偽りの恋人と恋を知らぬ妖美令嬢
「今日も美しいね、エロイーズ」
「あら、私が美しいと言うのなら、ゼイン様が褒めてくださるからですね」
恋人であるゼイン・ハインズ侯爵子息は、私の手を取って微笑んだ。
「どうしてハインズ様の恋人が、あの妖美令嬢なの?」
「あの豊満な体を独り占めできるなんて、ハインズ殿が羨ましい…」
「ああ、一回でいいから俺の相手をしてくれないかねえ」
あちこちから、ヒソヒソ声が止まらない。
はあ〜、この偽の恋人役、いつまで続けるのかしら。
この国は、貴族でも割と自由恋愛なので、恋人がいること自体は何も問題じゃない。
自由恋愛とはいえ、偽装恋愛はありなのかしらね?
「顔に疲れていますって書いてあるよ、エロイーズ」
「…疲れていますので」
「ははっ、僕といるのにひどいなぁ」
ゼイン様は笑っているが、目が笑っていないのがわかる。
私たちが偽装恋愛を始めたのは、3ヶ月前のこと。
私は、ある程度少女ではなくなった頃から、自分の肉付きのいい体には気づいていた。
それにより、男性にやたらと声をかけられていることもわかっていた。
「一夜だけどうですか?」などと馬鹿にした誘いばかりで、疲れていたのは本当だ。
「…もういっそ修道女になろうかしら」
と呟いていたところを、ゼイン様に聞かれてしまったのが、全ての始まりだった。
「オールディス嬢もお困りなら、手を組みませんか?」
文官としても有能、家柄としてもいい条件。
ついでにお顔も体格もいいゼイン様は、女性に狙われている筆頭だった。
「手を組むって…」
「言い寄られることに困っているなら、僕を恋人にするのはいかがですか?」
「私、そういうのは…」
「僕もしばらく独り身でいいと思っているのですよ。ですから、偽の恋人になっていただけませんか?」
「偽の、恋人」
「僕を言い訳にお誘いを断れますし、何かあればお守りしますよ」
その目が、今までの男性と違って、全く私に興味なさそうだったのが、揺らいでしまったポイントだった。
「ハインズ様にとっても利点があるのですね…?」
「ええ、共犯として協力いただけませんか?」
差し伸べられた手を、私は手に取ってしまったのだった。
「噂ばかりで、みなさん疲れないのかしら…」
「みんな暇なんですよ、他にやることがなくて」
「そろそろバザーの時期だから、出品作を作らないといけないのに?」
「大体は、お金を払ってお針子に頼みますからね」
「えっ、自分で刺繍しないのですか?」
「毎回律儀に作ってくるのは、エロイーズと王妃陛下くらいじゃないかな」
ゼイン様の言葉に、その顔を見上げて瞬きしてしまった。
この国のバザーは、初代女帝を讃えたものであり、重要な行事の一つだ。
彼女の臣下として、貴族令嬢は自らの手で刺繍作品を作って、民に買ってもらうのだ。
初代女帝が刺繍をこよなく愛したため、その恩恵を民にも注がれますようにという祈りも込められている。
「…自分で、作らない?」
「男を誑かしていると噂の君は、作品制作で忙しくて僕とのデートもできないくらいなのにね」
「…王妃陛下も大事にされている行事なのに?」
「そうやって噂している令嬢は、何もしないんだから、どっちの方が醜いのかね」
やっぱり目が笑っていなくて、怖い人だなと思う。
でも、確かに守ってくれるのも本当だ。
「あの、エロイーズ様、よかったら私と…」
「おや、僕の恋人に名前を呼ぶ権利をもらっているのかな?」
「えっ、あ、いいえ…」
「エロイーズ、彼は知り合いか何か?」
「いいえ、知らない方です」
「ほう、それは随分だねぇ。確か、伯爵家のご子息だったっけ。顔を覚えたよ」
「…あっ、す、すみませんでした。失礼します!」
このように、威圧で守ってくれる。
それでいいのかしらとも思うけど、自分で対応しなくていいというのは、大変有り難い。
心労も減ったというものだ。
「ありがとうございます、ゼイン様」
「恋人を守るのは、僕の役目だよ」
そうは言ってくれるけれど、いつまでもこのままというわけにもいかない。
そろそろ期限を決めないとね。
「できたわー!今回はいい出来だと思う!」
明日のバザーに間に合った作品たちを見て、私はソファーに深く座り直した。
クッションカバーに、ハンカチに、テーブルクロス。
他にも、こどもたちが手に取れるようにぬいぐるみや、ポロシャツにも刺繍をした。
上出来じゃないかしら。
刺繍は好きだけれど、お針子に比べたら実力はそこそこだ。
だから、毎年バザーで並ぶ他の方の刺繍と見劣りするからと落ち込んでいたのだけれど…。
この前、ゼイン様から衝撃の事実を聞いたので、今はもう気にしていない。
明日、並べるのが楽しみだわ。
わざわざ令嬢が立たなくてもいいのだけれど、今回は自信作だし、誰の手に渡っていくのか見てみたい気持ちが湧いていた。
ゼイン様に、バザーに立つって連絡していないけど、いいかしら。
一応迷ったけれど、偽の恋人のスケジュールなんて送らなくてもいいかと思い、やめておいた。
「お姉ちゃん、このうさぎさんすっごい可愛い!」
「可愛がってあげてね」
「うん!大事にするね!」
そう言って、母親と手を繋いで帰っていった少女に手を振る。
ぬいぐるみが好評で、嬉しい限りだ。
今年もバザーは賑わっていた。
護衛と侍女たちも一緒に来てくれているので、心配もない。
…はずだったのだけれど。
「姉ちゃん可愛いね〜!この後、俺と飲みに行かないか?」
「ギャハハっ、お前じゃ相手にされねーよ!俺にしとかないか?」
「あの、申し訳ないんですが、刺繍を見に来るお客様の邪魔になるので…」
「はーん、俺たちは客じゃないって?」
「つーか、みんな刺繍じゃなくて姉ちゃん目当てだろ?」
「あんたも、それがわかっててわざとここに立っているんじゃないのか?」
「その胸なんて、男寄せにピッタリだもんな!」
「ギャハハ、間違いねえー!だから、俺たちも引き寄せられてんだからっ!」
酔っ払いたちは好き勝手言って、笑っている。
何一つ面白くないのに、下品に笑われるのには、もう疲れた。
…せっかく途中まで楽しかったのに。
護衛たちが引き剥がそうとしても、自分たちは貴族だぞと喚いている。
たしかに庶民には見えない格好だが、態度は貴族とは言い難く、判断がしにくい。
ここで揉めて、後で本当に貴族でしたとわかるのは、面倒ごとを増やすことになる。
…ああ、遠巻きに見られているし、他の方たちは引いているわ。
「体は一等品なのに、刺繍は三等品ってところだな!」
酔っ払いの1人が置いてあったハンカチを掲げて、薄笑いを浮かべた。
ああ、もう、うるさい──。
「邪魔なのでお帰り願いますか!」
「は…」
「ここは初代女帝様に感謝をする場です!その気がないのなら、この場にふさわしくありません!」
「な、なんだと!客に向かって…」
「あなたたちのような下品な者を、客とは言いません!どうぞ、お引き取りを!」
「い、いい気になりやがって!」
拳を振り翳されて、ギュッと目を瞑ったけれど、私に降りかかることはなかった。
「──この刺繍の素晴らしさがわからないなんて、あなたの目が三等品なのでは?」
その声に目を開けると、ゼイン様が酔っ払いの腕を掴んでいた。
いつも以上に、目が笑っていなくて、私だけじゃなく絡んできた男性陣までビビり上がっていた。
「誰の恋人に向かって、そのようなこと言っているのかわかっているのかな?」
「あ、ハ、ハインズ殿…」
「おや、僕のことを知っているとは、貴族なのかな?こんな野蛮な連中、見たこともないけど」
「あ、いえ、どうやら酔っ払い過ぎたようで…」
「言い訳は警備の者にするといいよ。彼女の言うように、ここは初代女帝様のための場だ、相応しくない」
「も、申し訳…!」
「彼女に謝れないなんて、この低俗どもが」
低い声で言い放ったゼイン様は、今までで一番怖かった。
だというのに、安心している自分がいて、思わず心臓のあたりを触って首を傾げてしまう。
あれ、私ゼイン様が来てくれてよかったと思っているわ…。
「君たち、この輩を連行してくれるかい?エロイーズのことは僕が見ているから」
酔っ払いを任せられた護衛たちは、私の許可をとるとまとめて連れて行ってくれた。
明らかにこの中で家格が上のゼイン様の命だから、後々のことを考えても安心だ。
あの人たち、酔いがさめたのか真っ青な顔をしていたけど知らないわ。
「ゼイン様、ありがとうございました…」
「君は勇ましい人だったんだね」
「あ、あれはっ」
「僕の恋人は、守られるようなご令嬢じゃなかったみたいだ」
そう言って微笑んだゼイン様の瞳が、いつもと違っていた。
ああ、そうか、終わりにしようってことね。
たしかにちょうどいいかもしれない。
あんなところを見せてしまって、幻滅されたかしら。
いや、最初からいい噂のなかった私と一緒にいてくださったのだから、何か期待されていたわけでもない。
きっと、妖美令嬢の盾が欲しかっただけだ。
「そう、みたいです…。ですので、あのお話も終わりにしましょう」
「…?」
「あなたに守ってもらわなくても、あのように怒鳴って、追い返しますので」
「このぬいぐるみも、エロイーズが作ったのですか?」
「え…?」
ゼイン様はくまのぬいぐるみを手に取って、刺繍部分を指でなぞった。
「は、はい」
「僕も1つ買ってもいいかな?」
「え、ゼイン様が、ぬいぐるみをですか?」
「ああ、恋人の傑作品だから、僕も欲しいなって」
「…私たちは、そういう関係ではないですし、その」
いい言い方が思いつかなくて、言葉を詰まらせていると、ゼイン様はふっと笑った。
それから、くまのぬいぐるみを持ったまま、そのくまの口を私の唇につけた。
「では、改めて、僕の恋人になってくださいませんか、エロイーズ嬢」
「…え」
「あなたと接すれば接するほど、噂の妖美令嬢からかけ離れていく」
「それ、は…」
「あなたの心の美しさに惹かれてしまったのですよ。だから、もう一度僕にチャンスをくださいませんか?」
「チャンスって」
「今度は、あなたを口説くチャンスをいただきたい」
その目が怖くなくて、私をまっすぐに映していた。
そこに映る私は、きっと顔を赤くしているはず。
「…え、っと」
「あなたを他の誰にも譲りたくないのです」
「その…」
「おや、口説かれ慣れているかと思ったんですが、照れているということは、僕にも勝算があるかな?」
「お、お友達からでも、いいですか…!?」
なんとか返事をすると、ゼイン様は目を丸くしてから、声を出して笑った。
「あははっ、ぜひよろしくお願いしますっ!」
その顔を見て、私が口説き落とされるのに時間がかからないと思いつつも、必死に頷くのが精一杯だった。
──本当の恋人になるまで、あと30日。
了
お読みくださりありがとうございました!(簡単に口説き落とされてほしい〜…!(願望))
毎日投稿93日目。




