5:始点
(……やっぱり、見られてる。)
さくらが巫女の修行で祖母に揉まれてから数日後。
新入生である彼女たちが入学してから数週間経った日の夜、“主人公”である塚本樹里は一人夜道を歩いていた。普段は防犯を考えてか他の同性の部員とある程度まとまって帰る彼女だったが、たまたま剣道場の掃除で遅くなってしまい、更に忘れ物までしてしまう。
他の子達を待たせては悪いと1人で戻ったがゆえに、夜道を寂しく歩いていたのだが……。
(何日も前から、ずっと見られてる。)
何の因果かさくらが“式神の修行を終えた翌日”から感じる、何かの視線。
無論さくらが自身の事情を彼女に話すわけがなく、樹里がそんなことを知るわけはないのだが……。ここ数日、ずっと彼女は視線を感じていた。
単に見られているというものではなく、もっと粘度の高いもの。全身を嘗め回すように隅々まで観察され、全てを丸裸にされるような感覚。家にいる間は一切そのようなものは感じられないのだが、外に出た瞬間から始まるソレ。通学から下校までの時間、ずっと彼女は視線を感じていた。
(周りに人はいない、何処かに隠れてるって感じもしない。……怖い。)
辺りを見回す樹里だったが、そこにあるのは暗い夜道をそれを点々と照らす街灯だけ。どこにも人影はなく、気配すらもない。まだ午前中や部活のあった午後なら“他の人”がいたから納得できた。けれど明らかに自分以外いない様な状態であっても、この視線は続いている。
彼女はこれまで、お化けなど信じない性分だったが、これだけ続けば意識してしまうもの。
(私、霊感なんて全くないのに。もしかしたら本当に。……ッ!?)
その瞬間、何故か感じる強い痛み。
胸の奥深くから感じるそれに思わず目を閉じると、次の瞬間から感じる違和感。
これまで見えていた世界が、より詳細に見えるようになった感覚。本来見えない様なものまで見えてしまうような、視界に写るすべてを見通してしまうような、確信に近い感覚。自身に訪れた明らかな異常に体を強張らせてしまう樹里だったが……。
自身を覆うように現れた大きな影。
「ッ!?」
本能が生存を叫び、弾かれたように“横へ”と転がる彼女。
その瞬間地面に叩きつけられるのは、巨大な触手。視界にすら入れたくない程に不気味な粘性を持ったソレが、アスファルトを陥没させていた。
「な、なに、これ。」
「ヨケケケ、ラレ、タタタ?」
彼女の耳に響く、不快な音。
思わずそちらに視界を向けてしまう樹里だったが、即座に後悔してしまう。
「ミミミエ、テテテル???」
数えきれないほどの人の死体が、蛸のような形を模ったバケモノ。そのすべてが不快感しか感じさせない粘体によって繋ぎ止められており、所々腐敗が強く進んでいる。唯一まだ腐りきっていない“誰かの口”が聞くに堪えない音を発しているが……。首がねじ切られ、本来そろわないはずの顔と背がこちらを見つめていることから、構成する人のすべてが既に死しているのは間違いないだろう。
気が付けば、樹里を叩き潰そうとしたその触手も、人の手や足を無理矢理固めて作られている。
明らかに人の世に存在してはいけない、生物だった。
「スゴクク、ウマ、ソウ。タタタマシシシ、ホシシシシ」
「ッ!?」
壊れたように同じ音を発し続けた瞬間、視界に写る新しい影。
ただ生き残るためにその場から飛び出した樹里の鼓膜を震わすのは、酷い破壊音。出来るだけバケモノから距離を取ろうと走りだす彼女の視界の端に見えるのは、周囲の住宅街を横に薙ぎ払いながら迫って来る触手。何とか前に転がって回避する彼女だったが、たった一度の攻撃で吹き飛んでしまった幾つかの住居。目の前で行われる惨劇に顔を青くしてしまう彼女だったが……、その視界に映る次の“動き”。
(い、今は逃げなきゃッ!)
家を一振りで叩き潰してしまうバケモノ相手に、彼女が出来ることはない。
一瞬だけ、自分が生贄になればこれ以上の犠牲は出ないのでは? という思考が浮かぶ彼女だったが、すぐに恐怖と困惑によって塗りつぶされてしまう。何せこれまで何でもないただの学生として生活していたのが彼女なのだ。いきなりバケモノに襲われてしまった以上、冷静さなど掻き消えてしまっている。
死にたくないと叫び続けている本能に従い、迫りくる怪異から逃げ延びようとする彼女だったが……。
鼓膜を震わす、破裂音。
そして来るはずの攻撃、触手によって起こる破壊音が、来ない。
(しにたく、ない!)
来るはずのものが来ない。本来なら彼女も違和感を抱くだろうが、既に彼女の心は恐怖に呑まれていた。冷静さなど保てない彼女は、ただひたすらバケモノと距離を取るために走り続けその場から離れていくが……。
この状況を“都合がいい”とするのが、一人。
表示される吹き出しやオノマトペの量が『主人公がが慣れる』ことで急速に減少し、“視界の外”へ。そこにゆっくりと現れる、人影がひとつ。
「……マジで作者ふざけんなよ?」
樹里に向かって振り下ろそうとされていた触手を止めるのは、幾重にも重ねられた白い和紙。人型に切り取られながらも一本の縄のように繋がれたそれはしっかりとその粘体を縛り止め、空中に固定していた。
そしてそれを為したのは、神々しい装飾によって彩られた巫女服の少女。
新しく覚えた式神、人型に切り取られた和紙を幾重にも重ね板としたソレに乗って現れるのは、かなりの怒気を言葉に含ませた彼女。
山本さくらである。
「いやいいのよ? こういうホラー展開は。あるよね、可愛い絵柄で油断させておいて滅茶苦茶怖い描写入れてくるの。解るよ、ほんと。前世だけど読んだことあるし。でもさぁ? こっちは恋愛で準備してるんすよ。運よく監視の式神潜ませて、直前までガチ修行してたから間に合ったけどさぁ……。」
「モモモ、モットウマソウ、ナ、ニンゲン。」
「……うわ喋るんだコイツ。こわ。」
彼女が言う式神には音を伝える機構はないのだろう。この世のものとは思えないその化け物を“既知”のものとしていた彼女が、初めて驚きを口にする。
その隙を狙ったのかどうかはわからないが、先ほど主人公を叩き潰そうとした触手を大きく振りかぶろうとする怪異だったが……。
「よっ、と。」
「ッア、ガッ!?」
彼女の周辺を漂っていた式神が瞬く間に飛来し、触手に直撃。瞬時に爆発することでその動きを止める。
「ほーん、痛覚はあるのね。なんで急に婆ちゃんから戦い方を叩き込まれたのマジで意味わかんなかったけど、こういうことなんだろうなぁ。作者の意図は知らないけど、たぶんウチの神社は『古来から怪異と戦い続けてきた』って設定になってるわけね。……これ多分主人公も戦う奴だな? 結局バトル系かぁ。」
この場に来るまでの足としていた“板”を分解し、その周囲を人型の和紙。無数の“式神”を漂わせ始めた彼女が、諦観と誰かへの恨み節を込めながら言葉を紡いでいく。同時にゆっくりと怪異にむかって動き始めるが、どこかその足取りは、軽い。
対する化け物は、明らかに焦りを見せていた。これまでエサだと思っていた人間に痛手を負ったのもあるだろうが、何より相手との“力量差”を理解してしまったのだろう。即座にその体が透けていき、この場から逃げようとするが……。
「させるとでも?」
瞬時に、眼前の彼女によって対応される。
いつの間にか彼らの周囲には4体の式神が宙に浮いており、それぞれを繋ぐように青い線が生み出されている。おそらく簡易なものだろうが、怪異をこの場で仕留めるための結界であることはバケモノでも理解できた。
「どうせお話は主人公中心で回っていくんだろうし、この場面描写されるにしてもだーいぶ後でしょ? 過去編みたいな感じで。確実にカラーページはもらえないわけだから……。手早くやるよ。」




