空中菜園だ」


 ゴルネサーが持つ絵には、互いに屋上に渡した橋でつながれた円筒の図が描かれていた。

 円筒形の中は少しだけくぼんでおり、その中に植物が植えられている。


「今後長期的にティアディアラで生活する場合、自給自足は不可欠だ。ただ食べる植物を育てる場合は浄化した土で育てなきゃいけないだろう? しかし地面に植えたんじゃ風が吹いたら毒素が飛んでくるし、かといって屋内に植えたら量が賄えない。だから毒素をまとった砂が飛んでこないように高所に畑を作ってそこに浄化した土を入れて育てたらいいっていう計画らしい」


 しかしその第一条件としてマジカルプラントを早々に発芽させ、土を浄化しなければならない。


「植物が育つのだって時間がかかるでしょう? その前に食料が尽きたらどうするの?」

「一応結界の境界まで行けば受け取れるはずだが……」


 ベルトランの歯切れは悪い。ゴルネサーは不審そうに眉を寄せたが、深くは追求しなかった。


「それで? 今日は何をするわけ」


 テーブルの上に書類を放り出したゴルネサーが言う。

 ベルトランは荷物の中を探ると、こぶし大の深い青色をした水晶を取り出した。


「これだ」

「それは?」

「星水晶だ。昨日でよくわかった。浄化魔法をいちいち魔法陣から描いてたら大変だ」

「今更?」


 ゴルネサーの言葉がベルトランの胸に刺さる。

 常の彼ならば、浄化魔法を連続して使おうが疲れたりはしない。が、ここはティアディアラ。沈黙の灰の毒素が満ちた死の大地だ。彼の常識は通用しなかった。


「で、この水晶っていうのは何なの?」


 若干気落ちした様子のベルトランのことは意に介さず、ゴルネサーが興味深そうに星水晶を見つめる。やはり年頃の少女のためか、宝石には興味があるらしい。黒い瞳を輝かせている。


「ああ。これは星水晶といって、魔法の自動反復装置に使えるんだ。ほら、中に星みたいなきらめきがいくつも浮かんでるだろう? ここに魔法陣を渡すと魔力が摩耗することなく魔法陣を維持することができる」

「空飛ぶ絨毯や浄化紗だってそうでしょう?」


 そう言ってゴルネサーが巻かれた状態で壁に立てかけられている絨毯を見やる。

 しかしベルトランは首を振った。一から説明しようとして思いとどまる。話しはじめたらまた長くなってしまうからだ。


「似てるが違う。使える魔法は限られるが、星水晶の内部で魔力が自然と発生する仕組みだから何度でも使うことができる。酷使しなければそれこそ何十年先でも」


 本当ならもっと重要な魔法で使おうと思ったのだが、プランを変更せざるを得なかった。毎回魔法陣を描いていたのでは作業が遅々として進まないし、下手すればまたぞろ倒れてしまう。

 ベルトランは魔法陣用の紙を取り出すと、浄化魔法の魔法陣を描きだした。ペンでの場合杖で描くよりも緻密に描けるので、魔法陣の大きさは小さくて済む。


「昨日のことで、井戸水も浄化が必要だと分かったからな。今後もどんどん使うようになるだろ」

「身をもって証明したわけね」


 ゴルネサーが嫌味っぽく言う。ベルトランは肩を落とした。


 魔法陣を描き終えたベルトランは、その上に星水晶を置き、杖を構えた。一度深呼吸をして集中すると、呪文を唱える。


「エモキマジキニモノス、『オイェコサージュ』」


 深い青色をした星水晶の内部が柔らかく発光する。魔法陣が浮かび上がり、星水晶の内部へと吸い込まれるように消えていった。発光が収まると、水晶内部の煌めきの間に、インクルージョンのように小さな魔法陣が浮いているのが見えた。


「成功だな」


 ベルトランは満足げに笑う。ゴルネサーは黙って、しかし興味深そうにそれを見ていた。


 星水晶を持ったベルトランは高らかに宣言した。今日から植物を育てるぞ、と。


 ティアディアラの再生が本格的に始まろうとしていた。

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