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シリーズ「風を悼む」

プシュケーの追憶

作者: 暇庭宅男

四駆さん、あなたが教えてくれたんですよね。アサギマダラの一生のこと。

あんな、ブクブクに太った不格好な芋虫が、蛹から抜けると朝の空の色の(はね)を広げて飛んでいくんですよね。


僕の住んでいるところにはアレはいませんから。だから、貴方がやさしい目で見送ったあの蝶のこと、今でもあの時だけの思い出になって、日々に埋もれていくということがないんですよ。


あの思い出はあの思い出のまま、鮮やかな空色の記憶のまま、今も僕の心の中に飾ってあるんです。


四駆さんはミニ四駆のコレクターだったから四駆さん。SNSで知り合った僕たちは、偶然同じ趣味をしていたんでしたね。


僕は買ってすぐに壊してしまったけれど、四駆さんはブレイジングマックスをほぼ完品の状態で持ってたんでしたよね。

なのに物知らずの甥御さんに、四駆さんの告別式のあと壊されてしまったそうで。まったく、腹立たしくてなりません。形見などと親友のような口ぶりで言うのも嫌ですが、何か物が記憶を留めてくれることに、縋りたい気持ちだったのは本当です。


四駆さん、あなたは何を信じていましたか。親からつねられ続けてついに治りきらなくなった左手の甲のケロイド。

そして電話越しでもわかる病んだ女の金切り声。それが四駆さんのお母さんの声だと知った時、暗い底なしの穴を覗き込んだような心持ちがしました。四駆さんは当時四十代に差し掛かるところで、それはつまり人生の若い時代の全てを親に吸い取られてしまったということの証左だったような気がしてなりません。


それなのに四駆さんはいつでも優しかった。自分の人生の(むご)さを確かに認めながら、他人の痛みにいちいち時間と心を割いて。僕は四駆さんを困らせたでしょうか?今振り返ると四駆さんに世話になってばかりで、たったの一度もお返しをしないままになってしまいました。


信じていたんです。これだけの人がいつか報われないはずがない。四駆さんはきっと、必ず幸せになるに違いないって。僕は固く信じていました。


終わりは唐突で、仲間内で作った小さな掲示板に、四駆さんの弟が四駆さんが亡くなったことを書き込みました。数十字で淡々と告げられたそれの後、四駆さんが管理人だったそこは閉鎖されました。


僕は混乱した頭のまま、あなたが亡くなったことを受け入れられないまま、SNSで四駆さんと繋がりのある人を必死に探しました。

共通の知り合いを見つけたとき、僕は迷いなくその方に聞きました。突然の訃報の真偽は、しかし間違いなく本当のことで、しかも四駆さんは考えられる限り最も痛くて苦しい最期を迎えたようだと、そこで聞かされました。


大動脈解離。感じる痛みはヒトの経験しうる中では最も強い病のひとつだそうで。棺に眠る四駆さんの手の指は、苦しくてあたりを掻きむしったのか爪がはがれていたと。


今でも疑問が尽きないのです。あなたがなぜそんな最期を迎えなければいけなかったのか。


あなたがこの世を去ったあと、早々と親元から逃げていた弟さん夫婦は家を建てたそうです。元金に使われたのは四駆さんの保険金だったとか。なぜ四駆さんの優しさは四駆さんに還っていかないのですか。なぜ皆に搾り取られるだけ搾り取られ挙げ句に夜明け前の寝室で苦しみ抜いて逝かねばならないのですか。


だんだんとあなたが逝った季節が近づいてきて、十年も経つというのに僕はどうしようもなくまた悲しくなります。


そうそう、今年の夏は、少し遠出した先で見たのです。アサギマダラを。空色の翅はあの時と同じ色をしていて、でもなんだか僕は喜べませんでした。もしかしたら僕の暮らすところでも、アサギマダラを見かけるようになって、四駆さんの思い出が日常に埋もれていったら嫌だなと、そう思うのです。


四駆さん、あなたの後を追って、でもあなたほど誰かに優しくは出来なくて、僕は少しずつ年老いていきます。


いつか会えるでしょうか。もしも会えたなら、また見に行きませんか。山麓から長い旅に出る、アサギマダラの空色の翅を。

風を悼むのバージョン3。創作の部分が最も少ない作品になった。


なんか、だめだな。文章にすると本当に惨めな文になる。ちゃんと書きたいが、もうこのテーマを書くことはないかもしれない。

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