9:疑惑
さくらが脳内で『この漫画世界でオノマトペを自在に出すにはどうしたら?』という意味のないことを考えているのを余所に、この世界の主人公とも呼べる『塚本樹里』は一人思い悩んでいた。
(やっぱり、あれは夢……?)
何せ彼女からすれば、昨日から意味不明なことばかり起きている。
視線を感じるかと思えば自身を簡単に殺しうるバケモノに襲われたり、それから何とか逃げ延びたと思えば小さな怪異たちに襲われる。死ぬしかないと思い運命を受け入れようとすれば全身が輝き出し、胸から刀が出る始末。単なる高校生でしかない彼女からすれば、一睡も出来ない程に思い悩んでしまうほどの出来事だった。
(本当に、意味が解んない。あの小さな化け物たちを全部倒せたと思ったら、なんかあの刀。胸に戻ってちゃったし……。)
そんなことを考えながら、軽く自身の胸。心臓があるその中心を触る彼女。
さくらが『霊刀』と称した刀だが、怪異を切り伏せ役目を終えたと思えば、すぐに彼女の元へと戻って行ってしまった。樹里からすればようやく危機が去ったと思えば、それまで使っていた刀が急に動き出し、胸に突き刺さってくるのである。一切に痛みこそなけれど、精神的な疲労が強くかかる収納方法には違いない。
(あの時はすごくびっくりしたけど、何故か凄い納得感がある。あの刀は“あぁいうもの”って感じ。……それに私の胸には『納まってる』感覚がある。だからあの刀は、夢じゃない。それに多分、また私があの化け物に襲われたら出てきてくれる気がするし、悪いものでもない。)
一人納得し、小さく頷く彼女。
未だ信じられないが、昨日見た怪異。そして胸に納まる刀。
自分の体内に異物が納まっていることを自覚しながらも、それを正常な状態だと認識する彼女の肉体。彼女自身の意思で出し入れ出来ない存在であれど、『体内に刀がある』という状況は間違いのない事実であり、夢ではないのだ。ならば昨日あった出来事も全て事実ということになるのだが……。
(じゃあ、あの人たちは?)
樹里自身、昨日の一件で死してしまった人の姿は見ていない。
だがはっきりと彼女は住宅街の一角がタコの怪異によって吹き飛ぶ姿、そしてその破壊状況から中に人がいたのならば絶対に助からないであろう状況であったことは間違いない筈だった。
故に彼女は今日の朝練を休み、弔いに行ったのだ。
もしあの場で自身が刀を呼び出せていたのなら、家々が破壊されることはなかったかもしれない。そもそもあの視線にいち早く気が付き、真っ先に山に逃げていれば被害をもっと減らせたかもしれない。彼女自身が壊したわけでもないのにそのことを深く思いつめた彼女は、わざわざ朝から花を買いに行き、手を合わせに行こうとしたのだ。
けれどそこにあったのは、『昨日までとは何も変わらない』街並み。
(大きな触手で、幾つもの家を薙ぎ払っていた。時間帯も遅かったし、あそこに人がいなかったわけがない。絶対に誰かは家の中にいたし、家は粉々に壊れていたはず。)
明らかな異常。
自分の中には昨日の出来事を事実だと証明する証拠があるのに、世界がそれを否定している。夢だと思い込みたいが、心が。そして彼女の心臓がそれを否定している。
(解らない。もしかしたら、って思って山本さんに聞いてみたけど、やっぱり駄目だったし……。)
「ジュリジュリ、どったの?」
「ぁわ!?」
彼女の鼓膜を揺らす声。
それに驚き思わず声の方を向いてみれば、彼女の親友である夏みかんの姿が。おそらく顔色があまりよくなかったのだろう、心配そうに彼女の顔色を伺う姿がそこに。
「大丈夫? 朝練も休んでたみたいだし、アレだったら保健室にでも行く? 連れてくよ?」
「う、ううん! 大丈夫! ただちょっと色々あって……。」
「ほんとに不味そうだったら言ってね?」
普段はおちゃらけた雰囲気というか、何をするにも少しふざけた振る舞いをするみかんだが、今の彼女は親権そのもの。それだけ樹里の様子が普段とは違うことに他ならないのだが……、こんな体験誰にも言えるわけがないと誤魔化す彼女。
たぶん私だけにしか見えない化け物に襲われた、と言って信じるのは限りなく0。もし信じてくれたとしてもそれは表面上のものであり、遠回しに病院を勧められてしまう。もし自分が聞かされる立場ならば絶対に『信じない』のであれば、誰かに相談できるわけがなかった。
(う、うん。とりあえず学校で考えるのやめよ。みかんちゃんに心配かけちゃだめだし、考え過ぎたらどんどん心が落ちてっちゃう。き、今日の授業のこと……)
話せないことで心配をかけてはいけない。そう思い気合で心を叩き直し、何とかいつも通り振舞おうとする彼女だったが……。何故か途切れる、思考。
そしてその直後に響く、教室のドアの開閉音。
「すまない。今日塚本くんは……、あぁなんだ来てるのか。」
「さ、笹沼先輩!?」
急に入って来る、剣道部の先輩。
差し色が違うその制服から『高3の先輩が来た』と教室が少々騒がしくなり始めるが、樹里からすればそんなところではない。自身が憧れ密かに恋心を寄せる塚本先輩が、自分たちの教室へ。しかも自分の苗字を呼びながら入って来たのだ。
思わず飛び上がって返事してしまうのも、仕方のないことだろう。
「今日朝練に来ていなかっただろう? 連絡も入っていなかったし、何かあったのかと思ってね。とりあえずと思い、教室に寄ったんだが……。ふむ、少々顔色が悪いね。大丈夫かい?」
彼が話すごとに湧き上がってくる気恥ずかしさと、自分を心配してくれたということに対する喜び。脳裏では一瞬だけ『そう言えば連絡するの忘れてた』という思考が過ったが、彼女からすればそれどころではない。
憧れの人に心配をかけ、迷惑をかけてしまったのだ。
すぐに弁明の言葉を紡ごうとするが……、いつの間にか自分の眼の前に立っていた彼の顔が、此方を覗き込み始めたことですべてが吹き飛んでしまう。
「熱は……、無いようだね。」
「え、あ、わ!?」
顔が急接近していると思えば、いつの間にか先輩の手が自身の額に当てられていることに気が付く樹里。
周りからすれば何でもない普通の動きだったが、樹里の脳みそは先輩が至近距離にいるというだけで処理落ち寸前。腕の動きなど一切知覚できないままに、受け入れてしまった。熱を調べるためだということは沸騰寸前の頭でも理解できたが、それを許容できるかは別。瞬時に全身が強く発熱していくのを自覚する彼女。
「む? いや少し熱いな。体調不良かい? 顧問には上手く言っておいたからそのことは気にしないでいいと思うが……、多少の風邪でも長引けば後に残るものだ、今日はもう早退して体を休めるというのも手だよ?」
「あ、わ!? わ!?!?!?」
「あ~、うん。あの、笹沼先輩でいいんでしたっけ?」
「あぁ、そうだが……。君は?」
明らかに処理落ちしている樹里と、その様子を少々不安そうにしながら未だ手のひらを額から離さない笹沼先輩。それが彼女にとってあまりにも酷だと思ったのだろう、助け舟を出すために彼の背を軽く突きながら声をかけるみかん。
「そこの親友の夏っていいます。ちょうどさっき樹里を保健室に送ろうって話してまして……。ほらやっぱりそういうのは同性の方がいいでしょ?」
「む、それは悪いことをしたね。すぐに席を外させてもらおう。では塚本くん、お大事にね?」
「ぁあぅぅ。はぃ……。」
少し申し訳なさそうにはにかみ、軽く手を振りながらその場から去る先輩。一応何とか返答することが出来た樹里だったが……。ちょっともう茹蛸を通り越したナニカになってしまっている。
彼女の親友であるみかんからすれば、『そんなに好きならフリーである今のうちに告っちゃったほうが絶対いい気がするんだけど。あの人顔いい上に、さっきの感じからしてちょっと天然入ってて可愛さあるし。絶対他の人放っておかないでしょ。』と考えてしまうものだが、そもそも樹里が少々体調不良だったのは事実。さっさと保健室へと運ぶために、動き始める彼女。
「はいはい、んじゃみかんちゃんが肩貸してあげますからね。ほら歩いた歩いた。あ、そうそう。えっと……。」
「夏さん? よろしければ自身が先生に伝えておきましょうか?」
周囲を少し見渡した夏の動きで、何をしたいかを悟ったのだろう。
少し目を閉じながらも“ずっと笹沼先輩”の方を見ていた彼女が、口を開きそう伝える。
「あ、ほんと? さくらっちマジ感謝。んじゃ頼みましたぜ~。」
「えぇ頼まれました。……さくらっち。」
あだ名をつけられたのが嬉しいのだろうか、みかんに呼ばれた名を反芻する彼女。絶えず巫女としての微笑みを絶やさぬようにするさくらだったが、どうやらいつもより少し口角が上がってしまっていたのだろう。そのことを隣の席のまつっちこと友人の松原に指摘され、誤魔化すように顔をそむけるさくらだったが……。
(今の笹沼って先輩、明らかに『主人公に何かしようとしてた』。熱を測る動作に見せかけながら、何かの術を行使しようとしていた気がする。まぁ霊刀に弾かれたのか、意味を成してなかったけど……。)
内心は、全く違うことを考えている。
(あとたぶんアレ、私のことを脅威と見てないな。『往霊神社の巫女』の前であんなことしたわけだし。まぁ婆ちゃんから教わった『隠蔽』を常時起動してるから霊力を持たない存在と判断されたからなんだろうけど……。ちょっと気に喰わないな。)




