逃亡劇の開幕
更新します。
取りつく島も無いほどに明確な拒絶の意思を示す刹那。
だが、そこまで冷淡な回答を返されてもなお……
「お待ちなさい」
フローティアが、毅然とした声を投げかけた。
すると刹那は肩越しに振り返り、冷ややかな視線を向ける。
「話は終わった筈だ? それとも、まだ何か言いたいことでもあるのか? 女王様」
「他の皆様はこうして快く力を貸してくださるというのに、貴方だけが拒むのですか?」
「あぁ、そうだと言ってるだろう。しつこいのは嫌いなんだけど」
「なぜです? 貴方は力を授かった筈だ。弱者を守るための力を。その力を、この国に住まう無辜の民のために振るう気はないのですか?この国を、民を見捨てて、心は痛まないのですか? 誰かの力になれること、誰かを救えること――それは尊く、幸福なことだとは思いませんか? 和を以て貴しとなす、それが本質の貴方達ニホンジンなら、猶更のはずです!」
フローティアの語気は強く、説得は鬼気迫るものがあった。
だが、刹那は鼻で笑い、軽く一笑に付す。
「授かった力? 押し付けられた力の間違いだろ」
「……何ですって?」
「国を、民を見捨てて心が痛むか? ああ、痛まないさ。見ず知らずの人間が何人死のうが、蹂躙されようが、尊厳を踏みにじられようが、俺の知ったことじゃない」
「な、なんてことを言うのですか、貴方は……」
「誰かの力になれることが幸福だと? 勝手に人の幸福を決めるな。他人のために傷ついて、便利に使われて、それのどこが幸せだって? 冗談じゃない。俺は嬉しくも何ともない。
恩も義理もない他人のために命懸けで戦うなんて、お断りだ。しかも見返りの提示もなしなんて、やりがい搾取かよ。バカバカしい」
「……報酬がお望みならば、戦勝の暁には望むものをご用意します。財宝でも名誉でも」
「だってさ。良かったな、勇者諸君。まぁ、その言葉もどこまで信用できるか怪しいけどな」
「――なっ!?」
侮辱と受け取ったのだろう。フローティアの表情が怒気に染まり、険しく歪む。
「それはどういう意味ですか? 女王たる私が、嘘を吐いているとでも?」
「逆に聞くが、会って一日も経ってない奴――しかも人を無理やり連れ去るような奴の言葉を、何を根拠に信じろと? まさか“女王様の言葉だから”なんて言わないよな?」
「…………くっ!」
「それと、俺は“助けを求めたのだから助けてもらって当然”というスタンスが嫌いなんだよ。傲慢すぎるだろ。相手を軽んじてるのが透けて見える。上座に座り過ぎて、そういうところが疎かになっているんじゃないか、女王様」
「――っ! 黙って聞いていれば、何たる物言い! それは、侮辱ですか?」
「気に障ったか? しかし、アンタにどう思われようが俺には関係ない。何を提示されようが、どう頼まれようが、引き受ける気は一切ないからな。答えはNOで決定で、覆ることはないんだよ」
反論の余地すら与えない刹那の断言に、フローティアは沈黙するしかなかった。
その顔は怒気に満ち、もはや美貌を台無しにするほどの険しさを帯びていた。
「その様子では、ご理解いただけたようだな。何よりだ。じゃあ、そういうワケだから、俺だけでも元の世界へ還れるように儀式とやらを執り行って貰おうか? あの地下室でなら、出来るんだろう? ほら、早く」
冷たく突き放すように言い残して、刹那がさっさと退出しようと再び歩き出そうとした、その瞬間――
「……ふふ……ふふふふ……あはははは……あははははははははは!」
フローティアが肩を震わせ、突如として哄笑を始める。
一頻り笑ったあと、深く嘆息し、声を低く落とした。
「ああ、そう。分かったわ。そこまで言うなら、お望み通り還してあげるわよ。――ただし、元の世界じゃなくて土に、だけど」
呟いたその瞬間、彼女は豹変した。
憂国の女王の面影は消え、不敵で邪悪な笑みを浮かべる魔王のような気配を纏う。
その表情のままパチンと指を鳴らすと、広間の扉が蹴り開けられる。
そしてフルプレートを纏った兵士たちが一斉に雪崩れ込んできては、瞬く間に刹那を包囲して逃げ道を塞いだ。
手にした長槍の穂先と敵意の籠った視線を遠慮なく向けてくる様子からして、どう見ても友好的ではない。
一気に不穏で剣呑な雰囲気となった広間の隅で、正義たちは完全に硬直して声すら出せずに状況を見守るしかなかった。
しかし、その剣呑さの中心に身を置きながら、刹那は冷めた目で周囲を一瞥してから深く嘆息までしてみせた。
「聞くまでもないが、一応聞いておこう。これは一体、何の真似だ?」
「見てわからない? お望み通り、お還しして差しあげるのよ。アンタを殺してね」
「……面白くない冗談だな。ユーモアのセンスはゼロ、失格だな」
「この状況で減らず口とは、ニホンジンの割に随分と肝が据わってるわね。それだけに、惜しい逸材だわ。黙って私に従ってくれれば、救国の英雄として歴史に名を刻めたかもしれないのに」
「それはつまり、命を懸けて戦って死んだ末に名声を得るってことか?」
「ええ、そうよ。でも人間――特に日本人は好きでしょう? 自己犠牲の美談ってやつが」
「人によるだろう、そんなの。ちなみに、俺は大嫌いだ。自分がそんな美談の主人公になるなんて、冗談じゃない。お断りだよ」
「あら、それは残念ね。ならせめて、女王に盾突いた世紀の愚か者として歴史に名前を刻むといいわ」
フローティアの、兵士たちは刹那への包囲を狭めていく。
まさにネズミ一匹逃げる隙間の無い陣形の完成を見たフローティアは、不敵に笑う。
「さて、残された道は二つ――大人しく捕まって処刑されるか、この場で殺されるか、好きな方を選びなさい」
兵士たちは、なおもじりじりと刹那へ迫って着実に追いつめていく。
そんな絶体絶命の状況で、しかし刹那は不敵な笑みを浮かべると同時に指を一本立てた。
「いいや、違う。あと一つ、別の選択肢があるぞ」
「別の選択肢? 何かしら? もしかして、土下座して許しを請う? それともここで自殺でもする? 自殺するなら、ナイフくらい貸してあげるわよ。そうだ! 折角だから見せてよ、ハラキリってヤツ。実物見たことないから、興味あるのよね」
偽った品格を脱ぎ捨てた女王の悪趣味なセリフに、刹那は微苦笑。
「ツッコミたいところは山ほどあるが、全然違う。いいか? 最後の選択肢――それは、この状況を突破して逃げることだ。そして、それこそが俺の選ぶ答えだ」
堂々と宣言すると同時に、刹那は銃口を兵士――ひいては、その奥で余裕な表情を浮かべるフローティアへと向ける。
その眼には覚悟が宿っていて、その言葉はとても冗談とは思えぬ重みがあった。
でも、そんな視線や言葉すら、勝利を確信した女王は小馬鹿にしたように一笑に付すだけ。
「バカだとは思ってたけど、ここまでとはね。あのね、これだけの兵士に囲まれて、抵抗なんてムダに決まっているでしょう? そんなのは、ここで殺されたいって言っているのと同じよ。さぁ、無意味なことは止めて、さっさとそこで跪きなさいよ」
「どうかな。無意味かどうか、試してみるか?」
「どうやら、言っても分からないようね。なら、いいわ。好きにしなさい。何をしようがムダ。最後はそこに這い蹲って、無様に頭を垂れながら自分の傲慢さを思い知ることになる。
そしてその時になって漸く理解するの。私の言葉こそが、絶対に正しかったってことをね。
ああ、そうだ。私は慈悲深いから、醜態を晒す前に一つだけ教えてあげる。その“破邪の聖具”は、魔族と戦うためのモノ。故に、その銃では人間を――」
バァン!
フローティアの言葉を遮るように、耳をつんざく銃声が広間に轟いた。
そして次の瞬間、刹那が銃口を向けていた兵士が、眉間に風穴を開けられたままゆっくりと崩れ落ちていく。
「……えっ」
そう言わんばかりの驚愕の表情を浮かべたまま、仰向けに倒れた兵士は即死。
夥しい血が鏡面のような鏡面のように磨き抜かれた大理石の床を伝って、瞬く間に広がっていく。
「――っ!? き、きゃああああああああああああっ!」
フローティアが本性を現してからずっと沈黙していた正義たち四人も、眼前で人が死ぬ光景にはさすがに反応せざるを得なかった。
正義は動揺を隠しきれずに硬直し、栞は尻もちをついて震え、大地は青ざめてその場に倒れ込み、鏡花は悲鳴を上げる。
それは、平和な世界から来た彼らにとって、あまりにもショッキングな現実だった。
しかし、動揺していたのは彼らだけではない。
刹那を除く全員――兵士も使用人も、そしてフローティアまでもが、予想外の反撃に目を見開いて言葉を失っていた。
そして、その一瞬の隙こそが、刹那が狙い待っていたものだった。
続けざまに三発を撃ち込み、兵士たちを薙ぎ倒して完全と思われた包囲に穴を開ける。
そうして崩れ去った包囲網の一角を狙って突進し、遂に突破。
そのまま窓へ向けて一発を撃ち込んでガラスに罅を走らせると、脆くなった箇所目掛けて勢いよく体当たりを敢行した。
ガシャン! 破砕音が広間に響き渡り、刹那は割れた窓を突き破って屋外へと脱出。
「――っ!? な、何をしてるの! ぼさっとしてないで、さっさと追いなさい!」
その脱出劇に虚を突かれて呆然としていた兵士たちは、フローティアの怒声でようやく我に返る。
慌てて割れた窓へ駆け寄り、外を見渡すが――刹那の姿はすでに消えていた。
目を凝らしても、どこにも彼の影は見えない。
動揺から初動が遅れてしまい、そんな体たらくにフローティアの癇癪は爆発する。
「ああもう……何してるのよ、この役立たずどもがっ! 敷地の外に出られたら終わりでしょうが!
ほら、外へ繋がるすべての門を今すぐ閉じなさい! あと、兵士だけじゃなくて使用人も総動員して敷地内を虱潰しに探すの! それで何が何でも、あの男をここへ引きずって来なさい! じゃなきゃ全員、許さないからね!」
肩で息をしながら金切り声を張り上げるその姿は、もはや気品ある女王の面影など微塵もない。
兵士や使用人だけでなく、先ほどまで畏怖に憧憬すら感じていた正義たちすらも、そのヒステリックな振る舞いにすっかり萎縮してしまっていた。
しかし、客人である正義たちはまだしも、使用人や兵士は女王からの命令には従わねばならない。そこで彼らは慌ただしく広間を後にし、刹那の行方を追って三々五々に散っていく。
そうして今やこの大広間に残されたのは、転移者の四人と怒りで震えるフローティアに、後は血に染まった兵士の亡骸だけ。
王城の中枢にして王家の威信を示す豪奢で荘厳な女王の広間は、今や怒気と血の匂いに満ちていて。その息苦しいほどの重たい雰囲気の中、正義たちはすっかり何も言えなくなって沈黙しているしかなかった。
如何でしたでしょうか?
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