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死の大地での出会い

 ミルージュの魔法使いベルトランは、目の前にある朽ちかけの建物を見て乾いた笑みを浮かべた。

 10カニーム(30メートル)はありそうな巨大な岩をくりぬいて作った蟻塚のような家は、手入れされた様子もなくあちこちが崩れ落ちていた。かつて祈りをささげられていたのであろう異教の神々の像は破壊され、残骸となり果てていた。


「終の棲家にゃピッタリだな」


 ベルトランは杖を肩に預けると自嘲した。


 縦横に200スタディオン(約40キロメートル)はある広大なティアディアラの砂漠のど真ん中で、彼は自分がこれから住むことになる家と今しがたご対面したところだった。


 複雑な心境で建物を眺めていたベルトランだったが、ふと視線を感じて振り返った。

 が、建物跡の瓦礫が残っているばかりで、視線の主とみられるものはない。そもそも、この場所に彼以外の生物がいるということはあり得なかった。


 柄にもなく神経質になっているらしいと苦笑しつつ、彼は建物の中へと足を踏み入れた。


 入ってみると、中はすっかり砂に浸食されていた。このまま放っておけばそのうち建物自体が砂に埋もれ、やがて存在していたということすら分からなくなるだろう。


 最上階である10階に上がってみると、窓から広大な砂漠が一望できた。地平線までずっと砂の海が続いている。

 ベルトランはかつての住人が使っていたであろう椅子に腰かけると、強烈な日差しの降りかかる大地を眺めながら煙草に火をつけた。


「ティアディアラの砂漠に緑を戻せ、か。誰のせいで砂漠になったと思ってるんだ」


 細く煙を吐き出すと、ベルトランは自嘲した。


 地平線の向こうまで広がる不毛の大地を見て、ここがかつては緑あふれる豊かな大地だったと誰が分かるだろう。




 かつてティアディアラは肥沃な大地だった。多くの人間が住み、農業も商業も盛んな地方だった。

 しかし二十年前にミルージュを中心として異教徒との大規模な衝突があった時に、ティアディアラが異教徒の本拠地となったのが不幸の始まりだった。

 当時、度重なる暴動と報復により、異教徒に対する憎悪が膨れ上がっていた。敬虔な信徒の神への祈りは異教徒への攻撃へととってかわり、互いが互いに理性を失うほど憎み合っていた。


 神の御名の下に異教徒どもを焼き払え、とミルージュの国王が言った。

 ミルージュの魔法使いたちはティアディアラを魔法で火の雨を降らせた。当時十代始めだった彼も張り切って参加したうちの一人だった。

 緑豊かだったティアディアラは焼け野原となった。しかしそれでも異教徒たちは生き残り、愚直な程に抵抗した。そしてミルージュの民は異教徒を殲滅しろと声高に主張した。

 そして次に国王は命じた。かの大地に沈黙の灰を撒け、と。


 沈黙の灰と呼ばれる毒薬は大量生産が容易で、除去が困難だった。

 魔法使いたちによって風で運ばれたそれは大地を汚し、水を汚し、異教徒の命を奪い去った。

 と同時に、肥沃なティアディアラを砂漠に変え、人が住むことも叶わぬ死の大地へと変えたのだった。


 当初は快哉を上げていたミルージュの民も、時が経てば気がついた。ティアディアラが死の大地となってしまったことの弊害を。


 死の大地では湧き出る水はおろか、風に舞う砂ですら吸いこめば体の毒となる。となればティアディアラに住むことはおろか、余所へ行くための交通の要所としても使えない。そもそも通るどころか近付くことさえできないのだ。

 その上沈黙の灰の影響は徐々に広まり、ティアディアラを中心とした砂漠は広がりつつあった。


 交通の要所が潰され、食料を生産する場所が減り、周辺へとその悪夢は広がっていく。


 その時になって、ミルージュの人間はようやく自身の失策を知ったのだった。



 そしてその責任を取らされたのは誰であろう、国王に命じられてティアディアラを滅ぼした魔法使い達だった。


 一部の優秀な人間は国に引き留められたが、魔法使いの大半は選ばされた。死罪となるか、それとも死の大地を甦らせる仕事をするかを。


 ベルトランは自ら望んでティアディアラへとやってきた。かつては実り豊かだった大地は、彼が想像していたよりもずっとひどい有様だった。





 すっかり短くなった煙草を消すと、ベルトランは立ち上がった。

 数日分の食料はある。まずは住環境を整えなければならない。


 砂漠を復活させるにあたり、魔法使い達にはいくつかのアイテム与えられた。


 一つは沈黙の灰の毒素を中和するという草の種。

 一つは水の少ないところでも育ち、死の大地でも育つという木の実。

 一つは体内の毒素を排出する魔法薬。

 一つはどこに居ても居場所が分かる魔法の首輪。


 例にもれずベルトランもそれらを持っていた。が、それらが住環境を整えるのに役立つかと言えばもちろんそんなことはない。

 全ては自分でしなければならない。



 まずベルトランは持ってきた紗を窓と出入り口に取り付けた。魔法陣の描かれたそれは、入ってくる毒素を中和する働きがあった。友人からの餞別その1である。

 さらに部屋の中央にルトの壺を置いた。これは空気中の水分から水を集める便利な魔法アイテムだ。浄化された空気から集めた水ならば、飲んでも害にならない。


 ルトの壺が動いているのを確認すると、ベルトランは荷物を置いて部屋を出た。手に持つのは相棒である杖だけだ。



 建物の外に出たベルトランは、ふと足を止めた。

 やはり視線を感じる。


「……誰だ?」


 問いかけに返ってきたのはこぶし大の石だった。

 顔面めがけて投げられたそれをベルトランは咄嗟に避けた。


「誰だ、出てこい!」


 今度は語気を強めてベルトランは言う。

 石が飛んできた方向からの返事はない。かつては建物の壁だったのであろう部分のどこかに隠れているのだろう。


 ベルトランは杖を構えた。


「10数える間に出てこなければ、攻撃する。1……2……3……4……」


 壁の向こうで人が動く気配がした。が、出てくる様子はない。


「5、6、7、8」


 せかすようにカウントを早くしてみる。と、


「ちょっと待ってよ!」


 慌てたように立ち上がったのはは、十代半ばと思しき少女だった。

 褐色の肌に長い手足。黒目黒髪の彫りの深い顔立ち。それはティアディアラに住んでいた異教徒たちの特徴と一致していた。


 思いもよらぬ人物に、ベルトランは呆然とした。


「何よ」


 少女はベルトランを睨みつける。

 彼は目の前にいる少女が幻覚ではないかと疑いつつ尋ねた。


「君は一体誰だ。ミルージュから派遣された同業者か?」


 途端に少女が顔色を変えた。


「ふざけないで! 誰があんな悪魔の国なんかに!」


 ベルトランは目をみはった。


「なら君は……こんな場所に住んでいるっていうのか? 冗談だろう?」


 彼が視た(・・)限り、黒いアバヤを身にまとった少女は何一つ特別な装備らしきものをしていなかった。砂漠の民に相応しい、しかし沈黙の灰で汚されたティアディアラには似つかわしくない格好だ。


「……こんな場所!? こんな場所ですって!? よくもそんなことが言えるわね!」


 少女は目を吊り上げ、憤怒に声を震わせた。


「あんた、ミルージュの魔法使いでしょう!? あんたたちがこの町をこんな風にしたんじゃない!」


 悲痛な弾劾がベルトランの心をえぐった。


「火の雨を降らせて、沈黙の灰を振りまいた! あんたたちの罪は未来永劫消えない!」


 少女の目は火の雨を降らせた後のティアディアラの民の目よりも暗く、憎悪が燃えあがっていた。

 少女を見ながらベルトランは眉根を寄せた。


「君は、誰だ」


 二度目の質問である。

 少女は自分の発言が流されたことでさらに怒りを募らせながらも、彼の質問に答えた。


「私はゴルネサー。ティアディアラの民よ」


 告げられた言葉に、ベルトランは息を飲んだ。

 彼女の言うことが本当ならば、それは彼にとって希望となりうることだった。生き物が全て息絶えたと言われた死の大地で、彼女はティアディアラの民として生きていたのだという。


 ならば、と彼は緊張で震えそうになる自分を叱咤しながら口を開く。


「――――君のご家族は今どこに?」


 ゴルネサーは嫌悪をあらわにした。顔をゆがめると、憎々しげに彼を睨む。


「死んだわ。あなたたちが沈黙の灰を撒いた時に」


 ベルトランは疑問を呈した。


「なら君はどうやって産まれた? あの惨劇は二十年前の話だ。君はどう見たって、二十歳には見えな――」

「うるさい!」


 ゴルネサーは怒鳴った。

 一瞬だけ少女の姿に何人もの人間の姿が重なって見えた。しかしそれは本当に一瞬の出来事で、ベルトランが瞬きをした次の瞬間にはその幻は見えなくなっていた。


「今度は何をしに来たの? 今のティアディアラはサソリの一匹もいない死の土地よ。これ以上私達の街を踏みにじらないで」


 威嚇するように睨みつけるゴルネサーに、ベルトランは怯まずに言い返す。


「俺はこの土地を生き返らせるためにやってきた」

「嘘!」

「嘘じゃない」


 彼はゴルネサーの目を見つめながら言った。

 今まで自分たちがティアディアラにしてきたことを考えれば、信じてもらえないのは当たり前のことだ。しかしだからといって、この使命を投げ出すわけにはいかない。


「俺はここで植物を育てて、元の緑豊かな土地に戻すためにやってきた」


 ゴルネサーは驚愕で目を見開いた。しかし驚愕はすぐに不審へととってかわる。


「自分たちで滅ぼしておいて、自分たちで再生させるっていうの? 身勝手にも程があるわ」

「分かってる。でも誰かがやらなきゃいけないことだ」


 ベルトランは苦笑いを浮かべた。

 彼女に対する疑問は尽きないが、ここまで警戒心をむき出しにされては何を質問しても本当のことなど教えてもらえないだろう。


「とにかく、俺は早く取りかかりたいんだ。信じてくれとは言わない。しかしさっき言ったことは嘘じゃない。神に誓って」


 彼の持てる精一杯の誠意を表現しての言葉だったが、ゴルネサーは嫌そうな顔をした。


「沈黙の灰を撒き散らすような人間の信じる神に誓われたって信頼できないわ」

「男に二言はない。言ったからにはやるさ。見ててくれ」

「信用できないわ」


 しかし言葉とは裏腹に、彼女の表情は少しだけ穏やかになったようだった。







 ゴルネサーが自分を攻撃してこないことを確認したベルトランは、先ほど目をつけておいた小屋へと足を向けた。

 建物のすぐそばに立っていた小さな小屋の中には、彼の予想通り井戸があった。

 彼は底を覗き込む。3カニーム(9メートル)程の深さのそれは枯れているようだった。


「無駄よ。ティアディアラの井戸はどれも枯れてしまった」


 ゴルネサーが悲しそうに呟く。

 しかし諦めきれなかったベルトランは井戸の縁を乗り越えた。


「エラヌクラク」


 杖を振り呪文を唱えて飛び降りる。ゴルネサーが慌てて井戸の底を覗き込むが、ベルトランは3カニームもの落下に堪えた様子もなく着地していた。


「エラヌクラカ」


 再び杖を振るって彼が呪文を唱えれば、杖の上部に取り付けられた宝玉が明るく光った。


 明かりをかざしながらベルトランは井戸の底を検分する。

 やはり先ほど上から見たとおり、井戸はすっかり枯れてしまっているようだった。丹念に調べてみてもスプーンのひと匙ほどの水さえ存在していなかった。

 

 そのことを確認したベルトランは、杖で井戸の底に魔法陣を書き始めた。

 魔力の込められた文字と記号は複雑であるが、彼にとっては慣れたことである。

 書き上がった魔法陣に、ベルトランは杖を強く突き立てた。


「イオケテッド、聖霊よ。エサディサガス、我は水脈を求める」


 魔法陣が光を帯びた。

 常ならば、彼によって呼び出された聖霊が水脈のありかを彼に知らせてくれるはずだった。

 が、魔法陣はそれっきり、うんともすんとも言わない。


「……な」


 想定外の事象にベルトランは呆気に取られた。

 未だかつて彼が聖霊の呼び出しに失敗したことはない。


 彼は魔法陣に誤りがないことを確認すると、もう一度挑戦しようと杖をかざしたが、上から降ってきた声に動きを止めた。


「何度やっても無駄よ」

「なぜそう思うのか聞いてもいいか、お嬢さん」


 ベルトランが見上げながら尋ねると、ゴルネサーは冷たく言った。


「この地に聖霊は近付かない。汚れているから」

「確かか?」

「信じられないなら死ぬまでそこで聖霊様に呼びかけていれば?」


 それだけ言うと、ゴルネサーの顔が見えなくなった。

 ベルトランは手で顔を覆った。


「参ったな……」


 植物を育てるには大量の水が必要だ。まして、この広大な土地、ルトの壺から作る水程度では到底足りない。

 聖霊の力を借りることができないのであれば彼に残された道は一つ。自身の魔力を使って探索魔法で水脈を発見するしかない。

 ゴルネサーの言う通りならば、ティアディアラにある水脈は全て二十年前と違うところを流れているということだ。


「いや、もうひとつあるのか」


 ベルトランは呟く。


 ゴルネサーが生きているということは、彼女は今までこの地で生きられるだけの水と食料を得ていたということになる。

 彼女が水を得ていた場所が分かればあるいは。


 一縷の希望にかけ、彼は井戸の底から這い上がり始めた。

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